『〜♪』
「……………うっ……!」
『な……もう起きたのか?もう少し寝ておれ、やっと膝が温まって来た所じゃからな………』
「貴様は………」
『ん……儂か?儂は………何処にでもいる、只の婆じゃよ♪』
そう言うと、小柄な少女はピンチベックを見て、にぃと笑った……赤一色の目が彼を見つめる。
「………あの人は無事なのか!?」
『起きて一言目がそれか、あの娘も良い男を拾って来たのう……クククッ………』
「……私は、質問をしたのだが。」
『そう怖い顔をするな、教えてやるとも………デスペラード、彼女を連れて来い。』
心臓の辺りを包帯で覆ったデスペラードが、カラドリウスを抱き抱えてやって来た………その頬に舌を這わせる。
『………!』
「貴様………どうやら死にたいようだな!」
『や、やめてくれ給え……これはスキンシップだよ、よくある事だ……嫉妬しているなら君にも………』
ピンチベックは無言で立ち上がり、大量の投げナイフを構えた。その全てに水銀が塗られている……
『悪かった……それを仕舞ってくれ給えよ、若いのに何故そんなに急ぐ?あの後、我慢出来ずに君の内臓を少しだけ齧ったが…………あれは死ぬには非常に惜しいのだぞ?』
「後がないのでな……だがカラドリウス様だけでも助かれば良い。故に貴様ら二人は道連れだ………!」
次の瞬間、カラドリウスはデスペラードの腕から飛び降り……ピンチベックに飛び付いた。一つ一つの複眼から流れた大粒の涙が、彼の服を濡らす……
「………成程、そういう事か……」
『ごめんなさい……ごめんなさい!私も二人も、貴方がここまでするなんて思わなくて……!』
ピンチベックは少女の身体を傷つけぬように、彼なりに気をつけて彼女の背中に優しく触れた……悲しい程に小さなこの少女が、自分より遥かに強大な吸血鬼に囲まれてどれだけ心細かった事だろう。ましてや彼女のまだ短い生涯で二度目の戦争なのだ……どれだけの覚悟を持って、この吸血鬼に接触しただろう。
「………拾って頂いた御恩に比べれば、些細な事です。私こそ謝らねばいけない……此度の失態、全ては私に力が有れば防げた事です。」
『……無理だよ……だって貴方………私の為にボロボロになって戦って!そんな身体で……!』
「この程度で貴女が助かるなら、何度でも、何年でも、喜んで繰り返します。貴方は……私に仮面を外せと言って下さった。この瞳を褒めて下さった……それに、変装までして私に直接会いに来て下さった………抱きしめて下さった………卑賤の生まれで醜い容姿の私を、褒めて下さったのですから。」
『…………この、痴れ者が!そんな理由で……そんな理由で、傀儡君主の私を……助けてくれたのですか!なんと愚かな……!』
「愚かで構いませぬ……貴女のお陰で、この醜い男は今まで怪物にならずに済んだのですから。」
『ひっ……えぐっ……うわあぁぁぁぁん!』
「どうしました、何処か悪いのですか!?まさか奴らに」
『おい、あまり虐めてやるな……その娘はな、お前を心底大切に想っている……だから、お前がよく仕えている事が堪らなく嬉しいのじゃ。』
ピンチベックの耳元で、始祖が囁く……
「………嬉しいと、何故泣くのですか。」
『悲しいのです!ここまで仕えてくれる貴方に、私は何一つとして応えられていないのです!』
『………君はもう少し人間らしい感情を学んだ方が良いな。どれ、この私が一肌脱いであげよう!どの道彼女は暫く一人にした方が良いからね!定命の者は時間を有効活用しなくては……』
吸血鬼由来の凄まじい再生能力で力を取り戻したデスペラードは、ピンチベックを軽々と持ち上げ、ボロボロの翼を広げて城の上階まで一瞬で移動した!
『さぁ、到着だ………美味しい物でも食べて、ゆっくり話をしようじゃないか……60年程暇をしていてね、君のような客人を待ち兼ねていたのだよ…………少し待ち給え、直ぐに準備をするからね。』
デスペラードはキッチンに入ると、大量の食材を魔法陣から呼び出して肉断ち包丁を振り回して切り刻む!
『しかし、彼は骨ばかりだな……我々の同族かと思ったぞ全く……定命であれでは、死後にアブホースとやらの器として蘇らせる時は間違いなくスパルトイだぞ………それでは!彼の!美味な血が失われてしまう!これは吸血鬼社会の!世界の!喪失だ!』
美しい顔に血管を浮かべ、只管に料理を作り出す!
『アハハハハハハハハハハハ!完成だ!さぁ食べ給えよ、小さな君……遠慮は要らないよ?私が負わせた傷なのだから、それを癒すのは私の役目だ!』
「……法蓮草のサラダ……肝臓の炒め物と、貝と鮪の刺身……干した牛肉か。目的を隠す事もしない……その気になれば、私など簡単に殺せるからか。黙って食うさ……」
『あぁ……それは私の食事でもある。こう、君の首に牙を突き立てて………君は怖がらないから手元が狂わずに済むね……』
「吸血鬼にするつもりか?それ自体は構わんが……日光で体力を消耗するのは困るな。」
『それは酷い下級の者の話だ……野蛮な、殆ど魔物みたいな者らのね……我々は……特に私だが……被食者と交渉して、合意の元で吸血させて貰うのだよ。殆どの人間は……ククッ……自分から血を差し出してくれるが……』
「旨いな。普段は瓶詰か、塩焼きだけでな………これだけ手の込んだ物は久しぶりだ……手料理を日常的に食べていたのは………もう、何年も前だ………」
『フフフ、嬉しいよ……そこまで人から離れかけているのに、君はどこまでも人間らしいな………定命の者は終わりを迎える直前が一番活力に溢れていると聞く…………その瞬間を私の牙で永遠の物にしたいが、君は望まないのだろう?』
「……私が死ねば奴が解き放たれるのだろう、災厄が……私も憑依された直後に大勢殺した。この身体に奴を封じ込める事が出来るなら、選択肢に入るだろうな……だが、望むのなら………私は、生涯でたった一度だけ恋をした相手と同じ墓に入りたいのだ。魂は同じ場所には行けなくとも……生まれ変わったら、またあの人と暮らしたい。」
『………良い答えだね。定命の者として滅びを迎えるのもまた美しい……その心の傷を抱えたまま永遠に生きるのは辛いだろう。きっと、輪廻が忘却を促してくれる……』
「しかし……貴方のように人の心を忘れずに、我々のような弱者を救う事が出来るのなら……永い時を生きて尚、そう在れるなら……生まれ変わったあの人に、理不尽に抗う力を持って会えるなら……待つのも、悪くないのかも知れん。」
『自分の事は良いのかい……?この世に混沌を齎し、成り上がる事も出来るだろう……気に入らない者を魂ごと消し飛ばす事も……』
「力は人を変える。きっと、多くの人が犠牲になるだろう………沢山の兄弟や姉妹達が、私のせいで…………ある者は死に、ある者は居場所を失い何処かへ消えた……そんなものは、もう、見たくない。」
『………君の中の恐ろしいものは、それを否定している。復讐と災禍の化身のようだな……霧のようにはっきりとしないが、少しだけ見える………吸血鬼には見えるのだよ。ある種の悟りとでも言おうか。我々は死に近く、最も遠い存在だ………故に、人の死から生まれた存在は良く見える………』
「……高位の悪霊の類だとは分かっていたが、やはり人か……人間への憎悪から察するに、幻獣の集合霊あたりかと思っていたが。」
『君の肉は異常に変質しているのに同族の味しかしない。細胞一つに至るまで、濃厚に憎悪が染み込んだあの味……同族で無ければあり得ない。君の血に近い匂いが、だが確実に違う紛い物の匂いが、少しだけするぞ。また味わえば、もっと鮮明に理解出来る………君の血肉を植え付けられた者の事もね………』
「………調べてくれ、頼む!」
『……あぁ………少し、下準備をするよ………』
デスペラードはピンチベックの首筋を露出させた……そこに舌を這わせる。
『大丈夫だ……優しく古傷を開けば、勢いよく牙を突き立てる必要はない………不快だろうが、耐えてくれ給え……』
真っ黒な古傷が開き、更に黒い血が一滴、二滴と垂れてくる。彼女はそれを舐め取り、ゆっくりと傷口に牙を差し込んだ……
『んっ!やはり………今までで一番の贄だ………あぁ、生きていて良かった!なんと甘美で、ネガティヴな憎悪の魔力だろう……!どれ程苦しめば、この極上の甘露が生まれるのか想像も出来ない!』
「………光栄だ、本心から言えないのが残念でならない。」
『………大抵分かった、済まないね……結論から言って、君のやりたい事は可能だよ。』
「……まだ腹が減っていないか?私は大丈夫だ、返礼だと思ってくれ。」
『……いいのかい!?』
「あぁ、私に出来る事なら支援は惜しまないつもりだ。あなた方は私の主君を救ってくれた……私も、この数ヶ月で沢山の人々に助けられた……自分でも信じられないがな。だから、必ず礼はすると決めている…………私を認めてくれた友のように、な……」
『こんな……こんな事って………私、今まで始祖様以外に優しくされた事、殆ど無かったから………人間達も私の身体が目的で寄って来るし……!』
「外見に騙されるとは、愚かな奴らだ。私も、この醜い姿で友など出来ぬと思っていた………だが、今やストゥーピストやペラドンナ、シンビジウム、ヒルビリー、ハーヴェスター、ディアハンター……大勢の友、大勢の同志がいる。だから、貴方こそ許してくれるなら……」
『………私でいいなら、喜んで。』
デスペラードは自ら手を差し出し、ピンチベックはそれを力強く握る……痩躯に見合わぬ真っ直ぐな眼差しが、彼の本心を告げていた。
「貴方からすれば短い間だが……宜しく頼む。」
『……君が望めば幾らでも生きられるよ。その時は、一緒に貴方の友を待とう……退屈はしなさそうだ!』
「あぁ……!」
『デスペラード、ちょっと良いか?』
始祖だ……かなり深刻な顔をしている。
『どうしました……?』
『そこのお前に、話しておきたい事がある……一人で地下の聖堂まで来てくれ。』
『始祖様、まさか……』
次の瞬間、始祖の小さな身体は血の霧になって消滅した……
「血を触媒に任意の姿を投射した、一種の幻術か。少しでも質量のあるものは扱いが難しいと聞くが………」
『若いのに良く知っているな……感心、感心……』
「これも試練か。しかし、地下に聖堂とはな………まぁ良い、進むか……」
ピンチベックは黒檀の廊下を音も無く渡る………壁に嵌め込まれた石像が突然彼の方を向き、牙を剥いて笑った。
「普段は景観に紛れ込んで、いざという時は監視や威嚇に使えるのか……中々面白いな。」
『つれないのぅ……驚いて目を見開くくらいは期待していたのじゃが……』
「次は期待に添えるように善処する。」
それを聞いた石像は、不服そうに彼を睨んだまま硬直した……暗い廊下に並んだ蝋燭が一気に燃え上がり、巨大な甲冑が、こちらに向かって歩いて来る……
「成程、そういう事か……まるで勇者にでもなった気分だな。」
甲冑は無言でグレートソードを背中から引き抜き、軽々と振り回して構えた……いつの間にか彼の背後には魔法の壁が張られ、何処にも逃げ場はない。
『………オォォ!』
甲冑は深く踏み込み、グレートソードを一閃!狭い場所では回避困難だが……ピンチベックは敢えてダガーでこの一撃を受け止め、吹き飛ばされた勢いで壁に足をつけ………そのまま走り出したのだ!
「コーシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ!」
更にナイフを大量に投擲!殆どは甲冑が振り回すグレートソードに弾かれるが、ピンチベックは自分の近くに跳ね返って来たナイフを更に蹴り返す!
『………オォォォォォォ!』
脚の筋力というのは腕の数段強い……それが冒険者の身体能力であれば、蹴り飛ばされたナイフはライフル弾の数倍は下らないスピードが出る!甲冑の隙間を狙った精密な遠隔攻撃だ!僅かな火花と同時に、ナイフが首筋ギリギリで甲冑に弾かれた!
「少なくともミスリル製か……鉄鎧なら今の攻撃で間違いなく貫通している。厄介だな…… 」
『オォォォォ………!』
甲冑はグレートソードを片手に持ち替え、乱雑な回転斬りを放つ!発生した衝撃波が周囲の蝋燭や家具、突き刺さったナイフを巻き上げて視界を塞ぐ……敢えて遠心力頼りの攻撃を仕掛ける事で、敵の逃げ場を完全に無くしたのだ!だがそれは完全なる愚策!
「コォ……シュ!シュ!シュ!シューッ!」
ピンチベックは巻き上げられたナイフや家具を飛び石代わりにして空中を自在に移動し、単純な斬撃を軽々と回避!フレイルのようにしならせた右脚で甲冑の首を叩き落とす!しかしこれで終わりではない!何処からか取り出した爆弾を甲冑に押し込んで爆破!甲冑が吹き飛び、グレートソードが地面に突き刺さる!
「やはりこれか……しかし教団の技術も馬鹿に出来んな。首を狙った攻撃を防ごうとしなかった辺りで、もしやとは思ったが……」
ピンチベックは甲冑の残骸を蹴飛ばすと、隠れていた宝石を手に取る……魔術的な儀式で生み出された道具の一種だろう。これが触媒になって甲冑を動かしていたのだ……
「何処に置けば良い?」
『持って行け。そのままでも人間になら高く売れるし、細かく砕いて顔料にすれば動く絵が描ける……こんな物なら材料を用意して、半刻もあれば簡単に作れるでな。』
「7、8体もあれば、小さな街程度簡単に制圧出来る……恐ろしい。」
『指示を出す奴が必要なのよ……細かい動きは苦手でな、儂はゴーレム魔術に適性がある訳ではないのじゃ。だが動かすのは中々楽しいぞ?』
「……機会があれば是非やってみる。して、試練は終わりかな?」
『…………すまんがデスペラードが気に入ったからと言って手を抜いた可能性もゼロではないからの、もう少し付き合って貰うぞ………それに、城の者にも納得出来る形で明確な戦果が欲しい……分かってくれ。』
「何処の君主も楽ではないな……了解した。しかし彼女も趣味が悪い……」
『……そうか?お前のような恐れ知らず、嫌いではないが。何より血が旨いというのは吸血鬼にとってはこれ以上ない程の魅力だ、血族に迎える理由としても一番説得力がある。』
「吸血鬼も意外と現金だな……従順な崇拝者や殺人鬼を好むとばかり思っていたが。」
『無論、そういう輩も必要ではある……だが偶にはお前のような変わり種が欲しくなるのよ……何千年も生きていると、どうにも退屈でな。他の者もお前と戦いたいらしい……』
「……それでも終わろうとしないのは、元が人間だからか……死にたいという者がダラダラと無駄に生き、真に生きるべき者から死んで行く……難儀な事よな。」
『城には人間の社会に適応出来なかった者や、迫害された種族の生き残り……人間としては生きられない者が殆どじゃ……デスペラードも、元々は人間の貴族だった……奴は愛人に先立たれ、ようやく両想いの相手を見つけたが………老いると捨てられ、家を追い出された挙句に其奴の前妻に嫉妬されて殺された。結局、奴は美しく生まれたばかりに幸せになれなかった。』
「人間として生まれた彼女を羨んだが………浅はかだった。私のように割り切った生き方に憧れた、という訳だな……」
『いんや……お前は若いからな、其れに奴に対して”興味”を示さなかった……奴は昔からそうだ。今度こそ、自分の内面を見てくれる人間が現れたと思ったのじゃろう……もう似たような事を20度は繰り返しておる。お前に友と呼ばれた時、奴は嬉しそうだったのぉ……改めて、礼を言うぞ。』
「待った……次が来る!格が違うな………この音は!」
『クォォォォォォォォォォォン!』
「竜族だと!?このまま突っ込むつもりか!」
第75幕 完