ピンチベック   作:あほずらもぐら

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第87幕 : 刻を超えた再会 後編

「彼女はどうします……あのままという訳にはいかない。」

 

『あぁ、彼女は所謂”蛹”ですよ。一部の内臓以外を全て溶かして作り替える………定住性の虫族は脱皮を家族以外には絶対に見せないので、資料が不足している………残念な事に。』

 

「私に出来る事はありますか。勿論生き残る事が出来れば……困難を極めるだろうが……貴女は一度私の半分を……いや”我々”を殺したノウハウがある、しかも一線級の実力も……私単体ではまず勝てない。」

 

 

『謙遜を……貴方こそ、”彼”を押さえ込むだけでなく一部分とはいえ制御して見せるとは………貴方自身も相当に強い、弛まぬ信仰と高潔な精神の賜物ですね。』

 

「彼を招いたのは私の弱さ故………今から弱さ故にミンチになって死にます。杖に似せただけの鉄棍だけを得物とし、史上最も同胞を殺めた聖人……またの名を”血の錫杖”、貴女に挑む名誉の対価にしてみれば、私の命などあまりにも安い。」

 

『まさか、貴方も同胞を……』

 

 

「えぇ、数年前の戦争で……参加者はエルフ、魔族、虫人が中心になった自治領軍と、人類種と周辺地域に住む少数の亜人で構成された王国軍。」

 

『………王国は、敗れたのですね。』

 

「そして同胞を大勢殺した次は、同志で殺し合っている……人類が所謂”崩壊”から立ち直って新たに高度な文明を築いた今、世界は群雄割拠の様相を示しています……新たな国、宗教、勢力、民族、まさに雨後の筍だ。」

 

『その中で貴方は最善を尽くして生き残った……やらなければ貴方が殺されていた。そして今も……人も獣も、本質は弱肉強食……戦争は子供ですら容赦なく狩場に放り込みます、故に全員が被害者となり得る。貴方も、私も……』

 

「そう言って頂けると助かります。貴女の騎士団に所属していた冒険者も大勢殺しました故………伝説の騎士に恨まれるのも……余り面白いものではありませんからなぁ!?」

 

 

ピンチベックは腰のベルトに挿していたダガーをいつの間にか引き抜き、逆手で構える。目線は全くブレておらず、オイフェから見ても尋常ではない速度で構えを完了していた………手負いとは思えない程の殺気が辺りに充満する。

 

「御遠慮無く、目の前にいるのは下賎な始末屋………貴女程の英雄が、今更躊躇する価値も御座いません。」

 

『地母の神よ……この者の傷と痛みを消し、戦いに備える活力を。』

 

 

部屋全体に発生した魔法陣の力でピンチベックの傷口が塞がり、痛みが和らぐ………久しく無かった感覚に、喜びよりも困惑が勝った。

 

「流石は英雄………自ら困難に身を投じますか、立派な信仰心だ。」

 

『神は信ずるものと同時に規範だと、私はそう心得ております。ただ無心に救われたい、天国に行きたいと言うだけではなく……謂わば自然にある中で慈悲と強さとを忘れぬ為の理想像……偽善者の自己満足と言ってしまえば、そうかも知れませんが。』

 

 

「好き好んで悪に身を投じるよりは余程高尚です………しかし、私は自分が極悪人である事に誇りを持っている。黒い影があってこそ、小さな小さな光を大きく見せる事が出来るのだから……」

 

 

彼の傷口は完全に塞がっている上、痛みは少なく万全に近い状態だ。一方のオイフェは目から一滴の血を垂らし、魔力を消耗している……

 

『こんな身体で戦えるのか、そう聞きたいようですね………』

 

「柄にもなく、これは理不尽なハンディだと感じています……では此方も対価を……」

 

 

ピンチベックは空の注射器を腰のホルダーから外し、自分の血を採り……それを手渡した。

 

『………有り難く。』

 

オイフェは跪き、一息にその黒い液体を飲み干すと立ち上がり……棍棒を地面に突き立てた!部屋全体がクレーターに飲み込まれる!

 

『非常に甘美な、むせ返るような怒りと悲しみの味………』

 

 

彼女は勇敢な表情のまま、静かに泣いていた。この世界を、神を憎んだのは数百年の人生で二回目だ………この男はその数千倍は憎んでいる。

 

 

「責問を始めよう……私の人生で最高の苦痛と、聖人の手に掛かる名誉を………私自身に与える。」

 

『貴方はそれで……足りると言うのですか……』

 

 

「聖オイフェは処刑の際、必ず罪人に武器を渡す………そして必ず罪人の攻撃を一太刀浴びる……初めて知った時は、本当にこんな馬鹿がいるのかと軽蔑したものだ。」

 

『よく知っていますね……真の戦士からしてみれば、確かに非合理的でしょう。』

 

「だが思い知った……汚濁に塗れた罪人にとって、戦士としての死を与えられるのがどれ程の救いとなるか……無数の命をゴミのように奪う中で思い知った!」

 

ピンチベックの姿が蜃気楼めいて揺らぎ、オイフェの背後からナイフが飛ぶ!

 

 

『………貴方から一太刀浴びるのに、手加減は要らないようです。』

 

 

人差し指と中指でナイフを完全に止め、地面に落とす……ピンチベックが数歩だけ背後に飛ぶと彼の目の前の地面が消し飛び、狼牙棒による打突が目の前に迫る……二段攻撃だ!壁に叩きつけられるピンチベック!

 

「ッ……速い………!」

 

受身を取らず衝撃を関節から壁へと逃すが、間違いなく肋骨にヒビが入った。体重のある者ならば自重で内臓が潰れてもおかしくはない筈……大振りの追撃を躱しながら頭をフル回転させ、打開策を探す。

 

『痛みを与えるのは本意ではありません。』

 

「闘争は血を流し、肉を引き裂いて勝利を得るもの……ましてや伝承の騎士に決闘を挑まれる名誉、無碍に出来るとでも!?」

 

ピンチベックは回避した勢いそのままに壁を走ってリボルバーを連射!

 

『イヤッ!イヤッ!イヤアァッ!』

 

オイフェは水銀を仕込んだ銃弾を全て弾き、白く光る狼牙棒で再び打突!衝撃波で壁が割れる!

 

「コシューッ!」

 

ピンチベックは射撃の反動を敢えて全身で受け止め、吹き飛んで回避!壁に着地し、左脚で跳んで右脚で蹴る!オイフェは狼牙棒を傾けて防御………出来ない!砲弾の直撃にも匹敵する衝撃に大きく体勢を崩し、死神の大鎌を思わせる回し蹴りを食らってたたらを踏む!

 

『っ!?魔法や奇跡の類に頼らずにこれですか……!』

 

「コシューッ!」

 

ブーツに挿したダガーを抜き、低姿勢から肝臓を貫かんとする一撃!オイフェは掌で受け止め、ダガーごと投げ飛ばす!その傷が目に見えて塞がっていく!

 

「まずは一太刀……これだけで今まで生き延びて来た価値がある。」

 

『兄弟よ、出会いさえあれば………!』

 

 

「……時計の針は、戻らない。」

 

回復の奇跡は謂わばエネルギーの前借り……完全な回復には多量のカロリーを要する。利子の支払い期限は確実に近づいているのだ……

 

(本当に良いのか?お前が命ずれば、いつでもあの売女めを串刺しにしてやろう……)

 

 

「そこで見ていろ、これは私の我儘だ。神聖な処刑を穢す事は出来ん………俺は彼女が満足するまで、幾らでも責め苦を受ける………何度でも、何年でもな……!」

 

開いた傷口にオイフェの血を垂らし、未熟な奇跡で無理矢理に塞ぐ。

 

『まさか人間の兄弟に血を吸われる日が来るとは………』

 

オイフェには彼の背後の黒い影が見えた……自身が封印した時よりも格段に力を増している。彼に宿る殺意、憎悪、苦痛、悲哀、他者から受けた屈辱と軽蔑………彼単体でも高位の悪霊になり得る事が容易に想像出来る。

 

「このような浅ましい使い方、本来なら冒涜に値します。憚るべきでしょうが……貴女相手に綺麗事も言っていられまい、悪魔の子に相応しい戦いをさせて頂こう………」

 

『そう……呼ばれていたのですか。』

 

「随分と昔の話だ……今は正真正銘の悪魔、そんな男の話を信じるとはな………どの道私は貴女に勝てん、精々苦しんで貰いましょう。」

 

『勝てないと分かっていて、何故挑むのです……!』

 

「そうでもしないと、気が済まんのですよ……貴方の血族が途絶えたのは私の責任です、罪の無い者を殺した報いは受けねばなりませぬ。」

 

ピンチベックは二本目のダガーを構え、オイフェに歩み寄る………蝿の羽程も音を出さず、徐々に殺気が鎮まっていくのが分かった。

 

『私には、貴方が殺したとは思えません……』

 

「残念だが、殺したのは事実です。」

 

『何か私に隠しているのでは?』

 

 

「私が、殺した……」

 

『本当に?』

 

 

 

「私が殺したと言っている!」

 

ピンチベックは一瞬で距離を縮めると残光を生み出しながらダガーを振り抜く!オイフェはギリギリで避け、側面から狼牙棒で殴りつけた!

 

「彼女は、私が殺したのだ!」

 

狼牙棒を掴んで引き寄せ、ガントレットから鉤爪を射出!オイフェの肩に刃が深々と突き刺さる!

 

『…………嘘をつくのはやめなさい!』

 

オイフェは構わず、拳で傷口を更に殴りつけた!ピンチベックの仮面から黒い血が溢れる!

 

「……嘘などついていない!私が彼女を殺したのは事実だ、何故疑う!?」

 

『動かないで!今治療します………』

 

 

「離せ!私は貴女に殺されるべき悪魔だ!慈悲など要らぬ、俺はそんなものを求めていない……!」

 

『…………決闘が終わったからです。』

 

「何?まだ俺は死んでいない!」

 

 

『言い出したのは私ですから、私に止める権利があります………貴方が殺したというのは、あくまで原因の何分かが貴方にあるに過ぎないと言う事でしょう?』

 

「…………何故そうだと確信出来る。」

 

『貴方から涙の匂いがします……幾ら血の香りで誤魔化しても分かりますよ。私が何人の懺悔を聞いてきたと思っているのです?卿から話は全て聞かせて頂きました。』

 

 

 

 

ピンチベックは負けた。作戦は失敗した………オイフェが吸血鬼になって生きていると聞いて考えた作戦だった。旧王家の聖人であるオイフェに悪魔である自分を討たせ、そのカリスマ性を活かし正教の力を強めて教団を弱体化……残った仲間がオイフェの指示、つまりは神の意志で狼藉を働いた教団を滅ぼす。これならば民意を得られるし、海外からの派兵すら充分に期待出来るシナリオだ。

 

 

 

「カラドリウス様には、黙って欲しいと頼んだのだが……私一人で済むというのに、一体何が不満なのか。」

 

『貴方は私の子供達から、血よりも大切なものを受け継いでおられる……それが尊いのでしょう。我々の系譜は途絶えてなどいませんよ……私の目の前にいます。』

 

「しかし貴女を傷つけてしまった。」

 

『最初に試練を課したのは私です、そして貴方はそこまで邪悪な人間ではないように感じた………弱者の為に剣を取る事は決して恥ずべき事ではありません、ただ祈るだけでは救えない命もあるのですから。』

 

 

「だが、私は密かに殺人を楽しんでいたのかも知れない。一時は復讐に夢中になり、人間性を喪失していた……きっと心まで醜いのだろう。」

 

『自分の中の悪を自覚出来るのなら充分です……貴方の生い立ちを鑑みれば尚更。私の血を引く者が殉じてしまったのは悲しいですが、いつまでも貴方が罪を感じているのは彼女の本意ではないでしょう?』

 

 

「………確かに、今の私なら復讐以外に戦う理由を見つけられるかも知れん………この醜い身体に人の心など要らないと思っていたが、今一度学んでみる必要があるようだな………」

 

 

『私もお手伝いさせて頂きますよ……地下聖堂が無くなった今、新しく砦か教会を建てる必要もありますし、子供達と話すのは生前からの楽しみですから。』

 

 

「私は今年で22だ、子供ではない………従者の職もあるし、自分の家も二軒持っている上に飲酒経験もある。」

 

『吸血鬼から見ればまだ子供ですよ……貴方もそう思いませんか?』

 

 

『僕より多少は大人って感じかな……少なくとも、普通の子供はインキュバスの魔力が篭った言葉をこんな間近で聞いて正気を保つのは難しいけど………いや、常人でも無理だよ!?』

 

「そうか。真横から話しかけるな、片耳だけに音が反響して気が散る……正面から話してくれ。」

 

 

彼の足元には黒い呪詛が渦を巻き、落ちる影はぐつぐつと蠢いていた。

 

「……君が嫌いという訳ではない、悪かった。」

 

ペラドンナはピンチベックに肩を貸しながら囁く……

 

『分かってるさ。勿論、約束は忘れてないよねぇ………♡』

 

「……対象が覚醒した状態で食事を摂る事は可能なのか?資料が少ないので取っておきたい………それに身体が動かないのでは、精神を鍛える他ないからな。」

 

 

『金縛りって苦しいし、それに……あんまり見ない方が良い。僕は正直言って起きたままっていうのも楽しいけどさ……その身体じゃ、僕が触れた瞬間に崩れ落ちてしまいそうだ。』

 

「…………そんなに肉体の負担が大きいのか?」

 

『だって、起きたままの食事は………何より君が嫌だと思うよ?』

 

「やはり苦痛を伴うのか?」

 

『いや、寧ろ逆なんだけど……資料を取るには記憶を明確にしておく必要があるでしょ?事前に了解取ってる以上、夢だって誤魔化せないし……何より天国のお姉さんに顔向け出来ないんじゃ……』

 

「何故だ?友の助けとなるのは誇りではあるが、彼女が悲しむような事は何も……もしかして君が不快なのか?」

 

『中々頑固だな……やっぱりちゃんと僕が食べないと、君は満足しない?君は嫌な時でも嫌って言わないから心配なんだ。』

 

「……もう私には……理解が出来ない。ずっとずっと、痛みと悲しみが私の肌を焼いているんだ………嫌だなどと、そんな脆弱な感情は忘れてしまった……」

 

仮面から覗く目に悲しみや苦痛は無く、もう疲れたといった感じだ………度重なるギリギリの戦いが彼の身体をヤスリのように削り取り、最早装備の上からでも分かる程に覇気が失われていた。

 

(こんなセタンタ、初めて見た………今すぐにでも消えて無くなってしまいそうだ………)

 

「今にも死にそうに見えるか?当然だが天使は見えん………悪魔もな………地獄からも受け取り拒否されたようだ、私は。」

 

『じゃあ僕が受け取るさ……♡』

 

 

ペラドンナはピンチベックを抱き抱え、ベッドに寝かせた。その身体は非常に冷たく、小さく、軽い……

 

『軽い……多分、40キロくらいしかない……僕だって70キロはあるのに……』

 

『後は自然治癒に任せましょう……ここまで消耗していると、彼にとって毒になりかねませんから。くれぐれも無理はしないように……』

 

「彼女の方が……苦しい筈だ……教団に攫われて、高貴な家名を継ぐ事も、再び友に会う事も出来ないあの娘に………比べれば……俺は……」

 

 

 

ピンチベックは、遠ざかる自分の意識を繋ぎ止めるように大声で呻く……

 

「俺はなんと、無力な事だろう……!」

 

何年も身体を酷使して来た影響で指先しか動かない……金属製の歯を食い縛り、屈辱に耐える事しか出来ないのだ……あまりに噛み締めるので、歯茎から黒い血が漏れる。

 

『やめなよ!ちょっと休めば身体は回復して……』

 

静止しようとするペラドンナの肩にオイフェが触れた。

 

『放っておきなさい………暫く一人になる事も必要です。戦士として、身体が動かない屈辱が分かりますか………ましてや妹が拉致されて自分は何も出来ないのです、どれだけ歯痒いか……彼に恥をかかせる訳にはいきません、行きましょう。』

 

『はい………』

 

 

 

客室の重々しい扉が閉まる音は、彼の悲鳴を代弁しているようだった。

 

 

 

 

 

第87幕 完

 

 

 

 

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