メジロの執事   作:喬 

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 初めてお嬢様と出会ったのは五歳のときだった。

 多分、本当はもっと前に出会っていたと思うんだけど、少なくとも俺の記憶に残っているのはこのときが初めてだった。

 父に手を引かれ、自分ちの何倍もでかい屋敷に連れられて来た俺は子供ながらに驚いた。自分の父親が執事としてメジロ家に仕えているということは聞いていたし、俺も同じ道を辿るため教育だって受けている。ただお屋敷なんてのはテレビか写真の中でしか見たことがなかったからな。

 

 父親は驚く俺の頭をそっと優しく撫でて、まずは大奥様に挨拶に行こうと微笑んだ。

 不安だった俺は父親の手をきゅっと握り、小さな歩幅でついていった。

 大奥様とやらの部屋に辿り着くまでの道のりは、子供の俺にはやけに遠く感じたし、とてもじゃないが覚えきれないほど多くの人間と言葉を交わした。

 疲れ果てた頃にようやく見えた大奥様の部屋に入ると、その最奥に位置する席に座していた彼女は俺を見て優しく微笑んだ。

 

「あなたによく似て、端正な顔立ちですね」

「いえ、きっと妻に似たのでしょう」

 

 そう言って談笑するふたりの顔を交互に見やる俺の背中に、父はそっと触れて「ほら、大奥様に挨拶をしなさい」と言った。

 名前と年齢、それから父に教え込まれた言葉を述べ、左手を胸にあて、右手を後ろへまわして頭を下げる。

 叩き込まれた作法に間違いは無かっただろうかと、不安げにちらと覗くと、大奥様は父親の方を見ながら「あなたよりしっかりしているのではないですか?」と、冗談めかしていた。

 

 大奥様との顔合わせはすぐに終わり、屋敷の中でなら遊んできてもいいという言葉に部屋をあとにした。

 あまりに広い屋敷を練り歩くうち、ちょっとした探検家にでもなった気分で鼓動は高鳴りを覚え、中庭まで駆け出した。

 そこで初めて、お嬢様と出会ったのだ。

 

「あら、あなたは……?」

 

 芝の上にペタンと座り込み、髪から尻尾まで完璧と言えるほどに美しい芦毛を靡かせていた彼女は、可愛らしい花冠を手にしながら首を少し傾けた。

 真っ白なノースリーブのワンピースがまるでウェディングドレスのようで、ほんの二秒ほど心を奪われてしまった。

 

「ぼく……じゃなくて、わたしは父につれられて大奥様にごあいさつに参りました」

「まあ! ではあなたがわたくしのせんぞくしつじとなる方なんですのね!」

「まだ少し先の話ではございますが」

 

 彼女は歳相応の笑顔でにぱっと笑い、立ち上がると俺のもとへと駆けて来る。

 

「めじろまっくいーんともうしますわ!」

「ええ、存じております」

 

 まだ少し冷たい風が頬を撫で、それを緩和するかのように暖かい陽射しが降り注いでいた春のある日。

 目の前でにこにこと嬉しそうに笑っている彼女へ微笑み返すと、彼女は手にしていた花冠をそっと差し出してきた。

 

「お嬢様?」

「わたくし、めじろの名にふさわしいウマ娘になりますの!」

「は、はあ……?」

「まあ! さっしがわるいんですのね!」

 

 右手を口元にあて、目をまん丸くして大袈裟に驚いているお嬢様から、手元の花冠へと視線を移す。

 ハルジオン、マーガレット、イベリス、ニリンソウで作られた花冠は少し不恰好で、でもとても綺麗に咲いていた。

 

「この花、どうされたんですか……?」

「おばあ様が買ってこられたんですの!」

「大奥様が……」

 

 きらきらと輝く瞳で真正面から見つめられると、それってもしかしなくても怒られちゃうんじゃないですか? とは言えなかった。

 

「まだですの?」

「え、なにが……?」

「そのお花、わたくしにとてもよくにあうんですのよ」

 

 ──そう言ってあまりにも優しく微笑むものだから、考える前に手は動いていた。

 その姿はまるで白いベールを被ったようで、この花冠が世界で一番似合うのはきっとお嬢様なのだろうと、ふわりと笑った彼女に小さく微笑み返した。

 

 ちなみにふたり揃って大奥様に怒られた。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

 ──いつからか目覚ましを使わなくなった。

 身体に染み付いた習慣は厄介なもので、今日、明日とタイミングよく休暇を頂いていたのだが、いつも通りの時間に目が覚めてしまった。

 いつもの様に、部屋に風を通すため窓を開けると空はまだ薄暗く、ひんやりと冷たい風が吹き込んでくる。

 

「さむ……」

 

 懐かしい夢を見ていた気がするのだが、内容は覚えていなかった。

 昨日の騒動も夢だったらよかったのになーなんて、俺のベッドで気持ちよさそうに眠っているお嬢様を見つめながら小さくため息をついた。

 

「まだ食べられますわ……」

 

 本当は今日、明日の休暇を利用してひとりで小旅行でもしようと思っていたのだが、急遽予定を変更して幼稚園からの旧友と会うことにした。

 まだ出かけるには随分早い時間だが、お嬢様を起こしてしまわないよう私服に着替え、静かに部屋をあとにした。

 歯を磨いて顔を洗って、簡単な朝食を済ませてから外へ出るともう空は明るくなっている。待ち合わせの時間までまだまだあるが、たまにはゆっくりと歩き回るのも悪くない。

 ああ、太陽が微笑んでいる。鳥が鳴いている。風が走って、木々が話し合っている。

 

「うーん。良い天気だね」

 

 ──いつ、どうしてお嬢様が俺のベッドに潜り込んできたのかについては深く考えないことにした。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

「お前さ、マジで言ってんの? ぶち殺すぞ」 

 

 公園だとかパン屋だとか、普段立ち寄らないような場所に足を運び、時間を潰してから待ち合わせの場所へと向かった。

 旧友は五分遅れてやって来て、人身事故があったせいで遅れたと嘘を言っていた。ちなみにこいつの家は待ち合わせ場所から徒歩十分のところにある。

 いつものことなので軽く流してから、電車を乗り継いで友人のオススメとやらの喫茶店に入った。

 そこでアイスティーとオムライスを頼み、先に運ばれて来た飲み物に口をつけながら、昨日あった出来事を話した際の返事が「ぶち殺すぞ」だった。

 友人の名は『走』と書いて『かける』と読む。良い感じにゆるいウェーブがかった天然パーマの髪が、本人はあまり気に入っていないらしいがよく似合っている。小学生の頃は女子から陰で「王子様」と呼ばれており、中学の時はバレンタインチョコを毎年十個以上貰っていた。背も高く頭も非常によく、運動神経も抜群なので本当は友達辞めたい。

 

「いやいや、本気で悩んでるんだよ。なんか良い案出せよ……」

「バカ、死ねお前は」

 

 口が悪いのが玉に瑕だね。

 

「よく考えてみろ。マックイーンさんだろ? 超有名人じゃないか。可愛いし美しいしカッコいいし、なにが不満なんだよ」

「不満とかじゃなくてだな……」

 

「お待たせしました、オムライスです」

 

「お前も知ってるだろ。俺は執事を辞めるわけにはいかないんだよ」

「はーあ。相談があるとか言うからわざわざ来てやったのに、ただの自慢話でしたか」

「お前なあ……」

 

「ご主人様、今からオムライスに魔法をかけますので、私と同じように手でハートを作ってくださいにゃ」

 

「おー、なんだよ。言いたいことがあるなら言ってみろ」

「だから本当に困ってんだって」

 

「じゃあいきますよー。美味しくなあれ──」

 

「「「もえもえきゅん!」」」

 

「わー。ご主人様たちとってもお上手ですー。ありがとうございますにゃ。それじゃあごゆっくりどうぞー」

 

 とびきりの営業スマイルで手を振るメイドに笑顔で応え、目の前のスプーンを手に取った。

 オムライスにはケチャップでハートが描かれており、なぜ俺は当たり前のようにメイド喫茶に来ているのかを考えそうになったが、頭を空にしてそのままオムライスを口に運んだ。

 

「いいかいカケルくん、よく聞きたまへ。そもそもの話、俺はお嬢様に恋愛感情を持っていない。お嬢様のことは好きだが、尊敬だ。憧れだ。信仰だ」

「信仰はどうなの」

「トニカク! どうにかしてお嬢様を怒らせないよう婚約を破棄する方法を考えてくれ!」

「……マックイーンさんに嫌われるとか?」

「ハハハ、なに言ってんだ。俺はメジロ家の執事としてあり続けたいんだ。それじゃそもそもの俺の願いが破綻しちゃうじゃん」

「じゃあマックイーンさんに新しい恋人ができれば良いんじゃないか?」

「アホかテメ────!!」

「うーん。豹変だね」

 

 立ち上がり、身を乗り出して店中に響き渡るほどの大声で叫んだ俺をなだめ、カケルは冷静にメイドさんを呼んで、「アイスティーおかわりにゃ」と言っていた。

「そちらのご主人様はどうされますかにゃ?」と訊かれたので、「僕もおかわりにゃ」と笑顔で答えて椅子に座った。

 

「冗談はやめよう。お嬢様に恋人ができて良いはずがないだろう」

「なんでダメなんだよ……」

「バカ。お嬢様に釣り合うような男がこの世界にいると思ってんのか? ったく、信じらんねーバカだぜ。これからお前のことは奇跡のバカと呼んでやる」

「毒舌だね」

 

 まったく。なにを言い出すかと思えば、クソの役にも立たないものばかりじゃないか。

 呆れてため息を吐いたついでに、もうひとつやふたつ文句でも言ってやろうとカケルの方へ視線を移すと、珍しく真剣な表情でこちらを向いていた。

 指先で遊ぶように手元のアイスティーをストローでくるくるとかき混ぜ、少し間を置いてから口を開いた。

 

「まあ結局のところ、正直に話すしかねーんじゃねーの? 全てマックイーンさんの勘違いですって」

「ダメだ」

「意地張るところじゃねーだろ」

「確かに本気で説明すればお嬢様は納得するよ。でも、きっとすごく落ち込むだろう。だからダメなんだ。なにがあっても、もう二度とお嬢様を悲しませちゃいけない」

「まあべつに良いけどさ。あんまうそばっかつくんじゃねーよ。お前も、マックイーンさんも」

「………………」

 

 返す言葉を探している間に、カケルはまたメイドを呼びつけて「バニラアイスひとつ欲しいにゃ」と言っていた。

 先ほどの言葉をぐるぐると頭の中で反芻しているうち、頼んだアイスが運ばれてきて、カケルはそれを自分の手元からそっとこちらに滑らせ、静かに立ち上がった。

 

「これ食って頭でも冷やせ。また行き詰まったら聞いてやるからさ」

 

 そう言って俺の横を通り過ぎ、「またな」と店をあとにした。

 俺は目の前のアイスと一緒に、またしても本当の願いをのみこんだ。悲しませたくないだとか、執事を続けたいだとか、それも嘘じゃないけれど──本当はもう一度……。

 

「それが言えたら苦労しないんだけどな」

 

 俺はとりあえず、平然と金を払わずに出て行った旧友と縁を切ることを決意した。

 

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