メジロの執事   作:喬 

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「わたくしを放って一体どこへ行っていましたの!?」

 

 屋敷へ帰るなり、玄関先で待ち伏せていたお嬢様は耳を後ろに伏せ、唇が触れあうんじゃないかって距離まで詰め寄って来る。

 メイド喫茶です──とはもちろん言えないので、なんと言おうか迷っていたところ、お嬢様は最初から俺の返答に興味は無かったようで、そのまま捲し立てるように言葉を続けた。

 

「わたくしがどれだけ勇気を出してあなたのベッドに潜り込んだと思っていますの!」

 

 それ、触れちゃうんだ。

 

「わたくしは……わたくしは……」

 

 昨夜のことを思い出しているのか、急に顔を真っ赤にして、かと思えばおもむろに両手で顔を覆い、「なにを考えていましたの……」と、膝から崩れ落ちた。

 どうやら自分の行動がおかしかったことに、自分で気づいてくれたみたいだ。良かった。

 

「ヨヨヨ〜……」

 

 いや、泣き方やばいなこのひと……。

 

「お、お嬢様。私は気にしていませんので、どうかお顔をあげてくださいませ……」

 

 ぺたりと座り込んで泣き崩れるお嬢様に駆け寄り、目線の高さを合わせて声をかけた。

 するとアラ不思議、お嬢様は顔をぱっとあげ、こちらを思い切り睨み付けてくる。

 

「……き、気にしていないですって?」

「え……」

 

 なにが不味かったのか考える暇も無く、お嬢様は勢いよく立ち上がる。その動作に驚いて腰を抜かした俺に人差し指を向け、ぶんぶんと振り回しながら大声を上げた。

 

「わ、わたくしには女性としての魅力が欠けているとでも言いたいんですの!? お、おお、同じ……ベ、ベッドで眠っても……なにも感じなかったんですの!?」

「いや、そういうことじゃ──」

「問答無用ですわ!!」

 

 一度火がついたお嬢様にはなにを言っても無駄なわけで、慌てて取り繕う俺に背中を向け、およそご令嬢とは思えぬほど大きな足音を立てて自室へと戻って行った。

 

「もしかしなくても怒らせちゃった?」

 

 あまりの急展開に、その場にへたり込んで呆けていた俺を見て、ライアン様は苦笑しながら目の前にしゃがみ込む。

 

「配慮が足りていませんでした」

「あははっ。そうみたいだね」

 

 その屈託のない笑顔は、幼い頃同じように笑いかけてくれたお嬢様の笑顔とよく似ている。

 

「でもさ──」

 

 左手でそっと俺の頬に触れて、こちらを真っ直ぐに見つめてくるその瞳は優しくて、でもほんの少し、隠しきれていない悲しさが確かにあって。

 

「キミがマックイーンの傍にいてくれてよかった」

 

 ──その言葉にはどんな意味が込められていたのだろう。

 傍にいてあげたんじゃない。傍にいることしかできなかっただけなのに。

 

「ご、ごめん! あたし、なにしてるんだろ……」

 

 なにも応えられずにいると、ライアン様は慌てて触れていた手を離し、申し訳なさそうに苦笑しながら後ろ髪を撫でていた。

 触れられていた頬が熱くて、どこか気まずさを覚えた俺の視線は宙を泳ぎ出し、ふとあるところでぴたりと止まる。

 「ほんと、ごめんね」と、何度も謝るライアン様の左斜め後ろ──十メートルほど先のダイニングルームの入り口から顔を半分覗かせ、こちらを凝視しているドーベル様と目があった。

 

「それじゃ、あたしはマックイーンの様子見てくるから」

 

 そう笑顔で告げて、お嬢様の自室へと向かって行ったライアン様の後ろ姿を見送り、再びドーベル様へと視線を戻す。

 目があうとすぐにドーベル様はこちらへとやって来て、まだその場に座り込んだままの俺の目の前でぴたりと足を止めた。

 

「マックイーン、怒ってたけど」

 

 知っている。怒らせたのは俺なのだから。

 知らないのは、なぜあなたまで怒っているのか。

 

「存じております……」

 

 こちらを睨め付けてくるその瞳にガクガクと震えながら、小さな声で言った俺の言葉にぴくりと耳が反応する。

 見下ろしてくる鋭い目つきはお嬢様とよく似ているが、遊びがない分お嬢様より怖い。男性に対しては特に態度がキツイ。

 とはいうものの、屋敷で長く働いている俺たちにはだいぶ柔らかくなったのだ。よく話してくれるようになったし、笑顔を見せてくれるようにもなった。

 なったのだが──

 

「この際だからはっきり聞かせてほしいんだけど、本当にマックイーンのこと好きなの?」

 

 ……それはとても難しい質問だった。いや難しくないか。もとより選択肢はひとつしか無いのだから、迷えないもんな。

 

「もちろん、お慕いしております」

「どうして目を逸らすのよ」

「いえ、お気になさらず……」

「まあいいわ……。マックイーンのこと悲しませたら許さないから」

「し、承知しております」

「……ふんっ」

 

 依然として目を合わせない俺に若干の疑念を抱きながらも、くるりと振り返ってダイニングルームへと戻って行った。

 途中立ち止まり、こちらに向かって、「べ」と舌を出してパタパタと駆けて行ったドーベル様にため息をつき、不安しかない未来に頭を抱え、とりあえず手を洗うことにした。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

 貴重な休日の一日目が早くも終わろうとしている。夕食を済ませ、風呂に入って部屋に戻ると電気もつけずそのままベッドにダイブした。

 今朝から開け放している窓からはすっかり冷たくなってしまった風が吹き込んでくる。

 重い身体を起こし、湯冷めしてしまわぬよう窓を閉めたのと同時に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 

「……どうぞ」

 

 俺の返事を待って、ゆっくりと開かれた扉の先にいたのは予想通り、お嬢様だった。もうすっかり機嫌は治ったらしい。

 花浅葱のルームワンピースに、白のパーカーを羽織った姿は見慣れたものだ。ワンピースの右脚の太もも付近に飾り付けられたニンジンの人形がこれまた可愛さを引き立てている。

 

「あら。もうお休みになるところでしたか?」

「いえ。今夜は月が綺麗なので、もう少し眺めていようかと思っていたところですよ」

「まあ! わたくしもご一緒してよろしいですか?」

「ええもちろん」

 

 ひとつのベッドにふたり並んで腰掛けた。

 小さく軋む音がして、再び開け放した窓から入ってくる風が、ふわりと嗅ぎ慣れた匂いを乗せて前髪を揺らす。

 お嬢様が愛用しているアロマシャンプーの、プルメリアの甘い香りがくすぐったい。

 差し込む月明かりに照らされたお嬢様の横顔と真っ白な肌はすぐ隣にあって、十五センチも横に動けば肩と肩が触れ合ってしまう。

 そんな状態で、さして興味も無かった月を眺めながら、外で鳴いている虫たちの声に耳を傾け、いつ切り出されるかわからないお嬢様の言葉を待った。

 

 五分か十分か沈黙が続いて、一向に話そうとしないお嬢様を横目でちらと盗み見ると、耳はぺたんと垂れ下がり、小さく口を開け、眉は困ったように八の字をえがいていた。

 

「どうされたのですか?」

 

 それがなんだか可笑しくて、言われるまで黙っていようと思ったのだが、つい声をかけてしまった。

 

「その……」

 

 ようやくこちらを向いたお嬢様の頬はみるみるうちにあかく染まっていく。

 

「あすの予定は、空いていますの……? で、デートのお誘いをしても……よろしいですか?」

 

 不安げに、覗き込むような上目遣いに思わずゴクリと固唾を呑んだ。

 そりゃずるいよお嬢様。

 そんな顔されちゃ、仮にあすどれだけ大切な予定が入っていたとしても断れやしない。

 

「それは命令ですか?」

「い、言ったでしょう! あくまでお誘いです! 強要するつもりはありませんわ……」

 

 ──参ったな。

 執事を辞めて結婚しろだなんて無理難題を押しつけておいて、デートに誘うだけでそんな泣きそうな顔しないでほしい。

 結婚を諦めて頂いて、永くあなたに仕えることが俺の願いなのに。

 

「まあ、明日は特に……」

「ほ、本当ですの!?」

「ええ、はい、まあ……」

 

 夜空に浮かんだ月なんかよりも綺麗に、きらきらと瞳を輝かせてこちらを見つめるものだから、罪悪感で押し潰されそうになる。

 ずっと傍にいたいはずなのに、その未来は見えなかった。

 

「では明日に備えてわたくしはもうおやすみしますわ」

「ご自分のお部屋にお戻りくださいね」

「嫌ですわ! お断りしますわ!」

「ははは、お戯れを……っ!」

 

 俺のベッドに寝転んで、イヤイヤとワガママを言うお嬢様を抱き抱え、部屋の外に放り出した。

 不敬だったかもしれないが、こちらも本気(マジ)なので勘弁してほしい。

 

「ではゆっくりとおやすみくださいませ」

 

 にこりと微笑んで、部屋の扉と鍵を閉めてベッドに転がった。

 扉の外からは「あ、あなた本当にクビにしますわよ!?」なんて叫び声が聞こえていたが、耳栓をつけて眠りについた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「お待たせしましたわ!」 

「いえ、私も今来たところですよ」

 

 駅前の、指定された場所で待っていると、ふりふりと手を振りながら笑顔でお嬢様が駆けて来た。

 ……どうして同じ屋敷に住んでるのに待ち合わせなの? とか野暮なことは聞かないよ。乙女心ってやつですよね。うん、デートは待ち合わせって相場が決まってるもんな。

 

「私服、可愛いですね。とてもよく似合ってますよ」

「あ、ありがとう、ございます……」

「髪も、初めて見る髪型ですね。ご自分で?」

「ええ。少し苦戦してしまいましたわ……」

「でも、とても綺麗ですよ」

 

 いつもは伸ばしているだけなのに、今日のお嬢様は左に流した前髪を斜めに編み込みピンでとめている。所謂片編み込みというやつですね。知ってる。その髪型超好きだから。

 

「ま、まあ……! 恥ずかしげもなくあなたは……」

 

 俯いてごにょごにょとなにかを言っていたが、その髪型に見惚れていた俺の耳には全然入ってこなかった。

 いやあ、ほんと完璧だなうちのお嬢様は。

 

「では参りましょうか。エスコート致しますよ。お手をどうぞ、お嬢様」

「………………」

 

 差し出した俺の手をじとりと見つめたまま、お嬢様は動かない。

 

「ど、どうされました?」

「いえ。確認しますけれど、これはデートで間違いありませんの?」

「はあ……。そのつもりで御座いますが」

 

 一体なにが言いたいのだろうか。お嬢様は相変わらずジト目のまま、俺の手から顔へと視線を移す。

 

「堅苦しいですわ」

「……と言いますと?」

「だからっ……! その……マ、マックちゃんと、呼んでもよろしいんですのよ……」

 

 おぅふ……。

 なに言い出すんだこの天然お嬢様。呼べるわけないだろう。

 ──これがドーベル様たちなら喜んで距離を詰めただろうけど……でもあなただけは、いつまでも俺の主でいてほしいんだ。

 

「いやお嬢様それは流石に──」

「め、命令ですわ!」

 

 うわ大人げねえ……。ていうかえげつない。

 

「お、お嬢様……!」

「どうしても、だめですの……?」

 

 右手できゅっと胸元を握りしめ、潤んだ上目遣いで見上げてくるお嬢様から一歩後退り、目を逸らした。

 

「そ、そんな顔してもダメなものはダメです!」

「今日だけ……今日だけで良いんですの。どうかマックちゃんと……」

 

 「命令」と上目遣い、それから悲しそうな声まで出されるとどうしたって断れないことをお嬢様は知っているのだろう。

 これも一種の『悪女』ってやつなのか。小悪魔なんて可愛いもんじゃないよ。

 

「……じゃあ……マ、マックちゃん……?」

「は、はい……」

 

 お互い見つめ合ったまま、時だけが過ぎていった。

 

 




デートは次回に持ち越しま
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