瑪羅門の娘   作:大岡 ひじき

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前後編に収まらなかったよ…(泣


中編

 普段はどこへ行くにも凱の中学時代に着ていたジャージで過ごしているアタシも、世話になった先輩の通夜である今日ばかりは黒のワンピースとジャケットに身を包み、読経の声が続く中、焼香を終えて一礼する。

 アタシを支えるようにして付き添ってきてくれた凱も、アタシの後に続いて席に戻ってきた。

 最後に会った時にはロングヘアだった彼女だが、白い花に囲まれた写真はショートヘアだった高校時代の時のもので、一見ボーイッシュな雰囲気の中に、不思議と垣間見える嫋やかさも兼ね備えていた真希センパイの、その魅力が存分に溢れている笑顔の写真だ。

 あの日見た笑顔の記憶がその写真と重なる。

 拭った涙がまた溢れてきて、ハンカチの湿ってないところを無意識に探していたら、寄り添っていた凱の手に頭を掴まれ、抱き込むように引き寄せられた。

 いつもならば『汗臭い、離せ』とばたばた暴れるところだが、今は分厚い胸の固い感触を、やけに心強く感じる。

 普段まず着ることのないスーツを汚してしまうのは申し訳なく思ったが、どうせこの後クリーニングに出す筈だと開き直って、涙に濡れた頬を遠慮なくぐりぐりと擦り付けた。

 我が家の男どもは大体アタシに対して過保護だが、中でも筆頭はこの兄だと思っている。

 3才のアタシが引き取られてあの家に来た日のことを、覚えているのは兄弟の中では凱だけだ。

 何せアタシ本人ですら割と朧げだったりするわけで、更に下の翔は2才、龍に至っては1才だったから、彼らが覚えているわけがない。

(ついでに言えばアタシと翔は便宜上1才違いと言ってはいるが、実際には半年ちょいくらいしか離れていない。アタシが当時のことを朧げにでも覚えてるのは、物心つくのが平均的な子供より早かったのに加えて、母の死という、幼い子供には衝撃的な出来事があったからだろう)

 その頃の、亡くした母を恋しがって、或いは突然変わった環境に戸惑って泣いてばかりいたアタシを、一番間近に見ていたせいで、凱はアタシが泣くとその頃の事を思い出すようだ。

 こんなに体格差が無かった当時も、泣くたびにぎゅーと抱きしめられて、頭を撫でられていた記憶がある。

 彼だって男ばかりの兄弟の中に、いきなりできた『妹』に戸惑っていた筈だが、その頃の凱は、むしろ今より『(あん)ちゃん』していた。

 いや、やってる事は4歳児だった頃と変わらないのだから、退化したのではなく単に成長していないだけなのだろう。

 …それはそれで問題だとは思うが。

 

「…おまえが世話んなってるって聞いて、確か俺も、いっぺんだけ挨拶したっけ。

 俺が覚えてるのは写真の頃の顔だけど、今の顔見たら、全然印象違うな」

 …懐かしい記憶にトリップしていたのは、多分現実逃避だったのだろう。

 ハッとして、埋めたままだった兄の胸から顔を上げ、言われた言葉に答えを返す。

 

「うん…アタシもこの前会って少し驚いた。

 髪も長くして、服装も女性らしくなってるし、元々美人だったけどあの頃よりますます綺麗になってて」

「最後のは俺にはわからねえけど。

 顔は絶対おまえの方が可愛いし…ってまあ、こんな時に言う事じゃねえな。忘れろ」

 …うちの兄は兄馬鹿が高じた挙句、頭だけでなく目まで悪くなったらしい。

 けど考えてみれば、アタシを助けてくれた事に絶対礼を言うんだと、凱が言い張ってきかなかった時に一番心配だったのが、凱がセンパイに一目惚れして迷惑をかける可能性があるという事だったのに、実際に会ってもそんな事にならず拍子抜けしたんだった。

 凱の感性はあの頃には既におかしかったようだ。

 …翔みたいな綺麗な作りではないにせよ、顔だちだけ見れば決して悪くないのに、この兄はなんでこんなに残念なんだろう。

 

「…おまえの恩人で、いい人だったのは知ってる。

 けど、友達の質はあんまり良くなかったみたいだな」

 そして、そんな兄は棺の方に目を向けて、何故か眉根を寄せて気になることを口にする。

 どういうことかとその顔を見上げると、凱はアタシから僅かに目を逸らした。

 …これは、アタシに聞かせたくない話をする時の態度だ。

 

「…俺の後に焼香した女、恐らく薬物常用者だ。

 すれ違った時、独特の匂いがした。

 ついでに言えば、棺の近くまで寄った時に、微かだが同じ匂いがしていた。

 …この香の匂いに紛れて、常人には嗅ぎ取れないだろうがな」

「まさか!」

 凱が告げた言葉に、アタシは反射的に声を上げた。

 一瞬、弔問客の視線がこちらに集中し、アタシは再び兄の胸元に引き寄せられる。

 

「…声を抑えろ」

 頭の上から低声で囁きながら、凱の手が再び頭を撫でた。

 確かにこの体勢なら、悲しみのあまり取り乱したアタシが兄に宥められている様子に、周囲からは映るだろう。

 

「…確か、故人は看護師だと言っていたな?」

「そう。○○病院の…ねえ、あり得ないよ、凱。

 真希センパイは、ナースの仕事に誇りを持ってたの。

 万が一にでも職務に支障が出るような悪い習慣が、身につくようなひとじゃない。間違っても」

 そう言うアタシを、何か痛いような目で見下ろした凱は、それ以上は何も言わずに、アタシの頭を撫で続けた。

 セットした髪が乱れるから、そろそろやめて欲しい。

 

 ☆☆☆

 

 古よりの定法に則り、絵馬に託して訴えのあった者に裁きを下す為、その情報を共有して、訴えに誤りがないかの確認を行った上で裁きを決定する。

 それが、この寺の本堂にて行われる『瑪羅門家族会議』である……通常であれば。

 常と違うのは、この件が他者からの訴えによるものではなく、あくまでアタシの私的な感情により強引に開廷させたもので、定法よりの手順で行われているものではないからだ。

 

「永森真希、22歳。○○病院勤務の看護師。

 6月10日深夜に、英集ビルの屋上から落下して死亡。

 屋上に彼女のものと思われる靴とバッグが揃えて置かれていた。

 そして彼女の勤務する病院では2ヶ月ほど前から、特定の薬品の盗難が相次いでおり、その容疑者として名前の挙がっていたひとりでもあった。

 彼女の体内からは同じ薬品の反応が出ており、これらの事実から警察は、盗難に関わった事による罪の意識に耐えかねての自殺と、一旦は判断したのだが…」

「……全部、あり得ない。

 薬物の使用も、盗難も、そもそも自殺だなんて、真希センパイに限って、絶対」

 父が集めてきた情報(どのようにして集めているのかはまったくの不明だ)が、皆が組んだ円陣で読み上げられ、感情のこもらないそれに、アタシが反論する。

 だが、この場においてどちらの意見が重要視されるかは明白で、確たる証拠も揃えていないアタシの言葉に、説得力などありはしないのは理解している…けど、それでも。

 納得できなかったのだ。

 示唆された可能性、どれひとつとして。

 

「唯よ。人は変わるものだ。どんなに変わらぬと信じていようとな」

 そのアタシに祖父が穏やかに、かつ厳かにそう言うのを、キッと睨みつける…と、

 

「まあ待てよ、ジジイ。…なあ姉ちゃん。

 姉ちゃんが、彼女が自殺じゃないと思う根拠は?

 そう断言するからには、何かあるんだろ?」

 円陣の、アタシのほぼ反対側で、皆が儀式用のフードつきローブを着用(一応慣例としてアタシも従ってはいるが、何の意味があるのかいまいちわかってない)する中、学生服のままこの場に列席している龍が、今にも祖父に突っかかりそうなアタシを、制するように問うてきた。

 全員の視線がこちらに集中し、アタシの発言を促す。

 言っていいものか躊躇したものの、黙っていたら話が進まないと判断して、アタシは口を開いた。

 

「……彼女のお母さん、難病を一度克服してるの。

 けど、そこに至る治療ってのが相当苦しかったらしくて、何度も自殺しようとしたらしいのね。

 けど、ある時お母さんの担当だった看護師さんが、『あなたに生きてほしいと願ってこんなに頑張ってる真希ちゃんを置いていくのか、大切な人を苦しめてまで選ぶほど、死ぬ事に価値があるのか』って言って、お母さんを思いとどまらせてくれたんだって。

 結局お母さんは治った後、数年後に別の病気で亡くなったそうなんだけど、それでも最後まで生きる事を諦めずにいてくれたから、そのひとにはとても感謝してるんだって。

 自分が言いたかった事をわかってくれた事が、それをお母さんに伝えてくれた事が本当に嬉しくて、ナースの道を選んだのは、そのひとみたいになりたいからだって言ってた。

 同時に、自分もいつかは死ぬから、生きてる間にお母さんが出来なかった、ひとつでも多くの楽しいことと正しいことをして、そのたくさんの経験をお土産に持って、笑ってお母さんに会いにいくんだって言ってたの。

 アタシと知り合う前の話で、アタシの知ってる真希センパイからは想像もつかなかったけど、その経験があったからこそ、アタシの好きなあのひとが作られたんだと判った。

 …だからその彼女が、自ら死を選ぶなんてあり得ないんだよ。

 お母さんに胸張って会いにいけないような死に方を、自分で選ぶなんてことは」

 …アタシが拙い説明をしている間、龍は腕組みをしながら、考えるように目を閉じていた。

 その目が、再び開かれて、強い視線が真正面からアタシを捉える。

 

「…なるほどな。

 確かにそれを聞けば、姉ちゃんが全部あり得ないっていうのも納得できた。

 …俺はこの世で一番罪深いことは、母親を泣かせることだと思ってる。

 姉ちゃんの知る真希センパイって人は、その事をよくわかってる人だったんだろうぜ。

 状況は確かに彼女に不利になるものしかない。

 けど、俺は姉ちゃんの目を信じるぜ」

「龍……!」

 言いたかった事が通じた嬉しさに、アタシは思わず円陣の中を横切って、龍のもとまで駆け寄ると、彼の右手を両手で掴んだ。

 普段から鍛えている龍の腕は、アタシの身体を危なげなく受け止め、空いていた左手が、更にアタシの手に重ねられる。

 そのアタシ達の後ろから、別の声がかかった。

 

「…確かに人は変わる。

 けど、決して変わっちゃいけないものもある。

 少なくとも唯はそれを信じてるんだ。

 俺もこの件は、違う視点からの調査が必要だと思う」

「そうですね。

 とりあえずは凱が見たという、薬物の匂いがしていた女性の特定をすべきではないでしょうか。

 通夜に参列していた事を考えれば、全くの他人ではないのでしょうし、同じ匂いであったということで、全く関与していないと考える方が無理があります」

 言いながら凱と翔が、アタシ達を囲むように近づいてきて、繋いだままのアタシと龍の手の上に、それぞれの手が重ねられる。

 どうでもいい事だが、翔は家族会議の際は大体いつも敬語になる上、状況によっては一人称まで変わる。

 

「皆、逸るな。まだ先がある。

 …盗難にあっていたのは、かの病院で吸引性の麻酔薬として主に使用されている、塩酸バリトニウム*1という薬品だった。

 検死の結果、永森真希の体内から検出されたのも、この成分だ。

 この薬品は経口摂取した場合、全身に痺れと脱力、量によっては肺機能の麻痺が生じて、最悪の場合死に至る劇薬。

 しかも単体なら極端な苦味とエグ味がある。

 自殺の為、精神を穏やかにするのに口にするならば、もっと効き目が優しく緩やかなものを、彼女ならば入手する手段はいくらでもあろう。

 そして、彼女の体内から検出されたものの濃度を考えると、落下の直前に飲んでいたにせよ、普通の人間なら立っていられる状態ではなかった筈だという。

 ビルの上に綺麗に置かれた靴とバッグが、こうなると逆に不自然であるし、彼女の腰の位置より高い屋上の安全柵を、越えられる状態とはとても思えん。つまり……」

「他殺の可能性が濃厚である…ということですね」

 父の言葉のあとを引き継いで、翔が口を開いた。

 

「そういう事だ。

 そうなると犯行に気がついた彼女が真犯人と接触し、口封じのついでにその罪を着せられたと考えるのが自然だろうな」

「………っ」

 そこに語られた新たな可能性に、アタシは思わず呻いてしまう。

 と、そこに不得要領な顔をした凱が、挙手しながら声をあげた。

 

「待ってくれ。その塩酸…なんちゃら?

 本当にその効能で間違いないのか?

 俺が焼香の時にすれ違った女からは、同じ傾向の、更に強い匂いを感じたんだぞ?

 少なくとも、あの女は普通に歩いていた。

 生命活動を行なってる肉体と、死体という違いはあるにせよ、あの女は恐らく同じモノを、故人以上に摂取してる筈だ」

 確かに、凱の鼻に間違いがないのであれば、常人が立っていられない以上の量を摂取して、普通に歩いて焼香できるのはおかしい。

 そもそも麻酔薬、しかも経口摂取には向かない味でもあるそれを、常用するのもおかしな話だ。

 だが父は、凱の質問も想定内であったようで、更に話を進める。

 

「それについては、確証はないが思い当たる事がひとつある。

 最近、夜の街で売買されている、BCLと呼ばれるカプセル薬がある。

 認可されていないがよく効く睡眠薬として、また一方では鎮静効果のあるドラッグとして、裏で盛んに取引されているようだ。

 これは確かに最初のうちはよく眠れるが、続けるとむしろ無くては眠れなくなり、依存性が非常に高い薬だという。

 これの主な原材料となるのが、例の塩酸バリトニウム。

 思うに貴様が見たという女は塩酸バリトニウムそのものではなく、BCLの常用者だったのではないかな?」

 鎮静効果のある、依存性の高いドラッグ。

 その常用者と思われる女性の存在と、原材料となる薬品の盗難。

 ここから導き出される推論は。

 

「もしかしてその女性が、薬物依存の状態にさせられて、売人に、薬が欲しければ材料の塩酸バリトニウムを、病院から盗むよう指示されたんだとすれば…」

「そしてその現場を永森真希に目撃され…口封じに彼女を始末した、というところだろう」

「酷い……!」

 やっぱりセンパイは盗みなんてしていなかった。

 それどころか、犯人を説得してやめさせようとしていた可能性がある。

 というか真希センパイの性格を考えれば、もうそれ以外ないようにすら思えてきた。

 彼女はそのひとを守ろうとしたか、自首を勧めたかしたに違いない。

 だとすれば、真犯人は真希センパイの身近にいる人…恐らくは同じ病院の看護師の誰かだろう。

 信じていたひとに裏切られて殺されるなんて…そこまで考えて、ふと何かが引っかかった。

 なにか忘れてる気がする……なんだったっけ?

 

「あと、永森真希の通夜で、貴様等の後に記帳していたのは、同じ病院の、同僚看護師のグループだったそうだ」

 …昼間アタシが家族会議の要請をしてから夜までの短い時間で、本当にどうやって父はここまで調べ上げたのか。

 というか……そう、『同僚』!

 そのキーワードに、開かずにガチャガチャとノブを回していた状態の記憶のドアがようやく開いた。

 

「アタシとセンパイが再会したあの日、夜に同僚のひとと一緒に合コンに参加するって言ってた。

 アタシも誘われて断ったもん。

 プライベートでも親交があるほどの間柄のひとが、もしそんな事に手を染めてたなら、真希センパイは警察か上司に訴える前に、そのひとと話をする選択をするかも。

 …その時一緒だった『同僚』のひとが誰だったか、調べられないかな?」

「松田祥子、22歳。

 同僚の中でも一番仲が良く、時折互いの家にも招きあったりしておる間柄らしい」

 もう既に調べてたのか父!

 そういう重要な情報を小出しにしてくるのやめてくれないかな父!

 だがつっこむ間もなく、父はため息をひとつ吐いて言葉を続ける。

 

「だが盗難の件はともかく、永森真希を殺害したのは、その女ではなかろう」

「どうして?」

「…………………」

 …なんだろう?

 いつもはものをはっきり言う父が、なんだかとても言いにくそうにしている。

 

「…永森真希の身体には、直前に行われたらしい性行為の痕跡があったそうだ」

 え…それってつまり……

 

「そもそも女とはいえ意識のない脱力した者を、ビルの屋上の安全柵を越えさせることも、女1人では難しい筈。

 その上、犯人は意識のない永森真希に性的暴行を加えた後に、それを行なったものと思われるのだ。

 それはつまり、少なくとも1人は確実に、男の関与があったという事」

「そんな……」

 ここにきてセンパイが、最初に思っていたよりも更に酷い事をされていた事を知って、アタシはその場にしゃがみ込んだ。

 激しい怒りに眩暈がして、身体が震える。

 許せない……真希センパイをそんなめに遭わせたやつが。

 アタシの怒りに呼応して、肉体の奥の『聖なる力(チャクラ)』が渦巻き、身体が内側から灼かれそうになる。

 思わず自分の身体を抱きしめると、更にその外側から、何かがアタシを包み込んだ。

 

「もうやめろっ!

 そんな話、これ以上唯に聞かせんな!!」

 ……凱の匂いと固い腕に包まれた瞬間、アタシの中から溢れ出そうになった『聖なる力(チャクラ)』の暴走が鎮まった。

 

「…もういい、唯。おまえはこの件から手を引け。

 後は俺たちで片をつける」

 いつも通りにアタシを甘やかす時の凱の仕草に、アタシは徐々に落ち着きを取り戻す。

 そうだ。怒りに我を忘れるなど、冷徹な闇の執行人として、あってはならない事。

 アタシはゆっくりと、凱の腕の中から顔を上げると、兄の顔を見上げて首を横に振った。

 

「…大丈夫、凱。アタシは平気。

 元はと言えばアタシが持ち込んだ件だもの」

 だがアタシの言葉に、凱がその太い眉根を寄せる。

 

「おまえは俺たち兄弟とは違う。

 瑪羅門の血は引いていても、親父に引き取られさえしなきゃ、瑪羅門の宿命とは無関係に生きられた筈の女だ。

 そのおまえまで、俺たちのように手を汚す必要はない」

 …アタシを気遣っての発言とわかってはいたが、アタシはその言葉にカチンと来た。

 

「…『俺たち兄弟』、ね。

 凱はアタシを、妹とは思ってくれてないんだ?」

 そんなわけはないと知っている。

 この兄がどれだけアタシを溺愛してくれているか、これまで一緒に暮らしてきて、文字通り嫌というほど思い知らされてきたのだ。

 ……けど、だからこそ、我慢できなかった。

 アタシが睨みながらそう言った言葉に、凱は一瞬ハッと目を瞠いた。

 そして次には、合わせた視線を逸らしながら、もごもごと否定の言葉を口にする。

 

「……っ、違う、そういう意味じゃ…」

「仲間外れは寂しいよ、『(あん)ちゃん』。

 ……これは、アタシの仕事。

 自分の仕事は、最後まで責任持って果たすよ。

 アタシだって瑪羅門家の娘なんだからさ」

「唯…」

 それでも何か言い募ろうとする、その手を突き飛ばすようにして振り払ったアタシは、凱から1メートルほどの距離を取った。

 と、自由になった肩に、今度は別の手が置かれる。

 

「唯の言う通りだ、凱」

「親父……!!」

「唯は、その身に確かに瑪羅門の血を引く者。

 俺の妹が生んだ、ただ一人の娘なのだ。

 血の宿命は、嫌でも付いてまわる。

 こやつもそれを自覚しておるのだ。

 その覚悟に水を差すような事を言うものではないわ」

 …見上げた父は、何か痛い事を思い出したような顔をしていた。

 アタシは母を亡くしたが、彼は妻を亡くした後に妹まで亡くしている。

 瑪羅門家の女は短命だとして、風にも当てぬよう育てる一方で、父はアタシにも血の宿命に従い、戦う力を与えてくれた。

 戦いを知る事は、その中に身を投じる事、即ち死に自身から近づく事ではある。

 けれど同時に、己を守る手段を得る事でもある。

 それはまさに、父にとっても『覚悟』であったのだと思う。

 その、肩に置かれた手から勇気をもらって、アタシは再び、凱と目を合わせる。

 

「凱。薬物の匂いがしてたって女性(ひと)の顔って、思い出せる?」

「……多分見りゃ判ると思うが…何故だ?」

 唐突に切り出された話に、凱は明らかに戸惑いつつも、少し考えてから言葉を発する。

 アタシはそれを聞いて頷いた。

 

「明日、松田って女性(ひと)の顔を確認して写真も入手してくる。

 そんなに仲のいい間柄だったなら、一緒に映った写真も、遺品に残ってると思うんだ。

 センパイん家、今はお父さんしか居なくて整理も進んでないと思うから、お線香上げるついでに手伝ってきて、その上で写真も貰ってくるよ」

 ある意味野生的というのかもしれないが、凱は直感的な部分に優れている。

 彼がそういうのであれば、顔を見ても判らないという事はないだろう。

 それだけ聞けばもう充分、これ以上は話すこともないと、アタシは兄に背を向けて、そのまま本堂を後にした。

 

「待て、唯!」

 凱の声が背中にかかったが、それは敢えて無視した。

 …センパイの事ではなく、兄の言葉に傷ついて泣きそうな顔を、今は見られたくなかった。

 

 ・・・

 

「なんだかんだで、姉さんは兄さんを一番頼りにしてるんだから。

 あんな言い方したら、そりゃあ傷つくよ」

「……けど、あいつは女だ。

 俺たち男が守ってやらなきゃ…」

「妹だと思っていないという指摘だけは事実のようだな。

 貴様にとって唯は『妹』ではなく『女』か」

「なっ…!ジジイ、何言ってやがる。俺は…」

「今更だろ。兄貴が昔っから姉ちゃんを好きなのは、本人以外は全員知ってる」

「逆に、なんで姉さんは気づかないのかってレベルだよね」

「……っ、」

「唯が守られるだけの女である方が、貴様にとっては都合が良いか?

 だが、雛はいずれ翼を広げて飛び立っていくものよ。

 飛び去る鳥を止められはせぬ。

 唯を手放したくないというのであれば、本当の気持ちを告げ、貴様自身が鳥籠となるより他に手はなかろうて。のう?」

「唯が受け入れ、その鳥籠に収まるかは、また別の話だがな。

 ゆめゆめ、無理無体に手を出そうなどとは考えるなよ。

 その場合、俺も父親として、飢えた野獣から娘を守らねばならんのでな」

「誰が飢えた野獣だ!」

「まあまあ。それよりとりあえず謝ってくれば?

 姉さんは意地になるタイプではあるけど、下手に出られるのに弱い方でもあるから、謝ればあっさり許してくれると思うよ?

 あと、姉さんがひとりで写真なりなんなり入手して、後から兄さんに見せるよりも、2人で松田看護師の住まいを見張って、直接彼女の顔を確認する方が、手間が省けていいんじゃないかな」

「そもそも姉ちゃんを一人で外に出せねえって、いつも刷り込んでるのは兄貴だろ」

「刷り込んでるとか言うな!」

 

 ☆☆☆

 

 …昨夜、アタシの部屋を訪ねてきた凱に土下座せんばかりの勢いで謝り倒されたアタシは、その後の彼の提案に従って、あくる早朝、一緒に松田祥子のアパートを見張っていた。

 部屋のドアからゴミ袋を持って姿を見せた、少し下ぶくれの丸顔だが目鼻立ちは整った、充分可愛らしい童顔に、凱がアタシに向けて頷く。

 

「間違いない。あの女だ。

 ……で、これからどうする?」

 問いかけてくる兄の、ちょっと無精髭が浮かんだ顎に若干視線を取られながら、自分でもちょっとあざといかなと思う角度に首を傾ける。

 

「今から話を聞いてみようと思う…一緒に、居てくれる?」

「当然だ!」

 昨夜アタシを怒らせた事が余程効いたものか、うちのチョロい兄はちょっと頼っただけで顔をパッと輝かせる。

 …許したわけじゃない、けど、こういうところはちょっと可愛いと思う。

 まあそんな事は意識の片隅に放り投げて、アパートのすぐそばのゴミ置き場に、彼女がゴミを置いてフタを閉めたところで、声をかける。

 

「おはようございます」

「おはようござ……っ!?…い、ます。

 …よ、良かったら、うちにあがって、お茶でもどうぞ……?」

 顔を上げた瞬間、アタシの視線…聖なる力(チャクラ)に捉えられた松田祥子は、本人が全く思ってもいない言葉を口に出しながら、自身の住まいを指し示しつつ、そちらへと足を進めた。

 この様子を他の誰かが見ても、仲の良い知り合いを自ら招き入れたようにしか見えない筈だ。

 だが本人は己の意志と無関係に動く身体に、その目が明らかに狼狽していた。

 

 彼女の導きに従って、アタシと凱は松田祥子のアパートに足を踏み入れる。

 アタシ達が部屋に上がり、彼女は玄関に施錠してから、ゆっくりとアタシ達を振り返った。

 

 その目には、あり得ないことが起きている恐怖が、ありありと顕れていた。

*1
現実には存在しない架空の物質ですが、『魁!!男塾』という有名な著書に、遅効性の劇薬としてその名をみることができます(笑)




一応この話は、原作でいうと長兄の裁きエピソードが入るあたりの順番になります。
ただあの話だけよくよく見たら、凱の年齢設定と友人達との思い出の年表がおかしなことになってるので、この時空ではなかったことになってます。
(友人達は『大学を卒業後に一流企業に就職』して、凱と会うのは『5年ぶり』と書かれているが、凱の年齢が21歳なので、5年前だと16歳になってしまい、3人がいつも一緒にいて、高校時代を拳法部に捧げていた発言と矛盾する。また、2人が先輩だったとも考えたが、それだと凱の2人に対する態度がくだけすぎてるので、やはり同学年と考えるのが自然。またあの話だけ数年後の話であるとも考えたけど、龍がまだ学生服着てるのでそれもないと判断して、色々悩んだ末になかったことにした。爆)
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