前年度の菊花賞、そして今年の天皇賞(春)を獲った、今トウカイテイオーと肩を並べるほどにノリにノッているウマ娘、メジロマックイーン。
天皇賞(秋)を明後日に控えた大切な時期ではあるが、何と、取材に応じる、という。大切なG1レースを控えたウマ娘が、その貴重なレースまでの練習時間を削って取材に応じるということは異例であった。
「初めまして。メジロマックイーンと申します。ゴールドシップさんからお話は聞いております。さぁ、お座りになってください」
ここはメジロ家の応接間。記者がここまで入れるということすらも、異例である。
「ご丁寧にありがとうございます。初めまして。いや、まさかここまでもてなしていただけるとは…」
「お気になさらずに。実は、記者様が追い求めているという【四つ足の何か】、【ウマ】。丁度わたくしも出会ったばかりなのです」
「え…!?そうなのですか!?」
「ええ。じいや、お客様にお飲み物を。紅茶でよろしいかしら」
「あ、あぁ。ありがとうございます。砂糖をいただけると助かります」
メジロマックイーンの執事は一礼をして、部屋を後にした。それを確認した記者は、興奮気味に口を開いた。
「申し訳ありません、興奮してしまいまして。本当に、最近、出会ったのですか?」
食い気味で言葉をつづけた記者に、マックイーンは苦笑を浮かべる。
「はい。まさに三日前の話です。いえ、そもそもは昔一度お会いしてはおりましたの」
「えぇ!?昔にも?」
記者が驚いたところで、扉がノックされた。そして、芳醇な香り漂う紅茶とスコーンを片手に執事が見事な手さばきでテーブルに茶器とスコーンを配膳していった。そして、マックイーンはそれに頷くだけで、執事は一礼と共に部屋を後にしていった。
「ええ、昔にも。さ、お話はともかくひとまずは紅茶をどうぞ。落ち着きますから」
「あぁそれは…申し訳ありません、私としたことが焦ってしまって」
そういいつつ記者とマックイーンは紅茶とスコーンを楽しむ。香り豊かなアールグレイであろう紅茶と、お手製であるというスコーンに、記者もマックイーンも笑顔を浮かべていた。
「本日は昔の【四つ足の何か】の話をしようと準備をしていたのですが」
マックイーンがスコーンをつまみながら淡々と続ける。
「ちょうど3日前の夜です。メジロ家のコースで【四つ足の何か】とお会いする機会がありましたの」
「それはそれはまたいいタイミングで…!」
「ええ。本当に良いタイミングでした。…確認ではありますが、あくまで私の話です。つまらない部分や本当なのかわからない部分、現実ならばあり得ない部分もあると思いますが、それでもよろしいのですか?」
「無論です」
「かしこまりましたわ。では、僭越ながら」
マックイーンはそういうと、紅茶とスコーンをテーブルの端に置き、両の手を膝の上に乗せた。
「あれはまだわたくしが小さかったころ。どうしても寝付けなくて、窓の外から星空を見ていた時のことでした」
■
あの夜の事は今でも忘れておりません。皆様からお話を伺っているあなたであれば、もうお分かりだと思いますが、出会った時間はやはり、朝3時過ぎ。
私がおばあさまから、天皇賞への想いを聞いた、その晩のことです。
天皇賞を獲ることはメジロ家の悲願。私の夢。おばあさまからその想いを聞いたわたくしは、その夜、どうしても寝付くことができませんでした。
それもそのはずです。それまで普通のウマ娘として育てられてきたのですから。そんなただのウマ娘がいきなり家の重責を背負うことになってしまったのです。本当に大丈夫かな、私、おばあさまの、メジロの夢を叶えられるのかな。そう思いつめてしまっていたのでしょうね。
本当に、どうしても寝れなくて、その夜はずっと星空を見ていました。そよ風が気持ちよかった春の夜の事でした。
それが午前3時をすぎたあたりでしょうか。そよ風がピタリとやんで、静寂が私を包み込んだのです。
ただ、不安になる静寂さではなくて、温かみのある、母に抱かれているような、そんな心地よさを含む静寂でした。
そこでふと、夜空から地面に視線を移動したときです。
【四つ足の何か】…そう【ウマ】がそこにたたずんでいたのです。
姿かたちはスズカさん、テイオー、ゴールドシップさん、会長さんと同じです。牛のような四つ足で、ウマ娘と同じ耳と尻尾を持ち、キリンのような頭、でも首はそこまで長くなくて、3メートルぐらいの大きな何か。
ただ、わたくしの出会ったその【ウマ】は白い毛と黒い毛のまだらで覆われていたのを覚えています。ゴールドシップさんが出会った【ウマ】も白い毛と聞いていますが…それとはまた違う【ウマ】だったのだと思います。
ただ、ゴールドシップさんの時とは違い、こちらをじぃっと見つめてくるだけで、何もしてきません。ただ、暫くお互いに見つめあった末に、【ウマ】のほうがヒヒン、とブルルッと鳴いて、足をコンコンと地面に当て始めたんです。
―来いよ―
そういわれている気がしました。ただ、その時はやはり不思議と怖いとは思いませんでした。だから私は、その、「来いよ」と呼ばれた【ウマ】のもとへと歩いて行ったのです。
ただ、その道中も不思議でした。メジロ家のお屋敷は大きいです。ですので、夜でも執事やメイドが見回りや手入れを行っているのですが、その日、その時間は誰とも会わずに外に出ることができたのです。今考えれば、本当に呼ばれていたのかもしれません。
そうして【ウマ】が見えた私の部屋の窓の下までやってきました。すると、【ウマ】も此方に気づいたのか、近づいてきたのです。私もおそるおそる近づいて行きました。気づけば、手が触れられるところまで近づいていたのです。
そして何を思ったのか、わたくしはあろうことか、その体を撫でていたのです。
美しい体。荒い息遣い。体についた屈強な筋肉。四つ足の先の蹄。そして、蹄についていた蹄鉄。今でも鮮明に思い出せます。
【ウマ】のほうも私を受け入れてくれていたのか、まったく暴れませんでした。暫くそうやって【ウマ】を撫でていたのですが、一鳴き、ヒヒンと言って首をぶるぶると震わすものですから、わたくしは驚いて一歩後ろに下がってしまいました。
するとどうでしょうか。【ウマ】は器用に四つ足を折って、かがむじゃありませんか。しかも首をこちらに向けて。
まるで「背中に乗れよ」そう言わんばかりに。
好奇心が勝ったわたくしは、その背中に飛び乗りました。すると、器用に【ウマ】は4つ足で立ち上がり、そのまま私を乗せて走り出したのです。
ドドドドッドドドドッ。おなかの底から低い、しかし【ウマ】が地面を蹴りだす衝撃と音を感じながら、そしてそれに合わせて上下する【ウマ】の首を見ながら、そしてそれらと連動して力強く動く筋肉を感じながら、わたくしはしばらく、【ウマ】との時間を楽しんでいたのです。
気づいてみれば、わたくしの中にあった不安は消し飛んでいました。
笑いながらその【ウマ】の背中を楽しんでいた私でしたが、ふと、【ウマ】が走るのをやめてこちらを見たのです。
―もう大丈夫だろ?―
そう言いたげな、優しい目を携えて。
そして気づけば私は、自分の部屋のベッドに寝ていました。
■
「これが昔の話です」
メジロマックイーンはそういうと、紅茶を一口口に含み、ごくりと嚥下した。記者はと言えば、紅茶の事など忘れてノートに必死に書き込みを行っていた。
「…ふふ、一区切りといたしましょうか。せっかくの紅茶が
「…あ!これはこれは申し訳ない。確かに冷めてしまいますね。いただきます」
記者も合わせるように紅茶を口に含む。記者は、少し冷めてしまった紅茶が、暴走しかけた思考にはちょうどいいなと感じていた。
「うん、おいしい。やはりメジロ家はいい紅茶を使ってらっしゃる」
「あら、おほめいただき光栄です」
ふふ、とマックイーンは上品に笑う。
「あの【ウマ】との不思議な一夜。あの体験をメジロ家の皆にも話したんです」
「ほぉ」
「でも、誰も知らない。夢だったんでしょう?としか返ってきませんでした」
「そうでしたか」
そう記者が相槌をうったところで、マックイーンは応接室の窓の外へと視線をやった。
「ただ、私はあの体験からだと思うのですが、あのころから走ることは楽しいな、と思い始めたのです」
「なるほど…あの【ウマ】との体験が、今のマックイーンさんを作り上げた要素の一つだと」
「ええ。間違いなく。そして、それからしばらくたった、まさに天皇賞秋を控えた日に、またあの【ウマ】と出会うこととなるのです」
■
そうやって走ることが楽しくなって、トレセンに入り、さらには今では菊花賞を獲り、メジロ家の、おばあさまの悲願であった天皇賞(春)も獲ったわたくしです。
正直に言いますと、少しばかり調子に乗っておりました。私に敵うウマ娘はいないだろうと。ライバルなりえるウマ娘は居ました。ただ、そのウマ娘はいまだクラシック級。シニアに上がった私とはまだ戦う器ではない。そのようにどこかで思っているわたくしがいました。
そんなときです。天皇賞(秋)を控えた私は、少し体を絞ろうと朝早くからトレーニングをしていました。
時間にして3時。そう、
わたくしは秋口の、しかし夏の暑さもどこか残る空気の中でメジロ家のトレーニングコースで走り込みを行っていました。三日前の夜といえば、全国的に秋晴れで、晴れ渡った夜空に気持ちのよいそよ風が吹いていたあの夜のことです。
三十分ぐらい走り込みを行い、そろそろ休憩しようかと思ったその時です。
聞きなれた、しかし、このメジロのトレーニングコースでは絶対に聞こえないあの音が聞こえてきたのです。
ガチャン、という発バ機の音が。
思わず音のする方へと耳を向けました。続けて首も向けて、状況を確認しようとしたのです。
すると視線の先に、フルゲートの発バ機が鎮座しているではありませんか。でも、絶対にありえないのです。メジロ家にも発バ機はありますが、鍵のついた倉庫にしまってありますし、そもそも4人用の小さな練習用の発バ機しか無いのです。
おかしい。そう思って私は発バ機の元まで歩みを進めました。
発バ機が近づいてくるにつれ、さらにおかしな部分に気が付いていきました。
フルゲートの発バ機を持ってくるには、ウマ娘ですら数人の力が必要です。ですが無人。そして、人が運んできたのであれば、車両があるはずですが…これがまた、無い。
そして何より、発バ機の周りのターフには、歩いた形跡も、発バ機が移動した形跡もなかったのです。
つまり、この発バ機はいきなりここに現れた、ということになります。
「なんですのこれは…」
そう呟いた、次の瞬間でした。
『第■■■回■■■!どんな展開になるのか!』
アナウンスと共に、視界が一気に明るくなったのです。
眩しさのあまり、一瞬目を瞑ってしまいましたが、目が慣れてきて周囲を見渡しました。
すると、なんとわたくしは天皇賞(秋)が行われる東京競バ場のターフの、しかも発バ機の目の前に立っていたのです。
『最後に16番!これがラストランに…』
アナウンスは続きます。混乱する頭でもって、周囲をさらに見渡してみれば、大観衆、そして大勢のスタッフ。
そして目の前の発バ機には、18の【ウマ】が収まっておりました。
その中には、忘れもしない。子供のころ私が乗ったあの【ウマ】もおりました。
ああ、また会えた! という喜びが湧き上がってきました。しかし、わたくしは同時に、わが目を疑いました。
その【ウマ】にはゼッケンがつけられていたのです。【13 メジロマックイーン】と。
なぜ、わたくしと同じ名前を。そう疑問が頭の中を駆け抜けた刹那、ゲートが開いたのです。
『ゲートが開いて第■■■回■■■。■■番の…』
一斉に私に向かって走ってくる【ウマ】、その中には、【メジロマックイーン】と銘打たれた、あの【ウマ】もおりました。
あっけにとられ、たたずむ私を置き去りにして、彼らのレースは進んでいきました。
『2コーナーまでの先陣争い、先頭争いですが!外からマックイーンが行った!なんと、メジロマックイーンが先頭に立とうとしている!』
ぞくり。そう感じました。なぜかといえば、今、あの【ウマ】がしていることは、私が次の天皇賞(秋)で行おうとしていたことなのですから。
そして先頭を獲ったメジロマックイーンと呼ばれた【ウマ】は向こう正面も、第三、第四コーナーも先頭のまま駆け抜けていきます。
『400を超えてマックイーンか!懸命に頑張っている■■■■■■■!』
気づけば実況も、そして観客も、そして私ですらも、【マックイーンというウマ】を応援していました。
『マックイーン抜けた!マックイーン抜けた!マックイーン抜けた!』
『勝ったのはメジロマックイーン!強すぎる!強すぎる!』
【マックイーンというウマ】は、そんな熱狂渦巻くスタジアムの正面に、最初にゴール板を駆け抜けたのです。
次の瞬間、掲示板に、13という数字が輝かしく点灯しました。そして、【マックイーンというウマ】はと言えば、もともと発バ機のあった場所にたたずんでいた私を一瞥していきました。ただ…その目は少し、悔しさを滲ませていたのです。
―
そう言われたような気がしました。しかし、私には何が間違ったのか全く分かりませんでした。
レース展開は思い描いていたように完璧、抜け出した後の脚も強い。まったく理由がわからずにターフにたたずんでいたわたくしですが、その理由が分かったのは、十数分経った後の事でした。
『審議のランプが消えませんね』
実況が言うように、確かに十数分もの間、審議のランプが消えておらず、レースの勝者は確定とはなっておりませんでした。
『…おっと…これは!?勝利騎手、■■■■騎手です。■■■■騎手です!』
騎手?何を差しているのかわかりませんでしたが、何か異例な事態が起こっていることは、実況の慌て方からもわかりました。そして、次の瞬間。
掲示板から13という文字が消え、確定に変わったのです。…そう、【マックイーンというウマ】は、審議の末降着となってしまったのです。
「どうして…?」
そう呟く私の耳に、審議の内容が入ってきました。
『どうやら2コーナーでマックイーンが先頭に出た影響で、後続の進路が狭まったようですね』
『結果的にほかのウマが落馬しそうになってしまっていましたから…』
え?とそう呟いた次の瞬間。私はメジロ家のターフの上に戻されておりました。
■
「…それはまた、不思議な体験をなされましたね」
「ええ。ただ、そのおかげか慢心は完全になくなりました。作戦も、明後日が本番ではありますが変更します。天皇賞(秋)、必ず取らせていただきます。全力で」
「それは頼もしい限りです。しかし、【ウマ】のレースを見て、この大切なレース直前に、作戦を変えられるのですか?」
「そう思われるのも無理はないと思います。最初は私も疑っておりました。しかし、わたくしはある事実を知って、急遽作戦を変更しようと決意したのです」
そういってマックイーンは、URAの発行する競バ新聞を記者の手元へと差出した。
「本日、発売予定の新聞です。ご覧くださいまし。発表されたわたくしの、明後日行われる天皇賞秋での枠番を」
「まさか!」
記者の手元に差し出された、天皇賞(秋)の枠番。それを見た記者は、天を仰いだ。
「うっそだろ…?これは、その、マックイーンさん」
「…ええ、そのまさか。【13番 メジロマックイーン】。こうなると、あの【ウマ】。私と全くの無関係とは思えませんの」
そういってマックイーンは最後の紅茶を飲みほした。
「さて、記者さん、わたくしの話は以上となります。他に、ご質問などは?」
「あぁ、いえ、特には…っと、そうそう、ほかにこの【ウマ】についてご存じのウマ娘などご紹介願えないかな、と思いまして」
マックイーンは少し考えこむそぶりを見せたが、首を横に振った。
「残念ながら。わたくしが知っているのは、スズカさん、テイオー、会長さん、ゴールドシップさんだけですわ」
「そうでしたか…」
「お力になれず、申し訳ありません」
「いえいえいえいえ、とんでもない!貴重なお話をありがとうございます!」
記者はそういいつつ、最後の紅茶を口に含み、そしてメジロ家を後にしたのであった。
翌日の結果は多くは語るまい。しかし、天皇賞
そしてそののち、【四つ足の何か】とも【ウマ】とも【馬】とも呼ばれる都市伝説を扱った、記者がまとめた記事【3時の怪異】は大ヒットとなり、テレビでの特番や書籍がいくつも作られたものの、ついぞ、マックイーン以降、その情報は出てこなかった。
しかしながらその記事で記者はこう纏めたのであった。
「今日も【ウマ】は、ウマ娘達の夢を乗せて走っている」と。
■
「眠れないデェース…。フランスのベッドは硬すぎマース!」
「ムゥウウウウウ…グラスも居ないデスし。わぉ!?
「…凱旋門賞、本当に勝てるかなぁ…ってダメダメ!弱気なエルは日本に置いてきたのデース!勝つんデースヨー!」
「うじうじ禁止!こうなったら少し走ってきましょう!そうしましょう!」
そして、発バ機の音が鳴り響く。運命を携えて。