午前3時。妙な時間に、記者はトレセン学園に呼び出されていた。ウマ娘の学び舎とはいえ、この時間に取材が行われるなど、特例も特例の事態だ。
シンボリルドルフの案内で記者は人っ子一人いない、カフェへと通された。
「お呼び立てして申し訳ありません。記者様」
そして、あるウマ娘は、「3時の怪異」を特集した記者をトレセンのカフェへと呼び出していた。どうやら、完全なる人払いがされているようで、シンボリルドルフが下がった後は、文字通り店員すらもいない。そして、深夜の空気流れる静かなカフェテリアに、凛とした声が響いた。
「どうしても、アナタが調べ上げ、記事化された【3時の怪異】についてお話ししたいことがありますの」
そう記者を前に続けたウマ娘は、記者を引き連れて窓辺の席へと移動する。そこにはすでに、コーヒーが2つ用意されていた。
「みんなから聞いています。アナタは砂糖入りのお飲み物がお好きだと。しかし本日はそのままでいただいて欲しいのです」
記者は不思議そうな顔を浮かべながらも、席に着きコーヒーに軽く口をつけた。が、苦さで思わず眉を顰める。それを見たウマ娘は席に着くと、薄く笑みを湛えつつ、同じようにコーヒーに口をつける。
「…私のトゥインクルシリーズは、このブラックコーヒーのように苦いものでした」
そうでしょうね。と記者は答える。
「偉大な両親の下、皆に、世間に期待され、しかし、クラシック三冠で結果が出せず。有馬記念、安田記念、宝塚記念、天皇賞、マイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークス、フェブラリーステークス…」
思い出すようにウマ娘はそういいながら、窓の外へと視線をやった。
「すべてで結果が出せませんでした。苦しい、非常に苦しかったことを、覚えています」
ですが、と記者は言葉を発しようとした。が、それをウマ娘は手を記者に向けることで、遮った。
「わかっています。ようやく報われたのだと言いたいのでしょう。その努力が、と」
ええ、と記者は言う。懸命に走る貴女を見た人々が、口々に言います。がんばれ、と。負けるな!と。そして、貴女が素晴らしいウマ娘の■■■■■■■■の娘というものから、貴女の母親はウマ娘■■■■■■■■だったんだなと、評判が変わり始めていますよ。と記者は言う。
「はい。走り続けてよかったと思っています。ですが、私一人では、ここにたどり着けなかった」
と、いいますと?と記者が言うと、ウマ娘は笑顔を浮かべて口を開いた。
「記者様が言うところの【3時の怪異】によるところが大きいのです」
詳しくお話を伺っても?と、記者は言う。
「ええ。もちろん、そのためにお呼び立てしたのですから」
■
私も、その【3時の怪異】と出会ったのは3時過ぎの事でした。皐月賞を負けたあの夜です。
セイウンスカイ。彼女の実力をまじまじと見せつけられた私は、その夜にトレセン学園のコースで走り込みを行っておりました。次のダービーは私が獲る。そう心に決めて。
走りこんで走りこんで、それでも走りこんで。
気づいたときには、私はトレセンのターフの上ではなく、皐月賞の行われた中山競バ場のスタンドに立っていたのです。
そして聞こえてくる大観衆の声に、興奮気味に聞こえてくる実況。それも今日負けた皐月賞と同じものでした。私は思いました。夢の中でも、皐月賞を見るなんて。
「私、未練たらたらなのね」
と、そう呟いたときです。全く聞いたことのないファンファーレが流れ、本バ場入場が行われたのです。
すると、そこに出てきたのは
【四つ足の何か】、そう、【ウマ】と呼ばれる者たちでした。
そしてその中に「■■■■■■■」という、私と同じ名前の文字も見えたのです。そしてその枠番は6枠12番。今日の皐月賞での私と同じ枠番でした。
あっけに取られました。なぜ?という疑問も浮かびました。
戸惑う私をしり目に、【ウマ】達は発バ機に収まり、レースが始まりました。
ですが…特筆すべきことは何もありませんでした。私が負けた皐月賞と展開も同じ、実況も同じでした。
そして、結果までも。
周囲の人々は大歓声を上げます。■■■■■■■!と。それを呆然と聞いていた私は…。
気がつきましたら、トレセン学園のターフの上で横になっていました。正直にいいましょう。悪夢でした。負けた事実をまた客観的に見せられる。これほどの悪意あふれる悪夢というのも早々は無いでしょう。
そのターフの上で、嗚咽を漏らしてしまった事は仕方ないと思っています。
ですが話はそこでは終わりませんでした。この悪夢は、
スペシャルウイークとエルコンドルパサーに負けたダービーも、
スペシャルウィークに負けた菊花賞も
グラスワンダーに追いつけなかった有馬記念も
■■■■■■■に追いつけなかった安田記念も
再びグラスワンダーの後塵に拝した宝塚記念も
…再び、いえ、三度スペシャルウィークの後塵を拝してしまった、天皇賞も
追いかけるように、毎夜、毎夜、見せつけられ続けたのです。気がおかしくなるかと思いました。引退すらも考えたほどです。でも、私は母への意地と、誇りと、トレーナーへの信頼に懸けて何とかターフにしがみついておりました。
…ですが、ある時、その悪夢ともいえる【ウマ】と私の関係が変わったのです。
それは、専任トレーナーと相談をして、レースの路線を変更した日の夜の事でした。長距離での重賞制覇は適性的に叶わないことが分かった私は、それならばと、短距離路線を走る、そう心に決めたのです。
心機一転の最初のレースとしてマイルチャンピオンシップを目指した、その晩の事です。
やはり時間は深夜3時すぎ。何度も悪夢を見せられたので、慣れているとはいえ、この時は油断しておりました。
何せ今までは、レースの後に敗北を見せつける悪夢でした。ですが、今度は違いました。
その時、私はトレセン学園のターフに出ておりました。新しいレースへの高揚感と同時に、また、あの悪夢を見るのではないかという不安感。それをぬぐうために、走り込みを行っていたのです。
…すると、気づけばまた、競バ場の観客席に立っていました。見渡してみれば、そこは京都競バ場。今度私がマイルチャンピオンシップで走る競バ場でした。そして次の瞬間、実況が流れ始めました。
『タイキシャトルがターフを去って約1年。新たなるマイル王に名乗りを上げるのは■■■■■■か■■■■■■■か』
驚きました。今までは、私のレースの後に悪夢が追いかけてきたのに、今度は先に悪夢がレースの中身を見せてくるのか、と。まったく知らない未来を見せてきたこの悪夢を、私は食い入るように見つめていました。
『スタートしました。18頭見事なスタート!』
発バ機が開き、レースは進みます。
『それから2馬身差がついて』
ああ、ほらみたことか、やっぱり悪夢がいた。そう思いました。どうせ負ける姿を私に見せるのだろう。しかもただ見せるだけに飽き足らず、未来の負けを見せに来たんだろう。そう思いました。気づけばレースも第三コーナー、第四コーナーで終盤。悪夢はバ群の中盤。ほら、やっぱり出てこない。私は目を瞑り、結果を見ないようにしていました。
また無様に負けるさまを、私に見せつけるのでしょう?そう思ったときです。
『外から突っ込んできた――――――!!』
その実況の興奮するような大声に、私は顔を上げて、そして目を見開きました。なんと、バ群に沈んでいたはずのあの悪夢が、必死に、全力で追い込んできていたのです。
『先頭は■■■■■■!先頭は■■■■■■!――――――突っ込んでくる!」
…何よ。と、私はそう思いました。あれだけ私をなぞるように負けてきたくせに、自分が先に走った時は何をそんなに必死に走っているんだ、と。
『――――――2着!』
必死に追い込んでいた悪夢は、結局勝利できずにレースが終わりました。なぁんだと。
そして、私のマイルチャンピオンシップはといえば…ご存じの通り、私が見た悪夢と同じように『2着』でゴールすることになりました。展開も同じで、差も同じ。はからずとも、今度は私がその【悪夢】を追いかける道を辿ることになったのです。
スプリンターズステークス、フェブラリーステークスと、私が出たレースで、勝てなかったものが多数あると思いますが…あれの前にも、先に【ウマ】がこの3時過ぎに走っていました。
嫌になりましたよ。結果は…いうまでもありません。そして、現実でのレース結果はと言えば、悪夢で見た通りの、その通りの結果となりました。
でも、実は私は、未来のレースを見せてくる悪夢を何回か見て、精神的に余裕ができていたのでしょうね。悪夢を見るなりに、一つ気づいたことがありました。
レースで負ける。という事実はさておき。
あの【ウマ】に関してです。あの【ウマ】って、どれだけ負けても、どれだけ追いつけなくても、ゴールした後に悔しいという表情も行動もしなかったのです。全く項垂れませんでした。それどころか、その目に闘志を燃やしていたんです。
そうです、思えば最初から。こいつは首を下げたりしなかった。私の後を走り、負けをなぞるようなレースを行っていたのに、こいつは頭を垂れずに、ただまっすぐ前を向いていたなと、思い出したんです。こいつは…最初っから今まで、諦めないで前だけを見て、走っているんだと気づいたのです。
■
「だからこそ、私は諦めませんでした。どれだけ負けても、こうべを垂れなかった、あの【ウマ】。あの【ウマ】に気持ちだけでも負けないウマ娘になろうと。悪夢に負けたなんて、癪ですから」
そんな体験をしていたのですね。と記者は言った。
「はい。ただ、記者様の書かれた記事と、私の見た【ウマ】は全く違うものだったのかもしれません。だって、私は、サイレンススズカさんのように、故障がない未来を託されたわけじゃない。トウカイテイオーさんのように、三冠の夢を託されたわけじゃない。シンボリルドルフさんのように、メジロマックイーンさんのように、レースの後悔を託されたわけじゃない。ゴールドシップさんは…正直わかりませんが」
…確かに、今のお話を聞くと、【3時の怪異】はあなたに何かを託そうとしたとは思えません。と記者が言うと、ウマ娘は目を閉じて、深く頷いた。
「間違いなくこう言えます。
ウマ娘は目を瞑ったままだ。
「負け続ける幻想を見せられ続けた。そして、ライバルに負け続ける幻想を見せられ続けた」
いまだに、ウマ娘の目は瞑られている。
「でもね、私は一流よ?」
そういうと、目を見開き、記者の後ろを強烈に睨んだ。
「たかだか【あなた】が負ける幻想を延々と
そう言ったウマ娘、キングヘイローは、その緑色の勝負服のまま、勢いよく立ち上がり、記者の後ろを指さした。
何事か?そう思った記者が後ろを振り返ると。
緑の面子を顔につけた【四つ足の何か】が立っていた。
記者は言葉が出なかった。牛の様な体、しかもキリンの様な頭にウマ娘の耳と尾っぽを持ち、しなやかな筋肉を持った、あの【3時の怪異】が、目の前に居たのだから。
それは、静かにキングヘイローを見つめていた。
「【あなた】は勝てないのでしょう。ずっと、勝てなくて苦しんでいたのでしょう。だからこそ私のレースの後を走り、そしてまた負けた。それがだめならばと自分が先に走った。でも負けた」
キングヘイローは右手で己の髪をかきあげる。
「ですが、見ていなさい」
不敵な笑みを浮かべる。
「今度のレース。【あなた】よりも先に、見事に!華麗に!一流の私が!文句の付けようのない勝利を飾って見せましょう!だから―」
―【アナタ】も一流を証明しなさい―
「おーっほっほっほっほっ!」
そう【3時の怪異】に向けて、一流のウマ娘は高らかに、笑って見せた。
■
その後の話は特に語るまい。
しかし、あの日。
3時40分に発走された、【第30回高松宮記念】。
キングヘイロー号が見事、その血統を証明してみせたのだ。
さて、皆に集まっていただいたのは他でもない。
諸君らも、なんとなくその目的は察しているだろう。
右を見てみろ。
左を見てみろ。
皆、一騎当千のウマ娘達だ。
まさに、栄光を掴んだ者たちだ。
だが・・・今宵。そんな肩書は、そんなものは一切合切何の役にも立たない。
さぁ、皆、ゲートに入ろう。
さぁ、皆、彼らを待とう。
どちらが速いか。我らウマ娘と、【馬】。どちらが速いのか。
決着を、つけよう。
『さぁ、レースが始まります。勝利するのは栄光を掴んだ者達か。はたまた、夢破れし者共か!さぁ各バゲートインが完了しまして…今…スタートです!』
「全く。みんな酔狂ね。一流には程遠いわ。ねぇ、アナタもそう思わない?キングヘイロー【号】さん?」