マンハッタンカフェの怪文書   作:富岡牛乳

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10.天皇賞(春)

3月下旬。夕方。日経賞が終わった次の日。日曜日。

トレーナーのマンションにて、マンハッタンカフェとトレーナー、2人だけの作戦会議が始まった。

リビングのソファに座らずトレーナーは胡坐をかき、マンハッタンカフェは膝を崩して、なぜかお互い床に座って向かい合っている。

「次の天皇賞まであと1ヶ月だ」

「はい」

「足の調子はどうだ?」

「思ったより…悪くありません」

不幸中の幸いか、日経賞での惨敗を喫したマンハッタンカフェだが、却って無理な負担が足に掛っていないようだった。

それに頷くと

「念のため、明日は医者に行くぞ」

とトレーナーは念押しした。

 

それに素直に頷くマンハッタンカフェ。その瞳の色は一年前とは全く違う光を帯びていた。

「カフェ、残りの1ヶ月、どうしたらいいだろう」

「えっと…」

トレーナーの言葉に少し戸惑ったマンハッタンカフェ。

少し考えた後、

「…練習を、もっとしたほうが…いい気がします」

と言葉を吐き出した。

「確かにそうなんだが、俺はそうは思わない。というか、無理をすべきでない、と思う」

とトレーナーは自分の意見を語りだす。

「まずは、足が万全にならないとお前の力が発揮できないと思うんだ。治療をつづけながら、足を万全にすることが第一じゃないかなって…」

少し自信なさげに頭をかきながら話すトレーナー。

目の前の若いトレーナーのどこか自信の足らない言葉に、妙な安心感を覚えてしまうマンハッタンカフェである。

 

「…いいと、思います」

すこし微笑みながら彼女はそう答える。

「そうか!」

「でも」

でも、という言葉に一瞬身を固くしたトレーナー。

そんな彼の態度を一切に気にする素振りなく

「でも、練習は全くしないんですか…?」

とマンハッタンカフェは問いかけた。

「あぁ…」

と少し安心したようにトレーナーはため息を吐き、

「練習は勿論するぞ。ただ、お前にも協力してもらわないと、出来ないトレーニングだがな」

とトレーナーは答えたのだった。

 

翌日。月曜日。

トレセン学園に登校した彼女が真っ先にしたこと、それは、ユキノビジンとアグネスタキオンに疑似レースを協力してもらえるようお願いしに回ることだった。

「お前のスタミナや脚質を考えると、あと1ヶ月でハードな練習をすることはないと思うんだ。ただ、レースの勘だけは磨いておいた方がいいと思う。だから、疑似レースができる相手をまた探しておいて欲しい」

そうトレーナーは前日に彼女に告げたが、その方針を守るためである。

ユキノビジンは少し涙目になって、協力に賛成してくれた。アグネスタキオンも、いつものように鬱陶しい絡み方をしながらも、最終的には協力すると言ってくれた。ただ彼女のトレーナーの背が縮んでおり、ゴブリンとグレイ型宇宙人を足して2で割ったような姿になっていたのが、非常に気にかかったマンハッタンカフェだったが、敢えて何も言わず彼女はアグネスタキオンの部屋を去った。

これで菊花賞の時と同じメンツがそろった。しかし、マンハッタンカフェの胸中はまだこれで十分とは考えていなかった。

「あと…もう一人…」

もう一人。彼女には心当たりがあった。少しだけ、雨の日に話したことのある人。結露した窓に絵をかいて遊んだだけの人。

そんな人が協力してくれるのかは、さっぱり見当がつかなかった。

しかし

「やれるだけ…やってみよう…」

そう思い、最後の一人を尋ねる決心をするマンハッタンカフェだった。

最初で最後の、春の天皇賞に向けて、最善手を打つためには、四の五の言ってられないという心を抱えて。

 

次の日の夕刻。

医者からは、マンハッタンカフェの足が快方に向かっていると判断され、安堵のため息を漏らした2人。

いざ練習に取り組むため、マンハッタンカフェと彼女の協力に応じて集まったウマ娘を見て、トレーナーは思わず絶句していた。

「よろしくおねがいします!がんばっべ!!!」

鼻息荒くそう言うのは、桜花賞、オークスともに2位のウマ娘、ユキノビジン。

「よろしく頼むよ」

手をふらふらと振り言うのは、今年の皐月賞ウマ娘、アグネスタキオン。

「よ、よろしくおねがいしますっ!」

トレーナーの目の前にいたのは、極限までそぎ落とした体をした黒いウマ娘。

それは、王者、メジロマックイーンの天皇賞三連覇を阻んだ、漆黒のステイヤー。

ヒールか、ヒーローか。悪魔か、奇跡か。

そのウマ娘の名は

「ラ、ライスシャワー……」

あまりの大物の登場に腰を抜かしそうになるトレーナーである。

「カ、カフェさん…?」

眼を白黒させたトレーナーがマンハッタンカフェを呼んだ。

「何でしょう…」

「お前、ライスシャワーさんと友達だったの…?」

「友達…というか、雨の日に一緒に絵を描いた、というか…」

ね、とマンハッタンカフェが、ライスシャワーの方を振り向くと、彼女も照れくさそうに頷いた。

「はぁ!?」

と、言っている意味が分からず困惑の声を出すトレーナーに、眉をしかめたマンハッタンカフェは

「…皆さん、練習、始めましょうか」

と、トレーナーを無視してターフに向かうのだった。

「おいちょっと、ちょっと待って!!!」

慌ててその後を追うトレーナー。

4月の暖かい日の光が、練習場に注いでいた。

 

 

 

4月下旬。日曜日。

京都競バ場、第11レース。芝3200m、天皇賞(春)。

バ場は良、天気は曇。

運命のそのレースがついに幕をあげようとしていた。

 

ターフの上にて佇むマンハッタンカフェ。

(菊花賞の時以来だな…)

と思いを巡らしているマンハッタンカフェに

「よぉ!」

と威勢よく話しかけてきたウマ娘がいる。ダービーウマ娘のアマゾンポシェットだ。

「アマゾンポシェットさん、今日はよろしくお願いします…」

と頭を下げるマンハッタンカフェに

「おーおー!!よろしくな!!!」

と元気いっぱいに話す彼女。

曇天の天候とは正反対の晴天のような笑みを浮かべている。

「そういや、菊花賞以来だよな~!お前と会うの!!!」

「はい」

「あんときはお前に負けたんだよなー、アタシ」

「あ」

何かを思い出したように、マンハッタンカフェの口が止まった。

それを見て満足そうに口角を上げたアマゾンポシェット。そして

「今日は負けない」

と言い、彼女は手を振って去っていった。

マンハッタンカフェはようやく気付いた。アマゾンポシェットも半年前の敗北を注ぐため、この舞台に降り立ったのだと。

誰もが勝ちたいと思うこの舞台。そんな春の京都にファンファーレが鳴り響いた。

 

 

 

『津波のような大歓声が京都競バ場に響きました。例年より今年の天皇賞は盛り上がりを見せているように思えます。雨は降らずバ場は良の発表。最高の舞台が整いました。もうすぐ、最も強いウマ娘を決める天皇賞のスタートです』

ゲートインしたウマ娘たち。その中にマンハッタンカフェもいる。

少し肌寒いくらいの気温。湿度の高い空気に混じる、張り詰めた糸のような緊張感。

静けさを伴う高揚感を胸に秘め

『さぁ、スタートを切りました!』

マンハッタンカフェの勝負の舞台が幕を切って降ろされた。

 

 

マンハッタンカフェはこのレース、注目を集めているウマ娘である。

菊花賞・有マ記念で優勝したウマ娘。このレースでは、ダービーウマ娘のアマゾンポシェット、菊花賞ウマ娘のハネダオーバーロードと並んで三強と言われている。

だから得意戦法も皆が知っている。差しウマであると。

しかし今日の彼女を見て、参加しているウマ娘が、会場中が、テレビの前の視聴者が全員度肝を抜かれた。

『好ダッシュを決めたのは、なんとマンハッタンカフェです!』

まさかのマンハッタンカフェ先頭。

(は…!?)

(ちょ、ちょっと待って…)

『これを制してタマモブライアンとアドバイアロンドが追い抜きます!』

慌てた2人のウマ娘が彼女を追い抜き、すぐに前につける。

2人のポジションは逃げ。いきなりポジションを取られたとなっては最初から展開が滅茶苦茶になる。それを恐れ、ペースを上げた。

『タマモブライアン一番手、アドバイアロンド二番手!それからマンハッタンカフェは三番手です!』

マンハッタンカフェは三番手。参加したウマ娘は11人とはいえ、依然としてその位置は先行策の位置である。

 

そうこうしているうちに、第三コーナー。一週目の坂に差し掛かった。

『一週目の第三コーナーから第四コーナーへ各ウマ娘抜けていきます!澱みのない展開で坂を下ってまいりましたが、マンハッタンカフェが予想以上に早め早めにいっている!』

前をせっつくようにマンハッタンカフェはペースをあげる。これではまるで先行ウマのポジションだ。

それを後ろから2人のウマ娘がじっくりと追っていた。

『その後ろにアマゾンポシェット!さらにその後ろにハネダオーバーロードと続いています!』

(面白れぇ!面白れぇな、アイツ!!!)

尻尾を振りながらアマゾンポシェットが楽しそうに笑う。

普段差しウマをやっているウマ娘が、3200mの長丁場で突然の先行策。その事実にテンションが上がり始めた彼女である。

(アタシもいっちょいくか…!)

ホームストレッチの大声援に迎えられ、スピードを出そうとしたその時だった。

 

突然、彼女の頭の中に水をかぶせたような、冷たさが走る。

(あ…?)

天性の野生の勘。それが彼女を救った。

ここで加速していけば、おそらく彼女と競ってしまう。体力のある彼女とレース序盤なのに先頭争い。

それはいわゆる、掛かりだ。

(まさか、アイツ…)

そう思ったのもつかの間、他のウマ娘が一人、アマゾンポシェットを、マンハッタンカフェを追い抜いて行った。

(やっぱりそうだ…、掛かりを誘発させようとしてやがる)

笑みを沈め、マンハッタンカフェの後ろにぴったりとつけたアマゾンポシェット。

(これはダメだ。アイツ、予想以上の曲者だ)

急速にアマゾンポシェットの頭が冷えていく。

彼女への認識を見直したアマゾンポシェットに、油断の気持ちはすっかり無くなっていた。

 

(何だ、気づいたのか…)

アマゾンポシェットの後ろから虎視眈々とマークするのは、2年連続で春の天皇賞三着のハネダオーバーロード。

アマゾンポシェットにここで掛かって貰えれば後半楽なものを、と思い、彼女はアマゾンポシェットと並行するように足を進めた。

バ群がまとまってホームストレッチを抜けていく。

先頭から後方まで、そこまでバ群の切れがない状態である。

『四番手にマンハッタンカフェ!五番手にハネダオーバーロード!六番手にアマゾンポシェット!三強がものの見事に中団を形成する体制となりました!!!さぁ、三強はいつ、どのような形で、動いていく展開になるのでしょうか!?』

実況が叫ぶ。まだレースは始まったばかりだった。

 

第一コーナーから第二コーナーへ進むウマ娘たち。

バ群は切れていないようにも見えるが、中団を引っ張るマンハッタンカフェに押されてか、先団のウマ娘たちは若干の焦りを生んでいるようでもあった。

そんな最中である。

(仕掛けるか…)

第二コーナーを抜け、向こう正面に入る瞬間、ハネダオーバーロードが加速した。マンハッタンカフェの外側につけ、内側へプレッシャーをかけるように並走する

内へ内へと走らされるマンハッタンカフェ。

差しウマにとって外を走るのが常道である。内からでは他のウマ娘が壁となり差しづらくなるのは、誰もが知っていることである。

そして直線の段階でポジションを決めてしまえば、スピードが落ちるコーナーでどうにかするのは難しい。あからさまにマンハッタンカフェは、目の前に壁を作らされるポジションを取らざるを得ない状況となっていた。

(へぇ…やるじゃん、センパイ)

そして、それを後ろから眺めるアマゾンポシェット。

『さぁウマ娘たちがついに第三コーナーに向かいます!』

そんな展開は変わることなく、第三コーナーへと差し掛かった。ここからは坂である。

『内々を通りましてマンハッタンカフェ!その外にハネダオーバーロード!そしてその後ろにアマゾンポシェット!ウマ娘たちの息遣いが、鼓動が聞こえてくるようであります!!!いよいよ坂の頂上に向かいます!!!』

依然として状況は変わらない。

マンハッタンカフェは内側を走らされ、ただのペースメーカーにされているように皆には見えていた。

(もういいだろう…)

第四コーナーに入り、下り坂になって仕掛けたのはハネダオーバーロード。

マンハッタンカフェを遂に抜き、外側から先団目指して加速する。

『ゴールまで800m!ハネダオーバーロード三番手に上がってきた!』

それを見たマンハッタンカフェも加速する。そしてそれに続くアマゾンポシェット。

いつ仕掛けるのか、とアマゾンポシェットがマンハッタンカフェを見守るが、いつまでもマンハッタンカフェは内々を走ろうとしている。

(おいおい、そんな位置取りで…!)

と思ったのもつかの間だった。

第四コーナー出口、直線のすぐ手前。

アマゾンポシェットは自分の目を疑った。

マンハッタンカフェの目の前のウマ娘が加速する。彼女の目の前に道が開ける。

(嘘だろ、オイ!)

アマゾンポシェットも同じルートを通ろうとするが、それは出来なかった。

その道はすぐにウマ娘たちによって塞がり、ウマ娘の壁が出来上がる態勢になるのがすぐに分かったからだ。

(くっそ!マジかよ!!!)

垂れウマだけは回避しなくては。

とんでもないものを目の当たりにして、臨機応変に大外から回り込むことにしたアマゾンポシェット。

この時点で大きなロスが出来ていることに、彼女は否応なしに気づかされていた。

 

 

 

「マンハッタンカフェさんの差し脚って、ちょっと変わってますね」

練習中のこと。ライスシャワーにそう話しかけられたマンハッタンカフェは、大きな瞳をしばたたかせた。

「そう、ですか…?」

と頭をひねる彼女に

「ち、違うんです!ライスとは違うなって言いたいんです!」

と慌てて顔の前で手を振るライスシャワー。

「ライスの場合は、誰かについていく、って脚なんです。多分グラスワンダーさんもそんな感じ。でもマンハッタンカフェさんって、そうじゃない…ですよね?」

「はい…」

確かにその通りだった。それには自覚がある。

自分の脚は、というより、目が脚の代わり。誰が下がってきて、誰が伸びていくか、なんとなくわかる。それで真ん中の通れる道が見えて、そこに突っ込んでいく。そんな感じ。そう彼女は自分の走りを振り返る。

いわゆるそれは大局観ともいわれる技術だったが、彼女はそれに名前を付けることは無かった。

「すごいんです、それって。マンハッタンカフェさんだけなんです。」

「そう、なんでしょうか…」

うつむく彼女に

「そうだよぉ、カフェさん」

汗だくになったユキノビジンが微笑みながら話しかけてきた。流石の実力者の彼女も、ステイヤー2人に追い回されて、お疲れのようである。

「カフェさんって、人には見えない何かが見えるんですよね。それって私たちじゃできないこと」

どこか誇らしげに、どこか優しげに、ユキノビジンは微笑む。

そのほっこりとした温かい笑顔に

「ありがとう…ございます…」

とうつむき加減に、照れたように言葉を滑らせるマンハッタンカフェ。

ユキノビジンとライスシャワーはその様子を見て微笑んだ。

「ねー!タキオンさんもそう思うでしょー!?」

練習場を振り返り、大声でタキオンに呼びかけるユキノビジン。

彼女の視線の先にはターフの上で寝転がっているアグネスタキオンの姿があった。

「なんだよぉ~…もう疲れたよぉ~…。モ…トレーナーくぅん…!もう休みたいよぉ…!!」

ステイヤー2人に追い回されてすっかり駄々っ子になっているアグネスタキオン。

その様子を察してか、察せずか

「おーい、お前ら休憩にするぞー!!!」

とビニール袋を手に下げたマンハッタンカフェのトレーナーが彼女たちに呼びかけた。

手に持っていたのはちょっと時期の早い氷菓。汗だくで練習する彼女たちには心地よい冷たい甘味。

アイスクリームを他のウマ娘たちと並んで食べながら、マンハッタンカフェは思った。

いつの間にか、周りに人がたくさんいる。皆が皆、楽しそうに充実した笑顔を見せている。

そしてその喜びの根源は、それぞれのウマ娘自身のためじゃない。自分を応援するためにここまでしてくれている。

先生は気づかせてくれた。自分の得意分野を、そして弱さを。

そしてトレーナーと一緒にお互いに、自分自身に向き合う時間をくれた。

それが重なり、つながって、今がある。これからがある。

この想いは無駄じゃない。彼の教えは、私の心に息づいている。

 

マンハッタンカフェは想いを抱える。

抱えて走るは京都の芝3200m。

もうすぐその時間が終わる。

想いの結晶は実るか実らないか、それは彼女次第。

第四コーナーが終わり、ついに長かったレースも終わりを迎える。

残り600mを過ぎ、最後の運命のホームストレッチがマンハッタンカフェたちの前に姿を現した。

 

 

 

急加速して中を割って飛んできた黒い影。マンハッタンカフェの全身全霊の末脚が爆発する。

一瞬で抜かれたのはハネダオーバーロード。

(なんて末脚…!)

と驚いたのもつかの間すぐに、彼女も差し脚を繰り出し縋りつこうとする。

まさかの真ん中からの差し。こんなルート決めは非常識だ、と思ったのもつかの間、

『真ん中を割ったのはマンハッタンカフェ!!!大外からはアマゾンポシェット!!!』

飛んできたのはアマゾンポシェット。

(菊花賞での借りを返しにアタシはここに来たんだ!!!)

一層の加速をし、一文字に駆けていくアマゾンポシェット。

『先頭はマンハッタン!!!マンハッタン先頭!!!あと300m!!!』

(私が勝つ…私が!!!)

誰も追いつけない差しの直線。マンハッタンカフェの脚は止まることなく伸び続ける。

『内でボーンクイーン!!!外からはハネダオーバーロード!!!アマゾンポシェット!!!』

それに食らいつく他のウマ娘たち。しかし黒い摩天楼は止まらない。

『先頭はマンハッタン!!!外からはアマゾンポシェット!!!』

(アタシが勝つ!アタシが勝つ!!!アタシが勝つんだぁぁあぁあああ!!!!)

根性を振り絞りアマゾンポシェットの足もきらめきを増す。しかし差が徐々に縮まりそうで縮まらない。

「こんのっ…!!!マンハッタンカフェェェエェエエエエ!!!!!!」

眼をむき、叫ぶアマゾンポシェット。

必死に追いすがる彼女の目の前を、黒い摩天楼が駆けていく。

『マンハッタンカフェーー!!!マンハッタンカフェーー!!!』

実況が叫ぶ。さもそれは、栄光をもたらす鐘の音のような響きで。

(私が、私たちが勝つんだ!!!!!)

その脚が強さを生んだ。か弱き、傷だらけの足が。皆の想いを継承した、その脚が。すべてを乗せて。

そして

『アマゾンは二着ーーー!!!ハネダは三着ーーー!!!』

マンハッタンカフェが一着でゴール板を駆け抜ける。

『マンハッタンカフェです!!!グランプリウマ娘です!!!菊の舞台で、菊の女王が復活を遂げました!!!』

栄光の大歓声に彩られた京都競バ場。

初めてG1レースを制した、思い出の舞台。

そこに大事な人の姿はない。しかし、一緒に想いを継いできたパートナーと友人たちの姿はあった。

トレーナーが涙を流しながら親指を掲げ、ユキノビジンとライスシャワーが手を握り跳ねあい、アグネスタキオンが斜に構えたような笑顔を見せ、アグネスタキオンのトレーナーの体が虹色に光っている。

「先生、やりました…」

涙声で彼女はつぶやいた。一筋の涙が頬を伝う。

そして、高々と左手を天に掲げ、親指を突き上げ、ターフを走り抜ける。

その空は菊花賞のあの日と同じようだった。曇天の空が切れ目を覗かせ、一筋の光が彼女のもとに注いでいた。

 

 

あの春の天皇賞から数年経った、そんな6月のある日のこと。

数年経っても、トレセン学園にウマ娘たちがトレーニングに励んでいる光景は変わらない。

マンハッタンカフェを受け持った、あの若きトレーナーもすっかり落ち着き、中堅どころのトレーナーとして、複数のウマ娘を担当する立場となっていた。

「くそっ…くそっ…!!!」

練習に打ち込むウマ娘の中に、ひと際真剣な、というより追い詰められたようなウマ娘の姿があった。

「どうかしたんですか、あの子…」

トレーナーに話しかけるのは背の低い黒鹿色の髪をした女性。帽子をかぶっているため耳は見えないが、どうやらウマ娘のようだ。

「あぁ…この前のオークスで二着だったんだ」

「…立派じゃないですか」

「いや…桜花賞でも同じ相手に二着でな…」

「なるほど…」

ふっとトレーナーは笑い、

「ちょっと、相談に乗ってあげてくれないか、マンハッタンカフェ副トレーナー」

と彼女、副トレーナーになったマンハッタンカフェに話しかけた。

「わかりました…」

金色の瞳に光をともらせ、彼女はそのウマ娘の方に向かう。

「クリムゾンディザイアさん」

「…なんですか、あなた」

「副トレーナーのマンハッタンカフェです。あまり練習に打ち込みすぎては身体を壊します…。一回、何をすればいいか見直しましょう」

その言葉に目を怒らせたクリムゾンディザイア。

そして

「駄目なんです!!!もっと練習しないと!!!そうじゃないと…そうじゃないと…ビューエルヴィスタに勝てないんですよ!!!」

とマンハッタンカフェを怒鳴りつけた。

ヴューエルヴィスタ。今年の桜花賞・オークスの二冠のウマ娘。そしてクリムゾンディザイアが負けた彼女最大のライバルである。

 

そんな彼女に

「立派ですね」

と、どこふく風な涼しい顔をして、マンハッタンカフェは返した。

「なっ!?」

馬鹿にしてるのかこいつと、口から怒りの言葉が出そうになったその時

「貴方と同じ立場のころ、私はクラシック路線に進みましたが、まともに1勝クラスにも行けませんでした。皐月賞にもダービーにも出られませんでした」

「えっ…」

突然の言葉に戸惑うクリムゾンディザイア。

「ですが、冷静に指導してくれた指導者がいて、4か月間自分や環境と向き合った結果、最後の一冠の菊花賞を戴冠することができました」

その言葉は静かで、落ち着いたもの。怒鳴りつけた自分が恥ずかしくなってしまうくらいに、心の広さを物語る声。

「貴方は私より優秀です…。ちゃんとオープンクラスに進み、そしてティアラ路線で2着を2回も取っている…。それだけでも十分貴方はすごい」

「副、トレーナー…」

彼女の声が少し緩んだものになった。

その間際、マンハッタンカフェは彼女の肩に手をやり、

「苦難は、分かち合いましょう」

と静かに微笑んで語り掛けた。

 

 

 

10月中旬。日曜日。

京都競バ場、第11レース。芝2000m、秋華賞。

バ場は良、天気は晴。

大歓声に彩られた秋の華の舞台。遅咲きの栄光の秋桜の花。それが遂に咲き誇った。

「カフェトレーナーぁぁああ!!!やりましだぁあぁ!!!」

控室に戻ってくるなり、マンハッタンカフェに抱きついてきたのはクリムゾンディザイア。

この日、ついにクリムゾンディザイアはティアラ路線最後の一冠を手にしたのだ。

「ありがどうごじゃいます!!!ありがとうございまずぅ!!!」

大号泣しながらマンハッタンカフェに縋りつく彼女の頭を、マンハッタンカフェはやさしく撫でる。

そのまま歓喜の涙を流す彼女に

「俺がトレーナーなんだけどなぁ」

と苦笑いをし、トレーナーは立ち尽くす。

わんわん泣き散らかすクリムゾンディザイアを、トレーナーとマンハッタンカフェ、2人の暖かい視線が包み込んでいる。

奇しくも今回の秋華賞、マンハッタンカフェが菊の女王となった舞台と同じ場所・同じタイミング・同じような状況だった。

そしてクリムゾンディザイアの戦法もマンハッタンカフェ同様、差しだった。

 

 

 

想いは引き継がれていく。

人から人へ。ウマ娘からウマ娘へ。

マンハッタンカフェとトレーナーの想いも、多くのウマ娘と新しいトレーナーに引き継がれていくだろう。

時にそれは血と汗と涙に溢れた、絶望と苦難の茨の道になるかもしれない。

しかしそれを乗り越えようとするウマ娘とトレーナーたちが、新たな想いを生み、新たな伝説をまた創るはずだ。

トレセン学園の三女神の像は、常にやさしい笑顔を携え、そこに在るのだから。

 

 

 

おしまい。

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