マンハッタンカフェの怪文書   作:富岡牛乳

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3.治療

4月下旬。

マンハッタンカフェが彼女のトレーナーと北海道に来て1週間ほどが経過した。

そのうちトレーナーはマンハッタンカフェについていくつか気づかされることがあった。

1つ目に精神面。非常に集中力が高く、ひとつの物事に真摯に取り組める点。

2つ目に肉体面。朝から夜まで平気な顔をして練習に取り組めるタフさをもっている。

そして走りの面でも彼を驚嘆させる一つの事柄が、今、彼の目の前で起きていた。

「すごいですね」

坂道を走るマンハッタンカフェを見てと話す壮年の男がいる。トレーナーの師事していた『先生』である。

若きこのトレーナーとマンハッタンカフェは、先生の勧めで北海道の彼の農場に居候をしている。

先生は、以前はトレーナーをしていたが、歳を取り引退した男である。

長年何人ものウマ娘を見てきた先生からしても驚嘆するのは彼女の坂道に対する脚質だった。

 

「先ほどから坂道トレーニングを何本も行っていますが、彼女、ちっともペースが落ちませんね」

「そうですね」

笑顔を向けて、先生はトレーナーに話しかけた。

「いいですか、『トレーナー』さん。坂道が得意というのは大きなアドバンテージです。坂道は脚に負担がかかりやすく、かつスピードを殺し、スタミナを削りやすい。それに対してマンハッタンカフェさんは坂道を苦労としていないように見受けられます。これは他のウマ娘が悪戦苦闘する中で、彼女だけが何の苦労もなく、レース展開を進められるということです」

「はい、先生」

そう応えるトレーナーだったが、その心境は複雑なものだった。彼女がトレセン学園に入学して1年。それだけの間、彼女を見てきたが、この坂道が得意かどうかという見極めすら、彼には出来ていなかったのだから。それを彼の先生はたった1週間で見抜いてしまった。自分の無力さに少々傷つき、悔しくなるトレーナーである。

そんなトレーナーの様子に気づいてか

「何か言いたそうですね」

と優しく話しかける先生。

トレーナーが自分の心情を素直に吐露すると、少し先生は笑って見せた。

「それは貴方の勘違いですよ」

と前置きし

「貴方が彼女をちゃんと育ててきたから、基礎能力が出来てるんです。それが備わってなければ、坂道が得意かどうかの見極めすら怪しいと思いますよ」

と、先生は穏やかな口調で彼に語りかけた。

大海のような青空に、光り輝く太陽の光が、明るくも暖かく、北海道の広い大地を照らしていた。

 

一日が終わり、三人で夕食を済ませた後、先生はトレーナーを家の外に呼び出した。

「どうしたんですか、先生」

「いえ、二人だけで話したいことがありまして」

首をかしげるトレーナーに

「明日、マンハッタンカフェさんの洗濯当番の日ですよね?」

と先生は問いかけた。

「はい」

その質問の意図が分からず、途惑いの声色で返事をするトレーナー。

「いえ、一つ確認したいことがあるんですよ」

と先生は彼にその意図を話すのだった。

 

 

 

翌日。

朝、軽めのトレーニングを済ませたマンハッタンカフェは、三人で食事を済ませると

「お洗濯、してきます」

と言い、洗濯機のある流し場に向かった。

トレーナーと先生は何食わぬ顔でそれを見ていたが、少し時間をあけたのを頃合いに、二人で流し場に向かう。

洗濯機がモーターのうなりを上げて回っているその横で、何かをたわしでこすっているマンハッタンカフェの姿があった。

「マンハッタンカフェ」

そうトレーナーが話しかけると、びくっと身を震わせて彼女が反応した。

「練習靴、洗ってるのか?」

とトレーナーが話しかけると

「・・・はい」

と応える彼女。

「ちょっと、見せてみろ」

とトレーナーが話すが

「大丈夫です」

といい、彼女はかたくなに練習用の靴を手放さなかった。まるで何かを隠すような素振りである。

「貴方」

と先生が話しかけ、近くにあったバケツを指さした。

そこにはマンハッタンカフェの練習靴がいくつか水につけられていたが、その水の色が真っ黒に染まっている。そしてそれは練習の土埃の汚れだけではないことが一目瞭然の嫌な黒さだった。血の色である。

それを見て確信したトレーナーは

「マンハッタンカフェ、足を見せてくれないか」

と片膝を地面について話しかけた。

うつむき加減に無言を貫く彼女だったが

「頼む」

とトレーナーの真摯な声を浴びせられて、遂に観念したように無言で彼の前に足を差し出した。

靴下をゆっくりめくって見つかったモノにトレーナーは驚愕した。

足の裏の皮が破れている。そして爪もヒビが入り割れてザクロのような赤色が広がっている。

「今日の練習は中止ですね」

そう先生が言うと、すぐさま彼ら二人はマンハッタンカフェを病院に連れて行った。

 

 

 

「元々こういう脚質だったのでしょうね、彼女は」

そう医師に告げられ、トレーナーはため息を漏らした。

足の皮が薄く、そして爪が柔らかく痛みやすい、そんなウィークポイントを抱えた足。

そのことを彼女はずっと黙って、ひた隠してトレーニングに打ち込んでいた。

ちゃんとした治療をすれば痛みも治りもある程度は改善されるにも拘わらず、彼女はそれを表に出さなかった。

「彼女なりの気遣いだったのでしょう。奥手で、遠慮がちで、その割に自分の意思が強い子みたいですから」

そう先生に言われてもトレーナーの心は安らかではなかった。

どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ。どうしてもっと早く気づけなかったんだ。

そんな思いが心の中にぐるぐると渦巻いている。

マンハッタンカフェが医師に治療を受ける中、トレーナーと先生は控え室の椅子に座っている。

 

「先生は」

「はい」

少し間を置いて

「先生は、いつ気づいたんです?」

とトレーナーは疑問を口に出した。

「おかしいな、と違和感を覚えたのは、私のウッドチップの練習場を走ったときですね。あのとき彼女は『痛くありません』と言いました。足に問題のないウマ娘なら『走りやすいです』『走りにくいです』と自分の脚質に対する感想を話すか、『地面が柔らかいです』とバ場に関する感想を漏らすはず。その時はただの違和感でしたが、彼女と一緒に過ごす内に、…なんとなく気づきましたね」

と先生が話す。その一方、心の中で、

(洗濯物の中に彼女の靴下がありませんでしたしね)

と付け加えた。

それを黙って聞いていたトレーナーだが

「・・・そう、ですか」

と力なくつぶやいた。

がっくりとうなだれるトレーナーの肩を、やさしく叩いた先生だった。

 

 

 

病院で治療を受け終わった頃には、すっかり夕方になっていた。

家に3人が帰ると真っ先に行ったのは、今後に関する話し合いだった。

ダイニングに3人が集まり、それぞれの椅子に腰掛けている。

「ここ1週間、貴方がたを見てきて、思ったことを率直に申し上げます」

と切り出したのは先生である。

「まず、『トレーナー』さん」

「はい」

「貴方は非常に一生懸命なトレーナーです。それは認めますが、自分の担当のウマ娘をしっかり見てあげてください」

「はい」

「見るというのは自分のトレーニングの方針をおしつけることではありません。ウマ娘が何が得意で何が苦手なのか、どんな性格をしていて、何を伸ばし、どんな補うべき点があるのか、それを把握することです」

「はい」

トレーナーが真摯に頷くのを聞いて、人差し指を立てて、×の字にし、彼に見せた。

『ダメな子だ』という先生の昔からのジェスチャーだった。

「そしてマンハッタンカフェさん」

「はい」

「貴方は忍耐強く、集中力もある。そして肉体的にも精神的にもすごいスタミナの持ち主です。希有な才能だと思います。しかし、自分のしたいことややりたいことを、もう少しトレーナーさんに伝えて下さい」

「はい」

「足の怪我をトレーナーに隠すなんて言語道断です。トレーナーは貴方に強く、速くなって欲しくて、貴方に愛情を注いでいます。うまく言葉にできなくてもトレーナーは何かの思いを感じ取ってくれるはずです」

「はい」

ほの暗い声で頷くマンハッタンカフェにも、先生は同様に人差し指を立てて、×の字にし、彼女に見せる。

「貴方がたはパートナーです。ウマ娘だけではトレーニングはできません。トレーナーはターフを走ることはできません。二人が同じ目標に手を取り合ってこそ、レースで勝つことが出来るのは、どのウマ娘も同様です」

そう言って一息つくと

「苦難は、皆で分け合いましょう」

と言い、先生はにっこりと笑って見せた。穏やかな牧師のような笑みだった。

 

 

 

それから、マンハッタンカフェとそのトレーナーの関係に、少しずつであるが歩み寄りの態度がお互いに見え始めた。

トレーナーはマンハッタンカフェに尋ねるように、意思を確認するように話す事が多くなった。

マンハッタンカフェはこうしたい、ああしたい、と自分の意思を俄に出すことが増えてきた。

それとともに、二人の練習に望む態度は、日に日に活気に溢れるようになり、お互い笑い合うことも増えてきている。

その姿を先生は、まるで自分の子どもが育っていくのを喜ぶ親のような眼で、暖かく見守っていた。

 

 

ある日の平日の昼過ぎのこと。

トレセン学園が昼休みとなる頃合い、マンハッタンカフェはユキノビジンにテレビ通話をかけていた。

級友と全くしゃべっていないのも少し気にかかったマンハッタンカフェが、ユキノビジンに自ら通話をかけたのだ。

彼女の中で何かの変化が起きている印でもあった。

『カフェさん久しぶり~』

そう言って手を振るユキノビジンに、あわせて手を振るマンハッタンカフェ。

『どうです~、北海道は』

「はい、楽しくやっています」

『あんらぁ~良かったですねぇ~』

「はい」

久しぶりにウマ娘達と話す、マンハッタンカフェの表情は心なしか柔らかく暖かいものだった。

それを感じたユキノビジンも、彼女の月夜の光のような優しい雰囲気にあてられて、つい心と顔が緩んでしまう。

そんな楽しそうな雰囲気を察してか、クラスの中にいた級友達が集まってくる。

それぞれ言いたいことを言い、しゃべる彼女たちを、マンハッタンカフェはいつもの聞き上手の態度で受け応えをしている中で

「うん?どうしたんだい、皆」

とハスキーボイスの声が、集団の中に入ってこようとしていた。

「あ!タキオンさん!」

とその声の主が分かった途端、少しだけ表情に陰りが出たマンハッタンカフェだった。

 

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