マンハッタンカフェの怪文書   作:富岡牛乳

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4.富良野特別

5月最終週 日曜日。

北海道もすっかり春の暖かい陽気が差し込め、草木はその恵みに喜ぶかのように新緑を彩らせている。

マンハッタンカフェとそのトレーナーがこの広い大地にやってきて1ヶ月の月日がたった。

はじめはお互いの関係にどこか壁があった二人もようやく打ち解けてきてか、トレーニングにも少し活気が出てきたようである。

ただ今日はトレーニングをあえて行っていないようだった。

マンハッタンカフェとトレーナー、そして彼女らが居候しているトレーナーのかつての恩師は、テレビの前にいる。

東京競バ場、第11レース。今日は日本ダービーの日だ。

ファンファーレが鳴り響き、観客が歓声を上げる。

 

「今年も始まりましたね」

「そうですね」

先生とトレーナーはテレビを見ながらそう言った。

「誰が今年は勝つと思いますか、先生」

「そうですね…ジョウキセン、アマゾンポシェット…いや、ダンスフレイムですね」

「そうですか。俺はアマゾンポシェットだと思いますよ」

口々に楽しそうにどのウマ娘が勝つか予想する彼らを、マンハッタンカフェは黙って見ている。

窓の外からさす昼の陽気がうららかな日曜日。テレビを見守る三人の前でついにレースが始まった。

 

最初に逃げウマがぐいぐいと大逃げ。バ身を7-8馬身と飛ばして始まった。

「結構飛ばしてますね、先生」

「うーん、このペースで逃げ切れるでしょうか」

先生の予想は的中した。坂道を下り第4コーナー。どんどんとバ身が縮まり、ホームストレッチ前では既にバ群の塊が彼女の後ろに殺到していた。

『ジョウキセン!馬場の真ん中を通ってやってくる!!!さらに外側からはアマゾンポシェット!!!』

実況が叫ぶ。

真ん中を突っ切ろうとするのは、早仕掛けをした葦毛の留学生のジョウキセン。

そして尻尾を振り回して大外から飛んできたのはアマゾンポシェット。

必死ながらも楽しそうな顔をしかっとばすアマゾンポシェットの後ろにはダンスフレイムがなお食い下がっている。

『ジョウキセン!ジョウキセン伸びない!!!ジョウキセン伸びない!!!』

最後の直線200mを前にしてジョウキセンが失速。

そして

『アマゾンポシェット!!!そしてダンスフレイム!!!』

差しウマのこの二人が大外から他のウマ娘たちを大捲り。

『先頭はアマゾンだ!!!アマゾンだ!!!アマゾンポシェット!!!その後ろにはダンスフレイム!!!ダンスフレイム二番手!!!』

鋭い末脚がさしわたるアマゾンポシェット。それを必死に追うダンスフレイム。完全にこの二人の勝負になった。そして

『勝ったのは、アマゾンポシェット!!!二着にダンスフレイム!!!新時代の扉をこじ開けたのはアマゾンポシェットだぁぁぁああああ!!!!!』

アマゾンポシェットが1位。今年のダービーウマ娘が決まった瞬間だった。

歓声が彼女たちを迎え入れる。東京競バ場の熱気がテレビを通じて伝わってくる。

そして

「よっし!!!!」

「あらら…」

ガッツポーズを取るトレーナー。苦笑する先生。

この北海道の農場にも、テレビを介してレースに熱中する二人の大人。

マンハッタンカフェはこの時初めて見たのだ。自分のトレーナーが無邪気な子どものように笑うのを。

彼女はいつもレースを走っている。ターフの上が彼女の居場所。

観客が歓声を送るのを、目の前で見ることは今まで一度もなかった。

テレビから聞こえる歓声が、レポーターの声が、そして目の前でそれを応援する二人の大人の姿が、彼女の金色の瞳に、大きな瞳に、春の陽気のようなきらめきを宿らせた。

 

 

 

「レースに、出たい?」

「はい」

夕方になり、食卓を囲む三人。

いつもはあまり何もしゃべらないマンハッタンカフェが、そう口を開いたことに、少し面食らった顔でトレーナーは答えた。

「そうなんだ…そうなんだ!」

しかしそれも一瞬こと。すぐに喜びにあふれた表情になる。

何せ4月に行ったアザレア賞以来、彼女はレースに出ていない。日本ダービーの熱も残ってか、自分の教え子がレースに向けた意思を示すのは、トレーナーにとって素直に嬉しいことだった。

そしてレースに出よう、登録しておこうという気持ちが彼の心にもたげてきたその時だった。

先生が咳ばらいをする。

その咳払いに顔を向ける二人。

「いいですね、レースへの気持ちがあることは。しかし」

といったん言葉を区切り、先生はマンハッタンカフェとトレーナーを交互に見た。

「マンハッタンカフェさん。ここに来て、大体で結構です、体重はどの程度増えましたか?」

と穏やかな顔で彼女に問いかける。

はっとするトレーナー。ここに来た目的の一つに減りすぎた体重を戻すという目的があった、そしてそれをこの時すっかり忘れていたのだ。

「…あまり、まだ増えていません」

その答えに頷くと

「水を差すようで恐縮ですが、私はまだレースは早いと思います」

と静かに言い放った。

その言葉にうつむく二人。それを見て苦笑した先生は

「ですが」

と切り出し

「あと1.5ヶ月、様子を見るのがいいかと思います。7月の中旬ほどになりましたら、体重と筋肉の付き具合、仕上がり具合からレースに出るかどうか考えましょう」

と言葉を続けた。

そろそろ漫然と練習をせず、目標や締め切りをつけて練習に励んでもいい頃合いだった。その機会がウマ娘とそのトレーナーの心から自発的に出たのは、先生にとってもうれしいことだった。

「よし、カフェ!明日から頑張ろうな!」

「はい」

マンハッタンカフェを見て気合十分に声をかけるトレーナー。マンハッタンカフェも力強く頷く。

その様子を見た先生は

(心のほうはだいぶ仕上がってきているようですね)

と暖かい視線を二人に向けるのだった。

 

 

 

8月第1週。土曜日。

札幌競バ場。第12レース。富良野特別。

マンハッタンカフェはその日ターフの上にいる。

先生からの課題を見事クリアしたマンハッタンカフェは、この日、久しぶりのレースに出ることになったのだ。

「久しぶりのレースですが、あまり緊張していないようですね」

そうトレーナーに話しかける先生。

「そうですね」

そしてそれに固い声で答えるトレーナー。

(彼女より貴方のほうが緊張しているようですね)

と、先生は彼の様子を見やった。

まだゲートインしている最中にも関わらずトレーナーの表情は硬く、そして真剣な面持ちでターフに臨んでいた。

 

少し熱いくらいの日差しが照らす晴れの良バ場。

ゲートの中でぼんやりとマンハッタンカフェは、先生に言われたことを思い出していた。

「札幌競バ場には坂道がありません」

得意な坂道がないコース。

「そして今回貴方が出る富良野特別は、2600mの長丁場。コースは1周1640mですので、向こう正面からスタートし、最初のコーナーは第三コーナーにあたります。コーナーの数は計6回。コースを1周半走る計算ですね。」

走ったことのない長距離レース。

「ですが、私も『トレーナー』さんも、あなたが勝てると信じています。周りを見て、ペース配分を考え…、まずは、細かいことは申し上げません。あなたが思ったようなレースをやってみてください」

自分のレースをすること。

それだけしか彼らからは指示がなかった。だが、それで十分なように彼女は感じた。

『各ウマ娘、ゲートから一斉に飛び出しました!』

実況がレースの開始を告げた。

 

『最初に立ったのはハヤシセカイ!』

1周目第三コーナーに差し掛かり、先頭に果敢に立ったウマ娘の後ろに、バ群が連なる。

全12人のウマ娘たち。その中でマンハッタンカフェは十一番手に順位を付けた。

「大丈夫かアイツ…」

そう心配するトレーナーをよそに

「まだ始まったばかりです。様子を見ましょう」

と先生。

それでもトレーナーの面持ちは硬かった。思い出すのはアザレア賞の惨敗。ここで、北海道で3か月近くトレーニングを行ったにも関わらず、もしひどい負け方をしたら、という不安が脳裏にちらついて離れない。

そんな彼の気持ちをよそに、ウマ娘たちは第四コーナーを抜け一周目のホームストレート差し掛かった。

マンハッタンカフェは前を走るウマ娘たちを見ていた。ペースが速いわけでもなく、遅いわけでもない。普通のペースだが誰も仕掛けようとしないことに気づく。

それは最もなことだった。2600mの長距離をいきなり仕掛けて飛ばすのは愚行だと誰もが知っているからだ。

(もう少し、早く走れそう…)

そう彼女は考えじわりと位置を上げ始める。

 

『二週目の第一コーナーに差し掛かります!依然として先頭はハヤシセカイ!順位に大きな変動はありません!』

実況の通り、まだ様子を見やる彼女たちだが、マンハッタンカフェは九番手に位置を上げていた。

他のウマ娘たちの様子を確認するマンハッタンカフェ。

(まだ、みんな余裕がありそう…)

そう考えるとペースを合わせるように、他のウマ娘の後ろに位置をつける。

「あぁ…大丈夫かなぁ…」

不安そうな声を出すトレーナーだが

「まぁ、もう少し様子を見ましょう。あと1300mもあるんですから」

と泰然とした様子で彼の肩をたたいた。

 

第二コーナーを抜け向正面の直線に差し掛かる。依然として周りのペースに合わせるように走っていたマンハッタンカフェだが、少し違和感を感じ始めていた。

何かが前半と違い不協和音を奏でている。

(何だろう、この音…)

と思い、耳に神経を集中させ、それにすぐに気づいた。

(息遣い…荒れ始めてる)

一部のウマ娘たちの息遣いが乱れ始めている。長丁場に耐え切れなくなってきたウマ娘たちが出始めたのだ。

(この子と…この子と…、あとこの子も…)

前を走るウマ娘のうち、息が荒くなってきたウマ娘たちを特定すると、彼女は少しスピードを上げ、目の前のバ群の中に突っ込んでいった。

「あらら」

「あぁ~~…」

先生とトレーナーが同時に声を出す。

もうレースが佳境なのにバ群の中に突っ込んだ彼女を見て、思わず声が出てしまった二人である。

「ダメだ…外から差さないとルートが…」

力なくうなだれるトレーナー。彼が心配するのも最もだった。いくら体力があっても、トルクフルな足があっても、目の前にウマ娘の壁があればそれを生かすことができないのは、どのウマ娘でもあり得ることだからだ。しかし、そんな彼の思いを露知らず、マンハッタンカフェはウマ娘の中を走り続ける。

というよりも、トレーナーに見えてはおらず、彼女のみに見えている光景があった。

(ここ…空きそう…)

彼女が思うとその通りにルートが開く。

(この子は…そろそろ下がってくる…)

彼女がそう思うと、操られたかのようにウマ娘が下がる。

マンハッタンカフェには見えていた。どのウマ娘が限界で、どのウマ娘がどんなルートを通りそうか。どの道が開いて、どの道を進むのが険しそうか。

実はこの時だった。トレセン学園から遠く離れた、この北海道の土地で、彼女のレースへの読解力が開花した瞬間、それはこの時だった。

 

『さぁ!最後の第四コーナーを抜けて、先頭は依然ハヤシセカイ!!!逃げウマのハヤシセカイが必死に粘る!!!」

先頭を走る彼女を後ろから眺めるマンハッタンカフェ。

(この子…もうバテてる)

そのことに気づいた彼女はすぐさま加速にかかった。

第四コーナーを抜けた彼女の位置、なんと三番手。

「はぁ!?」

二番手のウマ娘が声を上げる。後ろから迫ってきた青鹿毛のウマ娘の差し脚が尋常でないことに気づき加速する。

『おおっと、ここで上がってきたのはスプリンガルとマンハッタンカフェ!!!』

二番手のスプリンガルが必死に粘る半面、マンハッタンカフェには余裕があった。

(いける…!いける…!!!)

心がときめく。足が躍る。

歓声きらめく最後のホームストレッチ。彼女の心も熱を持ち始める。

『先頭は変わってスプリンガル!!!それを追うのはマンハッタンカフェ!!!』

(まだまだ…速くなれる…!!!)

マンハッタンカフェの末脚が伸びる。彼女の目の前にはもうゴール板しか見えていない。

「うっそでしょ!?」

横に並びかけてきたマンハッタンカフェを見て、スプリンガルが必死に粘る。しかし

『先頭変わった!先頭変わった!!!マンハッタン!!!先頭はマンハッタン!!!』

マンハッタンカフェの脚は止まらない。

(まだいける!もっと!もっと!!!)

『マンハッタン先頭!!マンハッタン先頭!!!』

もう彼女はどのウマ娘も見ていなかった。見る必要がなかった。

200mの標識を通過する。

もう誰も自分には追い付けないと悟る。

後ろから聞こえる荒い息遣い。力のない足音。すべてがそれを彼女の確信に変えた。

そして

『一着はマンハッタンカフェ!マンハッタンカフェ!!!』

マンハッタンカフェは、余裕の走りで一着を取った。

 

トレーナーは彼の教え子が一着を取ったのを、あっけにとられたかのように見ていた。

バ群に突っ込んですり抜けて最後の直線では好位置の三番手。

そして余裕の末脚で後続2バ身差の勝利。

「これは…予想以上ですね」

と先生も目を見開いて笑う。

「貴方、彼女は、私たちが予想するより、遥かにすごい才能を秘めているのかもしれませんよ」

そう話す先生の声は少し震えていた。

マンハッタンカフェが観客席を見て、トレーナーと先生を見つけると、そちらに近寄ってきた。

それに気づいた先生は、右手の親指を立てて顔の前にかざし、にっこりと笑いかける。

それを見たマンハッタンカフェは、恥ずかしそうに、いつもの遠慮がちな彼女の態度で、控えめに右手の親指を立てて返したのだった。

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