マンハッタンカフェの怪文書   作:富岡牛乳

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5.阿寒湖特別

5.阿寒湖特別

 

 

8月第1週、土曜日、19時。

札幌市内のレストランにて。

「マンハッタンカフェ、おめでとう!」

「マンハッタンカフェさん、おめでとうございます」

トレーナーと先生は、マンハッタンカフェの優勝に対してささやかな祝賀会を開いた。

そのレースは高々1勝クラスの一着に過ぎなかったが、3人にとってうれしいものだった。

「ありがとう…ございます」

少し照れくさそうに笑い、ニンジンジュースを握りしめるマンハッタンカフェ。

三人は乾杯すると、楽しそうに夕食を取り始めた。明るい食事の雰囲気が三人を包み込む中、

「さて、どうでしょう。もう一回同じ距離のレースに出るというのは」

と先生が切り出した。

「お、いいですね!…カフェ、どうする?」

と上機嫌な笑顔を浮かべ、トレーナーがカフェに問いかける。

「はい。出てみたいです」

と即答するマンハッタンカフェ。

「よし!」

と歯を見せて笑うトレーナーを見て、

(こんな風に笑う人だったんだ…)

と思うマンハッタンカフェである。大きな瞳が微笑みの瞼に隠れ、口元も自然と緩む彼女。

それに気づいてか、先生の顔にも喜びの色が明るく映っていた。

「さて、次のレースですが、2勝クラスの阿寒湖特別などいかがでしょう」

「阿寒湖特別、ですか」

「はい。次のレースは2週間後になり、少々タイトですが…。このレースに勝てればいよいよオープンクラスです。秋にオープンクラス昇格が間に合えば、色々なレースに出られる選択肢が生まれます」

「そう、ですね…」

魅力的な提案だった。だがここで、少しトレーナーは迷っているようだった。

「どうしました?」

「いえ、その…」

と言い淀み、マンハッタンカフェの方を向いた。

「カフェ、お前…足は大丈夫か?」

と少し真剣な面持ちで問うトレーナー。

一瞬目を見開いたマンハッタンカフェだが

「はい。大丈夫です。後からご確認ください」

と少し微笑んで答えた。

「ごめんな、ホテルに戻ったらすまないが足を見せてくれ。…先生も立ち会ってもらってもよろしいですか?」

そう言うトレーナーに対して先生は

「はい、構いません」

とにっこり微笑んで答えた。

(だいぶ、お互いの信頼関係が出来てきたようですね)

と先生は脳裏で思い、これならばもう大丈夫そうだ、と安心するのだった。

 

祝賀会を終えてホテルに帰る途中のこと。

酒が入り能天気になった頭を抱え、札幌の町の賑わいを見る。陽気な喧噪の風景をぼんやり眺めるうち、トレーナーの頭も自然とふわふわとした明るさを持ちはじめている、ネオンの光る街並みが万華鏡のように輝いているように、彼には見えていた。

「カフェ、滅茶苦茶食いましたね」

「そうですね」

目の前を歩くマンハッタンカフェの姿を見ながら二人は話す。

小食だった彼女だが、北海道に来てからというもの、日に日に食事の量が増えて、今やいっぱしのウマ娘の食欲と変わらなくなってる。

「それも、6月ごろから急に増えましたね」

という先生に対して

「そうですね、やっぱりレースに出たいって気持ちが強かったんでしょうね」

と返すトレーナー。

「まぁ、それだけではないとは思いますが…」

と先生が言うのに、腑に落ちないような顔をするトレーナー。

それを見て

「歳を取ればあなたにもわかりますよ」

と先生は返した。

少し頭をひねる彼だが、特に答えにたどり着くこともなく、そういうものか、と思うことにした。

そんな最中、ふと食事の量で思い出したことがあり

「そういえば、先生ってあんなに食事の量が少なかったでしたっけ?」

と問うトレーナーである。

祝賀会の先生の食事の量は確かに少なかった。半人前の食事を取ったか取らないかの量だった。

普段一緒に食事をとる彼らだが、日常の食事の量についても、先生のそれは遥かに少ないものだった。

その問いを一笑すると

「それも、歳をとればあなたにもわかるものですよ」

と答える先生。

「そういうものですかね」

「そういうものです」

何でもない話をしながら二人は歩く。

目の前のマンハッタンカフェが振り向いて、二人のところへやってきた。

「どうした?」

と問うトレーナーに対して、

「何でもありません」

と答えるマンハッタンカフェ。その彼女の態度を見て先生は微笑んだ。

三人は並んでホテルへの道を歩く。夜に光る月夜の光が、やさしく三人を照らしていた。

 

 

 

8月下旬。日曜日。

札幌競バ場。第10レース。阿寒湖特別。

バ場は良。天気は晴れ。最高のレース日和である。

前回の富良野特別と同じく、距離は2600m。

ゲートインしたマンハッタンカフェは、先生に言われたことを思い出していた。

「今回のレース、出来れば前半は先行策を取ってみてください」

と、いうそれだけの言葉。

前回は見事な差し脚でレースを完勝した彼女だが、その時は差し追い込みのポジションだった。

全体を見渡せることを考慮すると、差しのほうが自分には合っている気がするが、先生のことだ、何か教えたいことがあるんだろう、と彼女は思い、ぼんやりとその言葉を脳裏に焼き付ける。

そんな最中、ゲートが開いた。

阿寒湖特別が始まる。

 

『さぁウマ娘たち、一斉にスタートしました!』

阿寒湖特別2600m。前回同様コースを一周半する長い道のりのレース。そんな中、マンハッタンカフェは少し急ぎ足でスタートし、三番手に順位を上げる。

『さぁ、最初のコーナー、一周目の第三コーナーに差し掛かって、先頭はメグロエリート!二番目にウィーエルシェーロ!三番手にマンハッタンカフェです!』

レースの様子を見て

「律儀な子ですね」

と先生が漏らした。

「先生、なぜ今日は前半の先行策を提案したんですか?」

とトレーナーが問う。

「あの子の場合、相手の動きを見て予想する力が強いと思っていますが、それはある意味危険なことなんです」

その答えに

「どういうことです?」

と返すトレーナー。

「相手の見立てを誤ると、自分の判断に影響が出やすいということです。今回の先行策はちょっとした荒療治ですね」

「荒療治」

「はい、逃げや先行は後方の様子が把握しにくいのが怖いところです。差しや追い込みのウマ娘がどの程度体力を残しているのかを把握しづらい。その反面、レースのペースメーカーになれ、好位置を取りやすいという利点もありますが。今回は、あえて先行策を取ることで、逃げや先行のウマ娘の気持ちを理解してもらう、それが狙いです」

「実体験で、逃げ先行のウマ娘の走り方や心理を理解する精度を上げる、ということですか」

「そういうことです」

先生は微笑みながらそう答えた。そんな会話をする中で、ホームストレッチをかけていくウマ娘たち。

レースは早くも第一コーナーにさしかかろうとしていた。

 

マンハッタンカフェは順位を一つ下げて四番手で様子を伺っている。

(後ろから足音がする…)

前のウマ娘をマークしながらも、後ろからの足音に気を配る彼女。

音の大きさからして、そんなに距離が離れておらず、バ群になっているな、と考える。

それよりも先行のポジションに若干彼女は戸惑っていた。

スピードを上げれば前のウマ娘たちが気づき、彼女たちもスピードを上げる。かといって、スピードを落とせばバ群に沈むリスクを生む。

(このポジション…怖い)

と思いながらも彼女は走る。

そして向こう正面の直線にはいったときのことだった。

ふと不協和音がするな、と気づき、前のウマ娘たちを見てみると、一番・二番のウマ娘の息が少し乱れ始めていることに気が付いた。そして三番目のウマ娘、アストラディーゴの様子を見ると、その瞳に闘志が宿っていることに気づく。

(…ペースを上げさせられてる?)

と感づいた彼女は、少しペースを緩め始めた。

 

その様子を見て先生が

「あ、何かに気づきましたね」

と先生が言う。

「本当だ、順位が…」

とトレーナーが言ったのもつかの間、マンハッタンカフェがバ群に沈んでいった。

「あ”ぁ”!!!」

思わず悲鳴を上げるトレーナー。

それに苦笑して

「大丈夫だと思いますよ。前回2600mを走り切った彼女です。スタミナはまだ切れてないでしょう」

と、ゆがんだ顔をしたトレーナーに声をかける先生だった。

 

事実、マンハッタンカフェの体力は切れていなかった。

前のペース、というより、三番手のアストラディーゴが急かすように走るせいで、一番手・二番手のウマ娘のペースが上がりすぎてることを懸念したのだ。そしてバ群の中に入り、周りを確認すると、体力が有り余ったウマ娘が何人もいる。

(みんな、最後に差すのを狙ってる…)

そう気づくと、ポジションとコースを意識しながら、淡々と走ることに専念したのだった。

『さぁ第四コーナーを抜けて最後のストレート!先頭はメジロエリート!二番目にウィーエルシェーロ!このまま逃げ切ってしまうのか!?』

実況が叫ぶ。しかしレースはそううまくはいかなかった。

最後の直線に入ったとたん、急加速し始めるバ群のウマ娘たち。

『おおっと!!ここで後続がすごい勢いで追い上げてきた!!!』

必死に走る一番手と二番手。そしてそれを最後で差し切るつもりの三番手。しかし、後続の体力は有り余っている。その中にマンハッタンカフェもいた。

「無理~」

「む~り~」

あっという間に一番手と二番手がバ群に飲み込まれていく。

『最後のストレートで後続がすごい末脚!!!これは大混戦の模様だぁ!!!』

ウマ娘たちが一斉に駆け出し、最後の力を振り絞り始める。

元三番手のアストラディーゴが先頭に立ったが、彼女の体力も限界に近いようだった。顔から汗が吹き出し、目を見開き必死に歯を食いしばって走る彼女。

その後ろからマンハッタンカフェが加速し迫る。持ち前の読解力で、位置取りは完璧だった。

(このまま、差し切る!!!)

差しウマの本領発揮。最後の直線での急加速。しかし他のウマ娘たちも負けてはいない。全員が全員一着を取るつもりでゴール板めざして加速する。

そしてアストラディーゴも抜かれる。最後に残ったのはマンハッタンカフェ含め3人のウマ娘。

全員が全員、必死に走る。誰もが一番を目指して、そして

『一着はマンハッタン!!!一着はマンハッタンカフェ!!!』

どうにかマンハッタンカフェは一着を取った。二位との差はクビ差だった。

息を切らしてゴール板を駆け抜けた彼女だが、一着を取ったことに気づくと、顔の横で控えめに左手をサムズアップするのだった。

 

 

 

8月下旬。先生の農場にて。

マンハッタンカフェとトレーナー、そして先生は、レースを終えた翌日、千歳市の先生の農場に戻ってきた。

レースを振り返るため、ダイニングの机に座る三人である。

「結構、辛い課題でしたか?」

と問う先生に

「はい」

と答える彼女。少しその声色に硬さを感じ

「それはすみませんでした」

と先生は苦笑いをしながら頭を下げた。

「でもこれで二勝目だな、カフェ」

と嬉しそうに話すトレーナー。

マンハッタンカフェは少し自信ありげに気色ばんで頷いた。

 

「そうですね、これで晴れてオープンクラスです。おめでとうございます、マンハッタンカフェさん」

先生の言う通りだった。これで晴れてオープンクラス。重賞に出られるポジションにようやく彼女はなったのだ。

「次のレースはどうしようか、カフェ」

「そうですね…、どんなレースがあるんでしょうか」

楽しそうに話す二人を見て、先生が微笑み頷く。

(もう大丈夫そうですね、この二人はもう…)

先生は心の中でそう思った。4月に来たときは余所余所しく、お互いに壁を作っていた若いトレーナーと引っ込み思案のウマ娘。

それがお互いに心を開き、次のレースをどうしようか、と希望を持ち話している。

もうここも、この農場にいるのも卒業だな、と先生は思った。

 

既に課題はクリアした。この広い大地にある狭い空間に、この若人たちは縮こまる必要はないのだ、と彼は思い

「クラシックの最後の一冠が残ってますね」

と口に出した。

とたん、トレーナーの目が輝き

「き!菊花賞ですか!?先生!!!」

と興奮気味に彼は叫ぶ。

「マンハッタンカフェさんならいけると思います」

と言い、彼女を見る。

「菊花賞は芝3000mの長丁場です。オープン以下のレースとはいえ、2600mを走り切った貴方になら、十分可能性はあると思いますよ」

と先生はにこやかに話しかけた。

「菊、花賞…」

いきなりのG1レースの名前に戸惑う彼女。それもそのはず、昨日ようやくオープン戦に挑めるウマ娘になったばかりの彼女だ。戸惑うのも無理のないことだった。だが

「はい…挑戦、してみたいです」

とうつむきながらも自分の意思を明らかにした。

「よし!頑張ろうなカフェ!!!」

テンション高く、若いトレーナーが彼女に話しかける。

 

そして

「じゃ、先生!東京に早く戻りましょう!!!」

と先生に話しかける。

「え?」

その言葉に戸惑う先生。

「そうですね、はやく東京に行きましょう」

と、マンハッタンカフェも同調した。

「いや、私は…」

と困った顔をする先生。

もう自分の役割は終わった、あとは二人の力でも歩んでいける。そう彼は言おうとしたが、なぜか言葉が出てこない。

それは先生にも理解できない戸惑いだった。

二人をここから送り出し、それで自分の役目は終わりだと感じていたのに、それを良しとしない何かがある。

目の前のかつての教え子とそのウマ娘の姿に、言いようのない感情を、いつしか彼は胸の中に抱えてしまっていた。

(私は…このまま、この二人の行く未来が見たいのか…)

自分の想いにようやく気付いた先生は、困ったように、あきらめたようにため息をつき

「じゃ、行きましょうか、東京へ」

と微笑んで二人に答えるのだった。

 

 

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