9月第1週。
マンハッタンカフェとトレーナーは東京都府中市のトレセン学園に戻ってきた。4月に離れて以来、実に約4ヶ月ぶりの帰還である。
マンハッタンカフェとトレーナーは、先生にも一緒の飛行機で来ることを提案したのだが、
「長い時間、家を空けることになりますし、何かと準備がいります。私は後から行きますよ」
とのことで、まずは二人で帰ってきたのだった。
「久しぶりですね」
「そうだな」
トレセン学園の正門の前で校舎を見上げる二人。
ウマ娘たちの活気で溢れる学園は、出発前と比べて、明るくそして希望がありながらも、緊張感をもたらすような、どこか威厳のあるものに思えた。
「それでは、私は美穂寮に向かいます」
「あぁ、待って。送っていくよ」
「ありがとうございます」
二人の中に円滑なテンポで会話が流れる。これも北海道に行く前からすると、かなり考えられない変化だった。
二人を乗せた赤いエクストレイルは走り出す。
窓の外から見える景色に、少し懐かしさを覚えるマンハッタンカフェだった。
「カフェさん、おかえり~」
久しぶりの美穂寮。自分の部屋に帰ってきて出迎えてくれたのは、同室のユキノビジンだった。
明るくて柔らかい表情の彼女が出迎えてくれたことに、どこか安心感を抱くマンハッタンカフェである。
「ただいま帰りました」
「一人で寂しかったべ~」
ユキノビジンの目尻には輝くものがあった。
大げさだな、と思いながらも少しだけ口角が上向くマンハッタンカフェ。
「これ、お土産です」
「あぁ!ありがとうございますぅ!」
空港で買ったお土産を手渡すとユキノビジンは輝いた目をしてそれを受け取った。
上機嫌でお土産『ニンジンぽっくる』を封切るユキノビジンが
「北海道は楽しかったですか?」
と話しかける。
「はい。いい場所でした」
そう答えるマンハッタンカフェの表情は、どこか、旅に出る前より明るくなっているように彼女には思えた。
「そうですか~」
いい旅だったんですね、と心の中でユキノビジンは付け加えた。
ふとマンハッタンカフェの表情が暗くなり、
「でも飛行機は嫌いです」
と一言。
「あ、そうですか~…」
となんとも言えない困ったような笑みを浮かべるユキノビジンだった。
次の日。トレーナー室にて。
マンハッタンカフェとトレーナーは、パイプ椅子を並べて向かい合って座っていた。
「次のレースの話をしようか」
「はい」
授業が終わった後、早速次のレースの打ち合わせをすることにしたマンハッタンカフェとトレーナー。両者の瞳にはそれぞれやる気と闘志にあふれていた。
次のレース。それはもう決まっていた。菊花賞のトライアルレース、セントライト記念。
ここで一着を取り、菊花賞への優先出走権を得る。それが二人の目標となったのは、阿寒湖特別で勝利した後すぐのことである。
「セントライト記念は9月の中旬。もうあと2週間しか時間がないから、無理な練習はせず、仕上げに励もうと思うけど…どうだろう」
「はい、賛成です。トレーナーさん」
ふとトレーナーが腕を組み、
「中山競バ場を走ったのは…弥生賞以来だな」
と口に出す。
弥生賞、アグネスタキオンが一着を取り、マンハッタンカフェは四着だった。
マンハッタンカフェにとって、クラシック路線を諦めざるをえなかった、苦い思い出の残るレースである。
「今度は、一着を取りたいです」
そう口に出すマンハッタンカフェ。その眼には朝焼けの海に映る暁のような、仄かだが明るい光が宿っているようである。
北海道での生活を経て、どこか逞しくなったな、とトレーナーは思い、
「そう、その意気だ!」
と彼女に歯を見せて同意するのだった。
9月中旬、日曜日。
中山競バ場、第11レース。芝2200m、セントライト記念。
バ場は稍重。天気は曇り。
セントライト記念は最終局面に差し掛かっていた。
『さぁ第四コーナーを抜けて直線に変わります!先頭はマルタキサキ!続いてプレジャーとマンハッタンカフェ!!!』
先頭のマルタキサキだが、二番手のプレジャーに押されて体力の限界を迎えていた。
プレジャーが加速し先頭に立つと、マンハッタンカフェもそれに追いすがる。
(これで、差し切って終わらせる…!)
そう思い、姿勢を低くしたその時だった。
『大外からシンクカリュード!シンクカリュードが飛んできたぁ!!!ゴードンフォレストも続いているぞ!!!』
大外から2人の差しウマが飛んでくる。
最後の末脚には自信があるマンハッタンカフェ、ここから加速して踏ん張ろうとした。
しかし
『シンクウカリュード大まくり!!!先頭2人をごぼう抜き!!!』
最後の直線、なぜか足が動かない。
200mの高低差約3mの急坂。それは決して苦手なものではない。彼女にとって得意なものにも拘わらず。
どうして、と思うのも刹那、彼女の目の前には3人のウマ娘がゴール版へと向かっていき、
そして
『シンクウカリュード!!!シンクウカリュード!!!一着でゴォーーーール!!!!!』
一着を彼女は取りこぼした。
マンハッタンカフェは四位でセントライト記念を終えた。
「お疲れ」
レースを終えて、控室に戻ってきたマンハッタンカフェに、トレーナーはいつもの調子で話しかけた。
「はい…」
とうつむき加減に返事をするマンハッタンカフェ。
彼女の頭に、ぽん、とトレーナーが右手を乗せると、
「四着でした…」
と力なくマンハッタンカフェがつぶやくと、彼は立膝になって少し微笑んだ。
「ウィニングライブがまだ終わってないよ。足の調子は大丈夫か?ちゃんとステージに立てる?」
という彼に対して
「大丈夫です…」
とマンハッタンカフェは答えた。
トレーナー立ち上がって両肩を励ますようにたたくと、彼女をウィニングライブ用の控室まで見送った。
そして自分の控室に戻ってくるなり
「くっそぉぉぉぉおおおおお!!!!!!」
と悔しさを爆発させるのだった。
翌日。月曜日。
トレーナー室にて、トレーナーとマンハッタンカフェが打ち合わせをしている最中のこと。
「こんにちは」
そう言って顔を出したのは、丸眼鏡をかけた白髪のオールバックの壮年男性だった。
「先生!!!」
トレーナーが目を輝かせて彼を呼ぶ。マンハッタンカフェの琥珀色の瞳も輝きを伴って先生を捉える。
「すみません、色々手続きをしていたらセントライト記念には間に合いませんでした」
「いえ、こちらこそ…無理を言って申し訳ございません」
とお互いが会釈するのもほどほどに
「さて、マンハッタンカフェさん。この前のセントライト記念は残念でした」
と先生は切り出した。
「はい」
と先生をしっかり見て頷くマンハッタンカフェ。
それを見て微笑み頷く先生は続けて
「『トレーナー』さん、もう敗因の分析は行っていますか?」
とトレーナーに話しかけた。
「えぇ、カフェと一緒にある程度は」
そうトレーナーは言うと、2人でまとめたセントライト記念の反省点を話し始める。
トレーナーとマンハッタンカフェの分析はこうだった。
まず、第一に他のウマ娘がオープン級であり、実力が高かったこと。
今までの富良野特別・阿寒湖特別のウマ娘よりレベルが当然高かったのだが、そんなウマ娘たちと走る機会がここ数ヶ月無かったため、マンハッタンカフェの『読解力』以上の動きをされてしまい、うまくレース展開を作れなかった。
そして第二に、読解力が通じないことを焦るあまり、稍重のバ場に脚力を削られていたことにも気づけなかった。最後の直線は短い急坂というのはお互い頭に入れていたが、マンハッタンカフェの末脚は全く冴えなかったのだ。
「レース展開からすると、前半は中段に位置付け、最後のコーナー前では三番手と、決して悪い内容ではなかったんです」
と切り出すトレーナー。
「そうですね、私もテレビで実況を見ていました」
それに先生は同意した。
「一番手の逃げウマの体力が限界で、二番手のプレジャーが追い詰めていたのも、マンハッタンカフェは読んでいました、しかし…」
「彼女の読みより、彼女自身の脚力が削られていたのは想定外だった、という所ですね」
先生は二人の反省を、うんうんと頷きながら、自分の頭の中で整理するように聞いて
「うん、いい反省ですね」
と、笑顔で答えた。
「今後ですが、どうすればいいでしょうか…。レベルの高いウマ娘に揉まれるレースに参加し、経験値をためるしかないと思いますが…」
トレーナーが先生にそう問うと、
「しかし時間がありませんね、連日のレースでは、さすがのマンハッタンカフェさんでも潰れてしまいます」
先生は少し険しい顔をして、腕を組んだ。
ふと、先生はマンハッタンカフェの方を向き直り、
「マンハッタンカフェさん。ご学友に、併せウマや模擬レースを頼める子はいませんか?オープン級以上で、それなりの実力者で、クラシックに出ない子。そんな子が3人、少なくとも2人いれば、いい実戦経験が積めると思います」
と問いかけた。
突然の問いに少しうつむくマンハッタンカフェ。
一人はすぐに思いつく。同室のユキノビジン。桜花賞・オークスともに二着の実力者。
併せウマ・模擬レースの話も快く受けてくれるだろう。
そしてあと二人も思いつくが、その顔を思い浮かべると、少し心が重くなる彼女である。
その顔もすぐに思いつく。
一人は苦手とする人。
もう一人は少し話したことのあるだけの人。
どちらも頼むには気が引けたが
「お願いして…みます」
少し苦い顔をしながら、彼女はそう言った。
これも菊花賞のため、憧れのレースで勝つためなのだ。
そう思うと、多少の犠牲は致し方ないと、彼女は心の中で決意を固めた。
翌日。火曜日、夕方。
トレセン学園 練習場にて。
マンハッタンカフェとトレーナー、そして先生は、マンハッタンカフェが連れてきた2人のウマ娘と面会していた。
「よ、よろしくお願いします!」
そう少しはにかみながら言ったのは、彼女の同室のユキノビジン。
そして
「お願いするよ」
と言い、けだるそうな目をしてふらふら手を振るのは、今年の皐月賞ウマ娘のアグネスタキオン。
マンハッタンカフェの頼みを聞いて、練習に付き合うことを同意した2人のウマ娘である。
満足そうなトレーナーと先生の横で、マンハッタンカフェは今まで見せたことのない苦渋に満ちた顔をしていた。
アグネスタキオンとはそんなに深い仲ではない、とマンハッタンカフェは思っている。しかし、なぜかアグネスタキオンは彼女を気に入り、よくちょっかいを掛けてくるので、どうすればいいか普段から悩んでいる距離感のウマ娘だった。
さらに言えばアグネスタキオンはかなりの変人で有名である。そんなアグネスタキオンに何か頼み事をするなど、彼女にとってはかなり強い意志のいるものだったのだ。
「マンハッタンカフェさんのトレーナーさんですか?」
そう話しかけてきた、甲高いセキセイインコのような声を聞き、振り向いたトレーナー。
「あ、は…」
はい、と言おうとして、言葉が詰まる彼である。
目の前にいたのは身長2mを超えた筋肉隆々の大男。顔は異常なほど痩せこけている。見開かれた大きな眼球は血走っていて、瞳はなぜか蛍光色に輝いており、あと毛髪は一切なかった。
「初めまして、アグネスタキオンのトレーナーです。この度は併せウマのお誘いをいただきありがとうございます」
それに一切気にすることなく、アグネスタキオンのトレーナーは、異常なほど大きく黒い右手を差し出した。
「い、いえ、こちらこそ…」
と、差し出された右手に、おずおずと手を重ねる彼。
材木のような硬さのその手の感触に、この人が本気で握力を加えたら、自分の手は卵のように潰れるのでは、と、妙な想像を掻き立てられてしまう、マンハッタンカフェのトレーナーである。
そんな彼の思いを全くよそに
「タキオンはあの通り、実力がありながらもレースに全然出ようとしません。練習すらほどほどに済ませ、いつもよくわからない『研究』に没頭しており、ほとほと困っていたところでした。非常にこのお誘いに感謝しています」
と、早口でアグネスタキオンのトレーナーは彼に話しかる。
「そ、それは、どうも…」
それに対して、ひきつった笑いを浮かべて対応するのが精一杯の、マンハッタンカフェのトレーナーだった。