場内では、地面が揺れるほどの大歓声が巻き起こる。 多くの人々は席から立ち上がり、拍手や声をあげるなどして各々の感情を表現していた。
レース場に設置されている、大きな電光掲示板には、先程のレースの着順と着差が順々に表示されているが、1着と2着のところの着差にはあかりがともっておらず、『写真』という2文字が表示されている。
それから数分が経過した。 電光掲示板のとなりの、大きなモニターには先程のレース終盤の映像が繰り返しながされ、歓声をあげていた観客達や、レースを走りきった私達はその映像をただじっと見つめていた。
そして、ようやく1着と2着の番号が表示されると、観客席からは今日1番の大歓声が響き渡った。
1着のところに表示された番号は17、2着との着差はハナとうつし出される。 瞬間、彼女はさっきまでの真剣な表情を破顔させ、小さくガッツポーズをつくった。
私の手につかみかかっていたGⅠ勝利は、スルリと彼女の元へと落ちてしまったのだ。
喪失感や、空虚感は感じていない。
ただ、何か激しい感情が私の体の、腹の底からわきあがってくる。 知らず知らずの内に握りしめていた右の拳、レースの事を思えば思うほど、そこにこめられる力はましていった。
一生懸命、自分の足元を睨み続けた。 八つ当たりとか、レース場のせいにしたいわけじゃない。 ただグッと力を入れていないと、涙が溢れてしまいそうで、涙が溢れたら自分を保っていられないような気がして、ジッと睨み付けている。
その後は、レースの表彰をされたり、観客からの拍手や歓声に手を振ったり、レース後の醍醐味とされているウイニングライブを踊ったりしたのだが、私のそれらの記憶はぽっかりと穴が開いたかのように失われていた。
レース場を出ると、観客席で見ていたゴールドシップ、マックイーン、ライスシャワーの三人が出迎えてくれた。
マックイーンは
「惜しかったですわね。 けど、いいレースでした 」
と言って、私の右手を取り、絶句した。
そういえば、両手ともずっと握りしめていたのだった。
いつの間にか爪までたてていたらく、私の両手のひらに、その指先は真っ赤に染まっていた。
「ら、ライス絆創膏とか持ってきてるよ 」
と言い、彼女はバッグの中からたくさんの応急措置用の道具を取り出す。 とりあえず、傷口を消毒し、ガーゼを被せた上をテーピングしておくことになった。
「……ごめん 」
ポツリと言葉がこぼれる。
誰もこんな言葉を望んでいないのはわかっているのに、なぜかこぼれ出てしまった。
「おいおい、なに言ってんだよ。 今日のオメーの走りスゲーよかったぜ? 仕方ねぇよ、オメーは悪くねぇって 」
すかさず、ゴールドシップがフォローしてくれた。
しかし
「…ごめん 」
一度こぼれてしまった言葉は、もう止まらなくなっていた。
「ごめん…ごめん…… 」
その言葉と一緒に、さっきまで堪えていたはずの涙まで溢れ出てきてしまい、自分ではもう、収拾がつけられなくなっていた。
足の力が徐々に抜けていき、その場でぺたんと座り込んでしまう。 言葉も、だんだんぐちゃぐちゃに崩れてしまい、私はただ泣き続けることしかできなかった。
辺りはもう、すっかり夜になっていた。
※※※※※
菊花賞から数日の月日が流れた。
今日も私は瞬発力トレーニングに勤しんでいる。 菊花賞での敗北から、私の弱点であるトップスピードを鍛えるトレーニングを、重点的に取り入れることにしたのだ。
あの日、私は自宅に着いた後もまだ立ち直れていなかった。
ほとんど完璧に近い仕上がりで望んだはじめてのGⅠレース。 他のレースより思い入れが強かった分、なかなか立ち直れずにいた。
その時、帰宅時に外してテーブルの上に置いておいたヘアピンが、ふと目に入った。
そして思い出した。
私が走る理由を。 あの人が残してくれた物を見て、私がやるべきことを。
私には、立ち止まっている暇はもうないのだ。 くよくよしている時間だって、いらない。
あの人を追いかけるのではなく、追い抜くために、その先に待ち受ける自分自身の目標のために。
私は“次”を目指す選択をした。
毎日のトレーニングの成果か、私のトップスピードは菊花賞前と比べたら多少速くなっていたが、まだまだそれは微々たる変化だ。
それでも、その変化は私が着実に“次”へと進んでいる証明でもある。 だから私は毎日毎日、コツコツとトレーニング行い続ける。少しずつ、私は目標に近づいているはずだ。
私の“次”は12月の頭、ステイヤーズステークスに決まった。 ゴールドシップとマックイーンを応援するため、私の目標のためにも私は“次”を目指し続ける。