ウイニングチケットとナリタブライアンのレースは、二人ともゴール直前での差しを狙っているのか、スローペースで始まった。
両者共に自分のペースでレースを進めており、チケットが先頭を走ってはいるが、ナリタブライアンは彼女を捉えたまま一バ身後ろで控えている。
一対一のレースは、自分以外に相手が一人しかいないため、通常のレースよりより相手を意識してしまい自分のペースを崩しがちになってしまうだろう。 しかし、ビワハヤヒデが言うにはナリタブライアンはこの一対一のレースを数回行って、勝ちを収めているのだ。 彼女は、この特殊なレースに慣れている。 チケットが勝つにはいかに自分のペースを崩さずに走りきれるかが鍵になってくるだろう。
見たところ、まだペースを崩さず走れているチケットだが、後ろから仕掛けられた時、どう反応できるか。 幸い、ナリタブライアンはまだそういった素振りを見せていないが、彼女がそういった小細工を使わず、己の実力だけでねじ伏せる性格なのか、ただ単に機を伺っているのか、フェイントをかけるだけの余裕がないのかはわからない。
わかるのは、ナリタブライアンは誰もが認めるほどの才能と能力があるということだけだ。
そうこうしている内に、二人は最後の直線へと入った。
当然ながら、後ろで控えていたナリタブライアンはギアを上げ、チケットを追い抜かすべく、ぐんぐん加速してくる。
音か、それとも直感か、チケットも追い上げるナリタブライアンに気づき、スピードを上げる。 あと少しでも反応が遅れていたら加速が間に合わずにナリタブライアンに抜かせれていただろう。
なんとか対応できたチケットだが、ナリタブライアンはチケットとの差を縮め、ほとんど並んだところまで押し上げて来ている。
ここが粘りどころ。 正念場である。
チームに入ってから、チケットは日々ゴルシと共にトレーニングを重ねてきた。 一人で黙々と鍛えるより、競い合う仲間がいる環境でのトレーニングは彼女を見違えるほど強くしただろう。
しかし、今、強くなった彼女のスピードを、ナリタブライアンは追い抜こうとしている。
両者は横一線に並ぶと、加速を続けゴールへと近づいた。
あと数メートルだ。 あと数メートルのところで外側にいたナリタブライアンがチケットより頭一つ前に出た。
このたった一歩の差で、チケットは負けてしまった。
ゴール地を超え、五メートル程歩いたところで、膝からガクッと崩れ落ちるチケット。
コースの外から観戦していた私達と、ゴール地点に立っていたビワハヤヒデはすかさず彼女の元へと駆け寄る。
「はぁ……はぁ、アタシの……全力…… 」
彼女は肩を大きく上下に動かしながら息をしている。 うっすらとかいた汗、顔色も少し青い。
幸い、どこかを痛めたわけでもないようだ、少し酸欠気味だと思われるので、しっかりと休憩をとらせれば、おそらく顔色も良くなるだろう。
ほっと一息ついて、チケットを念のため保健室へ運ぶべく彼女の体を抱き抱えると、私達から離れた場所で一人、息を整えていたナリタブライアンが寄ってきた。
「……私も同行する 」
ぶっきらぼうにそう告げるナリタブライアン。
レース前から無口で、全くと言っていいほど感情を表に出さない仏頂面だったので、てっきり挑発にでも来たと思ったが私の思い違いだったようだ。
そういえば、生徒会に入ってるってビワハヤヒデが言ってたっけ。 全生徒の代表、模範生が集まる生徒会に入れるのだから、いかつそうな見た目とは裏腹に、意外と常識人なのかもしれない。
「そうだね。 あまり大人数で行ってもどうしようもないから私とナリタブライアンの二人で行こうか 」
うちのチームメンバーは皆、仲間思いだ。 きっと自主的に保健室まで着いてこようとするだろうから、先に釘を刺しておく。
ビワハヤヒデも、チケットの友人であるため心配だろうが、致し方ない。
保健室に、ぞろぞろと大人数で押し掛けても先生に迷惑をかけるだけだ。 彼女らには悪いがここで待ってもらうことにする。
※※※
私の前を先行して走るナリタブライアン。 保健室のドアを勢いよく開けた彼女は
「失礼する 」
と一言述べてから入室した。
体調不良の生徒がいるかもしれないため、大きな声を出してはいけないとされる保健室で、バンッという音がするほど思いっきりドアを開けたかと思えば、律儀に失礼しますを言ってから入室したり、常識的なのか非常識なのかよく分からないウマ娘だ。
ひとまずナリタブライアンのことは置いておいて。
保健室の中には寝ている生徒も、養護教諭の先生もいない状態だった。
いつ戻ってくるかわからない先生を待つのは賢明ではないと判断した私は、扉から一番近い位置にあったベッドにチケットを寝かせることにした。
チケットの顔には、走り終えた時の苦しそうなものではなく、安らかな落ち着いた表情を見せており、すぅすぅと寝息を立てる音も聞こえる。
それを見たナリタブライアンは、私とチケットに背を向けると
「私はもう行く…… 」
そう言い残して立ち去ろうとしていた。
私はとっさに彼女の袖を掴み、待ったをかける。
「……なんだ? 」
「いや、一緒にチケットを運んでくれて今日はありがとう 」
「ウイニングチケットを運んだのはお前だ。 私はドア開けるくらいしかやっていない 」
腕を振って、私の手をふるい落とし再び背を向け二歩三歩と進んでいくナリタブライアン。
私は、遠ざかろうとする彼女の背中に向かって
「今度は、私と走ってよ 」
彼女はゆっくりと振り向き
「……いいだろう 」
そう言うと、前に向き直りスタスタと歩いて行ってしまった。
いつの間にか、私は笑っていた。