逆行メスガキ直哉ちゃん(♀) 作:宿儺の左手薬指
禪院の女達にとって、カナオは期待の星だった。
圧倒的な呪力、高い知性とセンスを持ち合わせた『当主の娘』ーー
禪院では力が全てであり、その双方の象徴たる当主は絶対だ。
そして、今代の当主は禪院としては、少しばかり柔らかい頭をしていた。
たとえ前例がなくとも、『女』というただ一点だけで判断するような男ではない。
『五条の神童』の域までは行かずとも、当主に相応しい実力さえあれば、直毘人はカナオを次期当主として指名するだろう。
一度そうなれば、もはや外野がいくら騒ごうが『女性当主』の誕生を阻止するのは不可能になる。
カナオは我儘娘とはいえ、同じ女なら、私達と同じ『女』なら、このような不平等を、理不尽を見捨てては置かないはず。
禪院カナオの当主任命を期に……禪院は、女の檻から生まれ変わるのだ。
皆がそんな希望を抱いていた。
ーーそう、その日までは。
それが願望から生まれた、ありもしない幻想だと知らずに。
『俺は禪院直哉や』
ある時を境に、カナオは男のような名前を名乗り、長かった髪を短く切って、男物の着物を好んで着るようになった。
男のような格好をしたカナオは、他の禪院の男達のように振る舞うようになり、まるで甚爾や『五条家の神童』……いや、その先にすら辿り着こうとするように、ますます激しく鍛錬に打ち込んだ。
直毘人に事情を聞こうとも、首を横に振ってしたいようにさせてやれ、どうせ一過性だ、すぐに飽きるだろう……そう返すばかり。
楽観的な男衆も概ね似た考えなのか、呆れ半分、興味半分で受け入れているようだった。
才能のあるガキの気まぐれ。
女の当主など、禪院では聞いたこともない。
だから、いくらカナオが抜きん出た才覚を発揮しても、直毘人を含むごく少数をのぞけば、本気で彼女が当主になるとは思いもしていないようだった。
しかし、もはや一種の天与呪縛を疑うほどにカナオの呪力は多く、戦いの才能も抜きん出ていた。
そもそもの扱いが難しく、歴史の浅さゆえにノウハウすら少ない投射呪法をコントロールして、加速を途切れさせずに格闘戦までやってのける天才。
俺だってそこまで使いこなすのに二十年はかかったぞ、と豪快に笑う直毘人の言葉に、人々は畏れすら抱くようになっていた。
これはもしや、あの五条悟にすら匹敵する神童なのでは?
そこまでは行かずとも、このまま成長してしまえば、誰がこの女から当主の席を奪えるのだろうか?
禪院家に広がるその焦りは、日が経つほどに募っていく。
そしてとうとうある日、先走った者が呪詛師を雇ってカナオの暗殺を計った。
依頼したのは躯倶留隊の中でも落ちこぼれの男。
『女』を見下すことで、辛うじて自分を保っていた弱さーーそれが、次期当主が女になるかもしれない、という現実を許せなかったのだろうか。
性格も小物なら積めた金も端金で、雇った呪詛師も三流……とはいえ、腐っても殺しのプロだった。
だがしかし、結果は返り討ち。
カナオは呪詛師の不意打ちをあっさり凌ぐと、術式で加速した手刀でその首を刎ねて殺した。
初めての実戦とはとても思えない落ち着き様、リスクのある術式を恐れず使う度胸、そして呪詛師とはいえ、人を殺すことへの躊躇いのなさ。
その場に居合わせた者達は揃って震え上がった。
このガキは化け物だ、と。
次期当主という言葉が現実味を帯びるにつれ、男達からは余裕が無くなり始めた。
だが、それは女達も同じだった。
男のように振る舞うカナオの姿。
これがもし、一時の気の迷いではなかったら?
このまま本当に、『男』になってしまったら?
女中の幾人かは、カナオが自らへ向ける目は……本質的に、禪院の男達が『女』に向けるものと近しいと感じていた。
度重なる不穏と不安。
そして、悪い予感は得てして当たるものだった。
ーーなんで、うちは男やないん?
前兆はあったのかもしれない。
記憶が戻らずとも、いずれはこうなり得たのかもしれない。
だが、決定的な変化はあの日……禪院甚爾と出会った日だった。
自らの原点と出会い、朧げだった『前回』の記憶、その全てを取り戻したカナオは……『禪院直哉』として、とっくに完成していた。
「今は自分の身体やからか、存外興奮せんもんやなぁ」
風呂場の鏡に映る『女』の裸に、しみじみ呟く。
今ひとつ実感はあらへんけど、七年この体で過ごしとったみたいやし。
そもそも、いくら俺でも流石に七歳そこらのガキには欲情せんわな。
相棒もどっかに雲隠れしてもうたから、性欲とかあるんかも怪しいけど。
下に伸ばした手が空を切る。
……やっぱり、股間に何もないんは違和感すごいわ。
この体になって一番屈辱なんは、立ってションベン出来へんことかもしれんな。
小するだけでいちいち座らなあかんの、地味にしんどいんや。
……いや、他になんかあるやろって?
女やから舐められる?
当主になられへんかもしれん?
アホらし。
そんなん、どうでもええわ。
周りの評価なんか知らん。
どうせ『前』も、禪院で仲ええやつなんかおらんかったし。
甚爾君を理解できへん雑魚が、いくら蔑もうが知ったこっちゃないからな。
『アッチ側』まで行けば、性別なんか関係あらへん。
それでも当主になれんかったら、最悪家立ち上げてもええしな。
悟君のやりたい放題っぷり見てたら、力さえあればなんとでもなるやろって思えるわ。
桶に掬った湯を頭から被る。
それにしても、貧相な体やな。
ガキで、しかも女や。
どこまで鍛えたところで『前』ほどのフィジカルは手に入らんやろうけど……
体の中で張り詰める呪力。
こっちは、明らかに『前』より多いんよな。
女になったからか?
才能はそこまで変わらんはずや。
もしかすると、『性のズレ』が天与呪縛として機能してるんかもしれへん。
仮にそうやとしても、男に戻れる方法あるんやったら躊躇いなく戻ったるけど。
かけ湯も終わったことやし、湯船に浸かろか。
……はあ。
やっぱ鍛錬の後はこれやな。
疲れがぐって取れる感じするわあ。
「んー……まあでも、女どもの反応は傑作やったなあ」
たしか一番面白かったんは、初めて『禪院直哉』を名乗った時やったか?
そん時の愉悦を思い出して、くつくつ声が溢れた。
おお、目の前のガキも悪どく笑っとるわ。
俺やけど。
「同じ『女』やったら、味方して貰えるとか思っとったんやろな」
俺は男や。
たとえそうやなくても、『イジメる側』なんは変わらんやろ?
虐げられるだけのカスが、勝手に俺のこと同類や思って、勝手に裏切られて。
いやあ、滑稽やなあ。
「ま、雑魚なんかどうでもええか!そんなしょーもないことより、どうやったら甚爾君と悟君に……」
一瞬、偽物の姿が脳裏に過ぎった。
甚爾君の紛い物。
でも、俺は手負いのそれにすら勝てんかった。
だからまだ、真希ちゃんは俺の中で。
女の分際で、三歩後ろどころか俺の前を歩いとる。
「……まあでも、アッチ側には当分いけんやろうし。当面の目標やったら、むしろコッチの方がええかもな」
『強さ』は『正義』や。
アッチ側の二人は言わずもがな、乙骨君も、会うたことない恵君も、真希ちゃんですら。
せやから、気に食わん『正義』は
力で叩き潰さなあかん
湯船から上がって、また鏡の前に立つ。
鏡に映る自分の短い黒髪が、なんとなくあの偽物を思い起こさせて、それが無性にムカついた。
……ええわ、認めたる。
オマエは俺より強いんやって。
でもーー
目の前に亀裂が走る。
呪力が乱れたせいか、突き立てた拳に破片が刺さって、血がつうって垂れよった。
でも俺、やっぱオマエのこと嫌いやわ。
直哉「男に戻る方法あったら〜」
ないです。