元世捨て人の気ままな旅路(艦隊これくしょん編) 作:神羅の霊廟
さて、演習場が大騒ぎしている中、箒は何をしていたかと言うとーー
「……迷ってしまった」
絶賛迷子であった。
単独演習に出場する文月と別れた後、ふと思い立って大本営の医務室を目指す事にした箒。以前龍田に宿毛湾鎮守府の艦娘リストを見せてもらった時、修理の為大本営預りとなっていた艦娘がおり、その艦娘達に一言挨拶しようと医務室を目指していたのだが、完全に迷子になってしまった。
「弱ったな、地図も近くにないからここが何処なのかさっぱりだ」
時刻は1430。文月と別れてから一時間は歩き回っていたようだ。会議室からはかなり遠く離れており、会議再開の時間も考えると、これ以上は迷っていられない。
「仕方ない、最初に会った人か艦娘に場所を聞こう」
「何処か探してるのかにゃ?」
不意に声を掛けられてくるりと振り向くと、水色のセーラー服に短パンの少女がいた。左腕に包帯が巻かれており、猫のような細目で箒を見上げてくる。
「艦娘……で間違いないか?」
「多摩は艦娘だにゃ。本当は宿毛湾所属だけど、治療でここにいるのにゃ」
「宿毛湾?ならば私の鎮守府だな」
「にゃ?」
不思議そうにする多摩と言う艦娘に、箒は自身が新しく宿毛湾鎮守府の提督となった事を話した。
「にゃんだ、あのおっちゃん代わったのかにゃ。良かったにゃ」
「おっちゃんて……仮にも前の提督だろう」
「あんなのおっちゃんで充分にゃ。多摩達の扱い滅茶苦茶だったから、あのおっちゃん大嫌いだったのにゃ、昼寝もさせてくれにゃいし」
つまらなさそうに多摩は話す。なるほどと思いながらも、箒は多摩の愚痴や小話を聞き続ける。
「宿毛湾の皆は元気にしてるかにゃ?」
「あぁ。今日は文月もここに来ている、後で会うか?」
「お願いするにゃ、久しぶりに同じ鎮守府の仲間に会えるのは嬉しいにゃ。にゃはは」
特徴的な口調で話す多摩に、箒はマスコット的な印象を受けた。何とも可愛らしい。
「ところで提督は何をしてたのかにゃ?」
「あぁそうだ。多摩、すまないが医務室まで案内してくれないか?他の宿毛湾所属の艦娘に挨拶をしておきたいのでな」
「医務室?目の前にゃよ?」
多摩がそう言って右側を指差す。見ると指差した先のドアの上にデカデカと『医務室(艦娘用)』と書かれている。
「あれ?」
「もしかして迷子だったのかにゃ?だとしたらとんでもない奇跡だにゃあ」
「だな……自分でもびっくりだ」
「にゃはは。ま、取り敢えず入るにゃ、ずっと立ち話も何だしにゃ」
多摩に連れられ、箒は医務室に入る。一つしかない出入口から見た医務室は存外広く、更に多くの医療ベッドが設置され、様々な艦種の艦娘が寝かされている。体のあちこちに包帯が巻かれ、ギプスで固定され、うんうんと苦しそうに唸っている。騒動激しい戦いに参加したのだろうと推測できる。そして医療担当のスタッフらしき人々が大量のベッドの隙間を世話しなく動き回る。
「これは……見てて痛々しいな。ここの艦娘達は皆、戦闘での傷を癒している最中なのか?」
「まぁある程度はそうだにゃ。普通にゃら多摩達艦娘はそれぞれの鎮守府のドックで傷を治せるのにゃ。けどたまに鎮守府のドックでは対応出来なかったり、ドックが満杯で溢れてしまったりする時っていうのがあるのにゃ。そー言う艦娘は、大本営に申請してこっちで傷を癒すんだにゃ。大本営のドックは、一番広くて快適だからにゃ」
「なるほどな。ところでさっき『ある程度』と言っていたが……」
「……まぁこれから話すにゃ。さ、こっちだにゃ」
箒は多摩に連れられて医務室の奥へ奥へと進んでいく。そして唯一カーテンで区切られた区画へと案内された。
「多摩達宿毛湾の艦娘はこの区画を使ってるのにゃ。ちょっと待ってくれにゃ」
そう言って多摩は先にカーテンの中へ入っていった。小さくだが中から喋り声がする。やがて多摩がカーテンから顔だけ出して「どうぞだにゃ」と言うと、箒はカーテンの中へ入っていった。
カーテンの中は三つベッドが置かれており、その内の右二つにはそれぞれ、眼帯を左目に付けた勝気な艦娘と、何故か室内なのにサンバイザーを付けた小柄な艦娘がベッドから体を起こした状態で箒に目を向けていた。眼帯の艦娘もサンバイザーの艦娘も双方共に体中に包帯が巻かれ、絆創膏等も貼られている。
「紹介するにゃ。こっちの眼帯付けてるのが天龍で、こっちのサンバイザー付けてるのが龍驤だにゃ。もう一人春風って娘がいるけど、彼女はまだ集中治療室の方だにゃ」
「……天龍だ」
「軽空母龍驤や。キミが新しい司令官かいな?」
「篠ノ之箒だ、階級は少佐だな。よろしく頼む」
「ほほぉ~ん……」
天龍は明らかに敵意を向けてきており、龍驤はジロジロと箒の全身を舐めるように観察している。やがて観察を終えたのか、龍驤は右手を差し出してきた。
「……まぁよろしゅう頼むわ」
「あぁ、よろしく頼む」
箒も右手を差し出して握手する。と、右手に凄まじい痛みがやって来た。龍驤が握手している右手を思い切り握り締めたのだ。突然の事に驚き顔をしかめた箒だが、すぐに負けじと握り締め返す。ミシミシミシ……と聴くにヤバそうな音がする。
「あだだだだ!?ちょ、悪かったて、悪かったから離してぇな!」
耐えかねた龍驤が慌ててそう訴えると、箒はパッと手を離した。痛みが続いているのか、「おー、いちち……」と右手を押さえている龍驤。すると徐に彼女は今度は左手を差し出して握手を求めてきた。箒もそれに応えて左手を差し出して握手する。今度は普通にだ。
「いやすまんなぁ。新しい司令官がとんなもんかちょーっとばかし試してみたんやけど……こりゃ大物やなぁ、うちのパワーに顔をしかめるだけなんてな」
「剣道をやっていたので力は多少な。今はそこで習ったのを元に我流の剣術を極めている最中なんだ」
「剣術!?」
とここで天龍が食い付いてきた。さっきまで敵意丸出しだった目は、目映く光輝いている。
「そ、その剣術ってどんなのなんだ!?」
「興味があるのか?」
「天龍は戦闘でそこにある刀を使うからにゃあ。その手の話は興味を示すんだにゃ」
多摩が指差した先には、何やら変わった形をした刀が天龍のベッドに立て掛けられている。
「そうなのか。まぁ一言で言うなら、『柔能く剛を制し、又剛能く柔を制す』か?」
「?どういう意味だ?」
「スピードに優れた剣さばきとパワーに優れた剣さばきをバランス良く使い分けする剣術だな」
「おぉ……!な、なぁ!その剣術、オレにも教えてくれないか!?」
天龍は包帯だらけの体を大きく乗り出して箒に聞く。すると箒はスッと右手を出して「待て」と示した。
「教えるのは構わんが……まずは怪我を完全に治せ。私の剣術は身体に異常な負荷を伴う、治り欠けのその状態で習おうものなら、最悪二度と動けなくなるぞ……まぁ極めれば無類の強さとなるがな」
「え~!?マジかよ、益々興味沸いてきたぜ!分かったぜ提督、オレ怪我をしっかり治すぜ!んで絶対その剣術を極めてやる!」
天龍はワクワクが抑えきれないのか、立て掛けられている刀を手にとって抱き締めている。専用のカバーで刀身は覆われているとは言え、危ないのは自覚してほしいーー箒はまず天龍に対し刀の扱いについて教授する事を考えていた。
「キミなかなかやるなぁ。天龍をあんなやる気に満ちさせるなんてなぁ」
「偶然だ、誇る必要もない。それよりも龍驤、お前は軽空母と言っていたな?」
「そうやで。どしたん?」
「いや、な。今の宿毛湾は空母を育てないと不味いのでは、と考えていてな」
「隼鷹や瑞鳳がおるやろ?」
龍驤の言葉に箒は首を横に振る。
「あの二人だけではいずれ限界が来る。今は一人でも多く戦力が欲しいのでな」
「つまりうちも早く怪我を治せってか?わーっとるよ、こんなとこずーっと居座る気ぃは無いわ。それにうちがおらんと隼鷹も瑞鳳もスカタンやしなぁ」
カラカラ笑いながら龍驤が言う。実際隼鷹と瑞鳳の訓練を見させてもらった事があったが、箒的にはどうにもしっくり来ない所があった。だが空母の戦い方についてよく知らない為箒は口出し出来ず、結局空母の育成は他の艦種と比べて遅くなっているのが現状だ。
一刻も早く龍驤達には元気になってもらいたい。そう考えた箒は、龍驤と天龍、それに多摩が揃って他所の方向を向いている隙にこっそり小さく印を結んだ。と、淡い光が三人の周囲に現れ、三人の体にゆっくりと浸透していく。
(『回復の印』をやっておいた。じきに良くなるだろう)
光が完全に三人に浸透したのを確認した箒は、さっき多摩が言っていた事が気になって聞いてみた。
「それで多摩。さっき言っていた『ある程度』と言うのは?」
「ん、じゃあ話すにゃ。確かに大本営のドックにいる艦娘は、基本的に戦闘で受けた傷が鎮守府のドックではどーにもならない時に使われるのにゃ。けどそれ以外に、ここには別の理由で放り込まれた艦娘もいるのにゃ」
「別の理由?」
「まぁ分かりやすく言えば……四大鎮守府の艦娘との演習でボコされたのにゃ。徹底的ににゃ」
多摩の顔は沈んでいた。
「多摩は普通に戦闘での傷を癒してるけど、天龍と龍驤は演習の類いでの傷だにゃ。他にもここには演習でボコされた艦娘が沢山収容されてるのにゃ。たとえばーー」
「あぁぁぁぁぁあ!」
「ちょっと、誰かこの娘押さえて!これじゃ鎮静剤が打てないのよ!」
突然カーテンの外から叫び声や暴れる音が聞こえた。何事かと箒がカーテンから顔だけ出して見てみると、隣のベッドで箒自身にも似た武人気質な顔の艦娘が大暴れしており、それを必死に職員が押さえ付けていた。見るとその艦娘は左肩から指先ーーつまり左腕が丸々無くなっている。
「あー……また那智かにゃ。いつもの事だけどうるさいにゃあ……」
「那智?」
知らない名前が出てきて、箒は多摩に目を向ける。
「にゃ。元は柱島の重巡洋艦の艦娘で実力はあったけど、見ての通り演習でボコされて左腕を無くしてるのにゃ。それでここに放り込まれたけど、いつもいつも『もう絶望した、私を解体しろ』なんて叫んでるのにゃ」
「柱島の提督は何も言わないのか?」
「言わないと言うか、もう完全に見捨てる方面なのにゃ。現に今まで一度もお見舞いに来てないしにゃ」
やれやれと言う表情で多摩が言う。再び箒が那智に目を向けると、那智はようやく鎮静剤を打たれて大人しくなった所だった。周りの職員は彼女がようやく落ち着いてくれたので一息つくと、他の艦娘の応診の為一旦その場を離れた。それを見送り、箒はまた那智に目を向ける。と、
「……何の用だ?」
箒の目線に気づいたのか、那智が鋭い目を向けてきた。体に元気はなかれど、その瞳にはまだ闘気が滲み出ているようだった。箒は那智の前に姿を現す。ついでに多摩も出てきた。
「その姿、そしてついてきた多摩……貴様は宿毛湾の提督か?」
「あぁ。つい最近着任したばかりだがな」
「フン、まさか女とはな。それで私に何の用だ?私のこの様を笑いにでも来たのか?」
提督てある箒に対して尊大な口調で話す那智。恐らくこれがデフォルトなのだろう。
「那智、だったか……ちょっとその怪我の箇所、見せてもらうぞ」
「何をーー」
「ちょっと触るだけだ。すぐに終わる」
那智の言葉を聞かず、箒は那智の左腕の無くなった部分に触れる。その箇所はきちんと治療されており、職員の腕の良さを窺わせるものであった。これなら傷口からの感染症の心配もないと言って良い。
(……行けるな。『あれ』を使えば、この娘はまだ戦える)
何か確信を持った箒は触るのを止めて手を離し、ブツブツ考え事を始める。
「何をしてたのかにゃ?」
「フン、触れただけで貴様に何が出来る。よもやこの腕が治る、とでも言うのか?」
「治りはしない。が……」
「が、何だ?」
箒は那智に向き直り、右手を差し出してこう聞いた。
「その前に聞こう。那智、お前……私の下で再び戦う気は無いか?」
「……何だと?」
箒からの提案に那智と多摩の目が点になった。
「ちょ、本気なのかにゃ!?」
「本気も本気だ。那智、お前はまだ戦える。私には確信があるのだ」
と、急に那智が箒の制服の襟を掴んで引き寄せてきた。箒を見るその目は怒りに満ちていた。
「貴様は私を馬鹿にしているのか!?私は今左腕がないのだぞ!そんな奴がまだ戦える!?馬鹿も休み休み言え!左腕を失った私に何の価値がある!?貴様のような馬の骨に馬鹿にされるくらいなら、まだ私は解体された方がマシというものだ!」
「馬鹿にするのが目的なら最初からお前に絡んだりはせん。というかそもそも相手にすらせんさ……まぁ私の話を聞くと良い」
箒は那智の手を容易く振りほどくと、少し乱れた制服を整える。まだ疑いの目を向ける那智を気にも止めず、箒は話を続けた。
「実はな、私の夫はこれまで様々な義手義足を作って来たんだ。『誰にでも使えて、かつ後遺症等も気にならない』をコンセプトにな。で、ようやく納得のいく物が出来上がったのだが……どうだ那智、お前がその義手使用者第ニ号とならないか?」
「義手だと?ハッ、馬鹿な。私達は艦娘だ、人間が作った玩具程度で腕一本賄える訳がないだろう」
「ならば問題ないな。私も私の夫もお前の言う人間ではないのでな」
「何?それはどういうーー」
那智が聞くより早く、箒はカーテン部分にクラックを作り上げると、中に上半身を突っ込んでゴソゴソ探し物をし始めた。目の前で起こる珍事に、またも多摩と那智の目が点になる。十秒ほど中を漁っていた箒は、やがてクラックから機械とガラスで作られた細長い容器のような物を引っ張り出して床に立てた。中は何やら透明な液体で満たされ、更に通常の成人女性のそれと同じくらいの長さの左腕が保管されていた。その左腕は所々皮の部分が透けて内部の筋肉と思われる物が見えており、肩の部分にはウニョウニョと細く短い触手のような物が蠢いている。
「これがその義手だ。性能は私の夫が第一号として自分で試して保証している、何の問題もないぞ」
「うげげ……一部筋肉丸見えだにゃ……気持ち悪い……」
「これでも限りなく完璧に出来た方なのだぞ?それはここまで再現して見せた私の夫に失礼というものだ」
気味悪がる多摩に苦言を呈し、箒は那智を見る。
「で、これを見た上でお前はどうする?このまたとないチャンスに飛び付くか……それとも撥ね付けるか……まぁ焦りはしない、ゆっくり決めると良い。何せお前のこれからを左右する重要な決断となるだろうからな」
未だ疑いの視線を向ける那智にそう伝えておき、箒は義手の容器をクラックの中に戻してクラックを閉じた。カーテンは元のように風に揺られている。
「では私はこれで失礼する……まぁ悩め、いくらでもな。私はゆっくり待つ事にしよう」
そして箒は最後にそう言うと、「また来るぞ」と多摩達にも言ってから医務室を去った。残された二人はポカーンとするばかり。
「にゃあ……嵐みたいな人だったにゃ」
「そうだな……」
人の話を聞く事すらせず、ただ自分の言いたい事を簡潔かつ分かりやすく話す。二人には箒が暴君にも見え、また名君にも見えた。
「……で、どうするつもりにゃ?あの人の誘い」
「そうだな……まぁゆっくり考えよう。奴は今まで私にすり寄ってきた者とは違う……いや、そもそもの次元すら違うか」
「何の事だにゃ?」
「猫以下の頭のお前には理解できまい」
隣で「それは遠回しに多摩を馬鹿にしてるのかにゃー!?」と騒いでいる多摩を放っておき、那智はこれからの自分の行く先を考える事にした。
(どうせ時間はいくらでもある……何日、いや何ヶ月掛かろうと彼女は私の答えを待つだろう。自分で納得の行くまで考える事にしようーー)
さて、多摩達と別れた箒はもと来た道を戻って宿泊する部屋を経由し、また会議室へと向かっていた。午前中に渡された資料を読み返す為だ。まだ資料の内容を半分と理解できていなかったので、何回か読み返して頭に入れておかなくてはならない。
(まぁ新参の私達が参加する訳ではないが……知っておくに越した事はないだろう)
会議室に向かう間も苦にならないスピードで資料を読み返す。と、
「しれ~か~ん!助けて~!」
聞き覚えのあるほんわかした声が聞こえてきた。振り返ると、
「……文月?」
文月が涙目でこちらへ走ってきた。よく見ると自分の知る文月とは容姿が異なっていた。体つきが今までの子供体型から中学生くらいの体型となりだいぶ大人びていたし、服も白セーラー服に変わっている。文月は箒の下まで走ってきて、そのまま箒に飛び付いてきた。頭をグリグリと押し付けて甘えてくる文月は、見た目は変われどまだ幼さを残している。
「文月……か?どうかしたのか?」
「しれ~かん、助けてよぉ~!しれ~かんと同じ格好の人がね、文月を凄い形相で追い掛けてくるのぉ!」
「私と同じ格好?という事は私と同じ提督か」
涙目で抱き付いている文月を軽く撫でて落ち着かせていると、文月が走ってきた方向から同じ提督用制服を着た男性が二人走ってきた。その内の一人が見覚えのある男性だが、もう一人のこわもての男性は知らない顔だ。
「龍瀬准将?それに……どちら様ですか?」
「あぁ良かった、篠ノ之少佐も一緒だ。良かった、探す手間が省けたよ……」
「龍瀬、彼女が篠ノ之少佐か?」
「そうですよ、武藤少将。篠ノ之少佐、こちらは下田の鎮守府を運営している武藤敦輝少将だ」
「武藤だ。なるほど、君が元帥が言っていた……すまなかったな、今君の後ろに隠れている娘を連れてきて欲しいと元帥から頼まれて探していたんだが、私を見るなり逃げ出してしまってな」
武藤はそう説明してポリポリと頬を掻く。こわもてな人相の武藤を文月が怖がるのも無理はないだろう。文月は背中に隠れて、武藤を見ては隠れるを繰り返している。
「文月は人見知りですので、武藤少将が怖かったのでしょう……どうか許してあげて下さい」
「いやいや、私の接し方が間違っていたのだ……君達が謝る必要はない。それよりも……」
武藤は龍瀬にチラリと目を向ける。
「篠ノ之少佐、すまないがその娘と共にすぐに元帥の執務室まで来てくれないか?単独演習の件で話があるんだ」
「単独演習ですか?私はさっきまで医務室で艦娘達と話をしていたので、演習を観戦していないのですが……何か不都合でも?」
「不都合……いや、予想外と言うべきかな」
龍瀬の言う事が理解できず、箒は首を傾げる。何か文月が問題を起こしてしまったのだろうか。
「まぁ話は元帥の所でやろう。さ、来てくれ」
歩き出す武藤と龍瀬を追い掛けて、箒と文月も元帥の下へと向かう。その間箒と文月は、武藤の動きが気になっていた。自分達の方を振り返ってチラッと見たかと思うと、すぐに目線を前に戻して考え事をする。それの繰り返しである。龍瀬もまた二人が気になっていたのか、チラチラと目を向けてくる。一体何がしたいのだろうか。
そうこうしている間に四人は元帥の執務室まで来ていた。武藤がドアをノックし、中から「入りなさい」と声が響くと、まず武藤と龍瀬が、次いで箒と文月が執務室に入る。執務室中央には左右に大型のソファが置かれ、右側に無精髭の壮年の男の提督と穏やかな表情の男の提督が、左側には目付きの鋭い女の提督と狐のような細い目が特徴的な男の提督が座っており、入ってきた箒達に鋭い目線を送ってくる。また提督達の後ろには秘書艦であろう艦娘達が直立不動で待機していた。
そして正面の一人用のソファに、定藤が腕を組んで座っていた。
「来たね、篠ノ之少佐。それに文月や」
「はい。ところでこちらにいらっしゃる提督の皆さんは一体……」
「四大鎮守府ーー聞いた事はあるだろう?横須賀、舞鶴、呉、佐世保。これらの鎮守府を運営する大将達さ」
「そうですか……しかし元帥、一体これは何の集まりでしょうか?私にはとんと見当が付きません」
「ほう?あの演習を見て、見当が付かぬと言うのか、篠ノ之少佐?」
壮年の提督がそう言って鋭い目線を箒達に向ける。怖がっているのか、文月は箒の後ろに隠れてしまった。箒は文月の頭を優しく撫でて「大丈夫だ」と落ち着かせ、その壮年の提督に向き直る。
「申し訳ありません。私は先程まで医務室にて宿毛湾所属の艦娘達と談話をしていましたので……演習を観戦しておりません」
「……ならば仕方あるまい。しかし元帥、本当にこの者があの現象を引き起こしたと?」
「まだ確証はないがね。齋藤、瀬尾、中川、薙。それと武藤、龍瀬。ここからは海軍の機密に触れる事になる……分かってるね?」
定藤の問い掛けに提督達は首を縦に振って応える。それを確認し、定藤は改めて箒を見た。
「篠ノ之少佐、今回お前さんを急遽ここに呼び出したのには明確な理由があってね。さっきもこやつらに言ったが、海軍の機密になる。絶対に他言無用でお願いするよ」
「分かりました。それで、その理由とは?」
「まぁそう焦らなくてもきちんと話すさ。さて篠ノ之少佐。まず一つ、お前さんに聞きたい事があるんだよ」
「何でしょうか?」
いつにも増して鋭い目線を送ってくる定藤に、箒も思わず身構える。そして定藤が重々しく口を開いた。
「篠ノ之少佐……あんた、『狂化』ってのを知ってるかい?」