真昼のノクチルカ 作:ペンデュラムの根っこ
遠くから、聞こえる。
『────いっちゃん!』
呼ぶ声が、聞こえる。
『────いっちゃん!』
それは、聞き慣れた声で。
『────いっちゃん!』
長らく、聞いていない声だった。
『────いっちゃん!』
○○○
真昼のノクチルカ
○○○
目が覚めて、自分が夢を見ていたことに気づいた。
気怠い体を揺り動かし起き上がる。伸びをするとパキパキと小気味の良い音が鳴った。
カーテンの閉じられた室内は、夜のように薄暗く静かだ。朝特有の凪いだ雰囲気に眠気を誘われ、大きな欠伸をした。
すると、隣からも間の抜けた欠伸の声がした。
驚いてそちらを見ると、見知った女がベッドの側に座っていた。
「おはよう、樹」
「……なんでいるんだ、透」
「やたら早くに目が覚めたから、遊びに来た」
半目を手の甲で擦りながら、彼女──浅倉透は淡白に答えた。
「なんで朝っぱらから遊びに来るんだ」
「今日、午後からレッスンだから」
「……そうか」
どことなく噛み合っていない問答。彼女との会話は大抵そうなる。
ため息1つと共にベッドから降りると、彼女も合わせて立ち上がる。
「今何時?」
「7時過ぎ」
「お前いつ来たの?」
「10分前くらいかな。来た時、ちょうど樹のお父さんとすれ違ったよ。ゴミ捨てに行ってた」
「あ、そう。俺が起きるまで何してたんだよ」
「樹の寝顔眺めてた」
「……暇なやつだな」
鏡を見ると、いつも通りボサボサの頭が写っていた。寝起きで口角が下がり、顔に生気がない。
とりあえず制服に着替えようと思い、パジャマの襟に手をかける。横目で透を見ると、彼女はじっとこちらを見ていた。
「なあ、俺着替えるんだけど」
「あ、うん。着替えていいよ」
「いや、こっち見るなよ。恥ずかしいだろ」
「別にいいじゃん、幼馴染なんだし」
そういう問題ではないのだが、彼女にはこちらの気持ちが伝わっていないようである。諦めて見られたまま服を脱ぐが、下着姿になっても彼女は無遠慮にこちらを向いていた。
「幼馴染は何してもいいっていう免罪符じゃないんだぞ」
「でも樹は気にしないでしょ?」
「そうだけどさ、お前は気にしろよ。一応アイドルなんだから」
「もっと恥じらった方がいい?」
「まあそうだな」
俺の言葉を聞いた透は恥じらうどころか、妙に熱のこもった視線で俺の全身を眺めた。そこまでされるとむしろこちらの羞恥心が刺激される。しばらく俺を見つめた後、透は言った。
「うーん、やっぱムリだわ。パンツ脱いでくれたらちょっとは照れるかも」
「その発言が既にダメなんだよ」
透はカラカラと笑った。透明感のある綺麗な笑顔だった。
「朝飯は? まだ食ってないだろ?」
「樹のお母さんが私の分も作ってくれるって。ホットサンド」
「そうか」
制服に着替え、透を連れ立って階段を降りる。リビングに入ると、食卓の上には既に2人分の朝食が置かれていた。
キッチンから母親が顔を見せる。
「おはよう」
「おはよ」
それだけ言って母はまたキッチンに引っ込んだ。
透と並んで席に着く。テレビでは朝の情報バラエティが流れていた。
ちょうどコーナーが切り替わり、来シーズンのドラマの宣伝が入る。
「あ、夏葉さんだ」
凛とした女性が画面に映り、透が呟いた。有栖川夏葉。透と同じ事務所の先輩ユニット、放課後クライマックスガールズのメンバーである。
「有栖川夏葉と話したことある?」
「まあ、少しだけ」
「どんな人だった?」
「テレビで見るのと大体一緒。できる女って感じで、いい人だったよ」
「ふうん」
インタビューに淀みなく答える姿には、アイドルというよりは名女優の貫禄があった。
ホットサンドにかぶりつく。
「事務所で他のアイドルの人たちに会うことってあんの?」
「ちょくちょくね。みんな事あるごとに事務所に集まるから」
「アンティーカとかも?」
「ふん」
ホットサンドをかじりながら透が頷く。唇の端にパンくずが付いていた。
インタビューが終わり、天気予報が流れ出す。昨日と変わらない気温。降水確率10パーセント。最近はあまり雨が降らないな、と思った。
透と肩を並べ、通学路を歩く。現役アイドルと同じ家からの登校。こんなことをしていいのかと以前聞いた時、彼女は『別にいいんじゃない?』と適当に答えた。
学校が近づくに連れ、同じ制服を着た人が増えてくる。すれ違う人の多くは透に意識を向けていた。ついでのように自分に刺さる視線がこそばゆい。
「今日、レッスンなんだって?」
「そう。ノクチル全員でね。今度のライブでやるダンスの合わせだって」
「お前ら、ちゃんとアイドルやってるんだな」
「まあ多分。よく分かんないけど」
『多分』と『分からない』は彼女の口癖だ。
「未だに実感湧かないよ、お前がアイドルやってるなんて」
「私もアイドルの自覚ないし、そんなもんなんじゃない」
「いや、透は自覚を持たなきゃダメだろ。れっきとした芸能人で、一応プロなんだから」
「……プロかー」
透は口を結び、空を仰いだ。流れる雲を目で追って、歩くペースを少し落とした。
「──……まあ、私はあんまり変わってないよ。樋口と小糸ちゃんと雛菜と、樹と。みんなで遊んでた時と同じ」
「……いや、そんなことねえよ」
浅倉透。樋口円香。福丸小糸。市川雛菜。アイドルを始める前から仲の良い幼馴染ユニット、ノクチル。絶賛売り出し中の彼女たちは、全員自分の知り合いだった。というか、中学の途中まではその輪の中に自分もいたのだ。
ふと、会話が止まった。透の歩く速さは元に戻っていた。
隣に目をやる。視線に気づいた透がこちらを向いて、「なに?」と優しく微笑んだ。
「いやさ──」
「うん」
「──……やっぱなんでもない」
「そう?」
今、自分は彼女に何を言おうとしたのだろう。言葉にすらならなかった何かを飲み込んで、俺はまた前を向いた。
「じゃあね」
「おう」
透は教室の中に入っていった。彼女とはクラスが違う。
ノクチルのメンバーは全員この高校に所属している。浅倉透と樋口円香は2年生、福丸小糸と市川雛菜は1年生である。アイドルという珍しい職業についてはいるが、まだデビューしたての彼女たちは仕事も少なく、学校を休むことは少ない。
同じクラスの彼女も、今日は来ているようだった。
教室に入る。クラスメイトと挨拶を交わして、一番後ろの自分の席にカバンを置いた。その音が聞こえたのだろう。振り向きはしないものの、前の席の彼女は微かに体を揺らした。
「……おはよう」
一応、声をかける。彼女はほとんど肩を動かさず、気怠げに視線だけをこちらによこした。
「おはよう」
ぶっきらぼうに、樋口円香はそう言った。
そしてまた、口を噤んで前を向いた。いつも通りの態度、いつも通りの会話だった。俺と彼女の会話は、用事でもない限りはこれで終わりなのだ。
それでも挨拶だけ続けるのは、きっと完全に絆を断つことが嫌だからだろう。俺は毎朝彼女に挨拶をするし、樋口もまた、それを無視したことはなかった。
席について、カバンにしまっていた文庫本を開く。仲の良い人はいるが、積極的に話すほどに深い仲の存在はいない。
成長するにつれ、友達の作り方が分からなくなった。幼い頃は誰にでも声をかけ、連れ回していたのだが、今ではその面影もない。
野暮ったく伸びた髪。肩を丸めた陰気な姿勢。広げる気のない当たり障りのない会話。このままではいけないのだろうとは思う。
ただ、変わる必要性を感じなかった。
朝の喧騒に紛れて読む本は嫌いではない。残念なことに、孤独を嫌がるタチでもない。それゆえに、俺は今日も1人で本を読んでいる。
自分と同じようにうつむいて本を読む彼女の背中を、ときおり盗み見ながら。
孤独は昼休みでも変わらない。学食で買ったパンを食べて、イスに座ったままぼんやりと過ごす。
樋口は昼休みには姿を消す。多分、透たちと一緒に食べているのだろう。
5限の始まりまで後10分ほど。教室を出てトイレに向かう道中、背中に声をかけられた。
「あ、いっちゃん!」
その呼び名に心がざわつく。振り返ると、小学生と見紛う体躯の少女が立っていた。ウェーブのかかったツインテールに、小さな背丈とつぶらな瞳の小動物。福丸小糸。今でも自分をあだ名で呼ぶ、唯一の少女だった。
「ああ小糸か。何か用か?」
「あ、いや、別に用があるわけじゃないんだけど──ただいっちゃんを見かけたから、挨拶しようと思って」
「そうか。小糸はいい子だなあ」
「えっ、そうかな!!──……あ、じゃなくて、挨拶するのは当たり前だよ!」
「そうか。小糸はいい子だなあ」
「やめてよその感じ! こんなの普通だから!」
「小糸はいい子だなあ」
「っ、もう、やめてってば! いい加減怒るよ!」
小糸は耳を赤くして抗議した。目の吊り上がらない彼女の怒り顔は迫力に欠け、むしろ嗜虐心を駆り立てられる。テレビでもラジオでも私生活でも、彼女は生粋のいじられキャラだった。
「あ、ねえいっちゃん、透ちゃんって何組だったっけ。さっきご飯食べた後に忘れ物してて、届けに来たんだけど」
「また何か忘れたのかアイツ。ほら、あそこの教室だよ」
指を差して透のクラスを教えると、小糸は嬉しそうにお礼を言って駆けていった。しかし、遠巻きにクラスの中を覗くばかりで、一向に透を呼び出そうとしない。
少ししてまたこちらに戻って来た彼女は、少ししょげた様子だった。
「あのさ、いっちゃん……私の代わりにこれ、透ちゃんに渡してきてくれない? 上級生の教室って入りづらくて」
「あー、まあそうだよな。別にいいよ」
彼女は極度の内弁慶で、あまり人付き合いが得意ではない。おずおずと小糸に渡されたのは、最新機種のスマホだった。そういえば数日前に機種変したと言っていたが、新品同然のスマホを失くす現代人はあいつくらいではないだろうか。
「ありがとう、お願いね!」
「おう」
小糸はこちらに手を振り、階段を降りていった。
手元のスマホに目をやる。最新の機種はしばらく変えていない自分の物よりもだいぶ大きい。色はシンプルな白でカバーなどもなく、よく見ると保護フィルムも貼られていない。透らしいといえば透らしい。
教室を覗くと、彼女は隅っこの席で頬杖をつき窓の外を眺めていた。本当に、恐ろしいくらいに絵になる美人である。少し見惚れていると、こちらが呼びかける前にあちらが気づいた。手招きすると、首を傾げながら近づいてきた。
「教室まで来るなんて珍しいね。どうしたの?」
「小糸に頼まれて忘れ物を届けに来たんだ」
「忘れ物?」
スマホを失くした挙句、今の今までそれに気づかない。彼女の天然さは昔からではあるが、ここまで改善の余地がないのは一種の才能であろう。
ため息を吐きながら手に持っていた物を差し出すと、透は「あっ」とそこで初めて気づいた。
「私のスマホじゃん。そっか、置いてきてたんだ」
「お前なあ、物を失くすなとは言わんが、スマホくらいはちゃんと持っておけよ。仕事の連絡とか来てたらどうすんだ」
「大丈夫。私に関することは樋口にも連絡がいくようになってるから」
「全然大丈夫じゃねえよそれ」
事務所公認の天然であった。
透は受け取ったスマホを無造作にポケットにしまう。
「ありがとね、樹」
「おう。あ、あとさ、保護フィルムくらいは貼っておいた方がいいんじゃないか?」
「保護フィルム?」
「スマホの画面につけるやつ。液晶を保護するやつだよ」
「──……あ、買ったまま貼るの忘れてたわ」
「お前アホだろ」
透は笑った。俺は笑い事ではないと思った。
俺の通うこの高校は別に部活に力を入れているわけではないが、大体の生徒は何かしらの部活に入っている。廊下ですれ違う人はユニフォームだったり、肩にギターケースをかけていたりで、自分のようにカバンを持っている人は少数だった。
昇降口まで来ると、外で走り込みをしている運動部の掛け声が聞こえ始めた。野球部だろうか。ストライプの入った揃いの服を着て、10人ほどの集団が懸命に声を出して走っている。なんとなくいたたまれずに彼らから目をそらすと、その先にいた人と目が合った。
「あは〜、樹先輩やっほ〜〜〜♡」
こちらに気づいたその人、市川雛菜は小走りで駆け寄ってきた。
「おう、お疲れ」
「樹先輩もう帰るの? 部活とか入ってなかったっけ」
「ああ。帰宅部だよ」
「そっか〜、なんかやればいいのに。バスケとかサッカーとか、似合うと思うよ? あ、料理部とかもいいかも〜〜〜!!」
1人で勝手に盛り上がって、雛菜は手を合わせてはにかんだ。彼女は俺の知る人の中で一番、楽しそうに笑う。
「雛菜たちはね〜、これからレッスンなんだ。ダンスするんだよ〜!」
「ああうん、透から聞いたよ。頑張ってな」
「うん!──あ、ねえねえ、樹先輩も雛菜たちと一緒にレッスンしない?」
「は?」
「雛菜がトレーナーさんに頼んであげるからさ! 後プロデューサーにも! 樹先輩もノクチル入って〜、一緒にアイドルしよ〜〜〜!!」
「アホなこと言ってないで、さっさとレッスン行ってこい」
「ええ〜、雛菜本気だよ〜? みんなで、5人でアイドルしたらきっとたのし〜よ〜?」
「俺がノクチル入ったらファンに殺されるわ」
「ぶ〜、絶対面白いのに〜」
口を尖らせる雛菜を横目に靴を履く。外に目をやると、ノクチルの他3人が話をしながら立っていた。
「あ、おい雛菜。透たちが待ってるぞ」
「あ、ほんとだ〜。じゃあね樹先輩、また明日〜♡」
「じゃあな」
「──透せんぱ〜い!」
雛菜が3人に駆け寄り輪の中に加わる。そのまま少し話をして、彼女たちは歩き出した。その背中を見送って、俺はただ突っ立っていた。
校舎の周りを一周してきた野球部が、また大きな声をあげて走ってゆく。遠ざかる背中をぼんやりと眺めて、俺はただ突っ立っていた。
制服を脱ぎ散らかしてベッドに倒れこむ。別に特別何をしたわけでもないのに、疲労感がずっしりと身体の上に乗っていた。時計はまだ5時を過ぎたあたり。夕食まではまだしばらく時間があった。
眠気に抗わず目を閉じる。4人のことが頭をよぎった。今頃、彼女たちはレッスンをしているのだろうか。汗をかき、懸命に体を動かして踊っているのだろうか。アイドル。想像すらできない、自分とは全く別の世界の存在だ。
子供の頃は、4人の輪の中に俺もいた。俺は彼女たちが大好きで、彼女たちも俺が大好きだった。きっと。
自分で言うのもなんだが、昔の俺はよくできた子供だった。運動も勉強もできたし、コミュニケーションだって積極的にとっていた。何かする時は自分が先陣を切って、彼女たちを振り回していた。
けれども気がつけば俺は立ち止まって、彼女たちは俺の遥か前にいる。俺は1人後ろにいて、ただ彼女たちの背中を見つめている。アイドルを始めてからさらにそれは遠くなって、どんどん小さくなり続けている。背中すら見えなくなる日もそう遠くはないだろう。
寂しいと思う。悲しいと思う。けれども、心のどこかでそれを望んでいる自分がいた。
目を覚ますと部屋の中は真っ暗だった。しんと静まり返った空間がやけに恐ろしくて、慌てて立ち上がって電気をつけた。
午後7時過ぎ。2時間ほど眠っていたらしい。関節が少し痛んだ。
喉が渇いた。水を飲みに行こうとドアノブに手をかけたところで、部屋の隅に何かが落ちていることに気づいた。見た覚えはあるが、自分の部屋にあった記憶のないもの。拾い上げたそれは財布だった。
その時、机の上に置いていたスマホが振動し始めた。電話だ。画面を見ると、樋口からの着信だった。
「……はい、もしもし」
『あ、もしもし。今部屋?』
「うん」
『あのさ、どっかに財布落ちてない? 透の』
「今ちょうど拾ったとこ」
『……あ、そう。明日透に返しておいて』
「分かった」
『…………』
「…………」
『じゃあ、それだけだから』
「ああ、じゃあな」
通話の終了ボタンを押した。また静寂が訪れる。
何気なく透の財布を揺らすと、キーホルダーが擦れて音が鳴った。落ち着いた皮の財布に似合わない、チープな緑色のキーホルダー。それは昔、俺が彼女にあげたものだった。
○○○
ノクチルカは夜光虫。夜には美しく輝くが、昼間は赤潮として忌み嫌われる。
これは真昼のノクチルカの物語。美しい彼女たちと、醜い俺の物語。
クラスの設定とかは適当なので、矛盾していたらすみません。雛菜の口調が独特でよく分からん!
次とか何も考えてないので本当にのんびり投稿になります。
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