真昼のノクチルカ   作:ペンデュラムの根っこ

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アンコウとペンギン

 駆けた。風のように全身で。

 笑った。無邪気に心から。

 

 夕陽を浴びながらひたすらに走った。何もかも忘れてとにかく全速力で。

 ひとしきり駆け回った後でようやく、みんなのことを思い出した。振り返ると、遠くの方で円香が肩で息をしながらもなんとか着いてこようとしていた。そのまた後ろで雛菜がマイペースに歩いてきていた。もっと後ろでは小糸が力尽きて目を回していた。

 

 自分はみんなよりも随分先に来てしまっていたらしい。

 立ち止まって、みんなを少し待とう。

 

『──いっちゃん』

 

 すぐ横から声が聞こえた。そこには玉のような汗をかきながらも、満面の笑みを浮かべた透が立っていた。

 暑いだろうに黒のキャップを深くかぶって、浅い呼吸を繰り返しながら。透は俺に追いついていた。

 

『楽しいね』

 

 そう言って、彼女はカラカラと笑った。

 

 

 

○○○

 

 

真昼のノクチルカ

 

 

○○○

 

 

 

 浅倉透を説明するとき、多くの人は『透き通るような』とか『透明感』とか、色のない何かを絡めようとする。

 

 実際彼女は無色透明な捉えようのない人で、何が好きで何が嫌いか、何をしようとしているのか、何を考えているのかなど、心理学者であってもその内心を推し量ることは難しいだろう。常に飄々と、というか呼吸の延長のように物事を行うから、言動や行動の予想がつかない。

 

 なんなら恐らく本人にもついていない。その場の気分で次の行動を決めるものだから、しばしば側にいる人を振り回し、迷惑をかける。あと記憶力はいいのに忘れ物が多い。

 

 端的に言えば、天然なのだ。常識がないという意味でも、穢れていないという意味でも。天然水のCMに出演しているという意味でも。

 

 それでも嫌悪感が湧かず、大抵の人に愛されている辺りが浅倉透の才能と言える。俺ももちろん彼女のことは嫌いではない。

 

 彼女との付き合いはもう10年以上になる。ノクチルの4人の中では透との出会いが一番早かったし、共に過ごす時間も一番長かった。現在の透のお目付役は樋口であるが、彼女不在の場合には、俺もたまに“透ちゃん”係を任せられる。

 

「ねえ、水族館行こうよ」

 

 そして今日も、浅倉透は唐突だった。

 

「は?」

「この間オープンした水族館でさ、放クラが宣伝の仕事をやったんだけど。優待チケットをいっぱい貰ったらしくて、私も分けてもらったんだ。2枚。だから、一緒に行こう」

「いや、俺寝起きなんだけど」

 

 今日は土曜日。夢心地の俺は昼ごろまで眠るつもりだったのだが、唐突に来襲した透に起こされてしまった。

 時刻は8時30分。まだ外では朝の鳥が鳴いていた。

 

「樹が用意するの待ってるから、準備できたら行こう」

「えー……」

「いいじゃん。行こうよ」

「いやでも眠いし……」

「いいからいいから」

「……──はあ、分かったよ」

 

 彼女は意外と頑固だ。俺はそれを知っている。

 渋々とそう答えると、透は嬉しそうに目尻を下げた。彼女は一見感情の起伏が少ないように見えるが、その実よく見れば感情表現は意外と多彩である。

 

 ベッドから降り立ち、洋服を着替える。透は相変わらず着替えの間もこちらを向いたままだった。

 

「お前さ、ちょっと前まで完全に夜型だったのに、最近朝型になってきたよな」

「学校とか、レッスンとかあるから。最近は6時前に目が覚めるよ」

「もうおばあちゃんじゃん」

 

 縁側でお茶を啜り、ぼんやりと空を眺める老婆が脳裏をよぎった。想像の中の彼女は年を取ってもなお美人だった。

 

「私がおばあちゃんなら、樹はおじいちゃんだね。樹の方が誕生日早いし」

「年齢じゃねえよ。心の問題だ」

 

 とは言ったものの、今時のアイドルである透と最新の流行に疎い自分であれば、彼女の方が若々しく見えてしまうだろう。しわくちゃになった自分が布団に寝たきりになっている様子が鮮明に想像できてしまった。

 

「そういえば透、朝飯は?」

「今日は食べてきた」

「そうか」

 

 パジャマを小脇に抱えて部屋を出る。透もリビングに着いてくるだろうと思っていたが、なぜか一向に出てくる気配はなく、彼女は部屋の中でぼうっと突っ立っていた。

 

「透? どうした?」

「ねえねえ樹、さっきのもう一回聞いてよ」

「は?」

「今さっき私に聞いたこと、もう一回聞いて」

「……なんで?」

「いいからいいから」

 

 透はどこかニヤついた表情を浮かべながらそう言った。

 いつも以上に意味不明な要求に首を傾げるが、特に断る理由もない。俺はもう一度尋ねてあげることにした。

 

「……透、朝飯は?」

「やだなあおじいさん、さっき食べたじゃない」

「それが言いたかっただけかよ」

 

 ふふんと得意げな彼女を睨みつけ、俺は足早に部屋を後にした。

 

 

 

 水族館は出来たばかりということもあり、大勢の人で賑わっていた。入口脇には“放課後クライマックスガールズ”の等身大パネルが置かれ、ファンと思しき女性が西城樹里のパネルとツーショット写真を撮っていた。

 

 横を歩く透はツバ付きのキャップを目深に被り、分厚い黒縁メガネをかけている。普段は隠すつもりもなく開けっぴろげな彼女にしては、過剰と言えるくらいの変装だった。

 

「283プロのファンの人がたくさん居て、まだ駆け出しとはいえ多分バレるだろうから。騒ぎになったらめんどうだし、流石に気をつけた方がいいかなと思って」

 

 冷静に考えれば、男女2人で水族館に来ている様子ははたから見れば完全にデートである。距離感がナチュラルだから失念していたが、自分たちは意外と危ない橋を渡ろうとしているようだった。

 

 中はある程度人の流れができていて、比較的ゆっくりと鑑賞することができた。熱帯魚とクラゲのゾーンを抜け、空間の開けた巨大水槽の前に立つ。

 

「ここには何がいるの?」

「タイとかイワシとか、あ、あとサメもいるみたい」

「へえ。結構豪華だね」

 

 館内は薄暗く、落ち着いた雰囲気のBGMが流れている。水族館といえば定番のデートスポットではあるが、子供連れの家族も多く、人の密集した状況はそういった甘さからは程遠かった。別に期待していたわけではないが、拍子抜けだと感じてしまうのは仕方ないと思う。

 

「サメってさ」

 

 水槽の中を覗いたまま、透が呟いた。

 

「水槽の中の他の魚とか、食べちゃわないのかな」

「よく知らんけど、ちゃんと餌をあげてたら別に食べないらしいぞ」

「ふうん──」

 

 優雅に泳ぐサメを目で追って、そのまま透がこちら向いた。レンズ越しの瞳は青い照明を反射してキラキラと光っている。

 

「──でもさ、絶対に食べないとは言い切れないよね。満腹でも何かを食べたくなる時って、あると思う」

「まあ、確かにそうかもな」

 

 よくよく数えてみたら、来た時と帰る時では、泳いでいるイワシの数が違うかもしれない。群れを成す彼らに視線を向けるが、懸命に泳ぐ一匹一匹を数えることはできそうになかった。

 

「樹はどの魚が一番好き?」

「あー──……チョウチンアンコウかな」

「へえ。ここにはいるのかな」

「いないだろ。深海魚だし」

 

 パンフレットを見た感じ、深海魚のコーナーはなかった。

 

「じゃあ今度は、チョウチンアンコウが見られる水族館に行こうか」

「……まあ、そのうちな」

「そのうちね」

 

 透は淡く微笑んだ。メガネと帽子がなければきっと、万人の目を惹くような綺麗な笑顔だった。

 

「透はどの魚が好きなんだ?」

「うーん……──サーモンかな」

「寿司の話だろそれ」

 

 相変わらず、彼女はボケたやつだった。

 

 

 

 結局、館内を2週した後でもう一度、大きな水槽の前に戻ってきた。側に置かれたソファに並んで腰かけ、何をするでもなくただ魚たちを眺める。

 ピークタイムは過ぎたのか、最初よりも人は少なくなっていた。

 しばらく会話はなかった。気まずいとかではなく、ただ何となく、無言の方がその場の雰囲気に似合っていたから。隣に透がいるのにスマホを弄るのも憚られて、本当にただただ、水槽を見ていた。

 

 ふと視線を透に向けると、半目になってうつらうつらと船を漕いでいた。その姿につられて、俺も目を閉じてしまう。水族館のソファを占有して居眠り。よくないことだ。しかし、睡魔に抗えるほど俺は理性的ではない。

 

 うとうとと、うとうとと、少しずつ意識が闇に沈んでいく。そして間も無く、闇の底に辿り着く。

 

 その時だった。

 

「あっ!!」

 

 甲高い、子供の叫び声だった。跳ね起きるように顔を上げると、水槽の前はにわかに盛り上がっていた。大人たちは苦笑いをにじませ、子供たちはなぜだか悲しそうな顔をしている。

 

 隣から欠伸の声が聞こえた。

 

 何が起こったのか気になったが、確かめようとまでは思わなかった。単純にそこまでの興味がなかったというのもあるが、何より水槽の中での出来事に心当たりがあったから。

 

 きっと今、群れを成すイワシの数を数えたなら、最初よりも一匹少なくなっているに違いない。

 

「樹」

 

 半開きの目を手の甲で擦って、透が呼ぶ。

 

「お土産、見にいこっか」

 

 

 

 狭く入り組んだ通路に、たくさんの人がひしめいている。お土産コーナーは大盛況だった。

 タイ、イカ、タコ、ウツボ、チンアナゴ。サイズも種類も様々なぬいぐるみを1つずつ手に取り、透はじっくりと吟味していた。時々ぬいぐるみを掲げ、天井の照明に透かすようにしているが、それになんの意味があるのかは甚だ疑問である。

 たっぷりと調べ尽くした後、透は刺々しいウニのぬいぐるみを手に取った。

 

「雛菜にはこれにしよう」

「なんでウニなんだよ」

「いや、なんとなく」

 

 別に透からのプレゼントであれば雛菜は何でも喜ぶだろうが、賛同はしかねるチョイスである。

 しかも俺の記憶が正しければ、あいつはウニが苦手だったはずだ。以前回転寿司に連れて行かされた時、ウニは変な味がするから嫌だと言っていた気がする。

 

「小糸ちゃんには、このクリスタルのフィギュアと、それから、グミにしようかな」

「ああ、それは丁度いいお土産だな」

 

 お洒落さと子供っぽさを兼ね備えていて、いかにも小糸が好みそうな小物だ。

 

「樋口には何を買うんだ?」

「これ」

 

 一切迷うそぶりもなく、透は珍妙なストラップを手に取った。割烹着を着たパーマの女性が、四つん這いになったペンギンのお尻を叩いている。周りの商品と比べて明らかに在庫が多く残っている、明らかに中学生男子が買うジョークグッズの類だった。

 

「なんだそれは」

「なんなんだろうね──“おしりペンペンギン”だって」

「“おしりペンペンギン”」

 

 微妙な表情を浮かべる樋口の姿がはっきりと思い浮かんだ。

 やはり彼女は、透に振り回される運命を背負っているのだろう。

 

「それから、これも買おうかな」

 

 空いていた片手で小さめのぬいぐるみを2つ、透が鷲掴む。この水族館にはいないはずの、チョウチンアンコウのぬいぐるみだった。

 

「自分用と、それからプロデューサー用に」

「……へえ。プロデューサーは、チョウチンアンコウが好きなのか?」

「いや、知らない。知らないけど、多分好きだと思う」

 

 アバウトな返答の割に、その言葉には断言する力強さがあった。

 

 プロデューサー。

 透たちの話題に度々登場する、アイドルとしての彼女たちの導き手。名前も顔も性格も何もかも知らないその人が、俺はあまり好きではない。

 理由は分からないけれど。

 

「樹は何か買わないの?」

「俺はいいや。別に欲しいものもなかったし」

「そっか。じゃあ買ってくるね」

 

 彼女を待つ間、俺は外にあるベンチにもたれていた。

 それから数分、無事に買い物を終えた透が戻ってきた。

 

「お待たせ」

「おう」

 

 片手に買い物袋、もう片手に財布。バッグに財布を仕舞おうとして、緑色のキーホルダーが引っかかってしまう。持ち手の部分に絡まって、なかなか取れずに悪戦苦闘している。

 

 黙って見ているのも退屈で、思っていたことをそのまま声に出した。

 

「そのキーホルダー、まだ持ってたんだな」

「あ、これ? うん──」

 

 ようやく取れたキーホルダーをつまんで、透は横目で俺と目を合わせる。

 

 強い横風が吹いた。けれども彼女の髪は帽子に守られて、毛先をわずかに揺らすだけで終わった。

 風が凪いだ頃を見計らって、透は口を開いた。

 

「──だって、“いっちゃん”に貰ったものだから」

 

 当然のことのように彼女は宣った。

 久しく彼女の口から聞いていなかった呼び名に戸惑い、一瞬呼吸が止まる。

 

 彼女は俺を見ていた。俺の瞳を通して、俺でない俺を見ていた。透き通るような彼女の瞳は、あまりにも深くまで俺の心に立ち入ろうとしていた。

 

 

 

 月曜日。

 透は家に来なかったので一人で登校した。教室に入るが、前の席に樋口の姿はない。仕事があるという話は透からは聞いていないので、単純にまだ来ていないのだろう。

 

 珍しく、樋口が来たのは始業の数分前だった。

 

「……おはよう」

「おう、おはよう」

 

 目も合わせずにそれだけ言って、彼女はカバンを机の上に置いて座った。着地の衝撃でカバンは上方向の反動を受け、横側の金具に付いていたストラップがふわりと浮かんだ。

 見覚えのあるフォルム。

 

 割烹着を着たパーマの女性が、四つん這いになったペンギンのお尻を叩いている。明らかに中学生男子が買うジョークグッズの類だった。

 

 間違いなく、それは“おしりペンペンギン”だった。




勢いで書いた2話目です。

タグには付けてないですが、基本全編キャラ崩壊注意です。
次回はまたそのうち、樋口の話になります。

〈追記〉
樹里ちゃんの名前を間違えてました…
ほんっとうに申し訳ございません!!
指摘していただいた方、ありがとうございました!
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