真昼のノクチルカ 作:ペンデュラムの根っこ
彼女はお姫様の人形を持っていた。
俺は王子様の人形を持っていた。
『いっちゃんは雛菜の王子様だから!』
そう言って彼女は笑った。
彼女の部屋に、2人きり。ふとしたきっかけで仲良くなった彼女とは、共通の友達もおらず、こうして2人で遊ぶことが多かった。
そうして大抵、お人形遊びに付き合わされる。
手のひら大の樹脂人形を一体ずつ持って、彼女の気分に合わせて役割を決める。
今日の2人は大きなお城に住んでいて、たくさんの召使いにお世話をされ、贅沢三昧の日々を送っている王子様とお姫様だった。
『それでね、2人はいつまでもいつまでも、幸せに暮らすんだよ〜!』
ヒーローとヒロイン。探偵と怪盗。男と女。設定は様々だったが、決まって最後は2人が結ばれるストーリーだった。
代り映えのしない物語でも、彼女はいつも楽しそうだった。
『いっちゃん』
名前を呼ばれる。前を向くと、思ったよりも近くに彼女の顔があった。
『雛菜はね、いっちゃんがいればそれだけでしあわせなんだ〜』
そう言って、歯を見せて彼女は笑った。
人形の距離が近づいていく。長い髪に隠れて、ほんのりと赤くなった耳に気がついた時、2体の距離はゼロになった。
『雛菜、大きくなったらね──』
○○○
真昼のノクチルカ
○○○
市川雛菜は自由人だ。
気の向くままに西へ東へ、飽きたら今度は反対側へ。常に自分の幸せを探求し、不幸せには背を向ける。ある意味で欲望に忠実で、ある意味では非常に賢い生き方をしているやつだとも言える。
彼女の行動目的の九分九厘は『たのし〜』と『しあわせ〜』であり、そうでないものに対しては彼女はとことん冷たかった。
ノクチルのフリーダム担当と言えば、雛菜の他にもう1人、浅倉透が想起される。両者とも突拍子のない言動、行動で周囲を混乱させるエキスパートである。
では2人の違いは何かと言えば、透は考えなしに突拍子のないことをするのに対し、雛菜は考えた上で身勝手な行動をとるのだ。
やっていいことと悪いこと、本人なりの線引きはあるようなのだが、迷惑を理解した上で動き回るためある種、透よりさらにタチの悪い性格であるとも言えた。
そんな彼女は透に強い憧れを持っていて、円香に対してはやや厚めの壁を作っている。小糸に対しては何というか、歳下の姉に接するような独特な態度を取っている。
そして、俺に対しては──
「あっ、樹せんぱ〜い!!」
夕暮れの道すがら、正面から俺の姿を見つけた彼女は大きく手を振って近づいてきた。
夕日を浴びて輝く表情は満面の笑み。パステルな色合いのラフな服装がよく似合う顔色だった。
「奇遇だね〜、こんな時間に、こんな所で会うなんて」
「まあ、そうだな」
「雛菜はね、レッスン帰りなんだ〜! 樹先輩は〜?」
「ああ、ちょっと買い物。イヤホンが壊れたから、電気屋まで買いに行ってたんだ」
「ふ〜ん」
知り合いとすれ違った時、俺は軽く挨拶だけをして、足を止めることはなくそのまま通り過ぎる。向かい合ったところで伝えたいこともないし、相手も自分も、気まずい想いをするだけだから。
しかし雛菜は俺の進路を塞ぐように正面にでんと構えて、俺と世間話に興じようとしていた。
「イヤホン買ったってことは、音楽とか聴くの〜?」
「まあ、そりゃそうだろ」
「へえ〜! ねえねえ、どんなの聴くの?」
「え、いやまあ普通にヒゲダンとか、ミセスとか」
「へ〜、意外と今時なんだね〜────ねえねえ、雛菜たちの曲は?」
「え? いや、あんまり聞いたことないけど」
「え〜!? じゃあイルミネの曲は!? アンティーカは〜!?」
「……聞かないかなぁ」
「ひど〜い! ちゃんと聞いてよ〜!」
ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねて雛菜が抗議する。
頬を膨らませる様子はかなりあざとく見えるが、これはあくまで彼女の素のリアクションなのだ。透に対しても円香に対しても、ファンにも他人にも変わらない、市川雛菜のアイデンティティ。
彼女は「もう!」と唇を尖らせてスマホを取り出し、なにやら操作をし始めた。
「樹先輩、買ったイヤホン出して」
「え?」
「ほらほら、早く〜!」
言われるがまま箱を開け、新品のイヤホンを差し出す。
笑顔に戻った雛菜はイヤホンジャックを自分のスマホに挿した。
「ほら、イヤホン着けて!」
どうやら彼女は何かを聴かせたいらしい。
彼女の命令に従ってイヤホンで両耳を塞ぐと、程なくしてポップな音楽が流れ出した。
夏を想起させる跳ねるような明るいサウンド。無意識に頭が揺れる。短いイントロの後に聞こえてきたボーカルは、平素よりは可愛らしいが聞き覚えのある声だった。
透の歌声だ。
「これは?」
尋ねると、雛菜はしたり顔を浮かべて答えた。
「今度のライブでお披露目する新曲! 可愛い曲でしょ〜?」
「へえ……──え、これまだ未発表なの?」
「そうだよ〜! 関係者以外では樹先輩が初めて聴くの!」
「いや、それってダメなんじゃないの? なんて言うの? 守秘義務、みたいな……」
「あ〜……そうかも! まあ樹先輩が他の人に言わなきゃだいじょ〜ぶでしょ!」
「…………」
彼女の今後のアイドル生活が心配になってくる。
そのうちとんでもない不祥事を起こしそうで恐ろしい。
「お前、スキャンダルには気をつけろよ? 彼氏との密会場面を撮られたりとか」
「彼氏と? 密会?」
「そう。アイドルなんだから、そこら辺は特にヤバいだろ」
「う〜ん、どうかな〜……こそこそ隠れて付き合うなんて、雛菜は嫌だし〜」
「……まあ、だろうな」
アイドルとして、恋人の気配を隠す雛菜の姿は想像できない。
『雛菜のファンなら雛菜のしあわせ〜を祝ってほしいな〜』とか言い出しそうだ。
「あは〜、やっぱり樹先輩は、雛菜のことよく分かってるね〜!」
雛菜は両手を合わせ、嬉しそうにはにかんだ。
「で、どう〜? いい曲だと思わない?」
「ああ、いい曲なんじゃないか? えっと、なんて言うか、あー──ノクチルっぽい?」
「だよね〜、雛菜もそう思う〜!──じゃあさじゃあさ、樹先輩も雛菜たちと一緒に歌おうよ!」
「またそれか。しつこいなお前も」
定期的に雛菜から提案される、俺のノクチルへの加入。あくまで冗談なのだろうが、こう何度も誘われると少し辟易してしまう。
スマホを雛菜に返し、イヤホンをカバンにしまう。
「だってだって、樹先輩とステージに立ったら絶対たのし〜もん! 透先輩も円香先輩も小糸ちゃんも、きっと大歓迎だよ〜?」
「……まあ確かに、透は普通に受け入れそうだな。小糸も驚くだろうけど、拒否しないだろうし。でも問題は樋口だ。あいつは絶対に首を縦に振らないから、俺が加入することはあり得ない」
「そんなことないよ〜、むしろ円香先輩が一番チョロいと思うな〜」
「チョロいって」
仮にも先輩にも対して、あまりにもナメくさった評価である。対象があのミス・コールドである樋口なのだから、余計に面白い。
雛菜はさらにつらつらと話を続ける。
「樹先輩はBメロの後半とサビ担当ね。サビ前は低めの声で溜めて〜、サビをぶわっと盛り上げる! あ、サビは下ハモで歌ってね!」
「本格的に構成を考えるな!」
「雛菜、本気だも〜ん!」
そう軽い調子で言って、雛菜は「あは〜♡」と笑った。
会話が一旦終わり、周囲に意識が行く。日はもう完全に落ちて、辺りはしんと静まった夜だった。近くの民家の明かりはまだ点いておらず、街灯に照らされた雛菜だけが眩しく輝いている。
ふと、夜に出歩いているのは久しぶりなことを思い出した。
「……雛菜は、レッスンの時はいつもこれくらいの時間に帰ってるのか?」
「うん! ちょっと前まではまだ明るいうちに家に着いてたけど、最近は暗くなるのが早くなったね〜」
「アイドルは楽しいか?」
「うん〜、まあ、そこそこ? たのし〜お仕事はたのし〜よ〜」
「そっか」
含みのある物言いだが、彼女は企てをする性格ではないから、本当にそれなりに楽しんでいるのだろう。
飽き性の彼女だが、今度の
「そういえばね、今度始めて地上波のバラエティに出るんだ! 放クラの人たちの番組!」
「マジ? 凄いな、ついにか」
「出番はほんの少しだけどね〜……だから樹先輩は、ちゃんとリアルタイムで観た上で、録画して10回は見直してね〜!」
「なんでそんなに観なきゃいけないんだよ」
「雛菜の晴れ舞台なんだから当然でしょ〜?」
彼女の大きな間延びした声が、夜の住宅街に反響する。
その声に反応したのだろう。だいぶ先の道を歩いていた女性が顔を上げた。距離があるのではっきりとは判別できないが、その人影は恐らくは樋口であった。
雛菜もそれに気づいたのだろう。「あっ」と短く声を上げる。手を振って駆け寄るのだろうと思った。俺にそうしたように。
しかし彼女はパタパタと小走りで交差点まで行くと、樋口と目を合わせることなくこちらに振り向いた。
「じゃあね〜、樹先輩! 絶対見逃しちゃダメだからね〜♡」
そう言ってウインクをすると、雛菜は街角に消えていった。一応、あの交差点を曲がるのが雛菜の家への正しいルートではある。俺はそこをまっすぐ進むので、どうせまもなく彼女と別れることになっていただろう。しかし、わざわざ帰路を急ぐようにして樋口を避けたのは意外だった。
確かに、樋口と雛菜の仲はあまりよろしくはない。真っ向から対立しているわけではないが、お互いに正面から見合わないほどには余所余所しい関係性だった。
しかし、見かけても声をかけないくらいに疎遠な間柄ではないはずだ。
「高崎」
首を傾げていると、いつの間にか樋口が近くまで来ていた。街灯に照らされた眼光が鋭く刺さる。
「おう、お疲れ」
「さっき一緒にいたの、雛菜?」
「そうだけど」
俺が答えると、彼女は大きなため息を吐いた。普段から草臥れた目尻がさらに下がる。
「なんだ。何かあったのか?」
「いや、別に」
「……そうか」
気になるが、わざわざ問いただす程のことでもない。大人しく帰ろうとしたが、こちらが別れの言葉を発する前に彼女の方が「ただ──」と口を開いた。
「──ライブが近いから、私も、浅倉も小糸も、レッスンの後も自主練してるんだけど、雛菜は1人で先に帰るから。最近プロデューサーともそれで揉めてたみたいで──大方、私にも何か言われると思ったんでしょ」
「……なるほど」
それで雛菜は逃げたのか。樋口の小言から逃れるために。
自主練をしなかったことを気に病んでいるわけではないだろう。彼女にとってはその時々の行動は常に最善のことで、後悔なんてするはずがないのだから。
かといって、樋口に叱られることから逃げるような子供でもない。樋口の正論を正面から受け止め、それでいて自分の正論を叩きつけるなど彼女にとっては造作もないことだ。
しかし、見え透いた地雷をわざわざ踏み抜くほど彼女はバカではない。
樋口と話しては余計な時間が取られる。自分のしあわせ〜な気持ちが少なくなってしまう。だからこその敵前逃亡。計算高い選択だ。
能天気なように見えて案外、あいつは強かな女なのだ。
「……別に私は何も言わないのに」
「何も言わないのか?」
「レッスンはちゃんと受けてるし、自主練なんてしなくても雛菜のパフォーマンスは一定の水準には到達してる。何より、私が何を言ったところで雛菜が変わることはないでしょ」
「まあ、それもそうだな。透ならまだしも、あいつがお前の意見を聞き入れるとは思えん」
俺が笑いながらそう返すと、樋口はムッとした表情を浮かべた。
「……高崎にそう言われるとムカつくんだけど」
「悪い悪い。別に馬鹿にしてるつもりはないんだ」
「……はぁ。じゃあ、帰るから」
見るからに不機嫌な表情を浮かべ、樋口は立ち去ろうとする。彼女を怒らせると後が怖い。記憶力がいいし、なんだかんだ後に引きずるタイプだ。今のうちに何かフォローをしなければ、と慌てて弁明を図る。
「あ、ちょっ、ちょっと待て!」
「……なに?」
「あのー──あ、新曲、いい感じだったぞ!」
「新曲……?」
「そうそう。さっき雛菜に聴かせてもらったんだけど────あっ……」
とっさに口を塞いだが、もう遅い。
しまった。あれはまだ関係者以外は聴いてはいけないんだった。
俺の言葉を聞いた樋口は無言だった。ただ何も言わず見つめ合い、いたたまれなくて俺から目をそらす。すると、樋口はまたため息を吐いた。
「……聴かなかったことにして」
「え?」
「新曲。雛菜に聴かせてもらったとか、全部忘れて。私も今聞いたことは忘れるから」
「あ、おう! 分かった」
是非もない話なので、慌てて頷く。樋口は最後にまた息を吐き、表情を戻した。レッスンの疲れもあるのだろう、普段よりも覇気のない様子だった。
そして彼女は、別れの言葉を口にする。
「──じゃあね、
思わず、口走ったのだろう。そのまま歩き出そうとした彼女は、自分の言葉に気づいて見る見るうちに耳を赤く染めていった。
「あ、ちが──」
素早く振り返った彼女は、珍しく目を見開き、大仰な身振りで慌てふためく。
「い、今のも! 今のも忘れて!──じゃあね!」
そう吐き捨てて、樋口は早足で去っていった。こちらに何かを挟む隙間すら与えてもらえなかった。
かなりの速さで遠くなっていくその背中を見ながら、先ほどの顔と言葉が何度もリフレインする。
彼女には悪いが、しばらくは忘れられそうになかった。
雛菜回でした。円香回だったかもしれない。
雛菜は書くのが難しいですねー。ようやく4人とも書けたのでとりあえず満足。
また次回ものんびりお待ちください!