物心ついた時から、自分は搾り取られる側の人間であると理解できた。親の顔など知らないし、それまでどうやって生きていたのかさえわからない。時には粗暴な大人に殴られ蹴られ、今日の食べ物を手に入れられるかどうかな、ドブ川でもがき続けるような日々。それでも僅かな悪運に助けられ、自分は
だが、それも今日までだ。
もう四日も何も口にしておらず、ガリガリに痩せた身体には最低限の栄養も行き渡っていない。ゆえに動くこともままならず、汚い簡素なねぐらで横になるだけで精一杯だ。さらに駄目押しとばかりに、その辺から拾ってきたボロきれで作った天幕から雨粒が漏れ、触れた部分から体温が奪われる。
これでいい。
これでやっと、楽になれる。
降りしきる雨音に混じって、死神の足音が聞こえてくる。死とはこんなにもハッキリと知覚できるものなのかと、どこか他人事のように思っていれば、ねぐらの天幕を誰かが捲り上げた。
その人物は自分と変わらなそうな年齢の
貴族が憂さ晴らしに貧民の孤児をいたぶることは珍しくない、大方この子供もそのためにこんなところに来たのだろうか。
ならばいっそ、そのまま殺してほしいと願う自分とは対照的に、その少年はオドオドと怯えながら天幕に身体を滑りこませ、
『あの………大丈夫ですか?』
細く綺麗な手で、薄汚れた自分の肩に触れた。
その瞬間、目映さに刺激されて意識が覚醒する。目覚めたのは汚い路上の片隅ではなく清潔で高級な寝具の上で、ゆっくりと上体を起こしながら少年……クライムは先ほど見た夢の内容を反芻する。
「………またあの夢」
随分懐かしい夢を見たものだ。
あの日、自分を地獄から救い出してくれた手。
その温もりは、今でもハッキリと覚えている。
とはいえ感傷に浸っている場合ではない、朝日の高さから察するにもう起きる時間だ。
着替えや身支度を済ませてから部屋を後にし、長い廊下を歩いて一つの扉の前に立ち止まる。
扉越しに感じる気配から察するに、すでに何人かは集まっているらしく、また自分が最後になってしまったことを恥じながらもクライムはためらいがちに扉をノックする。
「入れ」
次いでぶっきらぼうな男の声が入室を促す。
「失礼します」
許可を得てからガチャリと扉を開けて中に入ると、部屋の内装と調度品の配置からするにそこは応接室であるとわかる。
扉と向かい合うように奥に備えなれた執務机を基本に、部屋の中央には低いテーブル、左右には三人用のソファー。黒と黄色で統一されたシンプルながらも気品のあるデザインには成金めいた悪趣味さはない。その内のソファーに座る五人の男女の視線がクライムに集まる。
「やっと来たか、小僧」
その内の色黒で筋骨隆々な、身体に刺青を刻んだ大男が睨む。
「遅くなって申し訳ありません、ゼロ様」
クライムの謝罪に答えたのは大男ではなく、その右隣に座る赤い髪の優男だ。
「安心していいぞ、若旦那ならまだ来ていない」
左隣に座るフルプレートアーマーの男は僅かに鎧を鳴らす。
「いいから座って」
妖艶な雰囲気の褐色肌のメイドに顎で指され、痩せ形で鋭い目つきの青白い肌の男を真ん中にするように、クライムはソファーの空いたスペースにぎこちなく座る。
それを合図にするかのように、扉の向こうから違う足音が近づいてくるのを一同は察した。足音の主は一度扉の前に止まると軽くノックするが、今度は男達からの入室許可が出ない。
なぜならその人物は彼らが住むこの屋敷の主。だからわざわざ配下からの許しなど必要ないはずなのだが、彼は扉越しにも関わらずえらく行儀よく挨拶する。
「失礼します」
返事を待つ間もなくガチャリと扉が開かれ、最後の一人が入室する。
見た目は腰まで伸ばした金髪を束ね、シンプルながらも品のある礼服に身を包んだ、少年と青年の中間ほどの若さの貴族。
彼は立場上部下にあたるクライム達に、丁寧に頭を下げながら長椅子の奥の執務机に座る。
「おはようございます、皆様」
彼の名前はクローム・ブルムラシュー。
現在の王派閥に属する六大貴族の一つ、ブルムラシュー家の若き当主にして、クライムの現在の主君である。
先代のブルムラシュー公は無能というほどではなかったが、ドがつくほどのケチで強欲な守銭奴だった。金が手に入るならば家族も国も売り飛ばすほどのゲスだったと、かつてを知る使用人達は口を揃えて罵ったくらいである。
その先代が
彼の住むブルムラシュー領はもともと鉱脈が豊富で、金銭面では他貴族どころか王家すら凌いでいたのだが、そこへ経営力と社交性に秀でた若き当主が手を加えれば、僅かな期間で領土が栄えるのは当然の帰結というものだろう。
水道の完備、街道警邏隊を独自に設立、農業の改革等。
極めつけは人材育成の分野だ。
スラムの孤児や請負人、元裏稼業の者、引退した冒険者を雇用し結成された子飼いの私兵や知恵者をクロームは幅広く擁する。
その中でも抜きん出た実力を持つとされる六人の戦士達、通称『六腕』。
その映えある末席に加えられたことを喜ばしくもあるクライムだが、同時に不安でもある。自分ごとき未熟者が、これほどの戦士達と並んでよいものかと身体を強張らせる。
机に積まれた報告書に目を通しながらクロームは口を開く。
「サキュロント殿、『例の件』はいかがでしたか?」
「カルネ村のやつだな? 思っていた通り、あれは貴族派共の差し金だったらしい」
クライムの隣に座る男、“幻夢”サキュロントが答える。
クロームが彼に調べさせていたのは、数ヶ月前に“王国戦士長”ガゼフ・ストロノーフの部隊が、王国に属する近隣の村が何者かに襲撃されたのを調査していた件に関してだ。報告では帝国兵の仕業とされていたが、色々と調べてみると貴族派が手引きをしていた線が濃厚になってきたという。
王派閥の剣であるガゼフさえ亡き者にすれば王家など砂上の楼閣、貴族派が力をつけられるという企てだろう。
しかし結論から言えば、彼ら刺客がガゼフと接触することはなかった。トブの大森林を踏み荒らすように暴れたことでそこを縄張りにする伝説の魔獣『森の賢王』に惨殺されてしまったからである。
つまりは失敗。しかもガゼフの部下達を一人も殺せていないという有り様だ。
「………近々帝国との戦争があるというのに、内輪揉めしている場合ではないでしょうに」
サキュロントからの報告をまとめ、クロームはこめかみを抑えてため息をつく。
「『鮮血帝』のように、無能な貴族共を粛清できれば楽なんだがな」
対して赤い髪の優男、“千殺”マルムヴィストが冗談混じりに呟く。確かに、改革を阻害する彼らを直接排除してしまえば丸く収まるだろうに。
しかしそれもそれで問題が生じる。
まず粛清される貴族当主の後継者問題で、ほとんどは貴族の腐敗思想に染まってしまっているために、当主を継がせるには不安要素が強い。
現にかの帝国では貴族を大量に粛清した結果、人材不足に悩まされていると風の噂で聞く。
無論それに対してクロームも全く対策をしていないわけではない。
こんなこともあろうかと、彼は自らの私財で私設の学舎を創立し、才能がありそうだと判断した人間は貧富問わず幅広く引き取り、勉学と武術を学ばせることに余念がない。あとは彼らが立派に育ち、貴族に代わる領地の経営者として据えればクロームも多少強引に進めただろう。
しかしここでも想定外な方向で問題が起きた。
学舎の卒業生をはじめ領民達はクロームを慕ってくれているが、それに比例するかのように王都に対し反感を抱きはじめてしまう。自分達の才覚溢れた領主が、無能な王都の王公貴族達に傅くのが許せないとのことだ。それだけクロームの手腕が優れているということなのだろうが、今回ばかりは頭を抱えてしまう。
領民達の気持ちもわからなくもないが。
「いっそ若旦那が王様になっちまえばいいんじゃないか? 俺ら五人と領地の仲間達が束になれば、ガゼフを倒すことも不可能じゃないはずだ」
屈強な大男、“闘鬼”ゼロか凶暴な笑みを浮かべる。
「王、ですか………」
彼が提案するのはいわゆるクーデターだが、あながち愚策とも言えない。
クロームの手腕は王都の民にも知れ渡っている。
仮に政権を支配したとしても、貴族に反感を抱く彼らならば喜んで彼を迎えてくれるだろうし、穏健なランポッサも相手がクロームならば話し合いに応じ、運が良ければ無抵抗で王位を退いてくれるかもしれない。それならば領民の反感を抑えられるし、ほかの腐敗貴族共も無力化できる。
………自身にそれだけの人徳さえあれば、間違いなく手っ取り早いだろうに。
しかしやるとしても、自身が信頼できる王族の一人であるザナック王子を担ぐ形でしか無理だ。大方ゼロのいつも通りの冗談だろうと判断し、クロームは苦笑いで流した。
「若旦那。その王都からなんだが、ついでに言伝てを預かってきたんだ」
「なんでしょうか?」
サキュロント曰く、近々貴族を交えての会議が始まるのでヴァランシア宮殿に登城せよとの王命だ。
「その際にクライムも同行してほしいそうだ」
とたんにクライム以外の六腕達の表情が不快そうに歪む。兜のせいで顔の見えない“空間斬”ペシュリアンでさえ、不愉快なオーラを滲ませている。
「また『黄金の姫』のワガママかしら?」
褐色肌のメイド、“踊る三日月刀”エドストレームが忌々しそうに毒づく。
クロームが登城の際には『六腕』の誰かを護衛として伴う。
王宮で働く傲慢な貴族階級出身の使用人からすれば、平民どころか裏社会から成り上がったならず者に頭を下げるだけでも不愉快極まりないことである。幸いゼロ達は持ち前の力とこの風貌のおかげで、度胸のない貴族やメイドからは遠巻きに見られるだけですむ。しかしまだ若く力も未発達なクライムは陰口を叩く絶好の標的だ。
つまり実際のところは体のいい晒し者である。
クライムに留守を任せて五人のいずれかが行ければ問題ないのだが、彼の登城を命じるのがよりにもよって王家の姫君だ。その理由も単に彼に会いたいだけというふざけたものだが、王女の命を迂闊に断ることもできないため結局彼を行かせるしかない。
真面目過ぎてめんどくさい部分はあるものの、五人にとってクライムはかわいい弟分だ。その彼が嫌な仕打ちを受けて面白いはずがなく、五人は王女の無神経さに腹を立てる。
「ラナー様はそのような方ではありませんよ」
クライムは部屋の空気がピリピリしたのを察して、オロオロしながらもどうにか彼らを宥める。
彼女は王族の中でもランポッサに次いで真っ当な姫君だ。劣悪な環境下で育った彼らからすれば、王公貴族というだけで唾棄すべき相手なのだろう。自分も似たような経験があるので彼らの気持ちも理解できる。
だが本人は自分に会いたいだけで悪気などないので、責めるのはお門違いである。それに王都に行けばガゼフや『蒼の薔薇』の面々に会えるので、クライムとしては嬉しいくらいだ。
「………」
そんな純粋に喜ぶクライムの姿を、クロームはどこか悲痛な面持ちで見つめる。
「ではペシュリアン殿とエドストレーム殿も護衛として同行していただけますか?」
「もちろんよ」
「………」
妥協点として六腕の二人も伴うことをクロームが提案すれば、エドストレームは短く答え、ペシュリアンは無言で頷く。
「ありがとうございます。では朝礼はここまでとしましょう」
恭しく一礼し、クロームは解散を告げるのだった。
その後クライムは朝の鍛練に出かけ、ゼロ達もそれぞれの仕事に行くために部屋を出ていく。残ったのはクロームとペシュリアンだけだった。
「………いいのか? 若旦那」
二人きりになったのを確認してから、それまでずっと無言だったペシュリアンが初めて口を開く。
「クライムにあの姫の真実を伝えなくて」
「仕方ありませんよ。言ったところで信じてくれないでしょうから」
ペシュリアンの問いにクロームはため息混じりで返す。
そう、彼女こそがクロームにとっての最大の難敵。
頭脳面でもそうだが、あの姫は演じることにかけては右に出るものがいない。まず敵に回すべきではないだろう。
「最悪の場合、彼を交渉材料として利用しなければならないかもしれませんからね」
その際に彼女に悪感情を持たせないほうがいい。
クロームにとってもクライムは大切な友人であり、できれば巻き込みたくはない。しかし状況を考えればそうも言っていられず、いざという時の心構えをしていなくてはならないだろう。
(儘ならない、ですか。本当にその通りですね、軍師殿)
というわけで、今作では『綺麗(?)な六腕』路線で参ります。デイバーノックさんは“存在の力”を食われました。
クローム公、一体何者なんだ!?
クローム「父上? あ~、少し邪m………ご多忙そうだったので、気晴らしにどこかの森で動物と戯れてみてはどうかと勧めてから、お姿を見てませんね」
五人『wwwwwwwww』(爆笑)
クライム「………」(;-_-)