王都の地下には、八本指の構成員しか知らない裏の通路がいくつもある。そこからならば検問を通ることなく王都を出入りできるので、ヒルマは息を切らしてその道を必死に走っていた。
もうすぐで抜け道に出れる、ここを越えれば王都からはおさらばだ。
彼女は常に自分の直感を信じて行動してきた。
媚びたり、取り入ったり、切り捨てたり、逃げたりを繰り返し、ついには『八本指』の幹部にまで成り上がった。
今までだってそうやって生き延びてきた。だから今回も上手くいける、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、最後の曲がり角が見えたところで安堵から顔が緩む。
「やっぱり来た。若旦那の言った通りね」
「!?」
しかしその先に人影が見え、ヒルマは思わず立ち止まる。そこには褐色肌の妖艶な美女が出口を阻むように立っていたのだ。
「え、エドストレーム!」
「久しぶりね、ヒルマ」
動揺するヒルマに対し、エドストレームは不敵な笑みを返す。二人は互いに悪党の端くれだった頃、裏社会で何度か顔を会わせたことがある。ヒルマの記憶が確かなら、現在の彼女はブルムラシュー領に身を寄せていると聞いていた。
今のエドストレームの装いは主人に付き従う時のメイド服ではなく、彼女の戦闘装束である踊り子の衣装である。つまり彼女も臨戦態勢ということだ。
「このっ、ブルムラシューの犬が!」
ここで言う『犬』とは、ブルムラシューに与したアウトローどもに対する『八本指』内での蔑称である。
「あら、連れないわね。同じ娼館で働いた仲じゃない」
一方のエドストレームはそんな暴言などどこ吹く風と受け流し、自らの脳力で浮遊するシミターを操りヒルマの周りを囲う。彼女の異名の由来でもある自在に動くシミターに、身動きが取れなくなるヒルマは必死に頭を回転させなんとか隙を見て逃げる方法を模索するが、
「ぎゃあ!?」
シミターに意識を向けていたせいか、片足を何かに縛られ転倒してしまった。
「悪いな、こっちも仕事なんでな」
自身の脚に巻き付くそれは鞭のように伸びる剣で、剣の先にはシンプルなデザインの鎧の男が立っていた。
「く、“空間斬”!?」
エドストレームどころかペシュリアンまでいるなど一体どういうことだ。混乱するヒルマを余所に、さらにペシュリアンの背後から黄色いフードで顔を隠した人物が進み出る。
「まずははじめまして、ヒルマ殿。私はブルムラシュー家現当主、クローム・ブルムラシューと申します」
ゆっくりとフードを脱ぎ顔を見せたのは若い男で、彼は胸に手を当てて上品にお辞儀する。対するヒルマは男の名に冷や汗が吹き出してしまう。
(こいつが『ブルムラシューの賢者』………!)
今や王国では王族に次ぐ影響力を持つとされる若き公爵。清廉された佇まいと知性に溢れた眼差しは噂に違わないとヒルマにも理解できるほどだが、彼女が驚愕するのはそちらに関してではない。
「どうして……!」
どうして彼らは、自分がこの通路に来るとわかったのだ。
この抜け道は『八本指』の中の構成員、それも重要な役所の者達しか出入口を知らないし、通路も複雑に入り汲んでいるので先回りは難しいはず。しかも精鋭である六腕の内の二人を配備するなど、ヒルマがここに逃げこむとわかっていなければおかしい。
「いえ、この抜け道を探すだけならばそう難しくはありませんよ」
そんなヒルマの疑問を察してか、クロームは丁寧に説明しだした。
こういう大規模な組織は、拠点付近に何らかの脱出ルートを作っているはずだと予想していた彼は、以前から『八本指』の逃げ道を王都に潜ませた部下に探らせていたのだ。
彼の配下には『八本指』と縁のあった者達が何人かおり、『蛇の道は蛇』の理屈で同じ悪党の考えそうなことは想像がつきやすく、ほどなく王都中の出入口は見つけだせた。
「私、迷路作りには詳しいものでして。それらの情報から逃げ道の大まかな見取り図をイメージできました」
「っ………!!」
だとしてもいくつもある抜け道の中から、どうして自分がこの場所に来るとわかったのだ。視線だけでそう問いかければクロームがさらに続けて説明する
人の流れ、住宅の密集具合、主な店の種類、生活レベル、貧富の差。通路の長さ、深さ、入り組み具合。
加えて部下から集めたヒルマの僅かな人物像から彼女の行動パターンをあらかじめ予測し、それらをもとに確実に使いそうな最短ルートを絞りこんだという。
「あとは運任せでしたね。念のためほかのルートにも、皆様を配置してはおきましたけど」
こともなげに解説するクロームに、ヒルマはバカなと戦慄する。それだけの膨大な情報の中から最小限の手がかりを集め、組み上げ、対象の行動を先読みするなど、人間の頭脳ではありえないレベルだ。
「さてと」
クロームの話が終わった頃を見計らうように、シミターの切っ先がヒルマの喉に突き立てられる。
「ひい!?」
「で、いい勘は働いたかしら?」
クロームはなんともいい笑顔で脅迫するエドストレームに苦笑しつつ、別ルートの待ち伏せに向かったクライムを呼び戻しに行こうとしたのだが、それくらい伝令に頼めとペシュリアンにツッコまれたのだった。
王都に訪れてから借りたこの部屋からは、検問所がよく見えるので彼女達の拠点としてうってつけだった。宿屋に戻ってきたツアレは部屋に閉じこもると、カーテンの隙間から外を覗く。
一見するといつも通りの町並みだが、長い裏社会生活で培われた勘が付近に検問所を監視する者達が何人か潜んでいるのを気配で察する。王国の兵か、あるいは先の組織の残党か。
(失敗しちゃったなあ………)
やはり面倒事を起こすべきではなかったと、力なくため息をついてツアレは悔やむ。
当初ツアレ達はこの王都で仕事をするつもりはなく、あくまで物資を買うために寄っただけに過ぎなかった。
急に入った依頼を速やかに完了しあとは必要なものを買い揃え、本当なら今日の午前中に出立するはずだったのに、来た時よりも厳重な態勢につい顔をしかめる。
警戒されるのは予想していたが思いの外手回しが早く、遠目からでも馬車の荷台を念入りに調べているのがわかり、正面突破は厳しそうである。
と、ベッドの影から黒い液体のような人影が湧き出てきた。明確な形に変わった人影は、枯れ草色のターバン、身軽な黒い外套、片手には無骨な黒いガントレットを嵌めた盗賊のような装いの女で、整った顔立ちは厳しい印象を与える。
だが突然部屋に現れたその人物にツアレは動じず問いかける。
「チェル様、どうでしたか?」
「ダメだな、全て監視されている」
チェルと呼ばれた女は緩く首を振る。万が一の場合に備え、仕事の前日に彼女達は王都に張り巡らされた抜け道を確認してはいた。なので正面突破が無理そうならばそちらを利用しようかとも思っていたが、事前に発見していた入り口には見張りが配置されていて全て潰されているという。
こうなっては仕方がない、ほとぼりが冷めるまで大人しくしておこう。
「そういえば、あの老人にまた会ったのだな」
「はい」
ふと話題を変えてきたチェルにツアレは頷く。どうやらセバス達と話していたところを見ていたらしい。ツアレ自身もまさかまた彼会えるとは思わず、しかも今度は名前を知れたので思わず声が弾んでしまう。
彼は現在の奉公先でトラブルがあったらしく、今後も働くかどうかで悩んでいるようだったと語れば、チェルはいつになく上機嫌なツアレの笑みに眩しそうに少し目を伏せる。
「………いい加減お前にまとわりつかれるのも面倒だ。いい機会だから今度はあの老いぼれにでも拾ってもらったらどうだ」
そっけない態度で顔を反らすチェルにツアレはムッとした顔になると、彼女に両手を伸ばしてむにゅりと頬をつねった。
「きひゃま、ひゃにをひゅる」
「チェル様がおバカなことを言うからですよ」
おそらく彼女は自分一人が面倒事を背負ってツアレだけでも逃がすつもりなのだろう。
彼女なりの不器用な気遣いにはある程度理解できるようにはなっていたが、ツアレとしては余計なお世話としか言えない。
「だいたいチェル様、私がいないと寂しがるじゃないですか」
ひとしきり柔らかな頬をこねくり回してから手を離し、ツアレは呆れ顔で腰に手を当てる。
「いつ私が寂しがった!」
心外だと歯を剥き出して怒鳴るチェルは事情を知らない者ならば震えあがるほどの気迫だが、慣れ親しんだツアレからすれば威嚇する猫のそれである。
「付き合いが長いと、嫌でもわかるようになるんです」
まったく怖じける様子もないメイドに、チェルは忌々しげに舌打ちする。
最初に会った頃の彼女はいつもおどおどしていたというのに、今ではすっかり図太くなってしまった。
やはり気まぐれでも人間など拾うべきではなかったと彼女は己の判断を悔やみきれなかった。
(………本当に、自分も焼きが回ったものだ)
怯える姿に、黄色い髪に、彼の面影を重ねるなど。
そういえば、変な女が逃げていく通路に、妙に懐かしい色の服を着た人間がいた気がするが………
(いや、まさかな)
そんなわけがないなと、浮かびかけた可能性を払うように“闇の雫”チェルノボーグは首を振るのだった。
というわけで、ツアレの相方はチェルノボーグ様でした。