陽炎の男に案内され、セバスはとある木の下にたどり着く。
「この下に彼女は捕えられている」
男が指差す先には地下通路への入り口と思われる階段があり、隠すための蓋はすでに開かれていた。
「……どうやら先客がいるらしい。少なくとも彼女の敵ではないはずだ」
確信したようにそう告げる男に、今さらながらセバスはこの男の言うことを信用してよかったのだろうかと不安になる。あるいはセバスをこの下に閉じ込め、袋叩きにする罠の可能性もある。
しかし何故だろうか。セバスはこの人物に対して親近感と懐かしさを感じてしまい、いまだ敵意を抱けないでいる。
「貴方は、一体何者なのですか?」
何気ないセバスの問いに男は罰が悪そうに俯く。
「………すまない、これ以上は俺の口からは言えない」
絞り出すように答え、思いつめたように拳を握りしめる男を見たセバスは、少なくとも彼は自分を陥れるつもりも彼女を傷つけるつもりもないのだと、直感的に察することができた。
「……ご案内してくださり、ありがとうございます」
セバスが深々と頭を下げて感謝を述べれば、感謝されるのが意外だったのか男はハッとしたように僅かに肩を震わせる。
階段を見下ろせばどこまでも広がるような黒闇がセバスを威圧するも、今一度気を引き締めて地下へと踏み出していくのだった。。
いつもなら一瞬で終わるはずなのに、チェルノボーグはいまだ彼らに手傷を負わせてすらできていない。それどころか頭を押さえて苦痛に表情を歪ませている姿にツアレは青ざめる、
彼女が本調子になれない原因としては、先ほどからテーブルの上で一定のリズムを刻むオブジェ、これが絡繰となっている可能性が高い。
自身が動かすなりなんなりできればいいのだが、ツアレの両手は縛られ足に至っては部屋の端に繋がっていてテーブルには届かない。
どうしよう、自分のせいで彼女が死んだら……
最強と信じて疑わない主のかつてない危機に、ツアレの脳裏を最悪の可能性が過る。
そんな最中、予想外の人物の登場にツアレは目を見開くほかなかったわけである。
(セバスさん、どうしてここに!?)
先日主に関する悩みを打ち明けてくれたばかりの彼は、ツアレの姿を見つけると胸に手を当てて伺う。
「………助けてほしいですか?」
真っ直ぐな眼差しで問う言葉にツアレは一筋の希望を見るが、同時に躊躇してしまう。
いくらセバスが強いからと言って、主が苦戦するほどの相手に挑んでほしいなどと安易に頼んでいいものだろうか。
しかしセバスの眼差しには一切の恐れはなく、自分を信じてほしいと切に訴えてくる。
その眼差しがツアレの不安を解きほぐしていき、彼女はグッと上体を起こして頷いた。
「なんだお前、こいつらの仲間か!?」
一方の三爪華達は突然現れた老人にルベアが一撃で
倒されたことに動揺していたが、我に帰ったレイジアが鞭をしならせてセバスの顔面に向けて飛ばす。
対するセバスは右腕で顔を庇うように防ぐと、ふらつくチェルノボーグの傍らに移動して彼女を支える。
雑音のせいで頭が痛くて立つことも儘ならない彼女は、霞む視界でセバスの顔を凝視する。
この老人は確か、最近ツアレが懸思していたあの執事だったはず。
なぜここにいるのかとか、こいつはあの三人の仲間なのかとか、考えることが色々あるのに頭痛のせいで纏まらない。
「もう大丈夫です、彼女は必ず助けます」
だからしばらく休んでいてくださいと優しげに声をかけ、セバスはチェルノボーグをそっと入り口近くに座らせる。
(……なんだか、懐かしい感覚だ)
あの時もあの方は、フレイムヘイズ共との戦いで疲弊していた自身を優しく労りながら、眼前の敵に立ち向かってくれていた。
『よく耐えてくれた隠密頭。後は私に任せろ』
その目映い背中は、一度死してなお鮮やかに思い出せる。
(ああ、なんて不敬な……)
その色は青色でもなく、その背中には美しい六枚の翼もないのに。
(こんな爺に、あの御方を重ねるなど……)
レイジアがさらに攻撃するもセバスはそれらを意に介さずツアレのもとへ駆ける。手を伸ばして彼女の肩に触れようするも、砂のような膜が彼の手を阻んだ。
「………ぬうん!!」
一瞬だけ目を見開いたセバスだったが、すぐさまスキルで身体強化を施すと膜を強引に突き破り、ツアレを縛る縄に手をかけ蜘蛛糸の如く引きちぎる。
「早くお逃げください」
「は、はい!」
口枷を外され喋れるようになったツアレは頷き、今度はチェルノボーグに駆け寄る。
逃がすわけにはいかないとレイジアはツアレに鞭を振るうも、セバスが前に出て攻撃を捌いていき、その隙にツアレはチェルノボールを背負って部屋から逃げていってしまった。
それはセバスが階段を降りてからのことだった。
入れ違うように木の下にやってきたクローム達三人は、地下への階段をジッと見つめていた。
「宰相殿の予想通りでしたね?」
クロームはアルラウネの言葉に頷きつつ、ひとまず無駄足にならなかったことに安堵する。
「しかしいいい、よくわかったなあああ」
「正直なところ、確証はなかったのですが」
クロームは足元の小石を拾い上げると、階段に向けて石を投げ入れる。
階段の材質から考えるにそれなりに音が響くはずの石は全く音が鳴らない。ほんの十歩分ずれた草むらからは虫の声が聞こえてくるのに、この一帯だけ不自然なほど静かなのだ。
「もし宿屋の襲撃者が音を消す魔法を使っていたのだとしたら、隠れ家周辺にも同じものをかけているのではないかと推測したのですが……」
音とは身も蓋もないことを言ってしまえば空気の震えが起こす現象であり、空気が存在しそれを震わせる何かが動き続ければ必然的に発生する。
もし“沈黙”が内外の音を遮断する魔法なのだとしたら、そこには空白のような無音空間が出来上がることになる。
無理に隠そうとすると返って目立つ、そう推理したクロームの読みは的中したわけである。
「ではアルラウネ殿、こちらから中を調べてもらえますか?」
「お任せを?」
まず内部の様子を調べるべきだと考え、アルラウネの自在法で遠隔から偵察してみることにする。
彼女の手のひらから薄桃色の華が咲き、はらりと一枚の花びらが離れて暗闇へと消えていく。
花びらが知覚を拾えば華から物音や映像が届くようになっており、まず暗闇が広がる映像が映った。
しばらく耳を傾けていると、下から何かが聞こえてくるのにクロームは気づいた。
「これは……音楽でしょうか?」
それは一定のリズムと弦楽器から成り立つ音色のようだが、実に耳障りで不快な気分になる音楽だった。
音楽ということは、今回の事件には三爪華の一人“呪作詩”ボイスが関与しているのだろうか。
「………?」
しかし途中から音は途切れがちになり初め、映像も歪んだり震えたりして焦点が合わなくなっていく。
そして階段の終わりが見えた辺りで消えてしまった。
「これは……」
まさか自在法の発動を阻害されているのか?
自在師であるアルラウネすら見ることができないなど、相当高位の魔法かマジックアイテムの類いを使っているとしか考えられない。
少し考えてからアルラウネがウルリクムミに提案してみる。
「御大将、
「試してみるかあああ」
頷くウルリクムミがウベルリを地面に突き立てると、そこを中心に濃紺色の陽炎のドームが広がり周りを包み始め、その光景を見たクロームは息を飲む。
「ほ、本当に主の自在法と同じなんですね…」
事前に説明を受けていたとはいえ、実際に見るとなると驚愕を禁じえない。
特に信じられないのはこれだけの範囲を覆えるのに、複雑な自在式を用いらずに起動できる手軽さだ。
「うむううう。しかしいいい……」
周囲は問題なく停止しているが地下室だけは止まっておらず、どうやら時を止める自在法も受け付けないらしい。
ウルリクムミが一度自在法を解いてから三人は唸る。
目視で確認する限り音が聞こえる範囲の自在法は使えず、これだけ強力な阻害を使える相手ならば他にも厄介な魔法を使ってくる可能性が高い。
しかし内部の状況がわからない以上、迂闊に正面から侵入するのは得策ではない。
どうするべきかと悩んでいた時だった。
「?」
「ウルリクムミ殿?」
ふいにウルリクムミが何かに気づいたかのように
階段に振り返る。
「……誰か来るううう」
階段から人間の気配を感じる、彼がそれを感知できたのは長年の戦士としての勘からだった。
まさか八本指だろうかと、ウルリクムミの言いたいことを察したアルラウネもクロームを後ろに下がらせて迎え撃つ構えをとる。
「……ひ!?」
『!?』
固唾を飲んで見据える中、階段からヒョッコリと顔を出したのは人を担いだ黄色い髪のメイドだった。
宿の主人から聞いていた特徴と一致する部分がいくつかあり、彼女こそが誘拐された女性に違いない。メイド服はところどころ砂ぼこりで汚れていて、頬や手にも擦り傷や切り傷が少しついていることから、死に物狂いで逃げ出したところだったのだろう。
「あ、あの……貴方達は……!?」
彼女は目の前の三人を八本指の仲間かと警戒し萎縮しているが、一方のウルリクムミ達はメイドではなく
黒い外套に頭から生える獣の耳、異様に巨大な片腕を持つ、整った顔立ちの人外の女。
あまりにも見慣れたその容姿を見たウルリクムミはうるさいほどに鼓動が早鐘を打ち初め、アルラウネも震える声で『彼女』の名を呼び掛けようとする。
「ち、チェル……」
パシンッ
しかしそこへ虚をつかれるように大きく手を叩く音が響き、二人はハッと我に帰って振り返る。そこにはクロームが胸の前で手を合わせている姿があり、彼は瞳を揺らめかせて震えながらも、自らの気持ちを静めるように深呼吸している。
クローム自身も、眼前の『彼女』に何も思わないわけではない。
だが傍らには明らかに我々とは無関係であろう人間がいる以上、ここで自分達が取り乱せば話が進まなくなると悟った。だからまずはこちらが冷静になって話を聞くべきとクロームは判断したわけである。
クロームはゆっくりと彼女達に歩み寄り、階段の前に膝をついてメイドの目線に近づける。
「………まずは自己紹介からいきます。私はクローム・ブルムラシュー、若輩ながらブルムラシュー家の当主を務めさせていただいております」
「え、ブルムラシュー公!?」
クロームの名を知っていたおかげか、メイドは三人が敵ではないと理解してくれたようで緊張が解ける。
「貴女が誘拐されたメイドの方でしょうか?」
「は、はい! あの、助けてください! 私達を逃がしてくださった方が、まだ中にいるんです!」
「落ち着いてくださいませ、お連れ様の状態は?」
「か……彼女は、ケガはしていないとは思いますけど頭が痛くて気絶してしまって…!」
メイドに手を差しのべて引っ張り上げてから、黒い女性を近くの木にゆっくりと寄りかからせる。目視する限りは目立った外傷は見られないが、彼女は眉間にシワを寄せて魘されている。
ひとまず致命傷を受けていないことに安堵し、クロームはまずメイドから事情を聞き出してみる。
彼女の話によれば宿屋で仮眠をとっていたところを襲撃されたらしく、自分を誘拐した犯人は三人いたという。犯人の容姿と会話から聞こえた名前から、実行犯はクローム達の予想通り三爪華のメンバーと断定された。
そして彼女達を救出しにきたと思われる老執事が、殿を引き受けてくれたおかげでここまで逃げ出せたという。
老執事とやらの素性と目的は気になるが、ひとまず八本指側の線は薄いと判断してクロームは思考を巡らせる。
地下室にかけられている魔法は、音がハッキリするほど頭が痛くなって自在法の精度が低くなってしまう。『彼女』がこれほどまでに疲弊しているとなれば、このまま真正面から行ってもミイラ取りがミイラになるだけだ。
ならばどうやって老執事を救出して三爪華を一網打尽にするべきか……。
ふとクロームはチラリと階段を一瞥してから考えこむ。
「何か考えが?」
「い、いえ………その……」
アルラウネの問いに少し躊躇いがちに視線を泳がせてから、『上手くいくかどうかはわからないし、かえって危険に晒すかもしれない』と前置きをしてからクロームは説明するのだった。
私には、頭脳戦が難しいよ……