豪族、杜王町に立つ。 作:ヨーロピアン
『さてと、じゃあ、早速......始めるとしようか。古代の豪族が仮想現実の世界へ旅立つ......これぞテクノロジーが成せるロマンって奴だよね~』
◇
「おい! おーい! 起きろ!」
「ん? うーん?」
亡霊・蘇我 屠自古は道のど真ん中でぶっ倒れていた。
「おお、起きた起きた。酔っちゃいないようだな。大丈夫か? 立てるか?」
「え、ええ」
ゆっくりと広がっていく視界。そこにまず飛び込んできたのは見慣れない青い服を来た初老の男性だ。がたいのいいその男性はスッと右手を伸ばした。ゴツゴツして乾いた、しかし、暖かく差しのばされた手をおとなしく受け入れる。
空の色は紫、今は夜明け頃か?
「この辺じゃ見かけん顔だが......若い女の子がこんなとこで寝てちゃ危ないぞ。早く家に帰りなさい」
訳も分からず黙って頷く。
それじゃ、と笑顔で手を振って男性は2輪の乗り物にまたがり、走り去っていった。立てるか? 、と尋ねられたということは彼は屠自古に脚がないことには気づいていなかったらしい。
何をしていたんだっけ、と必死に記憶を漁る。が、何も出てこない。一昨日のことなら朝食のメニューに至るまで鮮明に覚えている。だが、脳内のどこをひっくり返そうとも昨日の記憶が見つからない。昨日は呑んではいないはず。先ほどの男性も酒の臭いはしないと言っていた。酔ってこんなところに転がっていたのではないのは確かだ。......こんなところ?
いや、こんなところ......ってどこだ?
見慣れない造りの建物に、糸で繋がれた柱の数々、黒ずんだ固い道、全く見覚えのない景色が広がっていた。
さっきの男性は人間だった。となると、ここは人里なのか? いや、里の様子とは余りに違いすぎる。幻想郷に里1つの見た目をまるっと変えられる奴なんて......
「結構いる......」
素直な感想が思わず声に漏れでる。何しろ妖怪やら神様やらがそこら中に跋扈している。本気を出せば国1つ落とせそうな連中がゴロゴロいるのだ。この程度の幻術であれば尚更容疑者は増える。
まあ、まだ焦る段階ではない。じっくりと状況を見定めよう。
開き直った屠自古はふう、と一息ついた。
◇
屠自古は困っていた。
使われている言語から日本であることは分かる。だが、余りにも里とは様相が違いすぎる。建築の構造はもちろん、人々を包む服装も、持っている道具も、走り回っている機械も、何から何まで全く馴染みがない。しばらくの間、漠然とさまよい続けたが、それだけではここから抜け出すことはできない、そんな気がしてきた。下手に目覚めた位置から動かない方が良かったのかもしれない。屠自古は後ろを振り返った。今通ってきたはずの道がもう見慣れないものと化している。もう、最初の場所に戻ることもままならない。いわゆる迷子だ。いや、迷子どころか遭難とも言える。
ひょっとすると......ひょっとすると、だ。
屠自古が普段住んでいるのは結界で区切られた秘境である。ここは、結界の外の世界、私はそこに放り出されてしまったのか。簡単には受け入れられない、そんな懸案が頭のなかをぐるぐると巡る。
とにかく下手に目立つのは良くないだろう。
烏帽子が通行人の視線を集めていることに気づき、そっとしまった。
次に、屠自古は足元を見た。自らの白っぽい霊体が目につく。これも余り見られてはいけない気がする。極力地面すれすれを浮遊してごまかすことにした。
どこか心細さを感じている自分に気づき、頬をペチペチ叩いた。ひよっていては駄目だ。
そんなことを考えていると、屠自古はいつの間にか大きな広場へと出てしまっていた。今まで見かけた物よりも大きな四輪の乗り物も数台あった。人通りも格段に多い。
屠自古が慌てて引き返そうとしたところだった。
「お前もこの亀のようになりたいのかぁ!?」
足元にぐちゃりと不快な音を立てて、緑色の物体が飛んできた。所々が赤く染まっていく。屠自古はしげしげと転がっている何かを見つめた。微かに動いた......亀?
思わず一瞬目を背ける。嫌なものを見てしまった。甲羅がひび割れ、見るも無惨な姿の亀だ。
亀が飛んできた方向では、数人の男が誰かを囲って、いたぶっているところだった。
お前もこの亀のようになりたいのかぁ!? ──リーダー格らしい金髪の男の言葉がよぎる。さっきは気にも留めなかったが、まさか......ちんけな脅しの口上のために、ちっぽけな自分を大きく見せるためだけに、生命を弄んだというのか?
屠自古の奥底から沸々と怒りの念がわいてきた。
身はとうの昔に朽ち果てた亡霊でも、悪戯に生命を侮辱する行為には反吐が出る。
ぐっと拳に力が入る。
「よくも......!」
屠自古の周囲からバリバリと音が生じる。黄色い稲妻が顕現──しかけた。すんでのところで屠自古は雷を引っ込めた。危うく自ら騒ぎを起こすところであった。やるせない怒りが屠自古の中で渦巻く。行き場のない怒りに苦悶の表情を浮かべる。
いや、そんなことを気にしている場合ではない。能力を使わなくとも私がこの手で......。
屠自古が男達のもとへ駆け出そうとした時だった。
もう一人、おかしな髪型の若い男がいた。囲まれている。脅されていた側の男だ。フラフラと立ち上がり、
「え?」
拳が金髪の男を吹っ飛ばした。しかし、ただの拳ではない。囲まれていた男は何もしていないのに、チューブがついたようなピンク色の腕が唸る。
歯が舞い、鼻が潰れる音がしたかに思えたが、男は無傷であった。いや、よく見ると顔の形が歪んでいる。
そして、今見えた腕は一体......? 人間のそれとは似ても似つかない。それは確かだ。
しばしの間、屠自古がボーっとしていると、おかしな髪の男は近づいてきて、屠自古の足元の亀を引ったくった。
「あ、ちょっと......え」
屠自古は目を疑った。男が手にした瞬間、亀の傷がすっかり癒えている......。そんなはずはない。この目で、この手で、あの亀が瀕死であることは感じ取っていた。
しかし、その亀は今、屠自古の目の前で何事もなかったかのように泳ぎだしている。散らばっていた甲羅の破片もいつの間にか消えていた。
「嫌いな亀に触っちまった! こっちの方はどうしてくれるんだぁ!?」
凄むおかしな髪の男に、囲んでいた連中はドタバタと一目散に逃げ出していく。フゥとおかしな髪の男は一息つき、落ちていた鞄を拾い上げた。
何が何だかさっぱり分からない。幻想郷ほど珍奇な場所はないと思っていたが、どうやら屠自古の認識は甘かったらしい。
しかし、屠自古にはあまり頭を整理する猶予はないようだ。
この一悶着で少しずつ人目が集まり始めていた。行き交う人々の瞳にも1人の亡霊が映ることが増えている。当初の目的通り、その場を離れようとしたところ、
「待ちな!」
背後で呼び止める声がした。恐る恐る振り返ると、
白い服の大男がこちらを真っ直ぐ見据えていた。少し斜めに被った帽子の下から鋭い眼光が刺さる。当然、今の制止も屠自古に向けられていると考えるのが自然だ。
だらだらと冷や汗が背を伝うのを感じる。
分かっている、分かっている。屠自古は何が原因で呼び止められたのか分かっている。だからといって簡単に止まる訳にもいかない。
「アンタ、今......見えていたな? それにその電気......」
男が発した電気という単語に全身が強ばった。
そう、この男には放電の瞬間を見られていた。大抵の人間が見過ごした僅かな光、日中だったのも相まって屠自古本人ですらほとんど見えなかった。でも、この大男は見逃さなかった。屠自古は直感で何かまずいと感じた。
「あ、私、最近静電気がひどくて......きゅ、急用を思い出したー! 失礼しまーす!」
早口でまくし立て、すっとんきょうな声を上げると、屠自古は適当な方向を指差し、駆け出す。
自分でもおかしさには気づいている。当事者でなければ吹き出しているほど、余計に目立つ一言を残してしまった。
まあ、いい。もう2度と会うことはない。そう自分に言い聞かせながら大男と目が合わないよう振り返る。
大男は既にこちらを見ていなかった。
「......今はこっちが優先か。見つけたぜ、東方仗助!」
ひがしかたじょうすけ......。背後から聞こえた名前が、自分ではなかったことに安堵しつつ、屠自古は人気のない路地へと潜り込んだ。