兎もあれ、本編スタート!!
………12月31日………、
新人戦優勝者との記念対局当日………
今年の新人戦優勝者はあいちゃん……雛鶴あい五段であり、対峙するタイトルホルダーは、竜王戦決着の結果、八冠完全制覇を果たした僕が引き受ける事と相成った。
本来なら玉座戦完結の時点で決定しなくてはならなかったのだが、今回は僕の八冠完全制覇が懸かっていた事情により、大晦日生中継に落ち着いた訳で………
……で、今回の開催会場は、事前に先代会長の月光先生が4日間(12月30日〜1月2日)借上げた『旅館・ひな鶴』なんだけど………
前日となる12月30日の午後に『ひな鶴』に到着するや、早速アウェー感全開の空気が………
………それもその筈、今回の記念対局は、何時もの東西何れかの将棋会館での持ち時間3時間の所謂『胸を借りる』レベルでは収まらず、1日制ながらも順位戦A級相当の持ち時間6時間・時計も昨今主流になりつつあるチェスクロック方式ではなく、旧来のストップウォッチ方式で、1分以内に指せば消費時間がカウントされないシステム(所謂ノータイム指し)であり、本格的なタイトル戦仕様になっていたからである。
そして現時点でタイトル戦(女流ではない)未経験のあいちゃんにとって事実上初の大舞台となる訳で………
…で、一方の僕はと言えば、ほんの6〜7年前迄の『名人』みたいな『ラスボス』的位置に格付け・鎮座しているような状況に至っており………
そして夕方から始まった前夜祭では、通常のタイトル戦仕様で両対局者の決意表明の挨拶も執り行われ、あいちゃんは
「師匠か桐山先生か先週迄やきもきしていましたが、結果として桐山先生に挑む事となり、改めて身の引き締まる思いで一杯です。明日は受けて立つ桐山先生に恥じない私目一杯の将棋を全開で指し貫く所存でありますので、皆様どうか応援宜しくお願い致します」
と、強い決意表明を明言し、一方の僕は
「八冠達成早々にこれほどの大舞台を用意して頂き、誠に有難い事と感じ入っております。今回は形上は私が胸を貸す立場ではありますが、雛鶴五段の力は重々承知致しておりますので、対等の戦いになる事疑い無い事と考えている次第であります。皆様どうか明日の対局を楽しみにして頂ければ幸いと存じ上げます」
と、無難というか、期待させるというか、少なくともつまらない挨拶にはならなかったとは思う……
そして31日当日………
立会人は山刀伐九段、副立会人は何故か祭神七段……雷さんが担当しており、何で雷さんが担当する事となったのか本人に聞くと、
「正宗さぁ〜、アイツがこんな面白え事体感しねぇと損だって言い出してさぁ〜、健吾と漠然と遊ぶよりかは楽しめるとか追撃貰ったし、新婚旅行代わりに引き受ける事にしたのさぁ〜!」
との事で後藤さんが裏で動いたようだった……
で、記録係は『名人』初の弟子で先の三段リーグを1期抜けした新四段の中静そよさんが担当する事となった。
尚、彼女の同期昇段者には以前銀子ちゃんに敗れて退会した後、アマチュア棋戦で再起し、その後三段編入試験を経て奨励会に復帰し、先の三段リーグを2位抜けした菅田健太郎さんがいる。
因みに菅田さんも師匠は以前のA級経験者の鈴木八段ではなく、どういう経緯を踏んだかは不明だが、こちらも『名人』が新たに師匠となっていた。
さて、午前8時40分になり、新人戦優勝者(挑戦者相当)のあいちゃんが先に入場、それに合わせて5分程遅れて僕も入場し、直後に山刀伐さんと雷さんも会場に入って来た。
そして中静さんによる振り駒の結果、先手はあいちゃんと決まった。
まずはあいちゃんがオーソドックスに角道を開け、一方の僕は最初から決めていた通り、後手番一手損角換わりを選択し、長い大晦日対局が幕を開けた。
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〜side八一〜
さて、あいの最大の挑戦が始まったか……
検討室を離れて銀香を膝に乗せて画面を見守っている訳ではあるのだが、俺が最後に兄弟子を振り切っていればあいの前に座っていたのは俺だったって思いが未だに抜け切れてはいないのは未練とは思うけど、まぁ結果として出た訳であるからそこは受け入れるしかない。
けど、あいにとっては残り2年少しだけの現役生活なだけに越えるべき壁として兄弟子は最適なのかも知れない……
後はあいの力量と兄弟子の差がどれだけあるかに拠るかだな……
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さて、午前中はサクサクと進み、早くも58手に至り、先手のあいちゃんの手番で昼食休憩となった。
昼食メニュー
僕→『ひな鶴』特製のどぐろお造り御膳+レモンティー
あいちゃん→『ひな鶴』名物七尾湾海鮮丼御膳+ほうじ茶
と、何れも海鮮メニューを選択、十二分にエネルギー補給を済ませて午後からの対局再開に備えた。
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〜side山刀伐尽〜
……ふむ……、これまでの経験上からお互い定跡的にサクサクと手を進めているけど、この戦型は此処から先が難解となるのは互いに理解している事とは思う……
そして先頃の竜王戦で感じた疑問……
対局2日前の29日、今年最後の上京で連盟事務所を訪れた零君と顔を合わせたのを奇貨として夕方から酒席に誘い、僕が感じた疑問について色々聞いて見たのだが……
矢張りと云えば矢張り、驚愕と云えば驚愕と言う位には余りに常識外れな告白を受ける事となった……
半ば感じていたとは云え、本当に前世の記憶持ちでしかも実際に前世で将棋界の天下獲りをも果たしていたのには目を丸くする以外無かった……
その上、僕の弟弟子の晴信も同様に前世持ちでその前世から零君とは生涯のライバルと聞いた日にはね……
それだけじゃ済まず、僕の弟子の健吾も前世からの転生組の1人で零君と晴信の大先輩とか……
挙げ句には冬司君も神宮寺君も土橋君も転生組でそれぞれが永世名人だったり永世称号を名乗ったりの大棋士上がりとかもう腹一杯な位には衝撃度が半端無かったな……
けど、これで彼等の異常なまでの出世と躍進をまずは理解出来たのは収穫だった。
只、彼等の前世の定跡と僕等が生きる今の世界では何だかんだと異なる部分も多々あったとの事で、単純に出世した訳では無かったのは理解した。
でも、それで僕等の将棋も更なる進化を遂げたのは紛れもない事実な訳だから其処は感謝するしかない。
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午後もおやつタイム頃迄は進行が早く95手迄進み、僕の手番でおやつが運ばれて来た。
僕→フルーツ盛合せ、レモンティー
あいちゃん→特製ぜんざい、ほうじ茶
そしておやつを食べ終えた処から一転、僕の長考が始まった。
此処迄の残り持ち時間
僕→3時間45分(消費時間2時間15分)
あいちゃん→3時間20分(消費時間2時間40分)
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〜side土橋健司〜
おやつタイムを終え、零さんがこれ迄の淡々と云うか、サクサクとした流れを一気にぶった切る勢いで長考に突入したのは一体全体どういう事なのか、暫くは検討室に詰めてる殆どがまるで把握出来て居なかったのは常識的に見れば致し方無いのかも知れない……
で、僕は大盤解説の盤面を見ながら隈さんと検討を繰り返している訳なんだけど……、僕も隈さんも零さんの実力も底の無さも知り尽くしている話で……、そして一方の雛鶴さんについては零さんにも認められたレベルでの異様な迄の終盤力が際立っているので、益々終局が図り辛い事になっており……
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〜side夜叉神天衣〜
……年末の大晦日……、
今日はお祖父様の邸宅(私の実家)を訪れ年末を過ごし、共に新年を祝う為に冬司と共に里帰りしたのだが……
……なんで神宮寺九段が居る訳?
確かにお祖父様との親密な関わり自体は私も何だかんだと認識している訳ではあるけれど、あの胸だけ破格な年増のオバさん放り出して此処で油売ってていいの?
そう聞いて見たら、
「宗谷の暴走ストッパー二段構えの奥の手で俺が不可欠って事なんで爺さんからも桂香からも頼まれて此処に邪魔しに来た訳なんだが」
との回答で、じゃあ二段構えの一翼は私なの?と聞くと、若干呆れ気味に
「他に誰がいる?宗谷の暴走止められる奴なんざ早々居ねぇ訳だし、俺・桐山・隈・土橋、辛うじて止められるのが俺の知る限りじゃその程度で後は後藤でも二海堂でも振り切られるのは避けられない話だからな。で、そもそも桐山は対局中、他も悉く『ひな鶴』に詰めている訳で……だから逸った際の宗谷を抑え込めるのは夜叉神ちゃん、宗谷の嫁たるお前さんしか居ねぇ訳よ」
との答えを貰い、私ってもう周りからも冬司の嫁扱いなんだなと嫌でも認識せざるを得ない話になったのはね……
……尤も冬司じゃ男女関係以前に人間関係からしても極限られた関係しか成り立たないのは確実だから寧ろ私の一門とか神宮寺九段に二海堂九段、隈倉や健司と云った近しい年代とも親しく付き合っているのがある種奇跡でもあるけれど……
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……おやつタイムの後、一気に2時間を費やして長考し、漸く攻めの手を繰り出した訳だが、その間、あいちゃんも脳内検討を繰り返していたらしく、即座に反撃の手を撃ち返して来た。
まぁ、八一君と山刀伐さん、二海堂と云った超一流の名棋士の薫陶・試練を長らく経て来た訳だから短時にそんな対応に至るのも当然ではある。
そして夕食休憩も過ぎ、両者秒読みとなった午後10時30分となった時点で残り持ち時間は……
僕→5分
あいちゃん→3分
であり、後は決着迄指し続けるだけとなった……
結果………、
160手を以って僕の勝利となった。
その後の感想戦で検討すると、僕の見落していたあいちゃんの勝ち筋が2つ程浮かんでおり、僕は拾った勝利で、あいちゃんは土壇場で際どく逃した金星なのが改めて明示されていた。
そして年が明けて2月……、
あいちゃんに新たな命が宿ったニュースが全国の将棋ファンに喧伝される事となった……