放課後。
私は落ち着いた雰囲気の喫茶店で人を待っていた。お客さんが出入りする度にチャリンと鳴るベルの音が心地いい。
スマホのメッセージアプリを確認すると、待ち合わせ相手のつむちゃんから「もうすぐ着くよ」と連絡が入っていた。
窓の外を眺めながらちびちびとお冷を飲んでいく。こういうお店で飲むお水って何でかおいしく感じる。小さい頃からの不思議だった。
そんなことをぼーっと考えていると、再び入り口のベルが鳴った。
「莉緒ちゃんお待たせ〜」
「ううん、全然待ってないよ〜」
お互いにひらひらと手を振り合いながらつむちゃんが席に着く。肩まで伸ばした水色の髪がさらさら揺れていた。
「つむちゃんも似合ってるね、その制服。可愛くていいなー」
「莉緒ちゃんも私たちと同じ高校入ろうよ。それとも他に行きたいところとかあるの?」
「ううん、出来れば兄さんとつむちゃんと同じところ行こうと思ってるよ。家からも近いもん」
黒を基調としたブレザーとチェックのスカートに身を包むつむちゃんは、ずっと一緒にいるのにそれだけで大人に見えた。中学三年生と高校一年生だからたったの一歳しか違わないはずなのに、そこには大きな差が存在している。つまるところ、単純に中学生にとって高校生は憧れなのだ。
「あ、飲み物とか注文しよっか。そうだなぁ、私は……オレンジジュースで」
「なら私もつむちゃんと一緒にしよ」
パタンとメニュー表を閉じると、つむちゃんは二人分の注文を済ませる。
オレンジジュースはすぐに運ばれてきた。
「それで、どうしたの? つむちゃんがこういう場所に誘うのって珍しいけど」
「あー……うん。ちょっと話したいことがあってさ。その、悠里くんのこと、なんだけど」
つっかえつっかえそう告げるつむちゃんを見て、私は口に含んだジュースを勢いよく飲み干した。
「つむちゃん!? まさか、ついに……?」
「やぁー違う違う! そういうのじゃないの! 本当に、そういうのじゃ」
揶揄い混じりのリアクションをすると、つむちゃんの表情に少し影が差した。
あれ? 恋バナ……じゃないっぽい?
真面目モードの話の気配を感じ取った私は一度姿勢を正す。
「その……最初に聞きたいんだけど、家での悠里くんってどんな感じ?」
「どんな感じって言われても……普通かな? 兄さんはいつも通りの兄さんだけど」
「笑ったり喋ったりする?」
「うん? うん。笑うし喋るし、一緒に夕御飯作ったりしてるよ。どうして?」
「そっ、か。そうなんだ……」
「つ、つむちゃん……?」
質問の意図がよくわからない。だけど、つむちゃんがこんな顔をするんだからきっと大事なことなんだろう。
私が黙って続きを待つと、つむちゃんは話を続けた。
「あのさ、何となくわかってると思うけど私と悠里くんってここ一年間くらい会ったり喋ったりしてなかったんだよね。私が悠里くんを避けちゃってて」
「あー……うん。確かにそんな感じだったね」
「その、莉緒ちゃんのお母さんたちの事故があってからなんだ。私が悠里くんと距離を置くようになったの。あっ、莉緒ちゃんとは全然そんなことなかったけど」
そう言われて振り返る。
確かに兄さんとつむちゃんが一緒にいる姿を見なくなったのは、あの事故の後からだったような気がする。それまではよく三人で一緒に登校したりお互いの家で遊んだりしていた。
一度兄さんに何でつむちゃんと最近一緒にいないのかを聞いたことがあったが、その時は「なんでだろうね」とよくわからない返しをされたのを覚えてる。
私が当時を回想していると、目の前に座るつむちゃんは意を決したように口を開いた。
「でね、私が悠里くんを避けるようになった理由なんだけど……辛かったからなの。悠里くんを見てるのが」
「兄さんを見てるのが辛い……?」
「うん。その、変わらなかったんだ。悠里くんの様子が。莉緒ちゃんもあの時落ち込んじゃってたでしょ? なのに悠里くんは全然そんな素振りがなくてさ。普通は傷ついたり落ち込んだりするはずなのに、あの時の悠里くんはいつも通りに笑って喋ってた」
つむちゃんは一度言葉を区切る。
「その姿を見てるのが私は辛かったの。本当は悲しいんじゃないかな、苦しいんじゃないかなって。そこで寄り添えたらよかったんだけど、私は逃げちゃった。そして今までそのままになってたの」
つむちゃんがオレンジジュースを飲む。
私も同じように喉を潤した。
多分、この話にはまだ続きがあるから。
そんな私の意図を汲み取ったのか、つむちゃんは「ありがとう」とお礼を言う。
「それでね、ここからが本題なんだけど……本当に悠里くんは家だといつも通りなんだよね?」
「うん、そうだよ」
「莉緒ちゃんには前に言ったけど、私と悠里くんって同じクラスになったんだよね。そこで久しぶりに悠里くんの姿を見たの。でね、私きっと変わってないんだろうなって思ってたの。悠里くんは中学の頃みたいに笑ってるんだろうなって。でもね」
全然違ったの。
静かにそう零すつむちゃんの顔には、痛々しいほどの悲しみが滲んでいた。
その表情を見て、私まで胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「信じられないかもしれないんだけどさ、悠里くんの自己紹介、すごく素っ気なかったの。自分の名前とよろしくお願いしますだけ。教室でも誰とも話さないし、休み時間になると一人で何処かに行っちゃう。そこで気付いたんだ。あぁ、変わっちゃったんだって。私は今まで何してたんだろうって」
「ちょ、ちょっと待ってよつむちゃん。それ本当に兄さん……? だって兄さんだよ? あの優しくて、人が良くて、誰とでも仲良くできそうな兄さんが……?」
「……うん。本当に悠里くんなの。そういう悠里くんに、なっちゃってたの」
つむちゃんの言っている内容が理解できずに頭がこんがらがる。だって、私が知ってる兄さんの姿と今聞いているそれはあまりにかけ離れていたから。
「……それでね、このままじゃダメだって思って悠里くんに話しかけたの。また三年間よろしくって。よかったらまた一緒に帰らない? って。でも断られちゃった。目も合わせて貰えなかった。もしかしたら……嫌われちゃったのかも」
「そ、そんなことないと思うよ!? だってほら、兄さんだし! そんなことは……」
「ありがと、莉緒ちゃん。でもそれは仕方ないって思ってるんだ。……それよりも私が怖かったのはね、悠里くんの目が真っ黒だったからなんだ。なんの光も写ってない、穴が空いちゃったみたいな黒色。このまま放っておいたら取り返しのつかないことになっちゃいそうだなって思ったの。だから、今日莉緒ちゃんにこの話を聞いて欲しくて呼んだんだ」
一通り話し終えたらしいつむちゃんはゆっくりと息を吐いた。
対して、私は最後まで内容を飲み込むことができていなかった。水滴がコップの縁を伝って流れる。溶けた氷がカランと鳴った。
しばらく頭の中を整理する。
まだ納得はいっていない。いないけど、私は私なりに思ったことをそのまま話した。
「その、まだつむちゃんの話がうまく理解できてなくて、私が知ってる兄さんとはかけ離れすぎてるから信じられないんだけど……けど、一つだけずっと思ってたことがあるの」
俯きがちになっていたつむちゃんが顔をあげる。
今度は私がたどたどしい口調で言葉を紡いだ。
「お母さんたちの事故の後、私はすごく落ち込んじゃったんだけど、確かに兄さんはずっといつも通りだったの。その時は周りを見る余裕なんて全然なかったけど、思い返すと兄さんは私の心配をしたり二人だけになった家のことを色々やってくれてた。もしかしたら、その時のことで精一杯になってて悲しむ余裕も傷つく余裕もなかったのかも……」
そうだ。兄さんはいつも笑ってた。それは今も変わらない。私が立ち直った後も、「大丈夫」「任せとけ」って言いながら不安がっている私を元気づけてくれてた。
思えば、つむちゃんの話に出てきた兄さんを作った原因はそこにあったのかもしれない。
悲しめなかったんだ。苦しめなかったんだ。
そういえば兄さんの弱った姿を一度も見たことがないと、この時初めて気がついた。
どうしよう。そんな漠然とした不安が私の心を染めていく。
「昨日ね、悠里くんがクラスの子に話しかけられていろんな質問をされてたの。その時にその子が悠里くんのお弁当の話をして、手作りだって知ったら親孝行だねって返したの。そしたら悠里くん、急に顔色が悪くなって……何かを我慢するように苦しそうに教室を出て行っちゃって。追いかけようとしたんだけど、「来るな」って感じで睨まれちゃった。私、どうすればいいかわからなくて」
私も、わからない。
一度不安になってしまうと、驚くほどに話の内容が心に入り込んでくる。
どうしようもなく喉が乾いて、私は残りのオレンジジュースを飲み干した。
「ごめんね、暗い話になっちゃって。その、私頑張るから。今度こそ悠里くんの傍にいてあげたい。だから莉緒ちゃんも悠里くんのことをお願い」
「……うん。ありがとつむちゃん。私も頑張る」
何をどう頑張るのか、それも全くわからない。
今までずっと一緒にいたのに何も気付かなかった私がこれからどうすればいいの? 何ができるの?
「よし! じゃあこの話は終わり! 今度は楽しいことしようね。またいっぱい遊びに行こ!」
「……うん!」
つむちゃんは強いなぁ。そんなことを思った。
その後は話を続けられる雰囲気じゃなかったから解散することになった。
まだどうすればいいかはわからない。わからないけど、何か私にできることがあればいいな。
今はただ早く帰って兄さんに会いたい。それだけだった。
○●○●
学校行きたくねぇ。
高校入学三日目。僕は早くもサボり魔になろうとしていた。
だって『Loving Days.』って学校で起こる恋愛ストーリーだもん。主要キャラほとんど学校に揃ってんだぜ、恋愛と真逆のことしようとしてる僕からしたら進んで行く意味がわからない。
とはいえ一応ここは現実だ。僕はただ記憶を手に入れただけの「僕」だし、前世があったとか並行世界があるかもとかは何も知らないし興味もない。
だから、当然ヒロインがたくさんいるので学校行きたくないピヨ〜と吠えたところで無駄に欠席を増やす損でしかないのだ。
ただでさえ両親不在で学費は祖父とか親戚とかから出して貰ってるんだ。今まで真っ当に生きてきた清く正しい僕からしたら流石に抵抗がある。莉緒にも心配かけちゃうしな。
そうだ、莉緒といえば昨日なぜか莉緒が異様に優しかった。
放課後に紬と遊んでくると連絡を受けて、「そうだよね、僕はともかく二人は普通にずっと仲良しだもんね」とか考えながら僕はリビングで一人録画してあった映画を鑑賞していた。
これがまた泣ける名作だったのだ。
涙ぼろぼろ鼻水だらだらで作品を観終わった余韻に浸っていたらちょうど莉緒が帰ってきて、とてもじゃないが兄の威厳を感じられない顔をしている僕を見て驚愕していた。
とりあえずいいタイミングだから夕飯の準備をしようとしたら、急に莉緒が今日は私一人で作ると言い出したのだ。
別に僕も暇だしいつものことだからと手伝おうとしたが、何かと理由をつけられてゆっくりしてろと戦力外通告を受けた。悲しいので泣いていいですか。
料理の最中も莉緒はやけに晴れない顔をしていた。どうやら兄としてまずい姿を晒してしまったらしい。
莉緒だってこんなにいい子だけど普通に思春期の女子だ。何がきっかけで紬みたいに距離が開いてしまうかわからない。これからは少し慎重になろうと決めた。僕自身のためにも。この世界で妹から避けられるのはキツい。安置が安置じゃなくなる。
出来上がった料理を手放しで褒めながら完食すると、莉緒はようやく笑顔を見せた。どうやら兄孝行をしたい気分だったらしい。嬉しいので泣いていいですか。
その後も肩を揉むだの明日のお弁当は私が作ってみるだの、兎に角至れり尽くせりだった。珍しすぎて途中からちょっと引き気味だったもんね、僕。
とまぁそんな回想をしていると嫌なことに学校に着いてしまう。帰りたいね。帰らないけど。
のんびりと教室に向かっていると、ふと目の前を歩いていた人物のポケットから何かが落ちた。パッと見た感じハンカチっぽい。
間抜けだね、なんて辛辣なことを思いながら落とし主を確認すると、それはどうやら我がクラスのヒロインの一人、白石舞らしい。手入れされた黒髪が印象的だった。
──まーた露骨なフラグきたなこれ。
本人は落とした事に気付いてないらしい。何事もないかのように足を進めていく。
そんな後ろ姿を視界に入れながら、僕も当然同じように足を進めた。
白石、知ってるか? 名前も知らないどっかの誰かの調査によると日本じゃ落とし物が返ってくる確率は七割強くらいあるらしい。だとしたら僕はその残りの三割を担うレアな人材なんだぜ。
落とし物は無視に限る。やってることはクズ極まりないが、それでもなんだか悪い気はしなかった。