デバフネイチャはキラキラが欲しい 作:ジェームズ・リッチマン
Eclipse first, the rest nowhere.
部屋に飾られたその標語は、かつて存在したという一人のウマ娘に対する賛辞であり、事実らしい。
唯一抜きん出て並ぶもの無し。その言葉がトレセン学園の生徒会室に掲げられていることの意味を思うと、この部屋そのものから威圧されているような気になってしまう。
「まあ、楽にしてくれ。今日は仕事を頼もうというわけでもない」
しかし対面のソファーに腰掛けたエアグルーヴさんからは、私に対する気遣いが見えた。
当初は廊下での出来事についてお咎めをもらうのではないかとビクビクしたけど、この感じだとそうではないらしい……。
「遅くなってしまったが、ナイスネイチャ。三勝おめでとう。一度だけレースを見させて貰ったが、良い走りだった」
「えっ……ありがとうございま……見てたんですか?」
「一勝クラスのレースをな。会長も貴様のことを気にかけているようだったぞ」
「……あはは、私そんな大したもんじゃないですけどねぇ……」
「貴様のレースを見てそう思うウマ娘はそう多くないだろう。……見事なものだ。この私をして、ナイスネイチャ。貴様ほど器用には走れないだろう」
どうやらエアグルーヴさんには既に私のスタイルを見抜いているようだ。
まあ、この人ほどの実力があれば一レース見るだけで充分か。だとすると観客の間にもほとんど伝わっていると見た方が良さそうかな。
「……ナイスネイチャ。貴様の走りは見事だ。少なくとも私自身……いや、多くのウマ娘達はそれを否定しないだろう」
エアグルーヴさんが言いにくそうにしている。
さすがになんとなく、話の流れがわかってきた。
「観客はそうは見ない、ってことですかね」
「……ウマ娘のレースは世界中で親しまれている。人気も高いがそれ故に、一部には我々に独自の理想を押し付けようとする者もいる」
「ラフプレーギリギリの戦術を多用する汚いウマ娘。スポーツマンシップに悖る妨害ウマ娘……いやぁ、今からでも見出しが眼に浮かぶようですな……」
「……そこまでわかっているなら、楽観視しているわけでもあるまい。……辛い道だと理解しているのだろう」
親身だ。優しいな。エアグルーヴさんは完全に私の立場に寄り添って助言してくれている。
そう。私のスタイルはお世辞にも綺麗なものではない。
ウマ娘達からの理解は得られるだろう。けど、それと多くの観衆に認めてもらえるかどうかはまた別の話だ。
レースはスポーツだ。そしてスポーツには、どうしてか崇高さや清廉さが求められる。走る当人ではなく、それを見る側の人々が求めている。
爽やかに汗を流し、美しく切磋琢磨し、真っ直ぐに成長し、そしてゴールを切る。人々はそんなキラキラしたドラマを求めているんだ。
冠を取る瞬間を。レコードを叩き出す瞬間を、誰もが心待ちにしている。
私のような走りはきっと、疎まれるだろう。
いつしかウマ娘界のヒールとして、映りの悪い写真を紙面に掲載され続けるかもしれない。
「実を言えば既に……ナイスネイチャのプレースタイルに対する取材の申し込みが学園に入っている。小さなWEBニュースからの取材だった。あまりに横柄な態度であったから断ったがな。それでもこれから貴様の走りに注目するメディアも増えていくだろう。トレセン側としては、悪意ある取材は拒否できるが、それでも……」
「耐えられますよ」
私は先回りして答えた。
「私は一着が欲しいから」
そう、一着が欲しい。銅でも銀でもない、金色のキラキラが欲しい。
そのためならできることをする。なんだってやる。私のスポーツマンシップに反しない限り、あらゆる手を尽くして他人の足を引っ張ってやるのだ。
私の勝利にレコードはいらない。欲しいのはただ、最初にゴールを切る瞬間だけだ。
「それに、メディアとかに注目されないと困るっていいますか……だからできる限り、取材も受けたいなーって」
「……無謀だ。貴様はメディアの悪意を知らなさすぎる」
「注目されてなくちゃ、意味がないんです」
テーブルの片隅に一枚のコインを置く。
「む……」
エアグルーヴさんはふとそちらに目をやり……気付いた時には既に、私に出されたお茶の中で一輪の花が咲いていた。
ミスディレクション。視線を誘導する手品の基礎にして、私の小細工の過半数でもある。
「私は弱いです。なんというかまあ、普通に遅いので。……走っても走っても、ほとんど伸びない。タイムが全然変わらない。普通だったらそんなウマ娘は誰もマークしないし、気にも留めません。……そうなると、私の小細工の効力が弱まってしまうんです」
「……あえて悪評の流布を許すことで、注目されたいというのか」
「いっそ乗ってやってもいいですかねぇ。演技にはあまり自信ないけど。ははは……」
「本気なんだな」
「まあ……わりと、最初から」
他人の足を引っ張る。そう決めた時からずっと考えていたことだ。
考えることだけは得意だし、それだけの時間はあった。覚悟はとうにできている。
「……そう、か」
エアグルーヴさんは私のお茶に挿された花を机の花瓶に戻し、考え込んだ。
そう長い時間でもなかった。彼女は怜悧そうな目を私に向け、よしと頷いた。
「ならばナイスネイチャ。これからは定期的に私と並走しろ。個人的にトレーニングを付けてやる」
「へえっ?」
驚きすぎて変な声出ちゃったんですけど。
「本気ならば、技術だけではなく基礎にも全力で打ち込め。貴様が遅いと思うならば速く走れるようになるまで、私は付き合ってやる」
「え、い、いやぁ……そんな女帝と呼ばれるエアグルーヴさんにそこまで手を煩わせるのは、私ちょっと」
「苦手な部分に目を背けるな。……安心しろ、無駄骨にはさせん。私も小手先の技に詳しいわけではないが、追い上げる相手に対抗する術であれば、多少は覚えがある。少なくともそれだけは、貴様の流儀に反するものでもないだろう」
「!」
後ろから追い上げてくる相手の対策。そんなことにまで協力してくれるなんて。
「そしてナイスネイチャ。一時の悪評に苛まれることは仕方なしとしても、その状況に甘んじるな。貴様が本気だというのであれば、自分の走りが技術の結晶であるのだと……いずれは世間に認めさせ、誇ってみせるのだ」
「……なんで副会長さんは、そこまで私に? 同じチームでもなんでもないのに……」
「しれたこと」
エアグルーヴさんは少し照れ臭そうに笑った。
「貴様の、……計算し尽くされたあの美しい走りが、不当に貶されるのが我慢ならない。同じウマ娘としてな。……ただ、それだけのことだ」