デバフネイチャはキラキラが欲しい   作:ジェームズ・リッチマン

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帝王の余裕

 

 “普段は話しやすくて気の良い友達だったのにいざレースになるとそれまで見せたこともない熱っぽい眼差しとささやきで翻弄してきて、かと思えばまた再び学園に戻ってみると何事もなかったかのように普通の友達として振る舞うものの、どうしてもレース中に見せるSっぽい雰囲気が忘れられないせいでもう普通の友達としては見られなくなってしまうポニーちゃんが日に日に増えていくナイスネイチャ”

 

 

「……」

 

 トレセン学園の生徒からの希望や要望を集めるため、生徒会はアプリによる目安箱を作り、そこで様々な生の声を集めている。

 人知れず壊れていた備品や目立たない場所で欠けていたタイル、畑の近くに作られた落とし穴に対する苦情、食堂に和菓子を追加してほしいという要望、新しいトレーニング機材に関する提案、突然現れて背中を蹴ってくるウマ娘に対する苦情などなど。

 エアグルーヴは空いた時間を見計らっては、目安箱に投函された様々な提言を確認し、有用なものについては生徒会の議題として上げることも多かった。

 

 が、生徒の中にはこの目安箱を己の情熱、あるいは趣味の捌け口か何かと勘違いしている者もおり、エアグルーヴとしては正直に言ってやめてほしかった。

 やめてほしかったのだが、いざ本人にやめろと問い詰めてみても“私のリビドーが抑えきれなくて”などと意味不明であり、実際に手の震えや激しい妄想による禁断症状が抑えきれないようだったので、現在では“目安箱に吐き出す程度なら害もないか”と前向きに諦める事にしている。

 

「エアグルーヴ、どうした? 浮かない顔をしているようだが」

「いえ……目安箱に怪文書が投函されていただけでしたので。削除しました」

「怪文書? そうか。問題がなければ良かった」

 

 シンボリルドルフは暇を見てはエアグルーヴの仕事を手伝おうとするが、こればかりは外に出すわけにはいかない。

 過酷な仕事に携わるのは自分だけでいい。エアグルーヴは女帝として、決意を新たにした。

 

「ところで、ナイスネイチャのことですが」

「ああ、彼女もついにオープン戦に出るらしいな。一時はどうなるものかと思ったが、スランプは脱したらしい。喜ばしいことだ」

「……しかしそのオープン戦の相手は、トウカイテイオーですがね」

「ナイスネイチャが上を目指すのであれば、遅かれ早かれかち合うことにはなっていただろう。それに、後から出走登録を入れたのはナイスネイチャの方だ。彼女もある程度の覚悟は決めているはずさ」

 

 シンボリルドルフにとって、トウカイテイオーは自分の身内にも等しいウマ娘だ。

 生徒会長である以上は依怙贔屓はしないつもりでいるが、応援したい気持ちとしてはどうしてもトウカイテイオーに比重が傾く。

 もちろん、ナイスネイチャも可愛い後輩として目をかけてはいるのだが。

 

 シンボリルドルフが窓に寄って外を見ると、ダートコースの上をナイスネイチャが走っている姿が見えた。

 学園が終わって日が暮れる頃になっても、彼女は身体が壊れないギリギリを見計らいながら走り続けている。

 努力の量だけならばナイスネイチャも引けを取らないだろう。それでも、差が生まれるのがこの世界だ。

 

「テイオーはこれまで負けることなく走り続け、その強さを示し続けてきた。しかしウマ娘の強さとは、ただ速いだけのものばかりではない。柔能制剛。ナイスネイチャのように巧みな技を操るウマ娘ともぶつかるだろう。あるいはナイスネイチャにとっても、テイオーのような天才との戦いは初めてかもしれん。……レースは真剣勝負の場だ。しかし、きっと若駒ステークスは両者にとって切磋琢磨に値する、成長の場となるかもしれない」

「……会長はどちらが勝つと思われますか?」

「レースに絶対はない……と言いたいが、まずテイオーが勝つだろうな」

 

 それは贔屓目を抜きにしても尚、即答できるものだった。

 エアグルーヴもナイスネイチャに対する思い入れはあったが、そうだろうなと頷くしかない。

 それほどまでに、トウカイテイオーとナイスネイチャとの間に横たわる溝は広く、深かった。

 

「カイチョーいますかー」

「おや」

「噂をすれば、ですね。入って良いぞ」

 

 扉の外から聞こえたのはトウカイテイオーの声だった。

 シンボリルドルフを迎えにきたのだろう。時間が合う日はよく二人は帰路を共にするのだ。

 

「カイチョー、迎えにきたよっ」

 

 扉の向こうには、満面の笑みを浮かべるトウカイテイオー。

 初めて会った時から背丈は伸びたが、シンボリルドルフに懐く子犬のような姿は小学生の頃から変わっていないようにも感じる。少なくともシンボリルドルフにとって、トウカイテイオーはいつまで経っても可愛い後輩だった。

 

「ああ。丁度仕事も終わって、エアグルーヴと話していたところだった」

「ふーん、なんの話?」

「テイオーの話さ。来年の若駒ステークスを楽しみにしているとね」

「っへへー、任せてよ! ボク、ラクショーで勝っちゃうもんね!」

 

 あくまで若駒ステークスは皐月賞への踏み台。トウカイテイオーにとってはそうなのだろう。彼女の実力であればそう考えるのも当然ではある。

 しかしエアグルーヴにとって、テイオーの浮かれようは少々行き過ぎているように思えた。

 

「トウカイテイオー貴様、油断しすぎではないか。余裕と油断は似て非なるもの。楽勝かどうかは勝ってから言うことだ」

「うぇ……はぁい……」

「それに、若駒ステークスにはナイスネイチャも出走する。あまり腑抜けた走りをすれば、彼女に差し切られるやもしれんぞ」

「……ナイスネイチャ?」

 

 トウカイテイオーのぽかんとした顔を見て、二人は首を傾げた。そしてすぐに思い当たる。

 

「テイオー、知らなかったのか。確かナイスネイチャはテイオーと同じクラスだったはずだろう」

「えー、知らなかった……というか、ネイチャってオープン戦に出るの? そんなに勝ってたんだっけ……」

「呆れた。同じクラスのライバルのことも知らずにいたのか? 」

「だ、だってネイチャとは漫画とかスイーツの話しかしないし……ボクだって初耳だよぉ」

 

 ナイスネイチャとは、トウカイテイオーにとってクラスの友人でしかなかった。

 走りについてはほぼ何も知らない。授業の一環である合同レースでもパッとしない走りしかしないので、ライバルという意識も全くなかった。

 クラスで一番頭が良くて、漫画の話では気が合う。その程度のものだ。

 

「見てみろ」

 

 シンボリルドルフは薄暗い窓の外に顎を向け、トウカイテイオーに示す。

 トウカイテイオーが何事かとコースを見ると……しばらくして、そこを走るウマ娘の見慣れた鹿毛に気付いた。

 

 足場の悪いダートを黙々と走るナイスネイチャ。

 近くにはチームメンバーもおらず、トレーナーの姿もない。彼女はたった一人でトレーニングを続けている。

 

「彼女の走りは面白い。若駒ステークスでは、きっとテイオーも驚くことだろう」

「……ふーん」

「少しは油断も消えたか?」

「油断なんてしないよ! ボクは、ボクが一番だってことを走りで証明するだけだからね!」

 

 トウカイテイオーは不敵に笑う。

 ともすれば傲慢に、生意気に。

 

 だがその笑みが強者の特権でもあることを、エアグルーヴは理解していた。

 それだけに、ナイスネイチャの先が思いやられてしまう。

 

 小手先の努力を崩すのはいつだって、純粋に強大な力なのだから。

 


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