デバフネイチャはキラキラが欲しい 作:ジェームズ・リッチマン
自分が速くなれないなら他人を遅くすればいい。
そんなヒール丸出しのスタイルで行くことに決めた私は、当然それまで続けていた練習内容を一新させることになった。
そうは言っても基礎は変わらない。
私みたいな弱々モブ娘はサボったツケは高くついてしまう。継続は力なり。私はその言葉の果てに結果を出せなかったが、今でも言葉そのものは否定しきれない。
思うに、必要なのはスタミナだ。これからの私には、何は無くとも持久力が大事になる。
プール、坂路、腿上げ。とにかく今までよりも露骨にキツさを感じるトレーニングに重きを置くことにした。
もちろん、自分に足りないものはわかっている。スピードだ。
速さの足りていない私が今こんなトレーニングするのは少し的外れかもしれない。それでも、私はひたすら体力増強に時間を費やした。
「精が出るな、ナイスネイチャ君」
「! 会長さん……」
ある日、プールで肺活量を鍛えていた時のこと。
偶然その場に居合わせていた会長……シンボリルドルフさんが、私に声をかけた。
皇帝、シンボリルドルフ。そしてトレセン学園の生徒会会長。誰もが憧れる最強と名高いウマ娘が彼女である。
本来なら私のような未勝利のウマ娘なんかとは生きる世界が違うお人なんだけど、以前会長が口にしたギャグを聞いて思わず笑ってしまった時からというもの、ちょくちょく会長さんの方からコンタクトを受けている。きっかけはともかく、気に入られたのだと思う。
「お疲れ様でーす……えと、会長さんもプールですか?」
「いいや、私は備品の点検だ。季節も終わって、そろそろプールの利用者が減るだろうからな。これを機に消耗した備品のチェックをしておきたい」
「はぁー……生徒会って大変……お疲れ様です、会長さん」
「ふふっ、なに。これが仕事だからね。ありがとう、ナイスネイチャ君」
「……あ、私もうそろそろ上がるんで、よかったらお手伝いさせてください」
「手伝いか」
会長さんは少し考える素振りを見せたけど、頷いてくれた。
「うん。ナイスネイチャ君が手助けしてくれるのであれば仕事も早く終わるだろう。こちらからも、よろしく頼むよ」
「是非!」
私は予定を少し早めに切り上げて、会長さんの備品チェックを手伝った。
元々こういう仕事には慣れているし、生徒会の手伝いも初めてではない。
何より会長さんと一緒に仕事しているとスムーズに事が運ぶ。
近頃はハードトレーニングばかりで根を詰めていたので、半頭脳労働は丁度いい息抜きにもなってくれた。
「最近、調子はどうだろう」
備品のチェックが終わった後、会長さんはそう切り出した。
多分、私のスランプを知った上で言っているのだろう。彼女は後輩をよく気にかける人だから。
「あはは……正直、良くはないです。けど少し前からトレーニング内容を見直したので、それで不調を脱却できたらなーって、思ってるところです」
「ん。そうか……もし私に手伝えることがあれば、遠慮なく言ってくれ。とはいえ生徒会の仕事も忙しいから、併走するにも調整がいるだろうが……」
きた。これを待ってた。
「えーっと、じゃあ、少しお話しさせてください」
「話?」
「はい。走る時のコツについて、実は前々からお尋ねしたいことがあったので。是非ヒントを貰えたらな、と」
「相談くらいならいくらでも力になるよ。何だろう?」
皇帝シンボリルドルフの助言。まさに金言だ。どれだけ優秀なトレーナーでも、実感の込められた彼女の言葉には敵わないだろう。
私の新しいスタイルを完成させるためには、会長さんのアドバイスが不可欠だ。
「会長さんって、中盤から追い上げて前に出るスタイルですよね。前半は脚を溜めて、最後の最後に突き放す、っていう」
「ああ。前に出るのも苦手ではないが、後方からの始まりが多いな」
「でも会長さんのレース、どれもスタートに出遅れてるわけじゃないですよね。むしろ綺麗にゲートを出てる。けど、そのあとスッと後ろに下がってるっていうか」
「……良く見ているな」
当然。他人のレースだけは何度も何度も見て勉強している。
そんな中でもシンボリルドルフのレースは異色だ。
まるでシンボリルドルフただ一人が主役であるかのように、他のウマ娘たちが帝王の走りを前に屈服しているかのような……そんな幻覚さえ見るほどに。
でも、きっとそれは幻覚とかじゃないんだ。
「会長さんのレースでは、他のウマ娘はみんな……慄いてるように見えるんです。多くの人が中盤以降ペースを崩して、ヨレる。終盤では何人もバテている。その理由が知りたくて」
「……なるほど」
会長さんはニヤリと笑った。
「真正面からそこまで見破られたのは初めてかもしれない。ナイスネイチャ君。君の目の付け所はとても良い。……しかし、中身はそう難しいことでもないんだ。トリックとも言えない、簡単な牽制だよ」
「牽制?」
「ああ。綺麗にスタートを切って、前に出る。少しオーバーなくらい速度を出してペースを上げて、他のウマ娘の作戦を乱すんだ。言ってしまえば、それだけのことだよ」
「……ペースを乱す、なるほど。序盤は後方に位置取るはずの皇帝が、思いの外前にいるから……尚更みんなは焦るんだ……」
「私自身の存在感や注目度があってこその牽制、とも言えるんだがね。意識を向けられやすい前提があるからこそ、相手が引っ掛かる。そういう意味では小手先のテクニックでしかないんだが……私はそれを含めての、私の走りだと自負しているよ」
皇帝といえば圧倒的な走りで勝つ印象ばかりだったけど、違った。
会長さんのようなウマ娘でもこういう作戦を立てているんだ。
意外でもあるけど、皇帝シンボリルドルフらしいといえば、らしい気もするから不思議。
「ゲートが開く時は誰もが集中している。逆を言えば、他の意識は否応なく疎かになる。互いに位置も近く、仕掛ける最大の好機と言っても良い。百メートルにも満たない、ほんの一瞬の間の出来事だが……私はこの一瞬も大事にしているよ」
「……いやぁ、会長さんはさすがですなぁ……私には真似できそうもないですわー」
「ふふ。まあ、そんな走りをする相手もいるかもしれない。知識として、気構えの一つとして頭の片隅にでも入れておくといいだろう」
そう言って会長さんは柔和な笑みを浮かべたのだった。
「……ふぅー」
夜のターフ。
人気のないコースの上で、私はもう一度ダッシュを再開する。
「はっ、はっ、はっ……!」
急加速、減速。急加速、減速。
イメージはスタート時の先駆け。誰よりも速く先頭に躍り出るための鋭い踏み込み。
私は差しウマだ。まかり間違っても前の方で競り合う脚質ではない。
だから本来、こういうスタートダッシュは必要ない。
でも、これはきっと私の武器になる。
「あと、もう一本……!」
その日、私はプールで追い込みきれなかった分を取り戻して余りあるほど、へとへとになるまでトレーニングを行った。