デバフネイチャはキラキラが欲しい 作:ジェームズ・リッチマン
中山レース場。
天気は曇り。バ場は稍重。
フルゲート18人……GⅠ、皐月賞。
会場は、パドックに入る前から既に沢山の人で埋め尽くされていた。
とはいえ、まあ、見慣れない景色ではない。
テレビの中継を見ていれば重賞での観客の多さはわかるもんだし、東京に来てからは何度もレース場に足を運んで実際の走りを見ている。
だから人が多いのはわかっていた。心構えもしっかり固めてきた。……それでも、いざ当事者になってみると……結構緊張するもんだわぁ。
「ナイスネイチャさん」
ズン。と肩に重さが加わる。
イクノディクタスが珍しく、ボディタッチで励ましてくれたらしい。
「貴女ならいけます」
「……ありがと。イクノディクタス」
「ふふん。ターボが代わってもいいよ?」
「ばーか。私の晴れ舞台なんだから、ちゃんと見てなよ。ターボ」
廊下を歩き、芝の上に出ると……歓声はより一層、強いものになった。
そこに交じるブーイングじみた声も目立つけれど、それに勝るほどの……音圧。
皐月賞。クラシック三冠の最初の一つ。
モブキャラには似合わない晴れ舞台に、私は今、立っている。
「ああ……曇りなのに、眩しいや」
雲の向こうに太陽が見える。直視しても誰も文句を言わないくらいの控えめな輝き。けど不思議と、私にはそれがキラキラして見える。
……集中していこう。
皐月賞は生半可な集中力で勝てるレースじゃないんだ。本気で挑んでいけ。私。
「ネイチャ」
「ん、テイオー」
私達が入場したよりも大きな歓声に迎えられて、トウカイテイオーはターフに入ってきた。
白と青の軍服のような勝負服。帝王の名に相応しい、とても凛々しい姿だった。
「ネイチャの勝負服……可愛らしい感じなんだね」
「あはは……他の子と比べたら結構地味めになってるんだけどね。ありがと。気に入ってるんだ」
私の勝負服は、赤と緑をメインにしている。
ポインセチア。あるいはクリスマスカラー。胸元のリボンが特にお気に入りだ。勝負服は自分の希望も結構通るもんだね……ダメ元で言ってみて良かったわ。
……けど。
「この服を着たからには、私は勝つつもりで走らせてもらうんでぇー……よろしくね。トウカイテイオー」
「! ……うん! けど、ボクだって一着を取るつもりで走るから! ネイチャはその後でゴールしなよ」
「言ったなぁ?」
「言ったよぉ?」
「ふーん……じゃあ賭けしよっか」
「賭け?」
トウカイテイオー。キラキラウマ娘。皐月賞最大の強敵だ。
まだゲートインすらしてないけど……彼女に関しては、今からでも牽制しておいた方が良い。
「私が負けたら、そうねー……トウカイテイオーの言うこと、なんでもひとつだけ聞いてあげよっか」
「え」
「逆に私が勝ったらさぁ。トウカイテイオーになんでも一つだけ命令させてよ。どう?」
「め、命令かぁ……」
「あれ、自信ない?」
そう言うとムッとするんだよね。わかりやすいんだ。
「勝つのはボクだから関係ないよ。ネイチャこそ良いの? ふふーん……なんでもってことは……なんでもだよー?」
「もちろん。テイオーこそ、どんなに恥ずかしい命令でもちゃんと聞いてもらうからね」
「は、恥ずかしいって何させる気なのさ!」
「そりゃまぁ……ねぇ?」
髪で口元を隠して不敵に笑ってみせるけど、そんなの全然考えてもいない。
勝った時のことは勝ってから考えればいい。今私に必要なのは、少しでも他人のコンディションを不安定にさせることだ。
「もう……ほんとネイチャはレースの時、意地悪になるんだから……!」
テイオーは少し怒ったように、動揺したように立ち去っていった。
悪くない。今日のテイオーはなかなか不安定気味だ。
「運は向いてる……」
重要なのが枠番だ。
なんと今回、テイオーは18番からスタートになる。
大外からの出走は結構なハンデになるはずだ。私は2枠3番で内側も内側。個人的にマークしてる強敵は近くにいないけれど、その分周囲のウマ娘を“けしかける”ことは簡単そうだ。
……芝2000メートル。長いようで……短い。とても短い。
テイオーの得意な距離っていうのが厄介だ。仕掛けるにしても時間とタイミングが限られる……そんな中で、有効な手を打ち続けなければならない。
私の勝負服は地味だ。地味だけど、それだけにレース中は“溶け込む”はず。
何度も何度も仕掛けよう。しつこく。執拗に。
大げさなくらいそこまでやってようやく、私の勝機が見えてくるんだ。
「おいっすー、ナイスネイチャでーす! 今日は皆よろしくねー!」
ゲート前に集まって皆に声をかけると、訝しむような、警戒するような視線がこちらに向いてくる。
ひーふ……うん。全員警戒してるね。当然か。一見さんはいないってことね。
けどそれも織り込み済み。私のすべきことは変わらない。
「今日はトウカイテイオーが一番人気だからなぁ……相手は大外とはいえ、どう走ったものか……」
出走前にはとにかく喋る。集中を乱す。ついでに私以外のライバルを意識させる。
「ブレスオウンダンスの末脚を考えるとあまりペースを抑えたくもないし……サーザンスキーを前に行かせたら厳しくなりそうだし……まぁ一番はテイオーのマークかなぁ……」
人気のウマ娘の名前を上げて周囲に警戒させる。
名前を使われた子はギョッとしてるけど、ごめんね。実際ライバルになり得るから邪魔はするよ、もちろん。
「とにかく前だ。前に行かなきゃ勝負できない。それは間違いない……。しっかりしろ、私!」
ゲートに入っても大げさなくらい独り言を垂れ流す。隣のアナザーユーが迷惑そうにしてるけど気にしない。私の独り言を聞け!
「まず最初に内側取ってー……あっ、この手もありかな……?」
一人一人、ゲートに入っていく。閉まる音で残り人数をカウントする。最後の一人が入ったら臨戦態勢だ。そこに集中力を使う。
「泥が跳ねて目に入ったら痛そうだなぁ……きっとまともに走れなくなっちゃうくらい」
「……!」
足元の重い芝を踏み固める。無いよりはあったほうが良い程度の地固め。気休めでも良い。初動だけでも速くするために。
「皆も気をつけないと、今日は思わぬ怪我とか――」
開く。開くぞ。
ガタン。
さあ来た!
「皐月賞、いただきッ!」
「ッ!」
「くっ……!」
数人の出遅れ横目にいつもの好スタートを切り、私は皐月賞の暫定一位に躍り出た。
問題はこれを、ゴールで再現できるかどうかだ。