デバフネイチャはキラキラが欲しい 作:ジェームズ・リッチマン
他人の足を引っ張るとはいえ、それはルールの中に収まっていなければならない。当然だけど。
斜行で後続を妨害するだとか、故意の接触や暴力で相手を痛めつけたりなんかは当然NGだ。悪質な場合は出場資格取り消しなんていうのも当然あり得る。
でも、逆に言えばそれ以外のやり方だったら案外セーフなんだよね。
足で蹴り上げた土を後続に浴びせたり、強い相手を無意識のうちにマークしてブロックしたり……もちろん故意は駄目だけど、偶然であれば結構寛容だ。
とはいえ最大の問題として、走ってる最中にそんなことしてる暇があるのかっていう話になってくる。
レース中はみんながみんな本気で走っている。邪魔しようと思っても、それが自分の1着に繋がるとは限らない。むしろ足を引っ張った自分も出遅れて、相手と仲良く抜かされるのがいいとこだろう。
だから足を引っ張る時は、一人じゃ駄目。
他のみんな、全員を巻き込んでやらなきゃ活路は開けない。
コツは、あるにはある。
失格にもならず、レースを動かすような……そんなコツが。
△ ◎ △
未勝利戦が始まった。
デビューからまだ一勝できていないウマ娘たちが集う、格落ちのレース。
それでもみんなの勝利への執念や執着が薄いだなんてことはこれっぽっちもなく、パドックを見れば飢えた獣のような目をしたウマ娘がピリピリとした笑顔を観客たちに向けている。
みんな必死だ。ここにいる人で必死じゃないウマ娘なんていない。
未勝利のまま何年も続けられるほど、中央は甘くないのだ。勝てないウマ娘は引退するか、地方へ行くか。……それはきっと、ここにいる誰もが望んでいない。当然、私もそう。
「勝つ……絶対に勝つ……! 勝って今年中にGⅢまでは……!」
話したこともないウマ娘が拳を握り、戦意を高めている。
レースにかける必死さだけならGⅠウマ娘にだって負けてないだろう。
だから……私は、彼女の肩に手を置いて、ささやくのだ。
「今日はよろしく! 悔いの残らないよう、頑張ろうねー」
「え……う、うん! よろしく!」
笑顔を作るのが得意な私は、努めて人懐こいオーラを出したまま、そのままゲートの中に入っていく。
ゲートが怖いという人がいる。
私も最初は戸惑ったけど、今ではこの圧迫感にも慣れてきた。
「……ま、やるだけやってみますかね」
鉄檻の中、誰もが固唾を呑む。
体をこわばらせ、一瞬を待ちわびる。
開く。向こう側の芝が陽を受けて輝いている。
私は即座に本気の一歩目を踏みしめて、誰よりも速くターフへ躍り出た。
「なっ!」
「させない……!」
後ろからはライバルたちが続く。
逃げ2、先行4、差し2、追い込み1。
距離は2400、晴れ良バ場右回り!
「1着もらったぁ!」
どっかのおバ鹿が開始早々にそんなことを叫ぶ。
一体誰だろう? 言わずもがな私、ナイスネイチャです!
「ふっざけっ……!」
けどこれは立派な作戦だ。
綺麗なスタートを切って先頭を取る。そして後ろのウマ娘を牽制する。
逃げを得意とするウマ娘は少なからず動揺するだろう。このままハイペースが数百メートルも続けばペースを修復するのも難しい。
案の定、私はすぐに抜かされた。そもそもスタートだけ綺麗に決めただけで、ここで釣られて逃げに走るわけにはいかない。
一旦ここで中団に紛れ、息を整えなきゃ。
「はっ、はっ……!」
先鋒を逃げの二人が駆け、私は3番目として垂れ下がる。
下がる時もコースを意識し、なるべく後続の壁になるように沈んでいく。
コーナー。急めの円弧に引き離されないよう、あまりインを意識せずに安定を取って走る。息を取り戻す。
内側から先行のウマ娘が前に出る。続々と抜かされ、私の順位が剥がれてゆく。
最先鋒のペースが速いから、焦っているんだ。少し掛かり気味。
「くっ、そぉ……!」
その中でも特に焦れてそうな一人の顔が横目に見えた。余裕のない表情。狙ってた場面!
仕掛けるなら、ここだ!
「今回はあの逃げ二人で、決まりだね」
「……ッ!」
ささやく。すぐ隣にだけ聞こえるように。
呟くように。惜しむように。
「今いかないと、もう無理かも……!」
「くっ、そぉおおっ!」
先行の一人に火がついた。
レース中盤にあるまじきハイペース。でもその無茶はターフの上に短い奇跡を起こし得るだろう。
ささやかれた彼女は逃げの二人に迫る。
逃げの二人は掛かり気味を自覚しかけた矢先、後続に迫る存在を感じて戦慄する。
他のウマ娘も全体的に伸びた展開に追いつくよう、普段は絶対にやらないペースで加速していく。
自然と私は後方に沈む。七番手。残り1400。さあ、ここからだ。
「貴女は、焦らないんだねっ」
「……!?」
レース前に肩を叩いたあの子がすぐそばにいる。
彼女は息を切らしながらも話しかける私を見て、目を剥いている。
ああ、走りながら喋るの、きっつい。
でも、やらなくちゃ。
「私と一緒だ。“諦め仲間”だね」
「……ッ!」
「ま、一緒にゆっくり、ゴール、しましょ……」
私がそれを言い切る前に、彼女は加速した。
こんな私なんかと並走してたまるものかと、影を振り払うように前へ逃げた。
「……あはっ」
さっきまで“最善だったペース”で走っていた彼女が、破滅的なペースで走ってゆく。
ああ、残酷なことをした。これは悪魔のささやきだ。
彼女は自分のプライドを守るために、破滅のレースに身を投じたのだ。
前側のペースは速いまま。後続が散発的に、不可解なペースで仕掛け続けたせいで息をつく暇もない。
残り800。
最初に崩れたのは逃げウマ娘。最初から飛ばしすぎた彼女たちが真っ先に沈むのは当然のこと。
残り400。
先行組がバテるのを横目に追い抜かす。
ポテンシャルだけなら悪くはなかったはずなのに。
残り200。ラストスパート。
私のささやきを振り払うように駆けていたあの子にも限界がきたらしい。
「はぁ、はぁっ……!」
私はまだ息を残している。
スタミナだけは鍛えに鍛えた。体力勝負に持ち込めるなら、私は堅実に走れるのだ。
彼女と並ぶ。追い越す。荒い息が後ろに流れていく。
ちょっとした罪悪感と、いつにも増してのしかかる疲労感。
でも、最後の最後、一番最初に私がゴールを切った時。
「私が、1着……!」
その一瞬の高揚だけで、私の全ての鬱屈とわだかまりは、取り払われたような気がしたんだ。