デバフネイチャはキラキラが欲しい   作:ジェームズ・リッチマン

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二人きりの魅惑のささやき

 

「おうテイオー。鉄火丼食うか?」

 

 日本ダービーが間近に迫る中、ボクの日課は最終調整のための軽いトレーニングが中心だった。

 普段だったら皆のトレーニングが終わる頃には結構お腹も空いてるんだけど、動かない分カロリーもそんなに使わないみたい。

 自分のトレーニングそっちのけで何故か酢飯を炊いていたゴールドシップは、ボクのために鉄火丼を作ってくれていたみたいだ。

 気持ちは嬉しいんだけどねー。

 

「今は別に食欲無いからなぁ。ボクよりもスペちゃんにあげなよー」

「そうか……いつかテイオーにも食ってもらえるような丼物作ってやるからな」

「ゴールドシップさん! ありがとうございます! ハムッハフハフッ」

「うおおおスペいつの間に!?」

 

 皐月賞に勝って、次は日本ダービー。

 大きなレースが目前になって、チームの皆がボクを気遣ってくれているのがわかる。

 ゴールドシップはあんなだけど、マックイーンもスペちゃんも事ある毎に“調子は大丈夫か”って訊いてくるんだ。

 ボク自身は全然なんともないし、むしろ絶好調なんだけど……。

 

 ……最近のボクの様子がおかしく見えるのは……間違ってるわけじゃない。

 

 

 

「あっははー、それでターボが一回転してさー」

「ふふ、そうなんだ。賑やかでいいね」

 

 大きなレースが近づいてくると、クラスの中の様子もちょっとピリっとする。

 出走する子は当然、出ない子だってなんだかソワソワする。それが日本ダービーという大きな舞台だから。

 そんな中、レースに出る当事者だっていうのに……ナイスネイチャの様子はいつもとほとんど変わらない。

 クラスの子と一緒に喋って、あははと笑って。何事もない様子で、気のいい友人でいる。

 

 ……ナイスネイチャ。

 この前まで、ただ少し話したりするだけの……普通のクラスメイトでしかなかったウマ娘。

 今度のレースでも一緒になる……というのもあるけれど。

 ボクの中で彼女の存在は大きなものになりつつある。

 

「……」

 

 ほら。出た。

 さっきまでただ談笑してただけだったのに。

 相手の子が他の誰かと話し始めたのを横目に見て、その顔が……にんまりと。

 普段は見せないようなものへと変わる。

 

「……えいっ」

「ひゃっ!?」

 

 別の子と喋っていたウマ娘の背を、ナイスネイチャが指でつつっとなぞり、擽った。ただそれだけ。

 

「あはは、ごめんごめん」

「……も、もう。ナイスネイチャったら」

 

 ただそれだけのちょっとしたイタズラなはずなのに。

 

「そういう反応が見てみたくてさ」

「っ……意地悪、だよ……」

「ごめんってばー」

 

 ナイスネイチャの見せる表情が。うっとりとした、何か……色っぽい雰囲気が。

 どうしてか相手の心を、揺さぶってしまうんだ。

 

 

 

 ネイチャは変わった。

 急に……ではない。少しずつ……毎日、少しずつ変わっている。絶対にそう。

 

 確かに以前もちょくちょく変な嘘を吹き込むこともあったけど、近頃は色々な子に……意地悪なことをしている。

 

 別にいじめとか、陰湿なことをしてるわけじゃない。ちょっとしたイタズラ。

 “ひっかかったー”とか、そういって笑って終わっちゃうくらいの、小さなことばかり。

 けど……そうやって色々なウマ娘に意地悪をする時のネイチャの表情や雰囲気は……レースの時に見せる、あの感じに似てて。

 そんな雰囲気に当てられてか、イタズラされた方もちょっと戸惑うことが多くて。

 ナイスネイチャはそんな相手を見て……楽しそうに目を細める。

 

 

 

「はぁ……」

 

 プールでゆるく泳ぎながら、最近持て余している感情を整理する。

 体の調子は良いのに、心がちょっとだけ整わない。ボク自身もそれはなんとかしたかった。

 そして原因はわかってる。

 

「ああ、もう……どうしてナイスネイチャのこと……」

 

 ナイスネイチャだ。彼女の顔が忘れられない。事あるごとに、あの子の……悪戯っぽい笑みが頭に浮かんでしまう。

 女の子に恋をしてるわけじゃない。そんなわけないはずのに……クラスでネイチャを見るたびに、ドキドキしてしまう。

 

 思い出すんだ。レースの時、すぐ近くでささやきかけるあの声を。

 カラオケで……ボクに、乗っかって。楽しそうな顔でイジワルし続けた、あの顔を……。

 

「ああ、もう、いけない……!」

「なにがいけないの?」

「うひゃぁ!」

 

 かけられたのは今まさに想像してたネイチャの声だった。

 

「ネ、ネイチャ!? プールにいたんだ……」

「うん、まぁねー。レース前はさすがに重トレーニングできないし。テイオーもでしょ」

「う、うん」

 

 そっか。ナイスネイチャも泳いでいたんだ。静かで気づかなかったな。それだけボクもぼんやりしてたってことなんだけど。

 

「まーあんまり長く続けて体を冷やしちゃってもあれだから、私はそろそろ上がるけどねー」

 

 ……こうして話している分には、普通なのにな。

 クラスで一緒に話す、極々普通の友達。

 ボクの気にしすぎなんじゃないかって、思いかけてしまうほどに。

 

「どうしたのテイオー?」

「あ、ううん。ボクもそろそろ出るよ。トレーナーからも長居は良くないって言われてるしね」

「そっか。じゃあ一緒にシャワー行こうよ」

「おっけー」

 

 

 

 トレセン学園のシャワールームは結構豪華だ。

 なによりプールと一緒で温水が出るのが嬉しい。小学校の頃は冷たかったし、水の量も少ないしで、全然別世界みたい。

 今は他に使ってる人もいないし、ボク達だけの貸切り状態。なんだか得した気分。

 

「ねえテイオー。最近落ち着かないみたいだけど、何かあったの?」

「えっ」

 

 ほんの僅かな仕切りがあるだけの隣から、そんな声をかけられた。

 

「いやぁ、テイオーのチームの子がさ。なんだかテイオーがソワソワしてるっていうから。調子悪いのかなーって」

「い、いやぁ……ソワソワとか、別に。調子も悪くないよ?」

「……」

 

 ひょっこりと、隣からネイチャの顔だけが出て、こっちを見た。

 目が合う。じーっと見られる。なんとなくそれが居心地悪くて、視線をそらしてしまった。

 

「あー、何か隠してるなぁ?」

「そんなこと、ないよ。別にボク普通だし……」

「教えてよ」

「え、あっ……ちょっと!?」

 

 白を切ろうとしたけど、ネイチャはしつこかった。

 そればかりか、ボクの浴びているシャワーのところまで入ってきて……!

 

「私、テイオーのことが心配だなぁ……」

 

 ボクは、ナイスネイチャに壁際に押し付けられていた。

 

「あ、やぁ、その……本当に調子悪いとかじゃなくてぇ……」

「なくて?」

 

 顔が近い。シャワーを浴びてほんのり紅潮した顔が、じっとボクのことを見つめている。

 だめだ。その顔で見られると、ボクは……。

 

「テイオー、今も何か隠してる」

「隠してないよ……」

「教えて?」

 

 優しく首を擦られる。頬に手を添えられる。

 ああ、駄目だ……カラオケの時と同じだ。こうしてネイチャに触られながら訊かれると、本当のことを言わなくちゃって……。

 

「ネ、ネイチャのこと……考えてたから……」

「……私?」

 

 キョトンとした顔をされた。

 

「だって、ネイチャが……最近、ボクのこと意地悪するし……それで……」

「あ、あー……そういう……? そっか、私かぁ犯人……あはは……」

「あっ……でも別にネイチャがそういうことするからって、ボクは悪いとは思ってないよっ? むしろ、その……あ」

「むしろ?」

 

 さっきまであははと普段通りに笑っていたネイチャの表情が変わり、ボクに向けられる。

 

「むしろ……何?」

「や、今のは……」

 

 聞かれた。聞かれちゃった。どうしよう。

 

「ねえテイオー? 私に意地悪なことされると……悪くなくてさ。どうなの?」

「あっ……ネイチャ。駄目……ここ、シャワールーム……誰か来たらっ」

「私達だけだから。答えて。ね?」

 

 ネイチャの顔がすぐ側まで近づく。

 彼女の脚がボクの脚の間に割って入る。

 手首を押さえつけられて、動きを封じられて。声だけが……。

 

「……恥ずかしいよ……」

「ん? 恥ずかしいの嫌い?」

「……キライ……じゃ、ない……」

「……もっと。正直に言って」

 

 ああ。すぐそばで、低い声出されたら、ボク……。

 

「ナイスネイチャに……イジワルなことされるの……す、好き……」

 

 言っちゃった。

 

「あ、ぁああっ……!」

 

 言っちゃった。人に聞かれた。ネイチャに聞かれた……!

 

「ふ、ふふ……あはっ……!」

「ネ、ネイチャのせいだぞっ……ボク、ボクは普通だったのにっ! ネイチャがイジワルして、それからボク、なんだかこういうのが……! ああ、ボク何言って……!?」

 

 ぎゅっと、ネイチャがボクの手首を握る力が強くなる。

 普段からは想像できないような乱暴な仕草に、彼女から与えられる痛みに思わず小さな声が漏れる。

 

「そっか。そうなんだぁ……テイオー、そういうのだったんだぁ……」

「やだ、見ないで……」

「こっち見て」

「やだ……」

 

 楽しそうに、それでいて爛々としたネイチャの目が、じっとボクを見つめている。

 困っているボクを、あの時みたいに……。

 

「私さぁ……そこまで詳しくないけど、テイオーのそういうのってさ……“M”とか、そういうやつだよねぇ……?」

「うぅうう……! だって、ネイチャがぁ……!」

「テイオーのことを話してるんだよ? ねぇテイオー?」

「やだ、やめて……」

 

 恥ずかしい。自分でも気づかないフリをしてたのに。勘違いだって思おうとしたのに。

 温水シャワーのせいじゃない。体が熱い。恥ずかしくてもう、どうにかなってしまいそう。

 

「ぁあ、もう……駄目じゃんテイオー、そんな顔したら……」

「あっ……」

 

 そんな時、ナイスネイチャがボクの体を優しく抱きしめた。

 さっきまでの乱暴なのとは違う、優しい抱擁。親しい友達や、家族にするような……。

 

「大丈夫だよテイオー。私はテイオーがそういう趣味でも軽蔑しないし、誰にも言わない」

「……本当? 変だって思わない? き、気持ち悪いとか……」

「思わないよ。私の中でテイオーは変わらないよ。私にとって、トウカイテイオーはトウカイテイオー。それは何があったって変わらない」

 

 ネイチャの手が優しく背中を擦ってくれる。穏やかな声がボクを認めてくれる。

 それは……最近までどこにも出せなかったボクの感情を、解きほぐしてくれるもので。

 

「軽蔑しないし、誰にも言わないよ。安心して? テイオー」

「ナイスネイチャ……」

「だから……」

「ネ、ネイチャ……? あの、ちょっと……」

「ふふ……」

 

 ボクを抱きしめたまま、ネイチャの力が強くなる。

 出られない。……無理やりに力を入れれば出られるけど、抵抗できない。

 彼女に抵抗しようと思えない。

 

「テイオーが“そういうこと”が好きだったらさぁ……私がテイオーのこと、もっともっとイジワルしてあげる」

「な、何を……いっ!?」

 

 ギュッ、と。ボクの尻尾の付け根が、ネイチャに握られた。

 

「あ、駄目、ネイチャ、尻尾はぁ……!」

「良いんだよテイオー。本当に嫌だったら強引にでも抜け出せば……私はそれを止めないから」

「だめ、そこ、神経が集まってるからぁっ……」

「けどテイオーは“こういうの”が良いんだよね? 私にイジワルされて、困らされて……嫌って言いながら、されちゃうのが」

「違うの、違うからぁ……!」

 

 尻尾の裏側のすべすべした場所を、ネイチャに掴まれる。

 普段誰にも触らせないような所をゴシゴシと擦られて、慣れない刺激に足腰が震えてくる。

 

「あ、あぁーっ……!」

「大丈夫。痛いことはしないから。ただ……テイオーに刷り込んであげる。私が近くにいるだけで、今日のことを思い出しちゃうくらいにね……!」

 

 “もうやめて”。“離して”。

 そう叫んで、いつでも突き飛ばせる。

 

 でも、できない。ネイチャとの関係がギクシャクするだとか、そういうことじゃなくて。

 恥ずかしくて、擽ったくて、イジワルなことをされているのに。されているのに、ボクは……。

 

「やだぁ……顔、見ないで……!」

 

 拒否できない。したいと思わない。

 こんなこと、絶対におかしいことなのに。変なことなのに。

 

「駄目、もっと見せて……」

「ぁあ……」

 

 彼女の低い声でささやかれるだけで、ボクは何もできなくなってしまう。

 

 


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