デバフネイチャはキラキラが欲しい 作:ジェームズ・リッチマン
私のチーム、デネボラのトレーナー……獅子堂トレーナーは言った。
『ナイスネイチャの妨害……いや、この言い方は人聞きが悪いか。そうだな……“デバフ”とでも言おうか。これはな、リオナタール。俺から見たところ、“自分よりも前の相手”が主な攻撃対象になっている』
獅子堂トレーナーは普段はずっとスマホだけを見ているような人だけど、情報収集能力は高い。彼の立てる作戦には私も一定以上の信頼を置いている。
だから、この日本ダービーで彼の出す指示を疑う必要は少しもなかった。
『リオナタール。お前の脚質は差し……それも、レース中に自在に変えられるタイプの差しだ。ダービーでは後ろにつけて、後半から前につけろ。どうせ序盤の全体のペースはナイスネイチャに乱されるんだ。それまでは存分に脚と息を溜めて……後半に追い込んで、差せ』
果たして、獅子堂トレーナーの言葉は現実のものとなった。
前半は息を潜めて脚を溜め、後半に少しずつ解放し、解き放つ。
作戦は決まった。面白いほどに。
……唯一の誤算は、そんな私の全力でさえも、トウカイテイオーに届かなかったことだろう。
「はぁ、はぁ……!」
トウカイテイオーが手を……二本指を掲げ、ダービーの勝利を誇っている。
……強かった。あまりにも。
まさか、最後の最後であれほど伸びるだなんて、誰が想像できる?
私も瞬発力には自信があった。トウカイテイオーがマークされているのであれば、それを容易に上回れるだろうと考えていた。なのに。
間違いだった。……トウカイテイオーは強かった。
私は二着。負けた。僅差……ではなかった。圧倒的に、負けてしまった。
……恐ろしい。まさか、あれほどの脚を残していただなんて。
レースの展開は全て後方から見えていた。
それは……私から見て、トウカイテイオーを主役と呼ぶにはあまりにも異様なレースだった。だからこそ、チャンスがあると思ったのだ。
ナイスネイチャの“デバフ”は全てのウマ娘の調子を崩していたはず。
彼女の仕掛けるそれはあらゆるウマ娘の精神を乱し、スタミナを削っていた。相手に悪手を掴ませるための誘導を全てこなしていた。
中でもトウカイテイオーは特にその被害者であったはず。
最初から大外で、内に入れず、前を塞がれ……彼女は調子を出せないはずだったのに。
最後の最後で全てを出し抜いてみせた。
完敗だ。地力の差を見せつけられてしまった。……悔しいけれど、あの子は強い。認める他にない。いっそ、清々しいほどに。
「はぁ……はぁ……」
ナイスネイチャは消沈していた。
無理もない。あれだけの難解な技を繰り出してもなお勝てなかったのだ。後ろから見えていた私には彼女の気持ちはよくわかる。
……四着。口惜しいの一言では言い表せない敗北だったことだろう。
「2400じゃ足りないか……いや、技術不足か。まだ……」
……いや。
わからない。私には彼女の気持ちは、とてもではないけれど……わからない。
彼女の走りは何だ?
どうすればああいった走りができる?
それは……ウマ娘の本能をねじ伏せた上で可能な走りなのか?
レース中、あの子は。ナイスネイチャは一切の“本能”を発露させていなかった。
威圧感も圧迫感も無い。淡々とした演技と騙し、それだけが……彼女の側にあったのだ。終わった後の冷静な振り返りだからこそ、それがわかる。
……どうして耐えられるの?
ただ、走ることに全てを投じようとする衝動を抑え込んで……なぜ、理性的でいられるの。
結果として、彼女は敗者ではある。
だけど、私にはトウカイテイオー以上に理解できない存在だった。
「ネイチャ、……ボクの勝ちだよ」
「あー……あちゃあ。やっぱり駄目だった。……おめでとう、トウカイテイオー。日本ダービー制覇。これで……二冠目も取っちゃったね」
「うん。三冠までリーチだ」
意外なことに、トウカイテイオーとナイスネイチャは仲が良いらしい。
そういえば、同じクラスなんだっけ。関わらないようにしていたから、詳しくないけれど……。
「私も結構なぁ……自信、あったんだけどなぁ……」
「ナイスネイチャのおかげだよ」
「……私の? 何が」
「ナイスネイチャが、始まる前から。ボクを調子を崩そうとして。……勝とうとしてた。本気で。ボクは、なんかさ。そんなナイスネイチャの想いが……嬉しかったんだ」
「……なんなんすか、それ」
「そのまんまだよ。本当に嬉しかったんだ。ボクと本気でぶつかってくれる、ネイチャのことがさ」
「……ちょっと、わけわかんないなぁ」
ナイスネイチャはどこか居心地悪そうに頬をかき、トウカイテイオーは逆に清々しそうな笑みを浮かべている。
「ふふん。それじゃあ、早速使わせてもらうからね、ナイスネイチャ。約束っ」
「約束……あー、はいはい。わかってますぅ、もうしらばっくれませんよー」
「当たり前じゃーん。……命令はねぇー……次の菊花賞もさ。出てきなよ。ナイスネイチャも」
「……ばーか、最初からそのつもりだっての」
菊花賞、か。
トウカイテイオーにリベンジするなら、それしかないか。
再びナイスネイチャが出るのであれば、その対策もまた練らなくちゃいけない。
トレーナーと要相談かな。
や、その前に……ウイニングライブか。
センターを飾れなかったのは残念だけど、仕方がない。着替えておこう。
「はい、ネイチャ成敗されましたー」
「ネイチャも強かったよ!」
「……ん。ありがと、ターボ」
「ええ。いい走りでした。惜しい結果ではありましたが……」
「ねー。それねー。三着に入ってれば踊れたのにねー」
私、ナイスネイチャさんは四着。あえなくダンス圏外となりましたとさ。
まぁ、掲示板には載ったし。晴れ舞台の結果としては悪くはないんだけどさ……。
勝ちたかったよ、普通にね。
「まだ次があります、頑張っていきましょう。ナイスネイチャさん」
「はいはい」
トレーナーも元気づけようと励ましてくれるけど、うん……さすがに今日中には立て直せないメンタルですわ。
今日のところはずっとレース内容が頭の中をぐるぐるして、一人反省会状態になりますんでね……。
切り替えもそう早くできるわけじゃあないんですよ……。
「あっ! ライブ始まる! おのれトウカイテイオー……次のダービーはターボが勝ってやるからなぁ……!」
「次のダービー……トウカイテイオーは出ませんよ?」
「出す!」
「ええ……」
満員の観客。神々しいライトにステージが照らされて、今日の主役たちが踊り始める。
ウイニングライブ。勝者に許された歌と踊り。
……ははは。やっぱりテイオーの歌は上手いなぁ。ああいうのをみると本当、ああいう場所にふさわしいんだって思……。
……。
……あ?
「テイオー?」
「? どうか、しましたか」
ステージ上で踊るトウカイテイオーに違和感を覚える。
いや、違和感というよりは……これは。
なんで。いや。そんな、嘘でしょ。
「なんで、“それ”、杖にしてるの……」
「……?」
トウカイテイオーは控えめに踊り、それを補うように激しく謳っていた。
まるでマイクスタンドを杖代わりに、自分の片脚を庇うかのように。