デバフネイチャはキラキラが欲しい   作:ジェームズ・リッチマン

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雨の日のスタミナイーター

 カメラに撮られながらのトレーニングの日々が始まってしばらく。

 トウカイテイオーが早くも退院したという知らせを聞いた。

 

 まぁ骨折といっても開放骨折とか複雑骨折ではなかったそうだから、早めに出てくるのはわかっていた。そういう意味では本当に良かったよ。

 

「いやー、たくさん注射されて参ったよー。みんな容赦なくプスプス射つしさー」

 

 クラスに戻ってきたテイオーは人気者だった。

 元々明るくて好かれるタイプだったし、今のクラシック戦線の最先端を走るウマ娘だ。久しぶりに戻ってくればもみくちゃにされるのも当然だった。

 思えば、ダービー終わった後すぐに病院に行ったきりだもんね。みんな直接のお祝いの言葉も言えてなかったから、これでようやくって感じか。

 

「おっすーテイオー。歩いても平気なのー?」

「あ、ネイチャ。うん、松葉杖はいるけどねー。まだトレーニングはできないけど、できることからやっていくつもり。寝てばっかりいたら全身が鈍ってきちゃうもんね!」

「相変わらずキラキラしてるなぁー……」

 

 めげない。折れない。本当にトウカイテイオーって主人公みたいだ。

 片足が折れていても尚……。

 

「んー……」

「な、なに。ネイチャ」

 

 じっとテイオーの折れた脚を眺めてみる。けど、それを見ても私の中にある嗜虐心が煽られることはなかった。

 

「ううん、なんでもない。安心しただけ」

「もー、変なのー」

 

 良かった。どうやら私は、深く傷ついたテイオーを見て喜ぶような最低なウマ娘ではなかったようだ。

 トウカイテイオーの困った顔を見るのは好きだけど……うん、そうだよね。こういうのじゃないよね。

 

 ……いや、そういうのじゃなくてもどうなんだ?

 よく考えてみたら普通にヤバい奴なのでは、私。

 

 

 

「さーて……雨の日だし、ちょっと走っておくかぁ」

 

 何言ってるのかわからないことを言ってると思うけど、至って真面目です。

 レースはなにも晴れの日ばかりじゃない。泥濘みの強い日もあれば、雨が降っている時も、雪の時でさえ出走することもある。

 トレーニング中は風邪のリスクもあって怖いしわざわざ雨天でやることなんてないんだけど、こういう場所でしか積めない経験値やヒントだってあるはずだ。少なくとも私自身はそう思っている。

 

 あと何より、コースがガラガラだから一番いいとこ走れるんだよね。

 洗濯物とかは大変だけど、この梅雨時。こうして走ってみることも重要だ。

 

「ほっ、ほっ……」

 

 ぱらぱらと雨が降る中、ほとんど誰もいないコースを走っていく。

 驚くべきは、この程度の雨なら走る人も完全にゼロじゃないってことだ。今も私以外に一人走ってる。私が言うのもなんだけど、結構物好きなウマ娘だ。

 

 水を含んだ芝を踏みつけるたび、バシャバシャと音がする。

 一歩一歩が不安定で、足を取られる感じ。嫌な重バ場だ。

 それに耳を打つ雨も、目に入る雫も厄介だ。私の走りは色々と考えなきゃいけない事が多いのに、これらは私の集中力をそこそこ乱してくれる。他の人も同条件と思えばあれなんだけど、自分が最善の状態で走れないというのはやっぱりどこか不安になるものだ。

 

「……しッ」

 

 腕を後ろに振りつつ……水しぶきを飛ばすイメージ。

 なるべく自然に、それでいて指向性を持たせて。

 脇見をしながら確認してみると、飛沫は五時方向に勢いよく弾けていた。

 

 ……うん。これが目に入ればそこそこびっくりするだろうし、怯むだろう。

 

「んーでもやっぱこれは危険すぎるかなー……」

 

 走りつつ、腕の振りで自然に後ろに飛沫を飛ばすテクニック。

 やってみると案外使い物になるからびっくりだ。けど、全力で走ってる最中にいきなり目に水が入るっていうのは……レース中は砂や泥がかかってくることも多いけど、わざとはやっぱ違うよなぁ。

 

 似たようなもので尻尾の振りで雫をバシッと飛ばすやり方も考えてはみたけど、うん。これは危ないから無しのほうが良いな。

 目潰しは私のスポーツマンシップには反する。そういうことにしておこう。

 

「……んー……?」

 

 だらだら走りながらコースを回っていると、後ろからウマ娘の気配が近づいていることに気づいた。

 振り向くと、そこには長い黒髪のウマ娘。どこか焦点の合わない目でこちらを見据え、黙々と迫っている。

 

 ……そういえば、彼女はずっとこのコースにいた気がする。

 ダラダラと走っているけど、もう3000近くは走っているんじゃないかな。

 よくそんなスタミナが持つというか、この雨の中よくやっているというか……。

 

 見たところ高等部のウマ娘のようだけど、こっちもそろそろ体を温めたくなってきた頃合いだ。

 コースを邪魔をする練習も兼ねて、せっかくだから張り合わせていただこう。

 

 ギアを入れ、コースを曲がる。

 前を譲らない走りを始めると、後ろからの彼女も合わせるように速度を上げてきた。

 他人の足音が一人分しかないと、その気配がよくわかる。

 今までさんざん走ってきたはずなのに、結構速い。あと負けず嫌いな性格も出てるかな。

 

 私は内ラチから0.9人分のスペースを空けるように、それでいて閉じたり開いたりでわざとらしい“隙”を見せつけながら進んでゆく。

 “内から抜けそう”という希望を捨てさせず、外から挑ませない。明らかに実力差のある相手を後ろに封じ込めるためには、こういう駆け引きも必要だ。

 

 直線に出たら足音に注意しつつひたすら前のコースを塞いでいく。後ろは見ずに、自然と塞ぐイメージだ。少しでも左右にブレたと思ったらほぼ同時にスッと動く。

 私の苦手な直線で少しでもリードを保つにはこれが一番だ。

 

 おっと、足音に焦れったさが混じってきた。

 それと……なんだろう、なにか、背後から怒りというか、強い感情が叩きつけられているような……。

 

「!?」

 

 と思ったら、すぐ真後ろから全力のスパートをかける足音が響いてくる!

 

 追突する気!? そこまで怒らせた!? ていうか危ない……。

 

「……え?」

 

 後ろからぶつかられる、と思ったら。

 足音は既に止んでいた。

 

 立ち止まった? と思って振り向いてみると……そこには誰もいない。

 

「は?え? あれぇ?」

 

 おかしい。さっきまで確かに走っていたはずなのに。間違いない、足音もしたし、駆け引きだって……。

 

「な……なんだろうなぁ……一気に疲れが出てきた……」

 

 いつの間にか屋内に戻っていった? 単純に私の気のせい? ……考えてたら、どっと疲れに襲われた。

 雨に濡れ続けたせいか肌寒いし……私もさっさと中に入って、体を拭いておこう。シャワーも浴びないとね……。

 

 

 

「あ」

 

 屋内に入り、ざっとタオルで体を拭いていると……窓際に、長い黒髪のウマ娘が立っていることに気が付いた。

 確か、マンハッタンカフェさんだったかな。高等部の……。

 さっきは雨の中でよく見えなかったけど、ひょっとして私の後ろを走っていたのってこのウマ娘なのかな?

 

 ……いや、違う。似てる……気はするけど、マンハッタンカフェさんは全然濡れてないし、さっきからずっとここにいた感じがする。手の中にはカップもあるし。

 

「貴女は……さっきまで、外で……走っていた子ですね」

「あ、はい……ナイスネイチャ、ですけど……」

 

 ぼそりと喋るウマ娘だ。なんというか、独特な雰囲気。

 

「『お友だち』が……珍しく、躍起になっていました」

「……?」

「ナイスネイチャさん、“さっきの”で……疲れていますよね。今日はもう、ゆっくりした方が……良いと思いますよ」

「え、あ……どうもです……?」

 

 不気味だけどどこか優しく微笑んで、マンハッタンカフェさんは廊下の向こうへ去っていった。

 

 ……お友達とは?

 いや、けれど確かに結構疲れている気がするし……今日はマンハッタンカフェさんの言う通り、早めに休んでおくとしよう。

 風邪を引いたら体調を取り戻すのに何日も無駄にしちゃうしね。

 

「んー……後ろから気配を出して、ゾワッとさせて疲れさせる……いや、でもどうやるべきか……」

 

 うーん、このアイディアはトレーニングに活かせるかもしれない……。

 


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