デバフネイチャはキラキラが欲しい 作:ジェームズ・リッチマン
トウカイテイオーがチームカノープスの夏合宿に短期間だけ同行する。
その話題は、トレセン学園内でも驚きと納得の半々で受け入れられた。
まず、トウカイテイオーはカノープスではない。
今最も勢いのあるスピカのメンバーでありながらも、骨折という大きすぎる故障。別チームと行動を共にするという珍事は内情を知らない者に“すわ移籍か”という想像を抱かせるには十分なものではあった。
とはいえトウカイテイオーとナイスネイチャの仲や、ナイスネイチャに対する風当たりを知る者達にとっては、そう驚くべきことでもない。
二人は同じ学年、クラスであり、よく話すし仲も良い。ナイスネイチャの一部悪評を解消するために、仲の良さを外部に見せつけるのは悪くない方法であった。
スピカトレーナーの沖野としても、現状のトウカイテイオーはまだトレーニングに参加させることもできず、持て余し気味だ。
チームメンバーの練習風景を見せ続けるのも精神面の鍛錬としては悪くないが、やりすぎは酷であろうし、何より本人が退屈すぎる。
それよりは菊花賞に出走する予定のナイスネイチャの元に送り込んでやる方が気も紛れるし、参考にもなるだろう。向こうの風評改善になるともなれば断る理由もなかった。
「ま、短い旅行のつもりで行って来い。ナイスネイチャの走り方は俺でもハッとするものが多いからな。トレーニングを見学しているだけでも収穫はあるはずだ」
「うん。ネイチャの取材に映るのがメインではあるけど、ボクは偵察のつもりで行くつもり。あ、もちろんカノープスに移籍はしないから安心してよね! トレーナー!」
「おいおい……冗談でも移籍なんてやめてくれよ? 今のテイオーはマックイーンと一緒でうちのエースなんだから」
「にしし」
現在、チームスピカにおけるトウカイテイオーの方針は菊花賞への出走を目標としている。
トウカイテイオーの骨折に伴い秋レースへの出走は不安視されているが、それは事実である。実のところ沖野トレーナーから見てもトウカイテイオーの怪我の完治の見込みはあまり高くはない。
だがそれでも、テイオーの抱く“無敗の三冠ウマ娘”への夢を叶えるために全力を尽くしている。
今回の夏合宿への参加も、多少はそれを狙ってのことだ。
効果がどれほどあるかは定かでないが、海水浴は元々潮湯治と呼ばれる古い医療行為の一つでもある。また、水泳は骨への負荷の少ない運動だ。
脚を治すためならなんでも試したいスピカ陣営にとって、今回の小旅行は決して無駄な時間つぶしというわけでもないのである。
「そうでしたわ、テイオー。カノープスといえば私の同室のイクノディクタスさんもいらっしゃるのでしょう。夏の間は顔を合わせる機会も少ないでしょうから、時々ビデオ通話で挨拶させてくださいね」
「マックイーン。ああ、そうだっけ? あの眼鏡で目がちょっと怖い子だよね。うん、いいよ。そのくらいお安いご用だよー」
「別にイクノディクタスさんは目が怖いわけでは……」
「まぁトレーニング時間外なら構わないが、向こうのチームの邪魔をしすぎないようにな」
「わかってるってばー」
「……それと。マックイーンと似たようなものになるが、向こうではシンボリルドルフにも連絡を入れてやれ」
「……え、カイチョーに?」
テイオーは目を瞬かせた。
「そうだ。お前も無意識なのかもしれないけどな……怪我をしてから、シンボリルドルフを少し避けているだろ? テイオーが生徒会室に足を運ぶ頻度が減って寂しそうにしているって、おハナ、あー、とある情報筋から聞いててな」
「バレバレですわね」
「う……そ、そっかぁ。いや、避けているわけじゃなくて、なんか……骨折してるから……うん、避けてるかも……」
無敗の三冠ウマ娘。それはシンボリルドルフと同じ軌跡であり、昔から続くトウカイテイオーの目標だ。
テイオーは常にその夢を掲げ、シンボリルドルフも己の後を追うテイオーを親のような目で見守ってきた。
そんな最中の骨折だ。今こそ前向きに構えようとはしているが、治るかどうかわからないこの怪我であることは事実。そのことがトウカイテイオーからシンボリルドルフと顔を合わせることにためらいを生じさせていたのである。
「今回のカノープスへの同行は、ルドルフが考えたことでもあるんだ。テイオーのためになるからと、信じて送り出したわけだ。だから向こうに行ったら少しくらい、現状報告してやれ」
「……うん。わかった。ありがと、トレーナー」
トウカイテイオーは気恥ずかしそうに頭を掻きながら頷いた。
メジロマックイーンはそんな彼女を横目に、小さく笑うのだった。
「トウカイテイオーをチームカノープスの合宿に……何もトラブルが起きなければ良いのですが」
生徒会室にて、今日の仕事を終えたエアグルーヴとシンボリルドルフは向き合ってお茶を飲んでいた。
「トラブルか。エアグルーヴも反対というわけではないのだろう?」
「ええ、それは……近頃のナイスネイチャへの謂れなき中傷は目に余るものがありますから。そのためにトウカイテイオーが動いてくれたのは喜ばしい限りですが……海水浴場とはいえ、海。ウマ娘とはいえ自然の力には抗えません。慣れない場所でトウカイテイオーが怪我をしないかが心配です」
「ふふ、そうだな。……だが、怪我を完治させつつ菊花賞への体作りをこなそうともなれば……多少の無茶は必要だ。骨を痛めないよう、肉体に負荷を掛ける。そんなリスクを背負わなければ、仮に出走はできたとしても勝利までは望めないだろう。テイオーはきっと、それも覚悟の上だろうさ」
「……悔しいでしょうね」
「……」
シンボリルドルフは答えず、静かに紅茶を一口飲んだ。
「……それよりも、私としては取材の方が心配だよ」
「情熱ターフでしたか。あそこはかなり配慮の行き届いた取材をする所だと思いますが……?」
「いや、トウカイテイオーが無理に出しゃばらないかが気がかりでね」
「ああ……」
苦笑する二人が思い起こすのは、いつか撮影したトレセン学園の入学案内動画だ。
案内動画の撮影中、テイオーは常にカメラ目線で何度も映りたがったせいで、結局その映像はお蔵入りとなってしまった。
元々目立つことを労とせず、好むタイプのウマ娘だ。今回の取材でその悪い癖が発揮されなければ良いのだが。
「まあ……これまでの取材経験で、多少は大人になっているものと信じましょう」
「うむ、そうだな……テイオーもまるきり子供というわけではないだろうし……ナイスネイチャと同室でも、はしゃぐようなことはないだろう」
「……ん。テイオーはナイスネイチャと同室なのですか?」
「ああ、そうだ。カノープスと合流すると人数の都合でそうなるらしい。共に同じ部屋で過ごす仲ともなれば、それも良い取材材料にはなるだろう」
「……」
「……どうかしたか? エアグルーヴ」
「ああ、いえ……」
エアグルーヴは眉間に皺を寄せ、考え込むように唸っている。
「最近目安箱に投函されてくる怪文書にはいくつか……ナイスネイチャとトウカイテイオーに関するものがあったので、不覚にもそのことを思い出してしまっただけです」
「ああ、いつもエアグルーヴに任せている目安箱の処理か。……また何か、中傷を含む内容だったりするのか? だとしたら……」
「いえ、決してそのようなことは。……ないとは思うのですが……」
「煮え切らないようだね」
「……トウカイテイオーとナイスネイチャが、ふとした拍子に意味深な目配せをしている時がある、とかなんとか……そのようなことが、いくつかの怪文書の中から読み取れるといいますか……」
「目配せ? ……ふむ、なんだろう。まあ、友人同士色々とあるのだろう。暴力やいじめでない限りは、こちらから無闇に掘り起こすこともあるまい」
「……ええ、仰る通りです。あんなものを考慮に入れてしまったとは、一生の不覚……」
「ナイスネイチャは今でこそ世間からの中傷に晒されているが、私から見れば品行方正なウマ娘だ。状況が落ち着けば、ゆくゆくは手伝いだけでなく正式に生徒会に迎え入れたいほどだよ。そんな彼女がテイオーに粗暴な振る舞いをするとは思えない」
「全くですね。ナイスネイチャは、とても真面目ですから」
「きっと合宿中は、彼女がテイオーにいい影響を与えてくれるはずさ」
シンボリルドルフは夕暮れ時の窓を見やり、そこに幼い頃のトウカイテイオーの姿を思い描いた。
自分の後を追い、走り続けてきた愛らしい後輩。
背丈こそまだ小柄ではあるが、走りの質では比肩するほどにまで飛躍した彼女。
シンボリルドルフは、信じて送り出したテイオーが今よりも更に立派な姿になって戻ってくることを願っている。