デバフネイチャはキラキラが欲しい 作:ジェームズ・リッチマン
トウカイテイオーは一足先にカノープスの夏合宿から離脱し、トレセン学園へと帰ってきた。
離れていたのは短い間のことだったが、チームスピカのメンバーは彼女の帰りを温かく迎えた。沖野トレーナーもトウカイテイオーの脚に特に不調がないことを確かめると、そこでようやく安堵したようだ。
「何事もなくて安心したぜ。まあ、南坂が……おっと、カノープスがテイオーに変なことをするとは最初から思ってなかったけどな」
「あ、あはは……向こうでは良い部屋に泊まれたし、美味しいものも食べてきたし、良い気分転換になったよ!」
変なこと、と聞いてやや言葉を躊躇ったテイオーだが、元々そういった方面に酷く鈍い沖野トレーナーが気付くことはなかった。
「テイオーさん! 食事の画像、どれも美味しそうでしたね!」
「俺もバーベキューしたいなぁ~……やっぱり肉を焼いて、ロックグラスで麦茶を飲んでって感じでさぁ」
「アタシ達も夏合宿そろそろだったじゃない? ね、トレーナー?」
「ああ、来週になるかな。まぁ旅館は……うん……良いところだぞ! 海も綺麗だしな!」
「おいおい本当かよトレーナー。いざ着いてみたらハワイアンズでしたじゃタダじゃおかねえからな。アタシのアルゼンチンバックブリーカーは本場仕込みだぜ?」
カノープスの合宿もだったが、やはりスピカはそれ以上に騒々しく、賑やかだった。
チームメイトのはしゃぐ姿を見て、テイオーは帰ってきたのだと改めて実感した。
「おかえりなさい、テイオー。向こうでは何か収穫はありましたか?」
「マックイーン。うん、スピカとは違ったトレーニング風景を近くでまじまじと見ることって少なかったから、いい経験になったよ」
「偵察の甲斐はあったということですわね。それは何よりです」
「みんなそれぞれ特徴的な走りをするんだなーっていうのと、あとはやっぱりナイスネイチャかなぁ。あの子の走りはやっぱり……うん、とても上手だったよ」
「やはりそうでしたか。……世間では色々言われていますが、今回の取材で彼女の悪評も晴れると良いですわね」
メジロマックイーンだけでなく、スピカのメンバーは全員がナイスネイチャに対して好意的だ。
ゴールドシップなどは半分以上悪ふざけで拉致や取調べをすることもあったが、元々彼女たちはナイスネイチャに対する隔意はない。世間での評判が悪意あるデマであることをわかっているし、何よりナイスネイチャの走る技術の高さを認めている。
「あのナイスネイチャさんがテイオーを虐めているだなんて、そんなことありえないというのに……まったく、ひどい話ですわ」
「あはは……う、うん。そうだね……」
トウカイテイオーは苦笑いしながら、左頬に手を当てた。
そうしなければつい昨日の夜、彼女に優しく叩かれた時の甘い痺れを思い出しそうだったから。
「失礼しまーす。カイチョー……いる……?」
学園に戻ってきたテイオーは、スピカの面々と同じくらい大切な相手に会いに来た。
合宿に赴く前はなんとなく気まずさのせいで顔を合わせにくくしていた、生徒会長のシンボリルドルフである。
ノックして生徒会室に入ると、そこは静かだった。
一瞬そこに誰もいないのかと思ったが、目当てのウマ娘は座っていた。
「カ、カイチョー?」
「ああ……テイオーか。おかえり」
机にはシンボリルドルフが座っていた。
トウカイテイオーの姿を認めて薄く微笑んでいるが、どことなくいつもの覇気がない。額に手を当て、まるで頭痛でも堪えているかのような姿であった。
「ど、どうしたのカイチョー? 具合悪いの? 何か、飲み物持ってこようか?」
「いや、平気だ。これは……そう。蒙を啓いたと言うべきか……」
「モー?」
「ふふふ、いや、なんでもないよ。まあ、そっちに座ってくれ。合宿の話を聞くのを楽しみにしていたんだ」
少しだけ体調を崩しているようだったが、トウカイテイオーに向ける親しげな笑顔は常と変わらない。
ならば少しでも楽しい話題で気持ちを上向かせよう。トウカイテイオーはこれまでそっけなくしていたことの詫びも兼ねて、合宿中のことについて話した。
話す内容はいくらでもある。
カノープスの練習風景、向こうでの豪華な食事、取材について……。
シンボリルドルフは楽しそうに話すトウカイテイオーを見て、顔色を良くしていった。
やがて、話題の内容はある人物中心のものへと移り変わる。
「ところで……トウカイテイオー。ナイスネイチャとは同じ部屋だったんだろう?」
「! う、うん。そうだよ。カノープスのメンバーが三人で、二人部屋が二つ必要だったから……」
「……ナイスネイチャとは、どうだったのかな。実はそのことについてテイオーから詳しく聞きたくてね。報告してくれると嬉しいんだが」
「ほ、報告って言われてもなー……」
「大丈夫。お願いだテイオー。なんでも良い。テイオーの口から聞かせてほしいんだ……ナイスネイチャとのことを……」
何故かシンボリルドルフはナイスネイチャの話題についてご執心のようだった。
しかし彼女に対する敵意があるようでもない。ならば話すこともやぶさかではなかった。
「あー……ナイスネイチャと一緒の部屋でね……色々、話したり、遊んだりしたよ」
「……例えば?」
「例えばって、それは……あっ! ごめんねカイチョー、通話してた時へんな声出しちゃったけど、あれはね! あれはネイチャに擽られてたからなの!」
「くすぐり……」
「う、うん。ナイスネイチャに……尻尾を触られたり、あ、でも別にボク、そういうのは痛いのじゃなくて……ただ、ふざけあってただけで……」
「……うん。大丈夫、安心してくれテイオー。これは秘密だ。誰にも言わないから……もっと教えてくれ……」
シンボリルドルフは額を抑え、矛盾するような薄い微笑みを浮かべている。
秘密。誰にも言わない。であれば、トウカイテイオーは少し気恥ずかしかったものの、多少の事実くらいはぼかして伝えても良いかもしれない。
同時に、誰かにその夜のことについて聞かれることを、“悪くない”と感じている自分も居た。
「それ、でね……ナイスネイチャは、ボクと一緒のベッドで寝ててね……」
「ああ……」
「ちょっとだけ、意地悪なことをしてくるんだ……あ、もちろんそれってイジメとかじゃなくて、本当に……スキンシップみたいなもので……」
「……テイオーはその“スキンシップ”をどう思っているんだ?」
「ボクは……ナイスネイチャにそういうことされるの、結構好き、だよ……って、あはは、何言ってるんだろうね! ……カイチョー?」
シンボリルドルフは俯き、片手で顔を覆っていた。
よく見れば小さく震えてさえいる。
「……カイチョー、本当に大丈夫?」
「いや……良いんだ。これが……これが新しい世界……そうか、そういうことか……全てのウマ娘の幸福とは、つまり……喪失を快く受け入れるこの感性にこそ……?」
「……なんだか大変そうだけど、あんまり無理したら駄目だからね? ボクもう帰るけど、ちゃんとカイチョーも休んでよ?」
「ああ……ありがとう、テイオー。本当に……また今度、もっと詳しい報告を聞かせてくれると嬉しいよ……」
どことなく昏いオーラの立ち込めているシンボリルドルフをよそに、トウカイテイオーは部屋を出ていった。
「この思考法は、トレーニングに……いや、トレセン学園全体に活かせるかもしれない……」
言うまでもなく、シンボリルドルフは迷走気味である。