デバフネイチャはキラキラが欲しい   作:ジェームズ・リッチマン

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心休まることのない場所

 

 菊花賞が目前に迫る中で行われる学園行事といえば、駿大祭。

 これから始まるレースシーズンを目前に行われるせいか、これはさほど大盛り上がりするようなイベントではない。どちらかといえば厳か系のお祭りに近いだろう。

 祭囃子が聞こえてくると踊り出したくなってしまうけど、ここは我慢。今はレースに向けて調整を続けていかなければ……。

 

「ナイスネイチャ。トレーニングもいいが年中行事を疎かにしてはならんぞ」

 

 なんて考えながらターフを走っていたら、エアグルーヴさんからのお小言を頂いてしまった。

 

「いやぁ、あはは……コースが空いてたもんで、つい……」

「……絶対にやるなとまでは言わん。しかし、季節ごとの催しをあえて軽んじる必要もあるまい。祭りを放り捨てるのは特に、無粋というものだ」

「返す言葉もございません……」

「……近頃貴様は練習漬けだったろう。今日はもう上がって、身体を休めておけ」

 

 副会長さんは優しいなぁ……。

 最近生徒会は何故かとても忙しそうにしてたから、ご自身も大変だったろうに……。

 

 ……よし。じゃあ私もせっかくだし、ゆっくりさせてもらいますかぁ。

 

 

 

「あ、ネイチャだ。やっほー」

「おー? テイオーじゃん。どしたのこんなとこで」

 

 お祭りを遠巻きに眺めてようかなとブラブラ歩いていると、偶然トウカイテイオーと出会った。

 

「ボクは病院の帰り道。トレーナーの車で送ってもらったところだよ。もうこれから寮に戻ってようかと思ってさ」

「そうなんだ。お祭りは行かないの?」

「お祭りは……今日は疲れたし、もう良いかなって」

 

 そう語るトウカイテイオーの表情は、明らかに元気がなかった。

 いつものような笑顔を作ろうとして、それができていない。テイオーにあるまじき、キラキラしていない顔だった。

 

「……今日、私の同室のマーベラスサンデーがマヤノトップガンと一緒に泊まりに行くんだってさ。マーベラス星を探す天体観測とかなんとかで」

「なにそれ……って、泊まり?」

 

 マーベラスサンデーは私と同室で、マヤノトップガンはテイオーと同室だ。マーベラスとマヤノは仲が良く、普段から元気……というかよくわからないテンションで一緒になって遊んでいる。

 そのテンションに巻き込まれると元気が湧いてくるっちゃくるんだけど、すごい疲れる。そんなハイテンションだ。

 きっと今夜の天体観測会でも終始はしゃいでいるに違いない。

 

「そ。だからマーベラスもマヤノもいないの。私たちそれぞれ、ルームメイトがいないわけじゃん?」

「……そう、だね」

 

 テイオーが自分の尻尾を隠すように後ろに手を回し、口ごもった。

 

 秋祭り。ちょっと顔を出そうと思ってたけど、やっぱりやめよう。

 それよりもずっと良い過ごし方があるんだもの。

 

「ねえ、テイオー。私の寮室に遊びに来ない? 誰もいないし、ちょっとだけ……一緒に遊ぼうよ」

「あ……」

 

 顔のすぐそばで囁きかけると、テイオーは小さな声を漏らし……小さく頷いた。

 

 

 

「おじゃま、しまーす……」

「はい、いらっしゃーい。向こうがマーベラスのとこだから、まあ一応本人に許可取ってるわけでもないし、私のとこのベッドだけ使おうね? とりあえず座っててよ」

「う、うん」

 

 部屋に入るとテイオーは緊張した様子だった。

 ……これから何か変なことでもされるんじゃないかって、身構えてるのかな? 

 わかりやすい反応……。

 

「とりあえず飲み物出すね」

「……ネイチャの匂いがする」

「当然、私のベッドだもん」

 

 テイオーはベッドに座ると、お行儀悪く両足をぷらぷらさせた。

 そう、両足。彼女はもう骨がくっついて、自分で歩けるまでになっている。多分、慎重にやれば走ることもできるだろう。

 

 そう、慎重にやれば。全力で走ることは……。

 

「……ボクね、注射苦手だったんだ。怖いし、痛いし」

 

 マグカップから一口飲みながら、テイオーが語る。

 

「でも最近は注射も怖くなくなってさ。別にそこまで痛くはないし、大丈夫になったんだ。ちょっとチクッとするだけで治るのが早くなるなら、全然我慢できるなーって」

「ん。そっか」

 

 私はテイオーの隣で話を聞いている。

 触れ合える距離。けど今は、彼女の尻尾を弄ぼうという気分にはなれない。

 

「……ボク、菊花賞に出られないんだってさ。お医者さんは、自分の立場からは絶対におすすめはしないって」

 

 ああ、そうか。言われたのか。

 

「約束してたんだよ。トレーナーと……最後の最後まで諦めないけど、最後の最後でお医者さんに止められるようなら、出ないって。それで……今日、ダメってことになっちゃった」

 

 テイオーは泣いていなかった。ただ悲しそうにしているだけ。

 

「……無敗の三冠ウマ娘……なりたかったな」

 

 テイオーが座ったままベッドに背中を倒し、天井を見上げた。

 虚ろで、やっぱり悲しそうな目。

 

 私は……彼女になんて声をかけたら良いんだろう。

 慰めか。激励か。……全部誤魔化して、いじわるでもしてあげようか。

 

「……壁に、いっぱい貼ってあるんだね。ウマ娘のデータ」

「ああ、うん。まぁね。対戦相手のはいつも見えやすいところに貼ってるよ」

 

 私側の壁には大きなコルクボードとホワイトボードが架けられていて、そこには無数のウマ娘データが陳列されている。

 時期によって入れ替わるけれど、今貼られているのは菊花賞に出てくるであろうライバルたちの情報だ。

 

「勉強熱心だなぁ……ネイチャは……」

「まぁ、ネイチャさんはそのくらいしか取り柄が無いですからなぁ。みんなの弱点を集めて、いざという時使えるようにしてるんですよ」

「……ボクだけじゃないんだね。酷いなぁ、ネイチャは」

 

 拗ねたような顔で、テイオーが私のことを可愛らしく睨んでいる。

 

「菊花賞に出そうな子たちのデータなんでしょ。それ」

「まあ、ね」

「……そこにボクのデータ、無いじゃん。ネイチャはボクが出ないこと、なんとなくわかってたんでしょ。信じてなかったんだ。ボクが脚を治して、菊花賞に出ることなんて。……取材では、楽しみだって言ってたくせに」

 

 どこかやけっぱちな彼女の声。私を責めるような、咎めるような。

 けど無理もない。三冠はテイオーの夢だったんだ。それが途絶えてしまったことを思えば……。

 

 でも。

 

「テイオー、そんなこと言っちゃうんだ」

「……! 本当のこと、言っただけだもん。ネイチャはボクのこと、本当はライバルだなんて……」

 

 私はベッドの上のテイオーに跨って、彼女の両手を握り締めた。

 指と指を絡めるように。それに応えるようにして、テイオーの指もおずおずと重なってゆく。

 

「私が知ってるウマ娘の中で、一番弱点を詳しく調べたのは……トウカイテイオーだよ。そこのボードにはなくたって、私の頭の中にはちゃんと全部入ってるんだから」

「……調子いいこと言っちゃってさ。ボクの弱点。そんなにたくさん知ってるの? ネイチャは……」

「知ってる」

 

 両手を抑えつけたまま、顔を近付ける。

 トウカイテイオーと私が、お互いの吐息がかかるくらいすぐそばにまで。

 

 テイオーは目をとろんとさせている。

 顔は真っ赤。……誰にも見せないテイオーのもう一つの貌。私だけが知っている、彼女の姿。

 

「ネイ、チャ……う、ぁっ……!」

 

 私はそのまま顔を近付け……テイオーの首を噛んだ。

 痕をつけないようにやさしく。けれど圧迫するように。

 

「んっ……どうして、いつも……ボクのこと、噛むのっ……」

「こうすると……ん。テイオー、弱くなるから……あむっ」

「はぁ、はぁっ……」

 

 首筋を、僅かな凹凸を弄ぶ。大切な血管が幾つも通った、人でもウマ娘でも絶対に怪我をしたらいけない場所。

 そんな場所を私にいいようにされて。私に全てを委ねちゃって。

 

「ネイチャ、あっ、痛い……動けない、よ……!」

 

 なのにテイオーは、顔を歪めながらも拒絶しない。振り解かない。

 私にされる痛いことや苦しいことを受け入れている。

 

「はぁ、はぁ……酷いよぉ……」

「……」

 

 荒い息遣い。潤んだ瞳。

 

「ネイチャ……?」

 

 私はテイオーを押さえつけたまま、彼女の顔に近付いて。

 

 そのまま、近いまま。何もしない。

 

「はぁ、はぁ……ネイチャ……?」

「……」

「なんでぇ……? どうして、何もしないのさぁ……」

「んー? ……テイオー、私に何かして欲しいの……?」

 

 テイオーのもどかしそうな表情。ぱくぱくと小さく動く唇。

 わかるよ。テイオーが何をして欲しいのか。

 

「キス……したい?」

 

 私もそんな気持ちも、ちょっとだけ。ないではない。

 倒錯的な感情だってことはわかってる。けど、こうやって興が乗ってしまうと……弱々しいテイオーの姿を愛おしく思ってしまうのも事実なんだ。

 

 だから、女同士なのに。テイオーにキスしたいなんて思っちゃうような瞬間も、まあ、ある。

 

 ……でも。

 

「してあげない」

「……!」

「ふふ、いい顔……テイオーはして欲しいんだぁ……? そんなに物欲しそうに口を動かしちゃって……でも、ダメ」

「こ、ここまでしたら、だってぇ……そういうものじゃ、ないの……?」

「そんなことしたら、テイオーの心が満たされちゃうじゃん」

 

 倒錯でも。錯覚でも。きっと、私たちが一線を越えれば、満たされるんだと思う。

 お互いに新しい関係になって。新しい付き合い方を始めて。

 

 でも、私はそうなりたくない。テイオーにそうなってほしくない。

 

「テイオーはこれからずっと、私にドキドキしなきゃダメなの。私を見るだけで、声を聞くだけで、匂いを嗅ぐだけで。何にもできなくならなきゃいけないの」

 

 物欲しそうになテイオーから顔を離して、手を強く握る。

 

「だから、私はテイオーの心の安らぎにはなってあげない。私があげるのは、刺激だけ」

「そんな……そんなの……!」

 

 だからたとえ女の子同士でも、恋人とかそういうのにはならない。

 なってあげない。

 

「私がいつか、テイオーを負かすために」

「……! ボクを、負かす……ため……」

「だからこれは、キスの代わり……」

 

 私はテイオーの顔の上で、口を開けた。

 舌を伸ばし、唾液を滴らせ……。

 

「あ、ぅあ……!?」

 

 半開きになったテイオーの口に、落とした。

 

「美味しい? テイオー。どんな味がする?」

「……わ、わかんないっ……こんなの……!」

 

 私の唾液を食べてしまったテイオーは、今までに無いくらい顔を真っ赤にしている。

 これってファーストキスになるのかな? 間接キスになるのかな? 

 

「わかんないかぁ。じゃ、もう一回飲んで……」

「や、やぁ、ネイチャ、こんなの、おかし……んっ……!」

 

 私はテイオーの心の拠り所にはならない。

 ただ、テイオーの心をぐしゃぐしゃにしてあげることはできる。

 そうやってめちゃくちゃにしてあげることで、テイオーの今の心の痛みを忘れさせてあげるんだ。

 

「恥ずかしいよぉ……! もう、ゆるして……!」

「テイオーの弱点、また増えちゃうね……もっと増やしてみよっか……?」

「ご、ごめんなさい。ボクが、悪かったからぁ……!」

「んー、許してあげない。……生意気なことを言うテイオーは、たっぷり躾けてあげなきゃだしね……」

「あ、ぁああっ……!」

「始めよっか……テイオーの弱点の、お勉強たーいむ」

 

 私はその日、彼女の悲しみを紛らわせるように、何度も何度も噛んで、痛くして、ドキドキさせてあげた。

 

 私がまだテイオーを見つめているのだと、挑んでいるのだと、彼女の奥底に刻み込むように。

 

 

 

 

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