デバフネイチャはキラキラが欲しい   作:ジェームズ・リッチマン

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鈍らのラストスパート

 

 ライバル達が走っている。

 いつもより早いペースで。3000メートルで考えれば破滅的なペースで。

 

 脆い子は早くも力尽き、大きく順位を下げている。

 現在2000メートル。普通の中距離だっていうのに、破綻するところは既に破綻しかけている。

 

 いつもならそんなレースはしないだろう。

 そう、いつもなら。

 

 今日は菊花賞。トウカイテイオーが出られなかった菊花賞だ。

 私が彼女の名前を挙げて煽るだけで、彼女たちの心はいとも容易く燃え上がってくれた。

 

 私がテイオーの走るコースを示して、本来の彼女のペースを騙ってやるだけで、レース全体にみるみるヒビが入って崩れてゆく。

 

 みんな否定したいんだ。トウカイテイオーに負けるっていう自分を。

 認めさせたいんだ。トウカイテイオーに勝てるっていう自分を。

 

 ……。

 

 ……バカじゃないの。

 

 

 

「……いないんだよっ」

 

 何の牽制にもならない一人言が漏れる。

 

 でも、いないんだ。トウカイテイオーはこのターフにいないんだよ。

 この菊花賞にトウカイテイオーは出てなくて、戦うのはトウカイテイオーのいない私達18人で、それが現実で、そこで戦わなきゃいけないんだ。

 

 なのにどうしてみんな焦るんだ。

 トウカイテイオーがいるかのように振る舞えばすぐに掛かって。火が着いて。ペースを乱して。

 違うんだよ。いないんだよトウカイテイオーは。これはトウカイテイオーのいない私達のレースで、それがこの菊花賞で、私達の現実なんだよ。

 

 ああ、わかったよ。なら良いよ。

 そんなにトウカイテイオーと走りたいなら走らせてあげるよ。

 

「“それでボクに勝てるんだ……ッ?”」

「な、にをッ……!」

「負けない……!」

 

 みんなは走ればいい。私が作り上げた幻影のトウカイテイオーと一緒に、“トウカイテイオーが走る菊花賞”を走っていればいい。

 

 だから。

 

「“この”菊花賞を勝つのは、私だ……!」

 

 美しい幻の勝利なんて必要ない。

 荒々しくていい。薄汚くていい。そんな想いで全てを睨みつける。

 

 私以外の全員が負けろ。そして最後に私が勝てばそれでいい。

 

 タイムなんていくら伸びてもいい。ブーイングも嘲笑も空き巣呼ばわりもいくらでも受けてやる。

 

 だから私によこせ。そのキラキラを。

 

 

 

「う、ぁあああッ!」

 

 残り500。

 坂に差し掛かり、ブレスオウンダンスがスパートをかけ、私を追い越してゆく。

 彼女の驚異的な末脚が牙を剥いた。

 

 私は走る。

 

 芝を踏みしめ、蹴り抜き、前へ駆ける。

 

 最善のフォームで。最大の速度で。

 

 私の持てる全てを込めて、ターフを疾走する。

 

 それでも、私には私だけの現実が立ちはだかる。

 “遅い”というどうしようもない現実が、いつだって私の邪魔をする。

 

「一番強いウマ娘は、私だッ……!」

 

 更に後ろからリオナタールが追い込みをかける。

 菊花賞の勝利にかける執念が最も強い彼女が、ついに先頭に躍り出た。

 

 私だって息はある。ハードトレーニングで心肺は鍛えた。

 

 気力はある。前に出る気持ちは折れていない。

 

 

 それでも、足りないのか。

 

 私の持てる最善、最速を、他のみんなが追い抜いていくのか。

 

 

 レースは無慈悲だ。

 

 個々人の力が残酷なくらいハッキリと現れる。

 

 誰かが死ぬ気で走っていくのを、違う誰かが涼しい顔で追い越していくことなんて珍しくもない。

 

 

 後続が迫る。

 ゴールまでもが私を追い詰める。

 

 残りの手札は何枚だ。

 残りの時間で私になにができる。

 

 ……何もない。

 

 手札のない私に、どんなことができる?

 

 ……わかってる。

 

「走るんだよッ!」

 

 走れ。諦めずに走りきれ。最後の最後にできるのは結局それだけだ。

 積み上げた準備も小細工も最後には残らない。残されるのは自分の脚しかない。

 

 だから勝負しろ。みっともない走りでも武器にして、最後まで戦い抜け。

 その先へ行け。勝利を掴め!

 

「ぐっ……!?」

 

 長距離最後の坂。高低差四メートルの勾配がリオナタールとブレスオウンダンスのスタミナにトドメを刺した。

 私の鈍らな末脚でも、相対的に勝てるほどに。

 

 小細工は、無駄なんかじゃなかった。

 

「そん、な……!?」

 

 三着が二着に。二着が一着に。

 

「これは、誰にも渡さないッ……」

 

 

 最後の最後、末脚と呼ぶにはあまりにも鈍いスパートを振り絞って、私は一番最初にゴールを切った。

 

「私が……一着だぁああああッ!」

 

 人差し指を掲げる。汗が弾ける。私だけの祝福の歓声と、私だけのブーイングが秋空に高らかに響いてゆく。

 半バ身差の勝利。でも、勝ちは勝ち。一着。私の栄冠。

 

「はあ、はあ……!」

 

 掲示板を見れば、時計は3分12.8秒。

 ……ひっどいタイムだ。

 

「あはっ……あはははっ!」

 

 本当に酷い時計。良バ場で、晴れでこれ。これほど遅い菊花賞はいつ以来になるんだろう?

 このひっどい記録を塗り替えるには奇跡でも来ない限り無理だろうね。

 

 でも。だとしても。これが私の現実だ。

 

「私の一着に、変わりはない……!」

 

 観客席を見ると、そこにはトウカイテイオーがいた。

 

 

 

 ……彼女は泣いていた。

 ぼろぼろと涙を流し、一着を取った私を見つめていた。

 

「……今度こそ、私の番!」

 

 そんな彼女に向けて、私は声を張り上げる。

 ここからテイオーに聞こえるかどうかなんて少しも気にならなかった。

 

「私が……私こそが、一番強いウマ娘だ! トウカイテイオー! 私はアンタより強いんだ! だからターフに戻ってこい! 復活して、また私と勝負しろッ!」

 

 菊花賞は私のものだ。これは誰にも渡さない。

 だから欲しいなら、最強の座がほしいなら。ターフで私から奪い取ってみなよ。トウカイテイオー。

 

 

「……うん。戦う。絶対に戦う。ボク……絶対に、また走ってみせるよ……!」

 

 トウカイテイオーは涙を流し、何度も何度も頷いていた。

 

「おめでとう、ナイスネイチャ……!」

 

 ……ああ、やだなぁ。

 なんか、そういうトウカイテイオー見てると……私まで、なんか泣けてきちゃったよ。

 

 ……カメラに映ってるなぁ。嫌だなぁ……へへへ……。

 

 

 


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