昼下がりのころ、ワルドはトリステイン魔法学院を訪れた。
ワルドはアンリエッタから極秘任務を預かっていたが、その任務のついでにもう1つやりたいことがあったので、その目的を果たすために学院にやってきた。
そのころ、サイトは昼食休憩を終えて、魔法の実習場で剣を振るっていた。トリステイン魔法学院にはいくつもの実習場があり、大規模な魔法を練習するスペースとして設けられている。
特に魔法融合と呼ばれる実習では、数人のメイジが力を合わせて巨大な炎を発生させたりする。そうした魔法のために、広いスペースが設けられている。
今日は風魔法の実習場では実習がなく、サイトは誰もいないスペースで剣を振るった。
広いスペースで一人。あまりに場違いだったが、いまのサイトにはちょうどいいスペースだった。
「デルフ、この前の魔法剣を試すぜ」
「あれか。ちっとはコントロールできるようになったのかね?」
「いや、全然。しかしイメージトレーニングはやってきた」
サイトはそう言うと、デルフリンガーを両手で構えて集中した。
すると、サイトの手のルーンが青く輝き、周囲に風を発生させた。
「ワルドさん直伝の魔法剣だ。必ず習得したい」
サイトはルイズの実家にいたころ、ワルドからいくつかの魔法を習得していた。その1つが「ライトニングハンマー」であった。
ライトニングハンマーはワルドの得意魔法であり、風魔法が盛んなトリステインの軍の中でも広く用いられる魔法となっている。
3つの風系統の魔法を組み合わせた「トライアングル」と呼ばれる魔法群であり、難度は高い。
トリステイン魔法学院では、首席のタバサという生徒が操ることができるらしいが、それが操れるだけですでにトップクラスのメイジの証だという。
サイトはそんな高等魔法ライトニングハンマーを操るために集中した。
デルフリンガーの刃先にいかずちが集まってくると、徐々にサイトはデルフリンガーに重さを感じた。
その重さは重力のように垂直方向だけでなく、あちこちに剣が暴れるように重さが発散した。
そのため、サイトの手はガタガタと震えた。あちこちに魔力が暴走している証拠だった。それをピクリとも動かず操るのがワルドであったが、サイトはまだまだ不安定だった。
「相棒、手が震えてるぜ。大丈夫かね?」
「話しかけるな。集中力が途切れると魔力を逃がしちまう」
サイトは真剣だった。わずかなバランスの崩れでも集めたいかずちを失ってしまう。
しかし、サイトはその魔力を支えきれず、いかずちを逃してしまった。
一度逃すと、いかずちは流れるように放電。あちこちにすさまじい閃光がほとばしった。
360度に放電されたいかずちは地面に炸裂して、落雷のように大きな音を立てた。
はっきり言って危なっかしくて、気楽に使えるような魔法ではなかった。
このライトニングハンマーはうまく扱えなければ、周囲に無差別に放電してしまうため、素人では扱えない代物である。
とはいえ、サイトはまだライトニングハンマーの練習を始めて数日。トライアングル系統の魔法を数日でものにできたら、誰も何年もかけて魔法を勉強しない。
「くそ、ダメだ。どうしてもコントロールしきれねえ」
サイトは悔しそうにデルフリンガーを地面に突き刺した。
そんな光景をワルドは遠くから見ていた。ワルドは口元に笑みを浮かべた。
「やあ、サイト君」
「ワルドさん」
サイトはワルドが実習場に降りてくるのを見て、デルフリンガーを引き抜いて背中に収めた。
「練習熱心で感心だ」
「いえ、ルイズに雑用を頼まれて、なかなか練習できる時間が確保できない状態です。ところで、ワルドさんはルイズに会いに来たのですか?」
サイトは尊敬のまなざしでワルドに向かい合った。サイトにとって、ワルドは人生の師そのものだった。信者と言えるほどに、ワルドを尊敬していた。
「まあね。昔の約束を果たすこともかねてね」
「約束? 許嫁のことですか?」
「ははは、まだ気が早いよ。ルイズはまだ学生だしね。約束というのはアルビオン旅行のことさ。ルイズが小さいころに約束していたのだが、情勢が不安定でなかなか機会が取れなかった」
「アルビオン」
サイトは一応、アルビオンについてはコルベールなどから地理的なものを学んでいた。
浮かぶ大陸であると聞いていたから、サイトも一度訪れてみたいと思っていた。
「どうかね? サイト君も一緒に来ないか?」
「え、いいんですか? 邪魔になりませんか?」
「別に新婚旅行というわけではない。それに、君もルイズの使い魔として、世界を広く知っておくべきだ。ぜひ、一緒に来たまえ」
「ぜひ、お願いします。空に浮かぶ国と聞いていたんで、ずっと行きたいと思っていたんです」
「そうか。ならばちょうどいいな」
ワルドのもう1つの目的はルイズをアルビオンに連れて行くことだった。
ルイズと約束したアルビオン旅行。その目的を果たすためにやってきたのだが、その目的を語るワルドの言葉には闇が込められていた。
その闇を、デルフリンガーは気づいていたが、ワルドに心酔するサイトにはまったく見えなかった。
「では、サイト君、また後で。僕はオスマン学院長にも挨拶してくる」
「はい」
サイトは笑みを浮かべてワルドを見送った。
ワルドの姿が見えなくなったところで、デルフリンガーが顔を出した。
「相棒、聞いてくれるか?」
「どうした、デルフ。神妙な声を出して」
「相棒の信仰心に水を差すようで悪いんだが、あの貴族からはちっとやばいオーラを感じるんだよな。信用していいものかどうかと思うわけさ」
「そりゃそうだ。あれだけの強さを持ってるんだからよ。おれもやばいオーラが出せるような人間になりたいと思うぜ」
「いや、そういうことじゃねえ。他の人間とは違うオーラなんだよ。ありゃ悪党の放つオーラと同じだ。どうも気になるな」
「デルフは見る目がねえな。ワルドさんはチンピラみてえなやつとは一線を画す本物だ。男の勘がそう言ってる」
サイトはあくまでもワルドを高く評価した。
「まあ、相棒がそう言うならしょうがねえな」
デルフリンガーもそれ以上は介入しなかった。
◇◇◇
オスマンとコルベールに挨拶した後、ワルドはルイズと部屋で会った。
「驚いたわ、突然来るんだもの」
ルイズはワルドが来るとは思っていなかったので、すぐに着替えて最低限身を繕った。
いつもはいい加減に部屋を散らかしているルイズだったが、ワルドがやってきたということで大慌てで片付けた。
「悪かった。手紙を書こうと思ったのだが、すぐにでも君に会いたくなってね」
「そんな」
ルイズは恥ずかしそうに顔をそむけた。
愛おしい婚約者。誰よりもかっこいい貴族。ルイズは今でもその気持ちを変えてはいなかったが、ほんの少しだけ以前とはワルドを見る目が変わっていた。
それはサイトと出会ったことで変わったものだった。
別にサイトはルイズにとって特別な存在ではない。あくまでも使い魔であり、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、サイトと出会ったことで、ルイズは心変わりしたこともあった。
サイトは平民。しかし、その中で命をかけて貴族の封建社会に立ち向かっていた。ギーシュとの喧嘩はたかが喧嘩だったが、サイトは命をかけた。
はたから見れば、ただの喧嘩で命を賭けるただの痛い平民かもしれない。
しかし、ルイズにはそうは映らなかった。弱い立場に立たされながら、不屈の闘志を見せたサイトから、「勇気」の本質を感じた。
あれから、ルイズは自分が貴族という身分に甘えていたことを悟った。
それゆえか、サイトがメイドと仲良くなったり、犬猿の仲であるキュルケの誘いを受けることに激しく感情を動かされるようになった。
たかが平民とは思えなくなっていた。それはもしかしたら、サイトを一人の異性として意識していたからなのかもしれない。
「ルイズ、覚えているかい。僕は君をアルビオンに連れて行くと約束したこと」
「ええ、私が7歳のころだったかしら」
ルイズはそのときのことを思い起こした。
あのときはちょうど姉であるエレオノールと大喧嘩したときのことだった。中庭で号泣していたところにワルドがやってきた。
「ルイズ、どうしたんだい?」
「何でもないわ。ほっといて」
そのとき、ルイズは憧れのワルドを前にしても、意固地になっていた。憧れの相手に涙を見られたくないというのもあった。
ルイズはワルドに背中を向けて涙をぬぐった。
すると、ワルドは笛を取り出して、美しい音色を立てた。
その音色は穏やかな旋律を奏でていて、ルイズの琴線に触れた。
ルイズはしばらくワルドの旋律に心を預けていた。自然と心が穏やかになり、涙も目から掻き消えていった。
「このメロディはアルビオンに古くから伝わる遊牧歌の1つなんだ。もっとも、いまは完全に失われてしまったけどね。アルビオンの風そのものだ」
「アルビオン?」
「ああ、ルイズにだけ教えてあげよう。僕はアルビオンの先住民なんだ」
「トリステインじゃないの?」
「ああ」
ワルドはそう言うとそよ風を感じながら、空を見上げた。
「僕は空の民。いまはもういなくなってしまったけどね」
「いなくなったの? どうして?」
「侵略者がやってきた。血のにおいを漂わせた醜いね。彼らは今でもアルビオンを占領して、正義を主張している」
「……」
子供だったルイズにはワルドの言葉の意味を理解することはできなかった。
その後、ワルドは笑ってルイズに言った。
「何があっても最後は許す心が大切だ。エレオノールもルイズを許すべきだし、ルイズもまたエレオノールを許してやるべきだ」
「許せないよ。お姉様は私の大切にしていた花の冠を壊しちゃったんだもん」
「そうだね。ルイズは被害者。エレオノールが悪いのかもしれない。でも、許してやってほしい。そうすれば、どんな悪人もいつかは聖なる風になる。ほら、心地よいそよ風のように」
ルイズは自分の髪を揺らすそよ風に身を任せてみた。
すると、エレオノールに対する憎悪も消えて行った。
「うん、わかった。許す」
「そうか、ルイズはえらいね。君のような美しい心を持つ者ばかりならば、この世界に邪悪な風も血生臭い風も吹かなかったかもしれないね」
ワルドは最後にその言葉を風に乗せた。
ルイズはあのときのことを思い出して、今一度ワルドの立派さを認識した。
「あなたは言った。許すことの大切さ。今の私にはよくわかる。許す心が平和を作るということ」
「そう言えば、そういう話をしていたね」
「でも、やっぱり人は感情に突き動かされてしまう。ワルドはそういうときでも、人を許す心をどうやって持ち続けるの?」
「そうだな……」
ワルドは少し考えてから、
「風に吹かれることかな」
「風?」
「ああ、風はすべてを運ぶ。風に耳を傾ければすべてを教えてくれる」
ワルドはそう言いながら、窓辺のほうまで歩いて行き、窓を開いた。ちょうど、心地よい風が部屋の中に入ってきた。
ルイズはその風を受けて目を閉じた。
「本当……風が何かを教えてくれているみたい」
「ああ、風は本当に大切なことを教えてくれる。この風はアルビオンからここまで旅してきた。きっとさまざまなことを知っているはずだよ」
「あなたはアルビオンから来たの?」
ルイズは風に問いかけた。
「行ってみたい、アルビオンに。私、まだ一度もアルビオンの風に吹かれたことがないもの」
「ならば行こう。ルイズがアルビオンにやってきたとき、アルビオンに本当に素晴らしい風が吹く。そう、かつての美しい風が」
ワルドはそう言うと、どこか冷たく口元を緩ませた。
「血なまぐさい邪悪な風をすべて追い払い、アルビオンはかつての栄光を取り戻すんだ」
そのワルドの言葉を乗せた風は血なまぐさい風となり、ルイズの部屋の外へ抜けていった。