ルイズとワルドのアルビオン旅行はトントン拍子に決まった。
ワルドはルイズの父親と面会し、頼もしい男の態度でこう言った。
「ルイズのことは私が命がけで御守りします。どうかご安心ください」
ワルドの態度は極めて真摯であり、他ならずルイズの父親がルイズの婚約者としてワルドを説得しただけあり、父親は完全にワルドを信頼していた。
「君がついていてくれるならば、ルイズも安心だ」
「ただ、アルビオンの治安の悪化は確かです。できる限り、安全なルートを手配するつもりです。アルビオンの信頼できる貿易商人がいます。彼の運営する飛行船ならきっと安心でしょう」
「アルビオンの貿易王……カスダード家の者だったか」
「ええ、ウェールズ政権を心の底から信頼する正義心の強い男です」
「わかった。よろしく頼むよ」
「アルビオンは風系統のメッカ。ルイズにとっても、きっと素晴らしい勉強になるでしょう」
「ところで使い魔のサイト君はどうするのかね?」
「彼も一緒に連れて行くつもりです。彼にとっても使い魔として知見を広めるチャンスだと思いますので」
「しかし、野暮ではないかね? せっかくの旅行だというのに」
ワルドは小さく苦笑した。
「今回の旅行は婚前旅行とはまた別のものです」
「そうだったな。すまなかった。はははは」
二人は陽気に笑った。
ヴァリエール家の許可も取れたので、アルビオン旅行の障害は完全になくなった。
ただ、ワルドも話したように、アルビオンはレコンキスタの勢力が拡大しており、治安悪化が深刻化している。そのことだけが懸念された。
しかし、ワルドはそのことについては心配していなかった。
ワルドは旅行の計画を完成させると、ルイズとサイトに伝えた。
「ラ・ロシェールの港から飛行船でアルビオン皇国に向かう。アルビオン4区はトリステインとの連絡地だからこのあたりはまだ治安がいい」
「ラ・ロシェール……たしかコルベール先生から聞いたことがあったな。トリステイン王国一の高地だって」
「うん、標高2000mの場所だからね。最もアルビオン皇国に近い場所さ」
空に浮かぶ大陸アルビオンへの港町として、ラ・ロシェールは栄えている。
もともと、ラ・ロシェールは貧民の町であったのだが、アルビオンに渡る飛行船が発明されると一転、トリステインナンバー3の大都会となった。
飛行船ビジネスで富豪になった者は少なくなく、彼らは「アルビニスト」と呼ばれ、世界最高の成金一族として侮蔑的に言われることもある。
ラ・ロシェールはトリスタニアから丸2日かかる距離にある。アルビオンでの滞在期間も含めて1週間以上の長旅になる。
「でもアルビオンへの渡航は禁止されているんでしょう? 飛行船は運休しているんじゃないの?」
ルイズが疑問を呈した。
「ああ、公式にはすべて止まっている。しかし、一部の貿易船はまだ動いている。そこを利用させてもらう予定だよ」
ワルドはトリステインの魔法衛士隊長。その身分があれば、非公式の飛行船を借りて、極秘にアルビオンに渡ることができた。
公式の飛行船は厳格な荷物チェックがある。すると、ワルドのもう1つの目的であるアンリエッタから授かった手紙をウェールズに渡せなくなる。
なので、非公式のルートは最も都合のいい方法だった。
「明朝に出発する。今夜はゆっくりと休んでくれ」
◇◇◇
その夜、ルイズはなかなか寝付けず、ベッドの上から窓を開き、外の景色を見ていた。
明日朝早いのでちゃんと眠る必要があるのに、どうしても眠ることができなかった。
眠れない理由……それはワルドのことだった。
「どうしてかしら……」
ルイズは胸に手を当てて悲しい顔をした。
ワルドのことは尊敬している。きっと愛してもいる。ずっと昔からワルドに恋心を抱いてきた。その気持ちは今も変わらないはず。
しかし、ワルドとアルビオン旅行だというのに、胸が高まらなかった。久しぶりにワルドに会ったときから、かつてのようなときめきを覚えられないままでいた。
「ワルドは素敵な人。私にとってもったいないほどのお方のはずなのに……」
ルイズはどうしてもワルドを愛しきれなかった。ほんの少し前まで、ワルドのことを誰よりも愛していたはずなのに、いまはそうではなかった。
ルイズはどうしても眠れなかったので、ベッドから出た。そして、サイトの寝床に目を向けた。
そこにサイトの姿がなかった。
トイレかと思ったが、しばらくしてもサイトが戻って来なかったので、ルイズは部屋を出て、サイトの身を探した。
最近、サイトは女子生徒から何度も告白を受けている。この前も告白を受けたという話があった。
どこかで女と会っているかもしれないと思うと、ルイズはそれが我慢ならなかったので、サイトのことを執拗に探した。
探し回り、ようやくサイトの姿を見つけた。サイトは寮の屋上にいた。
サイトは一人壁にもられて座り、2つの青い月を見つめていた。
「ちょっとサイト、こんなとこで何してんのよ」
「ルイズか? なんだよ、早く寝ろよ」
サイトは月明かりに照らされた穏やかな顔を向けて来た。なぜかその顔に胸が高鳴った。
「それはこっちのセリフなんだけど」
「ちょっと手紙を書いててな。書き終わったら戻るよ」
「手紙?」
「ああ、二通な。ここを長く空けることになるからな」
「誰の手紙よ」
ルイズはサイトの隣にやってくると、サイトと同じように腰かけた。すると、かつてワルドとそうしていたときのような安らぎや幸福感を覚えた。
サイトはただの使い魔。それは頭でわかっているけれど、いまはワルドと一緒にいるとき以上に心が安らいだ。
「一つは故郷にかな。もしかしたら、おふくろか親父がやってくるかもしれないからさ。そのときのためにな」
「やってくるの?」
「来ないだろうな。でも万が一にと思ってさ」
サイトはそう言いながら、言葉を選ぶように、紙に文字を記した。遠い故郷に思いをはせるサイトの顔は穏やかで無垢で透明感があった。
「なんか不思議だなって思う。親父のことなんて大嫌いだったのに、親父に手紙なんか書いてるんだから。ほんとにクソ親父だったのによ」
サイトは父親のことをそう言いながらも、その言葉には無二の両親に対する愛情が込められていた。ルイズは自分が両親を愛する以上に強い愛情を持つサイトの羨望を覚えた。
「どんな人?」
「クソ親父だよ。酒飲んじゃ暴れまわって、おふくろがそれで心を病んじまってさ」
「そう」
「でも、おれの高校の学費を出してくれたのは親父だし、親父の金で飯食ってるし、なんだかんだおれのわがままにもそれなりに金も出してくれた。憎みたいけど憎みきれない。それがすげえ腹立たしいよ」
ルイズはサイトの両親に会ってみたいと思った。
「よし、親父とおふくろにはこんなもんでいいだろ。あとは」
「それは誰の手紙」
「シエスタだよ」
サイトは笑顔でそう答えた。しかし、ルイズには少し不快な言葉だった。
サイトがシエスタを特別視していることはわかっていた。それがルイズには恨めしかった。
「物好きね、あんたも。あんな平民階級の家事手伝いのどこがいいんだか」
ルイズは嫉妬を込めてシエスタを見下すように言った。
サイトは特にそれを否定することなく、優しい口調で次のように言った。
「でもすげえ優しい。おれ、あんな優しい人に出会ったのは初めてだったからさ」
「……」
サイトはルイズと違って大人気ない反応をしなかった。
「この国の風潮はわかってる。身分の高い者が偉い、お金持ちが偉い、出世することが偉いってんだろ。それはおれの住んでいた国でも同じだな。でも、おれはそんなものどうでもいい。そんなものよりずっと価値のあるものをおれは理解できた。他の誰がどう思おうが関係ねえ。おれだけが知っていればいい」
サイトはそう言って、今はまだここにいないシエスタへの愛情を表現した。
ルイズは負けたと思った。身分や財力を誇示することしかできない自分ではシエスタには勝てないことを悟った。
けれど、それを正直に認められるほど、ルイズはまだ大人ではなかった。
「でもね言っとくけど、あんたは私の使い魔なんだからね。別にあんたが誰を好きになろうと自由だけど、私に尽くすのが最優先事項なんだからね。わかってるわね?」
「わかってるよ。お前のことは命を賭けても守るさ」
「……」
ルイズは思わず、言葉を詰めた。堂々とそう言われると胸がときめいた。ワルドに同じ言葉を言われたときよりもずっと心が反応することがわかった。
「べ、別に命まで賭けなくてもいいけどさ。と、ともかく、つ、使い魔なんだからその自覚だけは忘れるんじゃないわよ」
ルイズは自分の心の乱れを隠すように立ち上がると、サイトに背中を向けた。
1つ息を吐いてからちらりと後ろを振り返った。
そこには、ぼんやりと月を見つめるサイトの顔があった。その顔は少なくともルイズを見てはいなかった。サイトの目は月のはるか先にある思い人に向けられていた。
「私、ひょっとして……」
ルイズはそれ以上の言葉を頭の中から完全にかき消した。
◇◇◇
朝もやのかかる朝、ルイズとサイトはそろって部屋を出た。
「眠い……」
ルイズもサイトもお互いに眠そうな顔のまま部屋をノロノロとした足取りで出て来た。
サイトはシエスタへの手紙の文言を考えるために徹夜して、ルイズはなんとなく眠れずに徹夜していた。
せっかくのアルビオン旅行というのに、スタートは悪かった。
サイトは手紙をマルトーに渡すために、厨房に向かった。
マルトーの朝は早い。すでに厨房ではスタッフによる仕込みが始まっていた。
「おう、我らが剣、どうした? 眠そうだな」
「すみません、マルトーシェフ。シエスタに伝言というか手紙を任せたくて」
「ああん? ラブレターか?」
「半分そんな感じです。しばらくここを離れるので、シエスタが戻ってきたら渡しておいてほしいんです」
「どこへ行くんだ?」
「ちょっと遠くへ」
アルビオンへの渡航は全面禁止されているので、今回の旅行は表向きに人に話せるものではなかった。
「わかった。たしかにシエスタに渡しておくぜ。まあ、あいつも奥手だからな。でも、その気になれば人一倍気が強い子だ。そこいらの貴族風情には敵わないほどにな。シエスタを狙うんなら覚悟しとけよ」
マルトーはそう言って笑った。
その間、ルイズはワルドのもとに向かった。ワルドは教師らが寝泊まりしている寮を利用していた。
ワルドは早朝から冴えた目をしていた。
「ルイズ、眠そうだな。昨夜は眠れなかったのか?」
「ええ、緊張してしまって」
「それならば、僕の相棒の上で休むといい。僕が護っているから」
ワルドはそう言うと、ルイズの身を優しく抱き寄せた。
しかし、ルイズはこれまでのような胸の高鳴りを感じなかった。ルイズの心はもうあのときから変わってしまっていた。