コルベールは学院長室の扉をノックした。
「入りたまえ」
「失礼します、オールドオスマン学院長」
コルベールは手で扉を開けるとていねいに会釈した。それから、手で扉を閉めた。メイジは普通こうした所作には魔法を使う。この学院は平和だが、場合によっては魔法のトラップが仕掛けられていることもあるので、メイジはムーブ魔法を用いて扉に手を触れずに開ける。しかし、コルベールはかたくなに日常生活において、魔法を使うのを拒絶していた。
「ご苦労だったな、コルベール先生」
「仕事の途中で引き返してきまして申し訳ありませんでした」
「君の教え子が問題を起こしたとあっては仕方がない。君は生徒想いの立派な先生だからの」
「恐縮です」
「ミスヴァリエールの使い魔のサイト君じゃったか。特に命に別状はないと聞いていたが、様子はどうじゃった?」
「命に別状はないという話は僕も聞きましたが、まだ意識が戻っていないので安心できません」
「うーむ、仮にもうちに多額の寄付金を授けてくれているヴァリエール家の使い魔が亡くなったとなれば、伝統のトリステイン魔法学院も傾いてしまうからの」
オスマンはそう言って書類のまとめられたファイルを1つ取り上げた。
その書類には2年生のサモンサーヴァントの結果が書かれていた。魔法学院で行われたサモンサーヴァントの結果はすべてトリステイン王室に報告しなければならないことになっている。
コルベールはその報告のために王室に出張に出ていたところでもあった。
「損失はそれだけではない。ミスヴァリエールの使い魔のルーン……」
オスマンはルイズのサモンサーヴァントの結果に目を通した。そこには、召喚された使い魔に刻まれたルーンが記されていた。
「話を聞くところによると、ミスヴァリエールの使い魔は剣を手に取ったとき、そのルーンが反応したということじゃ。コルベール先生、これはやはり間違いないと見て良いじゃろうか?」
「私も現場を見たわけではありませんが、かつて始祖ブリミルの操った使い魔と同じルーンかつその効能も酷似しているとすれば、十分な状況証拠です」
「うーむ、我が魔法学院から虚無の使い手が現れたとなると、ブリミル以来の奇跡」
オスマンは苦い顔をした。喜ばしいことと言うよりは困ったことだと言わんばかりの顔だった。
「コルベール先生、ミスヴァリエールにはそのことについて話したのかね?」
「いえ、まだ話していません。王室に報告して、アンリエッタ女王の指示を待つつもりでしたので」
「王室には報告したのかね?」
「いえ、その手前で事態を聞いて舞い戻ってきたのです。申し訳ありません」
コルベールは頭を下げた。
「ならば不幸中の幸いであるな」
「それは?」
「いや、王室にこのルーンを報告するのは避けようかと考えておってな」
コルベールはオスマンの意図をすぐに理解した。
「それはつまり、偽りの報告を王室にするということですか? しかし、それはあまりに危険すぎます」
「まあ、ワシもコルベール先生も処刑台にかけられても文句は言えんな。しかし、虚無の使い手が現れたことを王室に報告したらどうなると思う?」
「……非常にまずいことになると思います」
コルベールはさらに付け足した。
「いま王室は左派が強いですが、過激な右派が王室近辺で色々な陰謀を画策していると聞きます。右派はゲルマニアとの休戦協定解除を公約に掲げているほか、アルビオンのレコンキスタを影で支援しています。間違いなく、右派は虚無を利用しようとするでしょう」
「うむ、ワシもそこを心配しておってな。まあ、右派にはワシの古くからの友人もおるので、あまり悪くは言えんのじゃが、連中の思想はワシも好かん」
「ミスヴァリエールが虚無の使い手と分かれば、右派はもちろん、あらゆる犯罪組織も手を出して来ることが予想されます。私もこのことは内密にするほうがいいと考えます」
「では、ワシの共犯者になってくれるかね?」
「なりましょう。それがトリステインの平和につながると思います」
コルベールは迷うことなく決断した。
「しかし、本人には伝えておいたほうが良いとワシは思うのじゃが、コルベール先生はどう思う?」
「そうですね。本人が無自覚でいるほうが危険な気もします」
「しかし懸念もある。ミスヴァリエールの人格を疑うわけではないが、虚無の力を知ったとき、その力を良からぬことに利用しようと考えるのではないかとな」
「その心配には及びません。ミスヴァリエールは思いやりのあり、義に忠実で誰よりも世界平和を望む立派なメイジの卵。この私が確信を持って申し上げます」
コルベールは強い目でそのことを訴えた。
オスマンはうなずいた。
「コルベール先生がそう言うなら間違いないじゃろう。しかし、使い魔のほうはどうじゃろうか?」
「同じです。サイト君もまた平和を愛する立派な騎士の卵です」
「よろしい。では、使い魔の傷が癒えたら、ワシのほうから直接彼らに伝えよう。ひとまずは、使い魔の回復を待とう。コルベール先生は引き続き、彼らの面倒を見てやってくれ」
「わかりました」
◇◇◇
どんよりとした薄暗い霧が漂っている。
ここは深い森の中だった。
サイトはそんな場所をさまよっていた。
周囲から不気味な声が聞こえてくる。木々がささやいているようだった。
「お前が向かうその先は地獄だ。お前はもはや呪われた身。その呪縛波永遠に消えることはない。もがき苦しむがいい。くくくく」
サイトは声のほうに目を向けた。そこには真っ赤な眼光を放つ悪魔の目があった。一本の邪悪な木にその目が浮かび上がっていた。
「おれは呪われているのか?」
「自覚していないか。自分の手を見てみるがよい」
「……」
サイトは自分の手の甲を見つめた。刻まれたルーンからはどす黒い闇が漏れ出ていた。
「お前は暗黒の騎士として選ばれたのだ。この世界に混沌をもたらすことになるだろう」
「……」
サイトはそのルーンをにらみつけた。
「違う」
「違うだと?」
「これは呪いじゃない。いや、呪いでも構わない」
「何が言いたい?」
「守るべきものを守れるならそれでいい。守るべきもののためならどんな呪いも受ける。人を斬ることになってもな」
サイトはそう言いながら、一人の大切な人のことを想っていた。
「愚かな騎士よ。お前に大切なものを守ることなどできぬわ。その力は破壊の力。お前は守るべきそのものまでをも斬ることになるのだ」
サイトは顔を上げて、目の前の悪魔をにらみつけた。
「おれは絶対に守る。それができないなら、自らを斬る覚悟だ」
「むむ……その目……かつてこの私を封じ込めた魔道士ブリミルの使い魔と同じもの。貴様、いったい何者だ?」
「平賀才人。ただの冴えない高校生だ」
「くくくく、面白い。貴様とはいずれ相まみえることになりそうだな。くくくく」
サイトはその笑い声を聞きながら、視界が反転していくのを感じた。
平衡感覚がなくなったサイトは手を伸ばし、愛する守るべきものの名前を呼んだ。
「シエスタ……」
サイトのそのつぶやきを聞いたシエスタは顔を上げた。
「サイトさん、いま私の名前を?」
シエスタはサイトの手を握り締めて、サイトの顔を覗き込んだ。
サイトは目をゆっくりと開いた。
その視界にシエスタの姿が映ると、サイトはもう一度名前を呼んだ。
「シエスタ……」
「そうです、私です。私のことがわかるのですね?」
サイトはうなずいた。
「良かったです。ずっと待っていました、この時を」
サイトは目を覚ました。シエスタが自分の手を握り締めてくれているのがわかった。そのぬくもりがとても心地よかった。
これまで、女性に手を握り締めてもらう経験がなかったから、サイトにとっては初めて受け取る力だった。
目を覚ましたばかりだったが、体の力がみるみる戻っていくようだった。
「具合はどうですか?」
「ああ、大丈夫だ」
サイトはそう言うと、一気に体を起こした。怪我の痛みをわずかに感じたが、特に問題はなかった。
「サイトさん、無理はなさらないでください」
「大丈夫だよ。それより、あれからおれはどうなったんだ? 刀を握り締めてから記憶がないんだ」
「あれからサイトさんはとても長い間眠りにつかれていました。丸3日もの間です」
「3日……そんなに長い間眠っていたのか」
サイトはその時間の経過を認識していなかった。
「ですから無理をなさらないで。楽な姿勢でいてください」
「ああ、すまないな」
シエスタはサイトのために徹底的に尽くしてくれた。その気持ちだけで、サイトのケガは癒えていくようであった。
そんな二人の様子を後ろで見ていたルイズは妙に腹立たしさを覚えて仕方なかった。
我慢の限界に達したので、ルイズは立ち上がり、二人の間に割って入った。
「あんた邪魔、どいて」
「あ、すみません」
ルイズにそう言われて、シエスタは名残惜しそうにサイトの手を離して席を立った。
ルイズはしばらくシエスタが握っていたサイトの手を見ていた。ルイズはどうしてシエスタに嫌悪感を覚えてしまうのか自分でもわからなかった。
ルイズはシエスタの座っていた椅子にはかたくなに座らず、その場に腰を下ろした。
「ったく迷惑ばかりかける使い魔で困ったものだわ」
ルイズはシエスタと違い、開口一番から文句を吐き出した。
「悪かったよ」
サイトは素直に謝った。ギーシュと対峙しているときは怒りがこみあげてきていたし、貴族に対する嫌悪感もあったが、いまはギーシュへの恨みも貴族への嫌悪もなかった。シエスタのぬくもりを得たからか、とても心が穏やかだった。
しかし、ルイズの表情は穏やかではなかった。
「謝って済む話とでも思ってんの?」
「おれはこの世界のことは何もわからねえ。おれはどうなるんだ?」
「そんなの私にもわかるわけないでしょうが。ただ、使い魔の責任は主人の責任。私が退学になるかもしれないわけよ。わかってんの?」
「わ、悪かった」
「ふん」
ひとまず、ルイズは不満を述べるのをそこまでにした。
「で、なんで私に黙ってたわけ?」
「黙ってたって?」
「私、あんたが剣術を使いこなせるなんて聞いてないんだけど」
「は?」
「とぼけんじゃないわよ。あんた、ギーシュの剣を振るったじゃないの」
「は、なんのことだよ」
「なに? 覚えてないっていうの?」
サイトはしばらく思案した後、うなずいた。
「覚えてねえ。刀を握った瞬間までは覚えてるが、そのあと目の前が眩しくなって……それきりだ」
サイトは刀を握り締め、ギーシュの繰り出したワルキューレを両断した。並大抵の剣士では成せない剣さばきだった。
しかし、サイトにはその記憶がなかった。
「なら、これのせいかしら」
ルイズはサイトの手首をつかんで、ルーンを見つめた。
「使い魔のルーン。使い魔に魔法の力が刻まれているのよ。それがようやく発揮されたってところかしら」
コントラクトサーヴァントによって使い魔と契約すると一様にルーンが刻まれる。
それは契約した主の持つ魔力特性の一部を反映したものであり、使い魔はそれにより野生の姿では発揮できない力を発揮できるようになる。
しばらく、サイトには何のとりえもないと考えられてきたが、剣術が使えるという特性が備わっていたのかもしれない。
しかし、ルイズには剣術の心得はない。使い魔の特性は主人に似ると言われているが、まったく似つかない性質だった。
ややあって、コルベールが病室に戻ってきた。サイトが目を覚ましたということを知り無邪気に喜んだ。
「おー、良かったな、サイト君。心配したよ」
「ご迷惑かけて申し訳ありませんでした、コルベール先生」
「具合は大丈夫なのかね?」
「はい、傷口はふさがってますし、少し胸のあたりが痛むぐらいです」
サイトはすでに立って歩けそうなほど元気になっていた。驚異的な回復力だった。魔法の力かあるいはシエスタの力か、サイトは後者のほうが大きいように自覚していた。
シエスタの力によって特に心の傷が回復していた。
シエスタがいてくれれば、貴族にバカにされても構わないと思えるようになっていた。誰かに冷たくされても孤独感も覚えなかった。
サイトにとってシエスタは癒しの女神だった。