サイトは退院した。
ギーシュとの決闘の直後は生死をさまようほどの状態だったが、魔法の施しもあり、サイトは完全回復した。
この回復にはシエスタの力も大きかった。サイトは誰よりもそのことを実感していた。
退院して間もなく、ルイズとサイトは学院長室にやってきた。
今回の騒動のけじめをつけるため、学院長オスマンから直々に処分を言い渡されることになるのかと思うと、ルイズはため息をつかざるを得なかった。
ルイズは魔法衛士を志すため、ヴァリエール領をはるかに超えて、ここトリステイン魔法学院にやってきていた。
魔法の成績は上がらなかったが、それでもルイズは夢を叶えるために今でも努力を続けている。そんな矢先に、使い魔の暴力事件。ただでさえ、学業成績に悩みがあるのに、ルイズにとっては追い打ちをかけるような惨事だった。
ルイズは学院長室の扉に手を伸ばしてしばらくためらった。またため息がこぼれた。
「はあ……退学になったらと思うと憂鬱だわ……」
「なんでお前がクビになるんだよ? 暴力事件を起こしたのはおれだろ?」
今回の暴力事件の当人であるサイトはルイズと違い、サバサバしていた。
「使い魔の責任は主の責任なのよ。過去にはそういう事件で退学になった生徒が何人もいるのよ」
「ふーん、まあでもクビになると決まったわけじゃねえんだし、学院長とやらの話を聞いてみようぜ」
ルイズに代わり、サイトが扉を叩いた。
「すみません、入っていいですか?」
「入りたまえ」
許可が下りたので、サイトは軽く扉を押した。厳めしい扉だったが、思いもよらず簡単に開いた。
「失礼します、オールドオスマン学院長」
ルイズはそう言うと、ていねいにおじぎをした。ルイズと言えども、学院長の前ではひれ伏さなければならないようだった。サイトも合わせておじぎをした。
「こちらへ来たまえ」
ルイズはもう一度おじぎをしてオスマンの前に向かった。
オスマンは険しい表情を浮かべることなく、どちらかというとニコニコ微笑んでいるようだった。
サイトはオスマンから壮年の魔道士という感じの迫力を感じた。地球には、このような迫力を持つ老人はほとんどいないから、思わず崇めてしまいそうになった。
「えー、まずはサイト君。調子のほうはどうかね?」
オスマンは穏やかな表情でサイトに尋ねた。
「あ、はい。おかげさまで元気になりました」
「そうか。それは良かった」
オスマンはそう言うと、近くにいた使い魔のモートソグニルを手に乗せた。
「モートソグニルやあちらの棚から例のものを取ってきてくれるか?」
指令を受けたモートソグニルはオスマンの手のひらから飛び降り、机の上からも飛び降りて例の書類のある棚を登り始めた。
サイトは一生懸命なモートソグニルの冒険をながめていた。ただのネズミのようだが、人間の言葉を理解していて、地球の某アニメのようだと思った。
特にそれには興味を示さなかったルイズはオスマンに尋ねた。
「オールドオスマン学院長、私は退学になってしまうのでしょうか?」
「ほほ、多額の寄付金をもらっているヴァリエール家の者をクビにしたとなると、ワシの首のほうが飛んでしまうわい」
オスマンはそう言うと、少し真面目な表情を作った。
「今日は少し確かめたいことがあってな、特にサイト君にな。病み上がりで申し訳ないと思ったが、一刻も早く確かめておきたくてな」
「確かめたいことですか?」
「うむ」
オスマンはモートソグニルが持ってきた1枚の巻物を手に取ると、ゆっくりと広げた。
「ミスヴァリエールは始祖ブリミルについてはもう勉強したかな?」
「始祖ブリミル様のことならば、勉強するまでもなく熟知しております」
「サイト君はどうかな? 始祖ブリミルについては勉強したかな?」
「えーっと、トリステインの英雄かなんかで魔術の体系を作った偉い人みたいなことはコルベール先生から聞いてます」
「うむ、勉強熱心で感心なことじゃ。サイト君の話したとおり、始祖ブリミルはトリスタニアに魔術を伝えた原初のメイジと言われている。しかし、問題はここからじゃ」
オスマンは巻物にていねいに目を通しながら話した。
「始祖ブリミルが我々に伝えた「魔法の4系統基本法則」。ミスヴァリエールも習ったと思うが、「すべての魔法現象は火、水、土、風の4つの象限を持つ平面で説明できる」というものじゃ」
ルイズはうなずいた。それは誰しもが最初に習う最も基本的な魔法の基本定理である。
「しかし、この4系統では説明できない不思議な魔法群がある。虚無じゃ」
「虚無?」
「虚無については知っているかね?」
「もちろん、聞いたことはあります。魔法アカデミーにも専用の研究機関がありますし。ですが、そのようなものは実在せず、だいたいの怪奇現象は風系統の魔法の作用で説明できると聞いておりますが」
「うむ、まあそうじゃな。虚無なんてもはやまともに信じる者はおらん。ワシもそんないかがわしいものがあるとは思っておらんかった」
サイトはやり取りを聞きながら、虚無は地球で言うところの幽霊みたいなものだと認識した。霊的な何かだの、死者の魂だの地球でも色々言われるが、科学がそれを突き止めたことはない。虚無もまた、魔法の原理では説明できないということなのだろう。
「しかしな、虚無など存在しないと頭から否定できない事実がいくつかあるのじゃ。信頼性は低いが、歴史書の中には、始祖ブリミルが伝えた真の魔法系統は平面ではなく立体であったとされておる」
「立体ですか?」
ルイズからしてみると、それは不思議なことだった。魔法を学び始めて、すべての魔法は火、水、土、風の4つの象限を持つ平面で表記するものというのが当たり前になっていた。
「うむ、虚無とは通常の魔法とまったく異なる次元で生じている魔法の総称」
「ですが、あくまでも信頼性の低い歴史書の表現なのでしょう?」
「そう、本来なら金儲けのために作り話を書いた阿呆な著者だと一蹴してもよいのじゃが、同時に記録に残っている不思議な使い魔のルーンがある」
それから、オスマンはサイトのほうに顔を向けた。
「サイト君、ルーンを見せてもらっていいかな?」
「はい、これですよね」
サイトは自分の右の手の甲に刻まれたルーンをオスマンに見せた。
「うむ、間違いない。ミスヴァリエールもこれを見たまえ。始祖ブリミルが使い魔に刻んだルーンが歴史書に記されておる」
オスマンは巻物の一端に記されていたルーンを二人に示した。
サイトの甲に刻まれているルーンと始祖ブリミルが使い魔に刻んだルーンは寸分たがわず同じだった。
「まったく一緒だぜ」
サイトは何度も確かめて同じであると確認した。
「そう、これらのルーンはまったく同じ。こんな偶然があるじゃろうか? このような不可解なルーンは歴史上存在しない。少なくともワシは見たことがない。数百万のルーンを確認してきたワシが言うのじゃ、間違いない」
100歳を超えるとされるオスマンが言うのだから、たしかに間違いはないのだろう。
「しかし、まぎれもなくサイト君の手に刻まれたルーンはブリミルの使い魔と同じもの。それが意味することはただ1つ」
オスマンは真面目な顔でルイズを見た。
「ミスヴァリエール、おぬしは虚無の継承者じゃ」
「私が虚無の?」
突然そんなことを言われても、どう反応していいかわからなかった。
「コルベール先生からも話を聞いておる。ミスヴァリエールは真面目で勉強熱心であると。事実、筆記試験の成績はトップクラス。ところが、魔法になるとさっぱりであると」
言われて、ルイズは恥ずかしそうに顔を赤らめた。ルイズは基本的な魔法も習得できず、周囲から馬鹿にされていた。
「その理由はもしかしたら虚無にあるのかもしれん。ワシも虚無など見たこともないから、どういう作用が魔法の習得を邪魔しているのかはわからぬが。ともかく、ミスヴァリエールよ、おぬしは虚無を引き継いでいる可能性がある。そのことだけは伝えておかなければならぬと思ってな」
オスマンは長話で疲れたように椅子にもたれかかって息をついた。
「オールドオスマン学院長、申し訳ありませんが、私には虚無というものが存在するとはとうてい思えないのですが」
「それならば、百聞は一見に如かず。確かめてみようじゃないか」
オスマンはそう言うと、立ち上がり、窓から外を見やった。
「今日はいい天気じゃ。外に出よう」
オスマンがそう言うので、二人は黙ってうなずいた。
◇◇◇
トリステイン魔法学院はさまざまな魔法の実習を行うため、広大な敷地を備えている。
風系統や火系統の魔法は特に危険で、それらを学ぶためには広い敷地が必要だった。
オスマンはルイズとサイトを連れて、火系統の魔法を練習する岩の積みあがった荒れ地に降りて来た。
「今日3年生は野外学習に出ておる。ここを使った授業は入っておらん。ちょうどよい」
オスマンは広々とした荒れ地を見渡した。遠くに粉々に砕かれた岩がまとめられていた。火系統の魔法に精通すれば、巨大な岩も粉砕できる。
「あの、これから何をするのですか?」
「虚無を見ようというわけじゃ。話を聞くところによると、サイト君は剣を手に持ったとたん、尋常ではない力に目覚めたと聞いておる。ならば、見てみようではないか」
オスマンはそう言うと、ルイズとサイトから距離を取って向かい合った。
「では、サイト君に剣を授けよう。いでよ!」
オスマンは立派な杖を振るった。100歳を超えるという老人とは思えないほど腰の入った杖さばきだった。
杖から魔力が放出され、立派な剣が現れ、それは空中から垂直に落下し、サイトの眼前に突き刺さった。
「……」
サイトは目の前に現れた剣を見つめたあと、オスマンのほうに目を向けた。
「これであそこにある岩をぶった切れということですか?」
「ほほ、あんな石風情では虚無に対抗できまい。サイト君の相手は他ならずワシがしよう」
「え?」
「むろん、ワシはこのように老いぼれ。なので、ワシの使い魔のモートソグニルにサイト君の相手を任せるとしようかな」
「えーっと……」
サイトは首を傾げた。
モートソグニルはネズミ。距離を取ると、目にも入らないほど小さくてちっぽけだった。
あのようなネズミとどう戦えというのだろうか。
「安心せい。モートソグニルはこれまでワシの危機を幾度となく救ってくれた。虚無を図るには申し分ない相手よ」
オスマンはそう言うと、モートソグニルを前に出した。
だが、その姿は小さく、とても戦える存在とは見えない。
「モートソグニルや、その甚大なる力を解放せよ」
オスマンがそう言うと、モートソグニルは可愛い顔をこわばらせて、体を震わせた。
直後。
モートソグニルの体は約100倍に巨大化した。
見下ろしていたサイトの視線は空に向かった。ルイズも目を見開いて見上げていた。
可愛かったモートソグニルは姿かたちもなくなり、目の前には獰猛な悪魔がいて、サイトとルイズを見下ろした。
「ま、まじかよ……」
色々な魔法を見てきて、サイトももはや多少のことでは驚かなくなっていたが、これには驚かざるを得なかった。
使い魔にはこのような力があるのかと感心させられた。
同時に、それならば自分にも大きな力があるのかもしれないという自信もこみあげて来た。
「いいかな、サイト君。我がモートソグニルが相手で不満はないかね?」
「不満どころか、うれしいですよ。ようやくファンタジーの世界らしくなってきたんで」
サイトはモートソグニルからそれほど恐怖は覚えなかった。オスマンの使い魔だから安全だろうというのもあったが、目の前の剣を握れば、たとえ6mを超える巨大な鼠でも倒せるような気がした。
「いくぜ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいって。無謀よ、何考えてんのよ」
ルイズは冷静にサイトを制止した。普通に考えてあんな巨大なものに勝てるはずがない。
しかし、サイトは勝てる気でいた。
「大丈夫だよ、お前虚無とかいうすげえやつの使い手なんだろ? ならその使い魔だってなんかすげえ力ぐらいあるだろ」
「いやだから、虚無は実在が確認されてる系統じゃないのよ」
ルイズは謙虚だった。自分がそんな特殊な存在ではないと思い込んでいた。魔法の成績が悪いのも、自分の努力不足だと考えていた。
「なら確認してみようぜ。この剣を握ればわかるだろ」
サイトはそう言うと、両手を天に向けて、それから剣に手をやった。
サイトの右手のルーンが光り輝いた。