ミトに至る倒錯   作:氷の泥

1 / 12
01 馴れ初め

 姿見の前に立つと、新品の制服を着た少女がそこにいた。……我ながら美形だ。

「じゃあお母さん、行ってくる」

「んー」

 母はテレビ画面から目も離さず、気のない返事をした。朝っぱらから暇な人はこの家の中以外にもいくらでもいるようで、その画面の中では今まさに白熱のオンライン格闘戦が行われている。母はコントローラーを握り、貪欲に執拗に姑息に真剣に、そこで勝利を求めていた。

 私でも同じ状況なら適当に返事をしただろう。仕方がない。今に始まったことでもあるまいし。

「午前中で帰ってくるからね!」

「はいはーい」

 玄関のドアを開けて外へ出る。自転車の鍵も定期券も持たずに外へ出る。なんと今日から通い始める高校は家から近いため、徒歩で通うことが出来るのだ。

 高校といえば初めての電車通学や自転車通学を体験する場として有名だけれど、そこへ徒歩で通うというのは、なかなかの贅沢である。その贅沢と引き換えに失われる物は、新高校生の胸中にあって然るべき「心機一転」の気持ちというやつだろうか。

 十五分ほど歩くと校舎が見えてくる。その建物の外観にはすでに、下見だの受験だのという過程で十分飽きてしまっている。そのせいで、義務教育期間には全く身に覚えのなかった「社会人としての自分」へ向かっていくことへの悲哀……みたいな物を感じてしまった。わくわく感、新鮮さ、根拠のない幸福感といった物とは、私はどんどん無縁な存在になっていく……。

「わっ」

「おっと」

 下駄箱で靴を履き替えていると、隣で同じことをしていた女子が踵を吊り上げられたような姿勢でつまずき、私の方へと倒れこんできた。

「あ……、ご、ごめんなさい!」

 ペコッと頭を下げ、その女子は逃げるように去っていく。下駄箱が近いということは同じクラスの新入生だったのだろうけど……。私は、彼女が一瞬おびえた顔をしたことを見逃さなかった。

 時間に余裕があったので、教室へ向かう前に、流し台に付いている鏡を見た。

「あれぇ……?」

 家を出る直前に見た鏡には、間違いなく美少女が映っていたと思ったのだけれど……。私の目の前にいたのは、天下の女子高生とは思えないような、「殺し屋かな?」というくらい目つきの悪い女だった。美形であることに変わりはないと思うけど。

 まあ、いくらなんでも高校生にもなって、生来の見た目や雰囲気のせいで人が遠ざかっていくことに対して傷心するわけじゃない。とっくに受け入れたつもりだし、トラブルさえ起こらなければそれでいいと思っている。さっきのは、トラブルではない。

「…………」

 鏡の前で、自分の口角に指を当てて押し上げてみる。指を離すと、無表情が戻ってくる。ウインクが出来ない感覚に似て、表情筋を意図的に動かす方法など相変わらずまったく見当もつかなかった。高校生にもなって愛想笑いの一つも出来ないのだ、私は。

 けれど、それはお互い様であるように思う。反射的な怯えを心の中だけに隠してはおけないように、「表情」に関して「どうしても出来ないこと」というのは誰にでもある物で、それは悪いことじゃない。

 気を取り直して教室に向かう。昇降口の方に貼り出されていたリストいわく、私が所属するクラスは一年A組らしい。一階の手前側の端にある、およそ下駄箱から最も近い部屋と思わしき場所だ。

 教室の前後にある扉はどちらも開いていて、私は後ろの扉からそこに足を踏み入れた。単純にそれが一番短い道筋だったから。……するとその教室に入って早々、あまり見慣れない物を目にすることになる。

 白い紙製の、手のひらサイズの三角コーン。すでに人が座っている席にもそうでない席にも、机の上には必ず白紙の三角錐が置いてある。私は一見してピンと来た。あれはきっと正面から見れば、各々の名前が書いてあるのだろうと。つまり私も自分の名前が書かれたコーンを探し、その席に座ればいいのだ。

 三面全てに律儀に名前が書いてあることと、無人の席の正面を覗き込みながら教室の中を練り歩くこと、どちらがより間抜けっぽく見えるだろう? と、そんな問いに答えを出すことは出来ないまま、私は自分の席を探して一年A組の教室を巡礼する。道中、誰もが私から目を逸らした。

 結局、「絹川」という文字が記された紙コーンは、最も後回しにした席に置いてあった。窓側一番後ろ、教室の角の方の席だ。カーテンを閉めていても無駄に日当たりが、窓を開ければ風当たりも良さそうな席だった。あとオセロなら位置が強い。

 小中学校と違って、配置された机たちはいわゆる「隣の席」と密着しているわけではなかった。けれどそれでも明確に「隣の席」は存在する。私の隣の席にはすでに人が座っており、そこの机には「砂切」と書かれたコーンが置かれていた。

 砂切というらしい同級生は、私が「絹川」の前で立ち止まると、こちらの顔を見てにこりと微笑んだ。友好的な態度を取られたら取られたで戸惑うけれど……とりあえず会釈を返しておく。

 椅子を引いて席に着く。私は、なぜ自分が無意識にこの席を一番後回しにしたのか、その理由に気付いていた。だからこそ念のために改めて教室を見回す。まだ全員が揃っているわけではないけれど、そこには明らかに「傾向」があった。

 男の隣には女、女の隣には男。小中学校の時と同じように、隣り合う席同士は必ず異性となるように配置されているようだ。けれど私の場合だけ、隣を見ると、スカートを穿いた人物がそこにいる。それも客観的に言ってその人は、この場で一二を争うくらいの美人だった。

 男女比が均一にはならなかったのだろうか? まあ間引いてるわけでもあるまいし、完璧に数が揃うことの方が珍しいか……と、適当に納得しようとしていたところ、

「えーと、絹川(きぬかわ)さん?」

 妙ににこやかな雰囲気を纏ったまま、隣の席の少女が話しかけてきた。

「え、あぁ、はい。砂切(すなきり)さん……?」

「うん、砂切です。隣の席同士、これからよろしくね」

「よ、よろしく」

 何が嬉しいのか、砂切はずっとニコニコしていた。……私はずっと昔の、小学校時代のことを思い出す。

 ねぇ、消しゴム貸してくれない? ……消しゴムを失くしたので、隣の席の男の子にそう言っただけだった。するとその男の子はびくりと肩を跳ねさせ、ちょうど今の私と同じくらいの困惑を声と顔で表しながら「ど、どうぞ」と消しゴムを差し出してくれた。……その男の子は決して微笑まず、間違っても嬉しそうにはしていなかったように思う。

「絹川さん。騙し討ちみたいになったら悪いから、最初に言っておくんだけどさ」

 砂切が、ひそひそ声で言う。

「僕の性別、どっちだと思う?」

「……は?」

 どっち、とは?

 質問の意図を理解しかねている間にも、話は続いた。美少女と表現して差し支えないであろう容姿の持ち主が、まるで「話すことができて嬉しい」とでもいったような顔をして。

「男だよ、僕」

「……へぇー」

 隣の席の同級生、砂切。……声は高く、線は細く、そしてよく見るとスカートの丈がどの女生徒よりも一回り長いように見えるその人物は、そのようにしてにわかには信じがたいことを暴露した。

 仮に、仮にそれが真実であったとして、私の知る限りそういう話は、そんな表情とこんなタイミングで告げられる物ではないはずだった。それとも、私がまた間違えているのだろうか。人の心が分からないばかりに。

「……えっ、いや、おとこ?」

「うん。だから別に、クラスの男女比が合ってないわけじゃないよ」

 思考を読んだみたいなことを言う。逆に、私には砂切の考えがまるで読めなかった。

 ほどなくして教室には全生徒……三十名の均等な数の男女が着席し終える。するとそれを見計らったかのように、かなりはっきりとした猫背を患う眼鏡の大人がやって来て、教卓の前に立ってそこに手をついた。そっちの方はどこからどう見ても男だ。

「あー、初めましての皆さん、初めまして。このクラスを担任します、二鍵純(ふたかぎ・じゅん)といいます。主に教えている科目は理科です。部活の顧問をやっていないこともあって、皆さんと顔を合わせる機会の……たぶん三分の一くらいは、理科室になるでしょう」

 二鍵と名乗ったその担任は、けだるげな、ねっとりとした喋り方をする男だった。ダウナー系というやつだろう。しかしそういうキャラクターの人物にしては、意外にも結構な饒舌であるように思えた。

 その後も適当なトークが続き、その流れでクラスの全員が自己紹介をしていくことになった。「なった」というか、元々そういう予定だったのだろうけど。それは新入生にとっての恒例行事のようなものなのだ。

 黒板にはかなり雑なチョーク文字で、

・名前

・好きなもの

・何か一言

 と書かれ、一人一人起立して愛想を振りまくか、あるいはその場をやり過ごすことを求められる。私の場合は間違いなく後者側だった。

 廊下側前列の生徒から順に縦に(つまり同性が連続する形で)流れ作業の自己紹介は進行する。進行の順序は蛇行し、私の順番は最後ではないものの、かなり後半の方だった。悪くないポジションである。

 ただ、私の直前の順番が、砂切だった。

砂切流(すなきり・ながれ)です。好きなものはかわいいもので、特に女性のことが好きです。あとこう見えて性別は男です。よろしくお願いします」

 すらすらと、平然と、大衆からは快く当然のように受け入れられるだろうと確信しているような様子で、彼はそれらを言い終えて涼しい顔で着席した。

 教室の雰囲気が淀んだことが、私でさえ感じ取れた。砂切の異様に堂々としたその振る舞いは、私ともあろうものが「こいつ無敵か……?」と思わされるほどのものだった。

 なんだこいつ……。と、私は視線もメンタルも砂切に釘付けにされてしまう。しかしそのうち殺気のような物を感じて、なんとなく前を向くと二鍵先生と目が合った。「次、お前だぞ」と顔に書いてある。

 内心「この雰囲気で?」と思いながら、立ち上がる。

「あっ、えっと、絹川ヨルです。好きなものはゲームとかアニメとか……そういう感じです。よろしくお願いします」

 着席と同時に、愛想の拍手が送られる。砂切の時と同じくらいまばらだったそれが初期の勢いを取り戻すよりも先に、全員の自己紹介が無事終了した。

 入学後の初日ということもあって、その日はその後これといったこともなく、様々な説明や連絡事項がすべて伝えられ次第、明日から楽しい高校ライフをエンジョイしましょうということで解散になった。「あ、そのお名前コーンは回収するので、持ってきてくださーい」と言われたので、「絹川」の文字が書かれたそれを二鍵先生が持つ袋の中に入れてから教室を出る。ちなみにその袋というのは、ゴミ袋との違いは「ゴミ袋」と書いていないことだけだった。

 靴を履き替えて外へ出る。比較的まばらだった登校時に比べて、一斉の下校時になると自転車通学の人たちの姿が目立った。道交法上ではバイクと同じような扱いになるらしいそれを運転する人たちからは、徒歩で門を出ていく人たちよりも数割増しでつまらなさそうな顔をしていたような印象を受ける。アオハルというやつは遅効性なのか、もしくは存在しないのかもしれない。

 けれど、制服を着た若い男女が見渡す限りそこかしこに見つけられるという環境は、確かに何らかの華々しさを持っているようにも感じられた。自分がその一員となることで、華々しさなんて物は外部の人間が見る幻だと分かってしまうけれど。

 家に帰ったら母をゲーセンにでも誘おうかな。と、ある意味では不良っぽいような気もすることを考えながら私も帰路についていると、

「絹川さーん!」

 と、ついさっき聞いたような声で背後の遠い場所から呼び止められた。振り返ると手を振っている砂切が見える。あれ? このドラマ一週見逃した? という時と同じ感覚に襲われた。

「一緒に帰らない?」

 駆け寄ってきてはそんなことを言う。ここで「嫌だ」と言ったら社会的には根性の腐った人間だと思われるのだろうなという、そんな無邪気で罪のない雰囲気を彼から感じた。……私の根性については、それとは別にもう手遅れかと思うが。

「いいけど」

「ありがと。いや、僕もこっちの道なんだけど、黙って後ろ歩いてたら尾けてるみたいでダメかなと思って……」

「いや、そんなことまでは考えないけど……」

 声をかけられなければ、そもそも後ろにいることに気付きもしなかっただろう自信がある。尾けられなくてよかった。仮に尾けられたとして何が起こるのかは知らないけど。

 旧来の友人のような自然な振る舞いで、砂切が私の隣に並んで歩く。そうして並んで立ってみると、彼は私よりも少しだけ背が低いようだった。男性としてはかなり低い部類に入るんじゃないかと思う。……というか本当に男なのだろうか?

「絹川さんってさ、どんなゲームとかアニメが好きなの?」

「え?」

「自己紹介の時言ってたでしょ?」

「あー……」

 その通り、間違いなく言っていた。そしてそれは別に嘘ではなかった。というか真実と寸分違わぬことを言ったつもりだ。

 けれど、何か「好きなジャンル」を持つ人間とは、得てして「具体的に何が好き?」と聞かれると困ってしまう生き物なのである。ジャンル全体に対する「好き」の気持ちが真剣であればあるほど、「人生で一番の映画は何?」と聞かれても延々と悩んで答えられなくなってしまうように。

「……どんなって言っても、いろいろ……? としか言えないかな」

 そして世のオタクたちは、今の私のような答えを口走っては「なんてつまらない答えだ」と自分を責めるのである。

「僕あれなら知ってるよ。じゅっ、じゅじっ、じゅじゅちゅっ」

「あー、分かる分かる」

 私はすでに、あるアニメでベテラン声優が「魔術」を限りなく「マジツ」に近い発音で読んでいたシーンを見てから、そのように割り切ることにしている。プロがそうするのだからと。ジュジツ廻戦!

「あとゲームはね、スマブラとかするよ」

「へー。強いの?」

「お姉ちゃんよりつよい」

「誰だし……」

 そう軽くツッコみを入れたその時、砂切が今までで一番嬉しそうな顔をした気がした。ただでさえ楽しそうにしている人なのに、よく分からないけど幸せそうで何よりだ。

 ……そう、よく分からない。話しかけられたから会話をしているけれど、彼とは別に友人というわけではないはずだし、何を考えて私になんか話しかけてきているのか、まったく分からない。

 今朝の、登校後に見た鏡の中の女を思い出す。愛想笑いが出来ず目つきの悪い、私が一番よく知っている女のことを。……砂切流は絹川ヨルのことが怖くないのだろうか? 私のことを初見で怖がらない人間なんて、滅多にいるものではないと思ったけれど。

「あのさ、砂切……くん?」

「うん。なに?」

「その、どうしても聞いてみたいことがあるんだけど、いい……?」

「いいよ」

 なんでも聞いて! と彼の顔に書いてあった。「彼の」なんて言うけれど、本当に、今に至っても、砂切流という高校一年生のことは「男」には見えない。高校生ともなれば、体つきだってそれなりに男らしくなるものなんじゃないのか。同じクラスの他の男子のように。

「じゃあ聞くけど、……なんで女子の制服なの?」

「かわいいから」

「……なるほど」

 聞いても理解できない物は世の中にたくさんある。専門知識とか、人の心とか。

「あれっ」

 隣り合って歩いていた二人が、ある分岐点で二手に分かれる。私はなんとなくそれを予想していたけれど、砂切はそれを意外なことだと思ったようだった。

 彼の向かう先には、もう少し行けば駅があるのだ。家から駅が近くて私も重宝している。

「私こっちだから」

「あ、そうなんだ。電車かと思った」

「そう思われてる気はしてた」

「えへへ、思ってた。じゃあバイバイだね」

「うん。じゃあね」

 手を振って別れる。……けれど離れても離れても、どこか砂切の動いた気配が感じられない気がした。変に思って振り向いてみると、何か……喉につっかえた言葉に苦しんでいるような、何とも言えない顔をしている砂切と目が合う。当たり前だけれど、彼もいつでもニコニコしているわけではないのだなと、その時妙にしみじみ思わされた。

「あの、絹川さん」

 遠くから、少し張った声で名前を呼ばれる。私と同じくらい高くて、私とは違って人懐っこそうな声で。

「なに?」

「……また明日!」

「ん、また明日」

 彼がそうするので、私も大きく手を振った。自分の口角は少しも上がらないのに、向こうは満面の笑みを浮かべてその場を去って行った。

 ……母から「友達はできた?」と聞かれたら、さて、なんと答えようか? 私はその答えを探しながら、あと少しの帰路を一人で歩いた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。