ミトに至る倒錯   作:氷の泥

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02 絹川の家

「懐かれたんでしょ、それは。間違いなく」

 結局ゲームセンターには行かず、家で母と二人ゲーム機を握りしめ、モンスターを狩っていた。私が砂切という奇特な人物についてざっくりとしたことを話すと、母がどこかに思いを馳せるような顔をしていたことが印象深い。母に限って未来に想像力を働かせるなんてことはしないだろうから、馳せた思いの行先はきっと過去だ。

「言い切るね。お母さんも誰かに懐かれたことあるの?」

「あるよ」

「誰?」

「エミちゃん」

「……あーそっか。確かに」

 噂をすれば何とやらと言う。ちょうどその時、インターホンが鳴った。外はもうすっかり暗くなっている。

「任せた!」

「ちょ、任せたじゃないが」

 私はゲーム機を放り出して玄関を開けに行く。

 そうしないと注意されてしまうので、扉の向こうにいる人物が誰なのか分かりきっていても「どちらさまですかー」と呼びかけた。「常日(つねび)エミです」と、凛とした声で返事が返ってくる。

 扉を開くと、張り付いたような笑顔の女性がそこにいる。すらっとした長身とツヤツヤの黒髪ロング、そして全身から滲み出す自信。母の友人かつ完璧超人である常日エミさんが、今日も晩御飯を作りに来てくれた。

 常日さんは仕事帰りなのでスーツ姿のまま買い物袋を片手にしているけれど、セーラー服のように胸元に垂れているそこそこ大きい赤リボンが、相変わらずの異質さを放っている。

「こんばんは」

「こんばんはヨルちゃん。月流(つきる)さんは?」

「私の分までモンをハンしてます」

「へぇ」

 珍しいものでもないだろうに興味が湧いたのか、常日さんは靴を脱いだらそそくさと母のいるリビングの方へと向かって行った。

「月流さん、来ましたよ」

「ちょっと待って、見たら分かるでしょこれ、大変なことになってるんだけど」

「はいはい」

 私が床の上に放り出したゲーム機のスティックやボタンがひとりでにガチャガチャと動いて、画面の中のキャラクターを動かしていた。母はそっちの画面を見ながら自分の画面も見て、もちろん自分の手元の操作もして、確かに大変そうだ。

 それを見た常日さんが、張り付いた笑顔を少しだけほころばせてゲーム機を手に取る。常日さんがゲームに触れる時にはいつも、子どもの遊びに付き合ってあげるお姉さんみたいな空気をかもし出しているけれど、彼女のゲームの腕前はこの家の中で間違いなく最強である。一番強い人が一番余裕を持っている。かっこいい。

「常日さーん、今日のご飯なにー?」

「餃子だよー」

「おお、やった」

 餃子という響きを聞いた瞬間に、ちょうどそれを食べたかったような気がしてきた。

 クエスト達成のファンファーレがゲーム機から鳴る。それを合図に、なんとなく正座したままだったプレイヤーたちは各々立ち上がり始めた。母は心底だるそうに、常日さんはスッと軽やかに立つ。そして「はい」と私にゲーム機を返したあと、すぐに台所へと消えて行った。

「月流さん、テーブルの上は片づけといてくださいね」

「分かってますよーっと」

 テーブルの上に放置されていた空のペットボトル、漫画雑誌、使いっぱなしのコップが浮き上がり、それぞれが行くべき場所へ向かってふわふわと漂っていく。ついでにテレビのリモコンもすすすーっと端に寄せられた。ゲーム機も邪魔にならない位置に戻される。私の手の中にあった物は浮かないから、自分で直した。

 私の母、絹川月流は異能力を持っている。自分の周囲にある「命のない物」を自由に動かす能力だ。そしてその能力は「命あるもの」と「命あるものが触れている物」には効き目がないので、対戦ゲームをプレイ中の反則行為は出来ないようになっている。偶然だろうけど。

「何か手伝うことありますか?」

 まな板の上の野菜たちが、見ているこっちが心配になるくらい速いペースで丁度いい形、大きさに切られていた。常日さんは手を止めて、私の方を見る。

「うーん、じゃあ餃子見てて」

「分かりました」

 早く焼けろ、早く焼けろ、と熱視線を送る。凝視!

「いや凝視じゃなくて」

「でも私、どのくらい焼けたらゴールなのか分かりませんよ」

「そっかぁ」

 私だって、なんでいつも食べているのにそれが分からないんだ、とは思う。常日さんは優しいからそれを口に出さないけど。でも本当に分からないというか、いまいちピンと来ないのだ。常に「これでいいのか……? 本当に……?」と疑うことになる。そしてその場合、五割くらいの確率で「これでよい」にはなっていない。

 私も母も、親子揃って料理ができない。かなり深刻にできない。火が通っているのかいないのかの判断ができず、食材は巨大なサイズにしか切れず、味付けの成功と失敗は運で決まる。そして一番よくないのが、それを「まあいっか」で済ませて胃に収めることが出来てしまうことだった。結果、見かねた常日さんがもう十年以上前からご飯を作りに来てくれている。

 常日さんは母の友人である。昔は働いていた母の、仕事がきっかけで知り合った人らしい。美人で、大体のことが得意で、優しくて、およそ欠点なんかないようなその人がどうして母のような人間を「月流さん月流さん」と慕っているのか、私にはさっぱり分からない。そして聞いた話では母と出会った頃はまだ子どもだったという常日さんが、現在ではつまり何歳なのかということも、私は知らない。深い謎になっている。

 常日さんがオフになると付ける胸の赤いリボンには、昔、まだ子どもだった頃にそれを身に着けた彼女に向かって、母が「かわいい」と言ったことがあった物らしい。だからつまり、常日さんは母に懐いているというか…………何か一言では済まされないような気持ちの重さを感じずにはいられないことだ。

 とにかく、私が手伝おうと手伝わなかろうと、凝視しようとしなかろうと、餃子とスープとサラダと……といった具合に今晩のご飯は続々と完成していった。使い物にならない絹川の人間も米くらいは炊けるので、すでに炊いてある。

「「「いただきまーす」」」

 巨大な丸皿の上に花火のように盛られた餃子を三人でつつく。

 そのうちニッコニコの顔で、常日さんが母に「ほら、野菜も食べなきゃダメですよー」とサラダを無理やり口に運び始めた。「いや、餃子にもスープにも野菜入ってるじゃん、入ってるじゃもがもがもが……」といった感じで押し込まれている。こういった光景は日常茶飯事だが、何を見せられているのだろうと思った時には、その答えが出せないこともまた事実である。

 とりあえず、こっちまでもがもがされないために、野菜もしっかり食べておくことにする。葉っぱの類はまったく味がしないので、あまり好きではないということなのだろうけど。

 私は自分の生まれ持った異能力によって、「怒り」以外のストレスを感じることがない。痛いも苦しいも悲しいも寂しいもない。当然不味いもないので、私の本来の味覚が苦手とする食べ物からは味が消える。生の葉物野菜はどうも苦手らしい。

「そういえばヨルちゃん、高校はどうだった?」

「よかったですよ。変な奴がいましたけど」

「へんなやつ?」

「隣の席の男子がですね、女装してるんですよ。すっごい美人で、というか本当に男子なのか分からないんですけど……」

「ふむふむ」

 私が話し出してからは、母とじゃれあっている時と同じような笑みがずっとこちらを向いていた。常日さんの表情は「笑顔」がベースになっているので見極めづらいけれど、なんとなく気分が良さそうなことだけは分かる。

「それでコミュ力というか、謎の堂々さというか、とにかく変なやつで、今日途中まで一緒に帰ってきたんですけど……伝わってます?」

「うん。その砂切って子の顔まで見えてる」

「男とは思えなくないですか?」

「たしかにね」

 常日さんは、目を合わせた相手の心を読む異能力を持っている。考えていることが声として聞こえるだけではなく、イメージ画像が頭の中に映しこまれることもあるらしい。その能力と本人の素の理解力のおかげで、どんな話をする時にもスッと理解してもらえるので、話す側としてはいつもすごく助かっている。……ただ、目の合った人間の心の内を片っ端から覗いてしまう性質上、見たくもない物を見てしまうリスクを背負っている能力なので、欲しいとか羨ましいとは絶対に思えない。

「明日の朝家を出たら、偶然にも家の前で鉢合わせるんじゃない?」

 母が突然物騒なことを言い出した。

 そんなわけないじゃーん! ……と言おうとして、喉に言葉がつっかえる。「本当にそうか……?」と。もしかしてもしかするんじゃないかと思ってしまった。

 いや、でも、尾行していると勘違いされたくなくてわざわざ声をかけてきた奴が、そんな露骨に怪しいことをするわけが……。ハッ、それともあれは、ただの口実だったのか……!?

 瞬時のうちに頭の中に思考の宇宙が広がってしまった。が、なぜかその時常日さんが、バツが悪そうに私たち二人から目をそらしたので、それで母の言葉の意図を全てを察せたような気がした。

 察したことが正しいのかどうか、試してみる。

「そんな物騒なことする人いるわけないでしょ。ねっ? 常日さん?」

「…………そ、そうだね」

 クックックッ……と、意地の悪い笑い声が母の喉から漏れ出て来る。状況から鑑みて、私が知らないほど遠い昔に、常日さんがカジュアルな前科一犯となっていたことは明らかだった。愛が重い。

 そしてそれを踏まえて考えてみると、砂切は確かにグイグイ来るし何かと幸せそうな人だったけれど、深かったり重かったりする愛やそれに準ずる物を持っているような人には見えなかった。

「「「ごちそうさまでした」」」

 使い終わった食器類は見た感じ勝手に飛んで行き、見た感じ勝手に洗われていく。しかし本当のところは物を操る能力にオート機能などなく、全て本人の脳内マニュアル操作らしいので、しばらくの間母は複雑な作業が出来なくなる。そういうわけだから、いくら手を使わなくても操作出来るからといってモンハンを途中で放り出されると相当困るらしい。見ている側としてはちょっと面白いけど。

 後片付けが終わり次第、今朝の母がプレイしていた物と同じゲームで、三つどもえの真剣勝負な大乱闘が始まる。我が家のハウスルールにより、ここで負けた人が、その日入る風呂を洗うことになる。

「絶対負けない……!」

 実力差がありすぎて身内ルール「Aランク以上のキャラ禁止」をくらってもなお勝率一位の常日さん、そもそも風呂を洗うことがそれほど苦じゃない私に対して、母はいつも物凄い気迫でこの勝負に挑む。風呂を洗うことが異能力によっていくら楽になったとしても、それはそれとして譲れない物があるのだろう。気持ちは分かる。

 そして、その気迫に押されてか、今日は私が負けてしまった。母との実力差は完全に五分だから、そういう日もあるのだけれど……。

「じゃあ洗ってきまーす」

「がんばってねー」

 コントローラーを片付ける時、勝利の余韻なのか、母がずっと小躍りしていた。出来る家事を任されることは一向に構わないけれど、勝ち誇られるのは地味にむかつくから、私も次こそは絶対に負けない。何としても小躍り返しをしてやる……!

「はぁ……」

 泡立つスポンジで浴槽を擦りながら思う。母がいて常日さんがいて、我が家は楽しいところだし幸せだけれど、家庭環境以前に「絹川ヨル」を指して「それは普通か」と言われれば、答えはノーだろうなぁと。

 すると傍から見た時には、私も砂切と同じくらいの変人として捉えられているのだろうか? まさかそんなことはないと、自分では思っているけれど……。

 砂切は姉がいると言っていた。その姉とゲームで対戦をするとも言っていた。案外彼も、今頃似たようなことをしていたりするのかもしれない。

「姉かぁ……」

 欲しいとも、なりたいとも思えなかった。

 

 

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