ミトに至る倒錯   作:氷の泥

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03 娘

 朝、砂切は私を待ち伏せてなんていなかった。そりゃそうだ。

 登校時間十五分の道中に、自分と同じ制服を着た女子に自転車で追い抜かされる。上手くスカートがはためかないようにサドルに座るその人を見て、砂切も同じように自転車を漕ぐんだろうかと考える自分がいた。……いや、意地でもスカートを穿くというなら、そうしてもらわなければ困るのだけれども。

 教室に入ると、当然といえば当然に、私の隣の席に砂切がいた。電車を逃すと詰みかねない向こうと違って、こちらはギリギリまで家にいられるので、大抵の場合は向こうの方が早く学校に来ていることになる。

「おはよう」

 私の顔を見るなり、彼が嬉しそうに、およそ愛想とは思えない微笑みを浮かべてくる。それが出来るならさぞ人に好かれるだろうなと、羨ましく思わないと言えばさすがに嘘だった。

「ん、おはよ」

「ねぇ絹川さん聞いてよ、昨日スマブラやったんだけどさ」

 とても親しげに、あるいは馴れ馴れしく、彼は私に話しかけてくる。しかし私も、いや私こそが、恐れる心を持たない人間なのだ。馴れ馴れしくしようと思えば、いくらでも出来る。

 椅子を引いて腰を下ろしながら、チラと砂切の顔を見て話に乗っかる。

「おー、私もやったよ。お姉さんと戦ったの?」

「うん。そしたらさ、ついに出たんだよ」

「出た? 何が」

「全部のキャラクターが!」

「……うん?」

 なんだか、気のせいでなければ、急に隣人との溝が広がった気がした。

「全部のキャラクターが出たんだよ! 使えるようになったの」

「……へー」

 スマブラとは対戦ゲームである。「対戦」がメインのゲームだ。確かに隠しキャラは多いけれど、全てのキャラをアンロックすることは難しくない。むしろそれを終えるまでが新作の仕様を把握する練習期間だったり、様式美的な作業であったりする。

 砂切はたぶん、RPGで魔王を倒したくらいの気持ちでいたのだろう。しかし彼も察しは悪くないようで、すぐに私との温度差に気付いたようだった。

「あれ……? あれ絹川さん、もしかして……」

「うん」

「キャラを全部出すことって、そんなにすごいことじゃない……?」

「……まあ、うん。そうですね」

 ぽかーんと口を開けて愕然とする、見た目美少女な人物の姿を見ても、まったく罪悪感が湧いてこない。これが私の能力の恐ろしいところであり、人付き合いが苦手な要因だった。「絹川ヨルは人の心を持たない」と評されても、言い返しづらいのだ。

「そんな……」

「いや、別にいいでしょ。楽しみ方は人それぞれだよ」

「でも絹川さんは、キャラ出したくらいで喜んでる初心者なんか眼中にないでしょ……?」

「いやそこまでは言ってませんけど……」

 たぶん一緒に遊んだら、「あんよが上手あんよが上手」と同じノリで、基礎コンボが上手基礎コンボが上手することになるんだろうなぁとは思ったけれども。でも別に、そもそも遊ばないし。

 およよよ……といった感じでひたすら悲しい脱力をする砂切をよそに、教室の中を見渡してみる。彼が喋らなくなってしまっては、こちらから話しかけるような話題も特にないから。……すると私は、おそろしいことを発見した。

 すでに何組か、親しげに話している同級生たちを発見したのだ。さすがにグループというほどの規模ではないけれど、それでも入学からたったの二日目にして、もう人間関係が構築されつつある。

 砂切というイカれたイレギュラーキャラの出現によって、窓際角っこの席の二人は前人未到の速度でお互い馴れ馴れしくなり、昨日遊んだゲームについて話すような仲になったのだとばかり思っていた。けれどそれは必ずしも「前人未到」ではなかったらしい。コミュ強者の持つ未知のパワーに震える。

「あ、そういえば絹川さん。お弁当持ってきた?」

 カルチャーショックによるメンタルダメージから復帰したのか、砂切が数分前の状態に戻ったかのようなウキウキした様子で再び話しかけてきた。

「いや、持ってきてない。購買で買う」

 今日からさっそく授業が始まり、しかもそれはがっつり午後まである。当然昼食が必要になるけれど、小中学校とは違って、少なくともこの高校では購買or弁当の選択肢しか存在しなかった。給食はないのだ。

 たまの遠足ならともかく、毎日の昼食となると、これ以上常日さんの仕事量を増やすわけにはいかない。というわけで、これからの私のお昼ご飯は消去法で購買一択だった。母や自分が作るという選択肢はとっくの昔に死んだ。

「購買かー、なるほどー。……一緒に食べない?」

「いいよ」

「やった!」

 我ながら涼しい顔で「いいよ」なんて言うけれど、本当にグイグイ来るなこの人……と内心やや困惑している。けれどもまあ、断る理由もない。他に友達がいるわけでもないし。

 楽しみだな〜、と心の声が聞こえてきそうなほど、砂切はわくわく感を露骨に表情にしていた。そんな彼を見計らって「もういいでしょ?」とでも言うように、音量大きめのチャイムが鳴り響く。朝のホームルームの時間だ。

「あ〜。遅刻遅刻ー……」

 台詞と噛み合わないノロマな動きで、確かにギリギリのタイミングで二鍵先生が現れる。日直は席順で決まっているので、記念すべきトップバッター二人が手招きで呼ばれて行った。

 小中学校の頃と何がそんなに変わるわけでもないだろうに、いかにも勝手が分からないといった様子で、男子の方の日直が教師用の椅子に座った担任と、日直の相方である女子に口パクと手振りで何かを伝えている。ほぼ初対面でそれが通じるのかは疑問だった。

 そして最終的に、女子の方の日直が主体になって、ホームルームは滞りなく行われたのである。

 

 

 

 

 

 

 中学の給食は食堂へ食べに行く物だったから、昼になったら机をくっつけるだなんて、本当に久しぶりにやった。

「な、なんか緊張するね……」

 向かい合った席の先で砂切がなぜか俯きがちでいる。いつもの無敵感がない。

「いや、しませんけど」

「人と向き合いなれてる……!?」

「向き合いなれてるとはいったい……?」

 面接官でもあるまいし。……それはそうと、私の手元にはテリヤキバーガーがあった。

 十分ほど前のことである。購買って何があるんだろうなー、おにぎりとか菓子パンとかかなー、砂切に焼きそばパン買ってこいよって言ったらどうなるんだろう……とか考えながらラインナップを見に行ったら、テリヤキバーガーが置いてあって「えっ、すごい!」と思いつい買ってしまったのだ。あとついでにジュースとゼリーも買ってきた。そこにあったから。

 今改めてそれを見てみると、まあおいしそうだけど、何がすごいのかは分からなかった。なんとなく、学校の中にそれがあることをまったく想定していなかったのだ。コンビニやスーパーマーケットにはちょくちょくあるのに。レンジでチンできるタイプのバーガー。

 一方、砂切はお弁当だった。明らかに手作りであろうそれを巾着型の袋の中から出してくる。付属している箸が白かった。白い箸ってそういえば意外と見かけないな……と、どうでもいいことを考える。

 彼が小ぶりな水筒から、妙におぼつかない様子で麦茶を注ぐのを待つ。フタがコップになるタイプの水筒だった。

「いただきます」

「いただきます」

 ハンバーガーをもそもそ食べながら、砂切の開けた弁当箱の中にタコさんウインナーを発見する。ご丁寧に目まで付いているタイプのタコさんだ。

「そのお弁当、お母さんが作ってるの?」

「ううん、お姉ちゃん」

「お姉さんか……」

 何かと小出しで砂切の口から語られる姉の存在。一瞬、自分に父親がいないこともあって「そもそもお母さんいる……?」と穿った想像をしてしまったけど、馴れ馴れしさにもボーダーラインがあるだろうと思って黙っておいた。そういうことを不用意に聞くとロクなことにならないと、これまでの人生の経験で知っている。

「お姉さんと仲良いんだね」

「うん、すっごい良いよ。絹川さんは兄弟とかいないの?」

「いない。一人っ子」

 兄でも弟でも姉でも妹でもいいから、とにかくあと一人いればよかったのになと思う場面がないわけではない。大抵のゲームはプレイヤー数四人を想定して作られているから。でも、本当に誰かもう一人がいたら、きっと仲良くはなれないと思うから、本気で欲しいと思ったことはない。

 母も常日さんも砂切も、それから小学校の頃仲良しだった真倉(まぐら)ちゃんとか、そういう一部の人たちが特殊なだけで、同じ屋根の下に住んだくらいでは大抵の他人とは確率的に仲良くなれない。私が、人の痛みを理解できないから。

「そうなんだ。……そういえば絹川さんってさ、あの絹川月流と苗字一緒だよね」

「……え? うん」

「なんか僕がイメージしてる絹川月流に似てて、会えたらこんな感じの人なのかなーって思ったりしちゃった」

「……憧れでもしてるの?」

 相当訝しげな聞き方になってしまったのか、それとも意図していない敵意が声や顔に出てしまったのか。砂切はそのきらきらした目を泳がせた。

「いや、まあ、若干……? ごめん、絹川さんは絹川さんだもんね」

「いや、というか月流は私の母だけど」

「……はは?」

「うん」

 私の母親、絹川月流は有名人である。

 まだ異能力者の存在が少数派だった頃。一人で二つの能力を持つ唯一の人物であった絹川月流は、その力でもって警察に協力し、当時としては今よりもずっと厄介だった異能力犯罪を何件も解決させたことで時代に名を馳せていた。

 しかしそんな彼女も、いろいろあった末に、今は朝から晩まで家に引きこもってゲームに熱中しているただのオタク女になってしまっている。物心つく頃には異能力がすっかり常識化していた時代の若者である私としては、絹川月流に憧れる人の気持ちというのもあまり理解できたものではない。……というのも、「いろいろあった末に」が具体的に何を意味しているのか、知らないし教えてももらえないことが原因なのかもしれないけれど。

「ほら、これ。入学式の日の朝の写真」

 スマホの中に入っていた写真を見せる。かつてはヒーロー的存在だった引きこもりの絹川月流が、その娘の高校入学を祝うべく(常日さんの提案で)撮った写真だ。

 写真の中の私は当然制服を着ている。そして母とお互いに向き合って、お互いの口角を指で押し上げている。私の笑ってと言われても笑えない性質は、母からの遺伝なのだ。撮影場所は自宅のリビングだった。その日に限らず、母は頑なに家の外に出たがらないから。

「……え、マジで?」

 砂切がしきりに、写真と私の顔を交互に見比べてくる。

「マジだよ。ネットにある画像に比べたら歳とってるけど、本物でしょ?」

「うん……。……えっ、ていうか、絹川月流って娘がいたんだ……」

「それねー」

 社会からドロップアウトすることを選んだ母についての「その後の情報」は、本当にそのレベルでほぼ何も出回っていない。引きこもり甲斐もあるというものだろう。

「どう、憧れの人の娘に会えて。光栄?」

「いや、え、なんだろう、びっくりした」

 その言葉通り、彼はまったく食が進んでいないようだった。握られた箸が意味もなく弁当箱の上で停止している。

「でもなんで絹川月流になんか憧れてるの? 砂切くんが好きなものって、かわいいものじゃなかったっけ」

 母の若かりし頃の写真は何枚かネットに出回っている。しかし母は当時から目の下によくクマを作っているやぼったい人で、砂切が求めるような「かわいい女性」からは少し外れる人なのではないかと思える。どっちがかわいいかと聞かれれば、大抵の人間が母ではなく砂切の方を指さすだろう。彼を女性だと思って。

「あー、それはあれ、どっちかというとかっこいい系じゃんっていうこと?」

「かっこいい……? まあ、そうなの……かな? うん、そういうこと」

 昔の母にも今の母にも、かっこいいと思ったことはあまりないけれど、実の娘の視点なんてそもそもがズレた物なのかもしれない。

「僕は別に、きゃぴきゃぴした女の人だけがかわいいと思ってるわけじゃないから。かっこいいもかわいいだよ」

「な、なるほど……?」

 まったく理解できていないけれど、とにかくなるほどと言っておいた。

 話し込んでいるうちに刻一刻と小さくなっていたハンバーガーがついに最後の一口になり、ポンと口の中に放り込む。給食の牛乳みたいに小さなパックのジュースも同時に終了して、私はゼリーのフタを開けた。オレンジ味。

 なんとなく観察していると、砂切の一口はウサギのように小さかった。そんな彼に聞いてみる。

「かっこいいもかわいい……ってことはさ」

「うん」

「例えばダンディなおじさんも、ある意味ではかわいいってこと?」

 途端、私は、開けてはいけない扉をノックしてしまったことを知る。

 今までずっとニコニコしていたり、くだらないことでしょんぼりしたり、人好きのしそうな方面に表情豊かだった彼が、ガラの悪い不良のように眉をひそめた。

「そんなわけないじゃん」

「そ、そっか。むずかしいなぁ……」

「男は男ってだけでかわいくないよ」

 えっ、と思う。そしてそれが、絶対に触れてはいけない矛盾なのだということにもすぐに気が付く。……もしかすると彼はいわゆる、生まれてくる性別を間違えた人なのかもしれない。

 箸の動くペースに対して減りの遅い白米を見ながら、私はいろいろと想像した。私が砂切の表情の豊かさを多少羨ましく思うように、彼は私の「女として生まれたこと」が羨ましかったりするのだろうか……とか。でも、もしも彼が「心は女性」なのだとしたら、「女性が好き」という自己紹介を恋愛対象の話として受け止めた場合、それは精神的には同性愛ということになるわけで、話がものすごくややこしくなっていく。もちろんそれはまったくあり得ない話ではないのだろうけど……。

「ごちそうさまでした」

 砂切流という男(なのか?)とは、いったいどういう人間なんだ……? という謎は、彼が姉の作った弁当を平らげるまでの間には解明できなかった。

 なんだか不本意な気もするけれど、だんだんと私の中に彼への興味が湧いて来ていることを、認める必要があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後、二鍵先生から追加の連絡事項があった。

「あー、それから、非常に申し訳ないことに言い忘れていましたが、明日は午前中に身体測定があります。必要な物といえば体操服くらいなので、何も焦るようなことはないのですが、各種測定器の前で石像のごとく静止する気持ちだけは作って来てください。以上です」

 その連絡を受けて、砂切が「うえぇ~」という風に露骨に嫌そうな顔をしていた。なんなら舌を出して「さいあく」という気持ちを表しそうなほど、本当に嫌そうだった。

 そして翌日。他の生徒たちと同じように体操服を着た彼が廊下に並んでいる様を見て、あーなるほどねと彼の心情を理解した。……見映えとしては、ノーマルな男子高校生の群れの中に、一人だけ美少女が紛れ込んでいるように見える。それはパッと見て素直に異常性のある絵面だった。体操服になった分、服装としての男女差はなくなったけれど、それでもなお砂切は美少女にしか見えない。

 身体測定は男女別に、しかし同時進行で行われる段取りだった。つまり男子グループと女子グループがかち合うことなく、それぞれの測定をする場所へ校舎内をあちこち移動していくのだ。ただその移動が「終わった人から順に」という形なので、道中で何度か移動中の男子とすれ違うこともあった。そしてそこから「もしや」なんて思ったりしていると、やはりそのうち砂切とも遭遇した。彼を見かけたのは広い廊下でのことだったけれど、他にそこを通りがかる人はいなかった。

 面白いくらい、いや心配になるくらい、彼ははちゃめちゃに機嫌の悪そうな顔をしていた。

「おーい、大丈夫?」

「あ、絹川さん」

 その時の砂切は、砂漠でオアシスを見つけた人の顔……というのは言い過ぎかもしれないけど、迷子になった状態で知ってる建物を見つけた人の顔くらいはしていたと思う。

「うぅ~助けて~」

 手を伸ばして近づいてくるので抱き着かれるのかと思ったが、パーソナルスペースぎりぎりのところで彼はピタッと停止した。腕もだらんと下がる。

「どうしたの」

「女子の方に混ざりたいよ~」

「いやダメでしょ」

 学校が男女を分けると言っているからにはそれなりの理由もあるわけだし……。

「つらいよ~!」

「何がそんなにつらいの……?」

「かわいくない! 空間が!」

 事実ではあるのだろうけどひどい言い草だった。思わずちょっと笑ってしまう。すると「笑いごとじゃないんだけど!」とぷんすこ怒られた。

 何か彼に応援の言葉をかけた方がいいのだろうな……ということまでは私にも分かる。けれど、こういう時それをどのようにすればいいのか、それが本当に全く分からない。人の心の痛みが分からない人間の口から出る励ましの言葉なんて、全部必然的に薄っぺらだ。

 困ってしまったので、勢いでなんとかしようと思って、とりあえず私は彼の手を握った。お仕事関連の熱血系ドラマにありそうな風に、両手でしっかりと彼の右手を握る。……と思ったけど、よく考えたらそれは彼から見ると左手だった。どうでもいいか。

「大丈夫! 砂切くんなら頑張れるよ! 他の男子がダメでも砂切くんがかわいいからオッケーだ! ファイト!」

 無責任さを勢いでごまかしながら、励ます。しかし返事がなかった。

「……あれ? もしもーし……?」

 目を丸くして、彼は完全に放心状態になってしまっていた。ほぼノーリアクションとも言える。……失敗か。また失敗。まあ仕方がない、よりにもよって絹川ヨルに「つらいよ~」なんて言ってきた相手の方が悪い。

「よし、じゃあね。私次のところ行かないとだから」

「あ、う、うん。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 行ってきますというのもなんだか変だと思ったけれど、それ以外の返事が思いつかなかった。

 広くて静かな廊下に、一人分の足音しか響かない。砂切は何をしているのだろうと振り返ると、ぼーっと突っ立って左手の手相でも見ているかのようだった。けれどそんな彼もすぐに歩き始める。無事、かわいくない空間に向かう決心が固まったらしい。

 私も、さっき見た体重という名の現実を受け入れる覚悟を決めた。

 

 

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