月曜日が来るたびに課せられるミッションがある。
「ヨル〜、ジャンプ買ってきて〜」
「はいはい」
フライを捕球する野球選手のように手を上げると、手のひらの中に小銭入れが飛んでくる。ジャリ、と硬貨の擦れる音がした。
母は外に出たがらない。人と関わりたくないらしい。けれどそんな人だって漫画は読みたいのだ。私か常日さんか、どちらかが買いに出ることになるのは必然だった。
昔は常日さんがその役目を負っていたのだけれど、しかし彼女は夜暗くなってからしか来られない。それを待ちきれなくなって、いつの間にかおつかいは私の役目になっていた。そしていつの間にか、私もそれを読むようになっていた。
制服のままコンビニへ行くと学校から怒られが発生しそうな気がするので、いつもわざわざ着替えてから外に出ている。それを面倒だと思う心はないけれど、これは本当は意味のない行いなんじゃないか、とモヤモヤすることはしょっちゅうある。
何せ中学時代は、下校途中に買い食いなどしようものなら「怒られそう」ではなく「怒られる」だった。しかし買い食いの何が悪いのか、私にはさっぱり分からない。中学から高校に上がったら、学校にスマホを持ち込んでもいいようになった。この先大人になれば、帰り道でどこへ寄っても怒られることはなくなるだろう。そういったことの、ボーダーラインはどこにあるのか、なぜあるのか、それが分からないことで、多少イライラすることはある。人間だもの。
「じゃあ買ってくる」
「よろしく」
鍵も閉めずに玄関を出る。
家から駅が近いとなれば、最寄りのコンビニも必然的に駅近となる。部活で遠出でもしていたのか、駅の中から現れる、見覚えのないジャージを着たおそろいの学生集団を見かけた。
いつも行くコンビニでは、ジャンプがなぜかレジ前に積んである。初見の人は雑誌コーナーを見て「あれ、ない?」と思うこと請け合いだけれど、どうしてそんなところに置いてあるのだろう? お、ついでに買っていくか、となるような物でもなさそうなのに。
「久しぶりにみんなでカラオケ行かね?」
「みんなって、三人?」
「そうそう。来週とか」
お釣りを出さないために小銭をじゃらじゃら漁る私の後ろに並んだ男子高校生二人が、そんな会話をしていた。
「来週は俺ちょっと無理だわ。二人で行ってきてよ」
「どうやって女子と二人で行くんだよ……」
「どうやってもクソもないだろ」
無事一円のお釣りも出さずに、私はレジをあとにする。山積みのジャンプと、売り切れた肉まんを横目にしながら。
遠くからオレンジ色の光が差す空を、何を主張しているのかカァーカァーと鳴くカラスが飛んでいく。自宅の扉を開くと、ゲーム特有の依存性のある効果音が聞こえてきた。どこかで聞きかじった話、人は音がないゲームには依存しづらいのだという。ゲームまたはパチンコ等の依存の元凶は音らしい。
「お母さーん、買ってきたよ」
「んー」
母の横で床に寝っ転がって、今買ってきた漫画を読む。一番先に読めるのはおつかいに行った人の特権……と決まっているわけではないけれど、母にとって、買いに行かせておいてすぐに読まないということは日常茶飯事なのだ。
漫画にせよアニメにせよ、毎週決まった物が手元に来て、期待通りかそれ以上に面白い物が見られるというのは幸せなことだと思う。だから、誰の台詞だったかは忘れたけれど、こんな感じの名言だってどこかにあったはずだ。……幸せとは、幸せな出来事その物よりも、それを待つ時間の中にあるのだ……と。
しかしそれはそれとして、今週は読み切り漫画がかなり面白かった。好んで読んでいる連載作品が面白いのはもはや当然として、言わば初対面である読み切りまでもが面白いと、なんだかすごく得をした気分になる。幸せとは、別に予測できなくても良い物であることには変わりないのだ。
「ふー、終わった終わった」
母がコントローラーを置く。ゲームの電源は、プレイヤーの休憩の意思に連動するようにオフとなった。
「ん」
大体読み終えたジャンプを渡すと、母はそれを手で受け取る。そして巻末目次から目を通し始める。いわくそれが、休載があった時のショックを最も軽くする方法らしい。私には分からないことだけれど。
……なんとなく、今かなと思った。
「この前、友達とカラオケに行ったんだけど」
「砂切くん?」
パラパラパラ……と、母はページを巻頭の方へ戻していく。誰もがそうするように、自分の指を使って。
「そう」
「楽しかった?」
「うん」
楽しかった。思いのほか楽しかった。カラオケ自体は常日さんとたまに行くし、一人で行くことだってある。行けばその日は、楽しみにしていた漫画を読むことと同じくらい、約束された楽しさを得られるものだった。
だから砂切と行ったそれは、漫画で言えば読み切り作品だったのだと思う。まったく予測のつかないことだった。……友達とカラオケに行くという感覚を、私は綺麗に忘れていたらしい。
「お母さんはさ」
「うん」
「なんで外に出たくないの?」
同じページを、母が何度も往復していた。複雑な台詞の意味を咀嚼しているのか、気に入った絵でもあったのか。
「人と関わりたくないから」
「なんで?」
「なんでって……」
「だって昔は、たくさんの人と関わってたんでしょ?」
絹川月流は有名人である。インターネット上に未だ公認の画像が残っているくらいには、そうだったはずだ。人と関わらずして有名人になどなれるものだろうか。
「関わりすぎて嫌になったんだよ」
「どう関わりすぎたの?」
「なに……? 今日はしつこいね」
言葉のチョイスと裏腹に、それは優しい口調だった。母は読みかけの漫画雑誌を置いて、私の目を見てくる。心が読めるわけでもなく、私に興味があるわけでも……どちらかといえばないだろう。決して薄情だという意味ではなく、母は、ちょうどいい距離感を好む人だから。
それは、大抵の人間がそうなのだろうと思う。おかしいのは私だけなのかもしれない。
「だってお母さんが、何も教えてくれないから。私もう高校生になっちゃったよ」
「大人になったら話すなんて言ってなかったでしょうよ」
「そうだけどさ……」
「……なんで今?」
なんで今更になって? と言われたら、その答えは、砂切と遊びに行ったからだった。それがきっかけで、長い間触れないでいたことが、今再び気になってしまったのだ。
「……お母さんと最後にカラオケに行った時」
「え?」
「行ったでしょ。一回だけ」
それを思い出そうとすると、同時に雪の日の記憶もよみがえる。
中学生になって間もない頃のことだった。その時も私は母に、今日と全く同じことを聞いていた。母の受け答えも同じだった。「どうしてそんなことを聞くの?」。その時の私はこう返事した。「だって一回も一緒にカラオケ行ったことないじゃん」。
その時、満更でもなさそうに「しょうがないなぁ」と言って、母が重い腰を上げたのだ。今日一回だけだぞ、一回だけなら付き合ってもいい、……そう言って出支度を始めてくれた。当時の私はこのチャンスを逃してはならないと思って、その日すぐに母とカラオケに行き、そして歌唱力の血統を感じることになったのだった。でも母は楽しそうに歌う人だった。
その日の私も、雪の日を思い出していた。小学生の頃、母に雪合戦をせがんだ時のことだ。せっかく積もった雪で遊びたいと駄々をこねる私に、母は一貫して「外に出たくない」と不動を決め込んでいた。その日は休日だったこともあり常日さんが相手をしてくれたのだけれど、家の中から聞こえるゲームの音に、ある時急にカチンと来たことを覚えている。
ゲームなんてしてんじゃねー! と散々駄々をこねた結果、最終的に母は「雪合戦をするのは一生で今日の一回だけ」と言って、しぶしぶ玄関先まで出てきてくれた。そして自分が恐ろしく強いことを見せつけてきた。
物を自在に操る能力者は、あらゆる人間をノーコンにさせる。磁石の同じ極同士が反発し合うように、母へ向かって投げた雪玉は全て明後日の方向へ逸れて行き、母が手も触れずに放つ雪玉は、ホーミングミサイルのような軌道を描いて私を追ってくる。次元が違いすぎるその強さに、当時の私は爆笑しながら雪まみれになっていた。
違うよヨルちゃん、月流さんにはこう! と言って、常日さんが母の顔面に雪玉をぶつけていた。「命ある者に触れている物は操れない」という能力の弱点をついたその作戦を見て、螺旋丸じゃんと、やはり爆笑していたことを覚えている。
……今それを振り返れば、年々、腹の底から笑う機会が減っている気がした。
「お母さんは一回だけだって言ってた。雪合戦をした時もそう、他の時も「一回だけ」って。子どもの頃の私は、それを「折れてくれたんだ」と思ってた」
「それは違うね」
「うん。知ってる」
いつだったかは忘れたけれど、ある時ふと気が付いた日があった。母は私の要望を聞く気になったのではなくて、私を黙らせるために、苦渋の選択として少しだけ外に出ることを選んでいたのだと。
それに気付いてからは、母と外に行きたいとは思わなくなった。自分には分からないけれど、分からないからこそ、あんまり母を追い込んでは可哀想だと思ったのだ。どうして外に出たくないの? と聞くこと自体、努めて控えるようにした。
そしてそれで、記憶だけを残したまま、母と外へ出た日の感覚だけを綺麗に忘れていったのだと思う。
「砂切くんと遊んでびっくりしたよ。今までの人生で、友達と遊んだことくらい私にだってあったし、それが楽しいことだって覚えてたけど、……憶えてたけど忘れてたみたい」
「……どういうこと?」
「お母さんとちょっとだけ外に出た時のことも、私は、感覚的には忘れてるんだろうなぁって思ったってこと」
近くのコンビニに漫画を買いに行くことすらしない母親が、自分の駄々に付き合ってくれた時の喜びを、高校生になった私は、結局忘れているのだと思う。もうずいぶん前に、そういうことはやめようと決めてしまったから。
「なんかそのことに気付いたら、やっぱり外に出ない理由を知りたいなって思っちゃっただけ。別に無理に聞きたいってわけじゃないけどさ」
「ふーん……?」
よく分からないな、と態度で示して、母は漫画に目を戻した。何も答えてくれるつもりはないということか……と、私が諦めて立ち上がった時。
「人を殺しちゃったんだよ」
漫画の話かと思った。
「えっ?」
「情状酌量になったけど、そういうことがあった、昔」
「……へぇー」
「あんまり娘にするような話じゃないでしょう?」
現代史に残る、絹川月流という人物の功績が、ぽつぽつと光り始める星のように頭の中に浮かび上がってくる。
絹川月流。当時としては唯一、二つの異能力を持っていた人間。一つは物を自在に操る能力。もう一つは、不死の能力。普通の人間と同じように老いていくことから、おそらくは寿命によってのみ死ぬだろうとされている、有老不死の能力。
絹川月流は、相手がどんなに凶悪な犯罪者でも、武力行使の場面に至ってしまったとしても、必ず生きて帰ってきた。……彼女が誰かを殺したという記録は、「記録」は、高校生でも調べられる範囲には残っていなかった。
「私は別に、全然大丈夫だけど。そういう話でも」
「お母さんは嫌です」
「だよね……」
だからこそ、話すくらいなら子どもの駄々に付き合おうとしてくれたのだろうし。
母の口から事情を聞くということには、無理があるように思えてきた。心を読める常日さんなら全てを知っているのかもしれないけれど、あの人は母よりももっと口が硬いだろう。何せ私が母の過去を気にしていることを、心を読むことで知りながら、これまでずっとそれを無視しているのだから。
私としても、どうしても納得が欲しいわけではなかった。仮に母がホストの男に騙され、傷心し、それで引きこもっていたのだとしてもそれはそれで構わないし、本当にそのレベルのことなら聞くほどのことでもないなと感じる。重大な過去が知りたいわけでも、聞くこと自体に意味を見出しているわけでもないのだ。ただ、純粋に興味があるだけで。
……本当に、興味があるだけなんだけれど。
「秘密なら秘密でいいんだけどさ。なんというか……興味があるんだよ」
「興味?」
それは痛みが分からないゆえの、恐れ知らずな好奇心なのだろうか。それとも有名人の娘として生まれたゆえの、業のような物なのだろうか。
「少しくらい、私にも出来るんじゃないかって思うんだけど、どう思う? 私だって精神的には、不死なんじゃないかなって」
一膳の箸で、砂切はとても慎重にミニトマトをつまんでいた。それが口に入るのを待ってから聞く。
「砂切くんさ」
「うん?」
「私が部活を立ち上げるって言ったら、どうする?」
「……うん?」
私が砂切から同じことを言われたら、何言ってんだコイツと思うし、それを口に出すだろうから、それに比べて彼の反応はかなり優しめだった。
「どういうこと……?」
「何でも屋をね、部活としてやりたいと思うんですよ。どうせ帰宅部だし」
「えっ、ちょ、ちょっと、頭が話に追いつけないんだけど」
そうだろうと思うので、事の経緯を説明することにした。
私の母はかつて、初めから警察の協力者を名乗り出たわけではない。自分が当時としては貴重で、人目を引く異能力者であったことを活かして、彼女がまず始めたのは「何でも屋」だった。それを発見した警察が異例にも依頼を持ち込んだことが、全ての始まりだったのだという。
不死の営む何でも屋は本当に「何でも」する。正確に言えば「法律に引っかからない範囲で、何度か死んで済むくらいのことならやります」が方針だった。当時どころか現代でさえそれなりに人目を引きそうな売り文句である。母に憧れるかどうかはともかく、その何でも屋が具体的に何を行ったのかということについては、誰だって少しくらい興味を持つものだろう。
しかし過去を語りたがらない母は、そこで具体的にどんな体験をしたのかをほとんど話してくれない。そこで私は思った。話してもらえないし、無理に聞くのも不本意だけれど、それはそれとして興味がある。……なら自分で体験すればいいのでは? と、思い立った。
「それで、何でも部ってこと……?」
「そう」
「……許可降りなくない?」
「そこはダメ元で、ダメなら諦める」
「えぇ……」
別に、正式に部活として認めてもらいたいわけではない。部費が欲しいわけではないし、そもそもが競技性や芸術性と無縁なのだから、どこの大会やコンクールに出場したいわけでもない。ただ「怒られないこと」だけが必要なのだ。
「万が一許可されたら、砂切くんも一緒にやらない?」
「何でも部を?」
「そう」
当時の母も、何でも屋を一人でやっていたわけではなかったと聞く。数人の友達を誘って開業したのだとか。そのことについては、砂切も知っているようだった。
「歴史を繰り返そうってことか……」
「まあそういうことになりますね」
「……他に誘う人は?」
「私に人望があるように見える……?」
砂切みたいな人があと何人かいたら友達は増えるかもしれないけれど、それはそれで収拾がつかなくなりそうだ。キャラが濃すぎて。
一人で十分クセが強い性格の、美少女にしか見えない私の男友達は、しかしその時思いのほか真剣な顔をしていた。
「絹川さんの人望がどうというより、まわりの人に見る目がなさすぎるんだと思うけど」
「……なるほど?」
それが狂人の見ている景色なのか……?
相変わらず、家の外で鏡を見ても、私だって私のような雰囲気の人とお近付きになりたいとは思えない。あの日私に話しかけてきた砂切は本当に相当すごいと思う。
「とにかく、他に人はいません。私と砂切くんだけです」
「二人きりじゃん」
「そうです」
「……いや二人きりじゃん」
「だからそうだって」
彼もこなれてきたのか、言葉の中に冗談めかした雰囲気があった。
「とりあえず今日の放課後、さっそく先生に言いに行こうと思う」
「絹川さんのそういうところ、本当に鋼のメンタルだよね……」
「……ああそうか」
そこで今更になって、もう一ヶ月以上の付き合いになるのに、砂切に私の能力を話していなかったことに気が付いた。
「鋼のメンタルが、私の異能力なんだよ」
「へ?」
「「怒り」以外のあらゆるストレスを感じない……っていう、そういう能力なの」
「ほえー……。あらゆる……」
「極論、大通りを裸で歩ける能力ってことになるね」
「ぐっ」
ごま塩のかかった白飯を飲み込みかけた砂切が、突然げほげほとむせ始めた。あわててお茶を飲み、落ち着いてから、彼は満身創痍といった様子で背中を丸めたままこちらを見上げてくる。
「き、絹川さん、そういう冗談はよくないよ」
「ごめん、まさか殺傷力があるとは」
「ありまくりだよ……」
分からなかった、メンタルが不死なもので。しかしそんな私の心も悪いことばかりではないもので、例えば私は有言実行が得意だった。
その日の放課後、私たち二人はさっそく連れ立って、職員室を訪れた。
「失礼します。二鍵先生はいますか?」
「います」
本人が現れた。職員室のドアから最も近い席に配置されている人が自分の担任だったのだということを、この日初めて知った。日直が書かされる日誌の類は、全て教室で回収されていたから。
「先生、ちょっと相談があるんですが、時間ありませんか……?」
「相談? ……二人で?」
背後を見なくても、砂切が先生からサッと目を逸らしたことが分かった。相手が女性の先生ならまた違ったのかもしれないけれど。
「そうです。実はその、新しい部活を立ち上げたいと思っていて」
「なにって……? ……まぁとりあえず入って」
失礼しますともう一度言って、私たちはこの高校に通うようになってからは初めて、本格的に職員室の中へと足を踏み入れた。
そわそわそわそわと、あちこちに視線を向けながら砂切がずっと落ち着かない様子でいる。キャリー付きの椅子に座り込んでなお猫背な担任の前に立ちながら、私は砂切の様子にリスやハムスターを連想していた。
二鍵先生に、私の考えていることを大体説明する。すると順を追って話していく中で、彼もまたこの日初めて、私が絹川月流の娘だということを知ったようだった。確かにまだ家庭訪問があるような時期ではない。
「なるほど……。それで何でも部か……」
「そうです」
「絹川、お前……アニメの見すぎだ。部活ってそういうのじゃないから」
砂切がムッとしていた。私は、まぁそうだよなと思った。
「そうですか」
じゃあ諦めます、と言おうとしたその時。絹川月流のくだりを除いて面倒くさそうに話を聞いていた先生が、縁の細いメガネをクイッと中指で持ち上げた。
「しかし別に、部活じゃなくてもいいんだろう?」
「え?」
「空き教室を使う権利だけなら、たぶん、渡せないこともない」
「空き教室?」
「何の支援も保証も出来ないが……絹川がやりたがっているのは、要するにただの人助けだろう? それくらい、誰の許可が必要なわけでもない。だから使われていない場所くらいは貸せる」
「おお……!」
それは実質、部室の確保であった。若干不機嫌そうだった砂切も私の隣で驚き、いつもの目の輝きを取り戻しつつある。
「ただし、あくまでもそこは「空き教室」だからな。私物を置かないこと、立ち退けと言われればすぐに立ち退くこと、それから……」
「それから……?」
「今日の職員会議で俺が怒られたら、この話が白紙に戻ることを受け入れること」
「全部大丈夫です」
アニメの見すぎだと言われてイラっとすることさえ出来ないくらい、本当にダメで元々だったし、鋼のメンタルは「上げて落とす」にも強い。話を少しでも前向きに捉えてもらえただけ、結構な幸運だと思えた。
……と、話がとりあえずは丸く収まったかと思われたその時。意外な人物が口を開いた。
「あの、先生」
いつもより小さな、心の距離を推し量るような声で、ここに来てから初めて砂切が喋った。
「もしも空き教室が使えるようになったら、ポスターとか、掲示板に貼ってもいいですか……?」
「ポスター?」
「他の部活もやってるじゃないですか。ほら、その、宣伝みたいな」
たしかに、そもそもお客さんが来なければ、何でも屋も何もない。砂切の言う通り宣伝は必要なのだろう。しかしそれを掲示板に貼るとなると……。
何でも部は、部と書いていても、部活動ではない。アニメを見すぎた陰キャ女が、空き教室に居座っている会でしかない。「他の部活もやっていること」を同じように行うのは、かなり難しいように思える。
そしてその考えは、苦い顔をしている二鍵先生にも通じているらしい。
「あー……それは……そうだな……。……審議します」
話すべきことのなくなった二人の生徒は、それで職員室から追い出された。
……それから一週間後。砂切が見上げている紙には、こんな文言が書いてあった。
☆ 何でも部! なんでもやります! ☆
大体なんでもやります! 依頼募集中!
特に気合いでなんとかなることは任せてください!
「昼休み」と「放課後の最終下校時刻」まで、一年D組の隣にある空き教室で、どなたからの依頼でもお待ちしております。
※ただし依頼の内容は常識の範囲内に限ります。
・部長……絹川ヨル
・副部長……砂切流
唖然とした顔で、副部長が言った。
「副部長にされてる……」
一方で私は、中学時代の思い出を振り返っていた。
中学の頃、体育の授業の一環で大縄跳び大会が開かれた。4クラスが制限時間内に跳べる回数を競い、そしてビリになったクラスのリーダーが言ったのだ。……よしっ、ベスト4だな!
……私は改めて思う。人数の少なさというものは、しばしば肩書きにバグを発生させる物らしいと。
「よかったんじゃない? ポスターまで作って貼ってもらえて」
「まあ、そうなんだけど」
「これからよろしくね、副部長さん」
「ひ、ひえ〜」
と言ったところで、少なくとも何でも部において、部長と副部長の間には何の差も存在しないのだけれど。響きの差しかない。
そんなことよりも、私はそのポスターのある部分を見て思った。「絹川ヨル」と「砂切流」、二人の名前が書かれている部分を見て思った。脳裏によぎるのは、入学後の初日、教室でクラスメイト全員が自己紹介をした時のことだ。
……これ、このメンツに依頼しに来る人なんかいるのだろうか? 私は部活を立ち上げることばかり考えていて、その先のことにはまったく考えが及んでいなかったのだ。
けれど私の母も、意外と当時は同じような心境の陥っていたのかもしれない。だとすれば、滑り出しは好調だった。
※注意
……次回から、「ハズレを見つける目」のタイトルで公開済みの作品群の一部または全てを、再編集してこちらに載せる可能性があります。あらかじめご了承ください。