ミトに至る倒錯   作:氷の泥

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08 十中八九

 昨日の夜、砂切と夜遅くまで連絡を取り合っていた。これからお互いの呼び方をどうするのか、デートというものを体験してみたい、彼氏彼女の関係になったことを誰かに報告するべきか、……といったようなことを話していた。ほとんど結論は出なかったけれど。

 話している最中、文面を見ても明らかに浮足立っている向こうに対して、私は自分でも信じられないほど平時とテンションが変わらず、ただ一人それを申し訳なく思っていた。けれど、言い訳をさせてもらえるなら言い分はある。そもそも男子と付き合うとか、そういう経験をしたことがないし、いったいこれから砂切と私の何が変わるのかということが、よく分かっていないのだ。砂切はなにか分かっているのだろうか……? あまりそういう風にも見えなかったけれど。

 一方で、はっきりしていることもいくつかある。砂切から好意を向けられて悪い気はしなかったこと。彼が何かを求めているなら、可能な限りそれに付き合うこともやぶさかではないこと。それから……やっぱり砂切に興味があること。

 今に始まったわけでもないその思いは、一晩明けても当然難なく健在だった。

「絹川さんおはよう!」

 朝の教室に着くなり、私に対する肯定感の塊みたいな笑顔の彼がいた。

「おはよう」

「えへへ~、おはよう」

「なんか幸せそうだね」

「幸せだよ~」

「いいことあったの?」

「あったよ~。絹川さんが僕のこと一生幸せにしてくれるって~」

「……言ったっけ?」

「ううん、言ってない」

 スッと真顔に戻る砂切が、それでようやく現世に帰ってきたという感じがした。数秒前まではちょっと、魂の半分くらいは夢の世界に置いて来ていた感がある。

「でもね、人生が薔薇色なのは本当」

「昨日のことがあったから?」

「うん!」

「私のこと過剰に評価しすぎだよ」

 一時間目の授業に使う教科書やノート、筆記用具をカバンから出して、机の引き出しに入れておく。引き出しというか、何も入っていないただの空洞だけれど。

 ……何か砂切が不安そうな顔をしている気がして、何か言わなければと思った。

「あー、過剰評価っていうのは、そういうことじゃなくて、私としてはね、なんというか、その、砂切くんの思いには、こう……」

「こう……?」

「……思いに報いたいをロマンチックに言うと、なに?」

 ふふっ、とあの砂切が、余裕を感じさせる笑みを見せた。昨日あれだけ泣いていた砂切がである。

「なんだろうね?」

「分からない。でもとにかくそういうこと」

「えへへ、ありがとう」

 チャイムが鳴って、今日も時間ギリギリに緩慢な歩みで二鍵先生が教室へやって来る。それを合図に本日の日直は自ずと立ち上がって、教卓を背にする形でホームルームを取り仕切り始めた。私はぼけーっとそれを眺めている。

 先生も、日直も、このクラスの誰も、私と砂切の間で昨日何があったのか、誰も知らないのだろうなぁ……と思った。一人だけ真実を知っているようなこの感覚は、優越感というやつなのだろうか……? それもいわゆる、リア充特有の……?

 少し視線を逸らせば、隣に彼氏の横顔がある。その白い肌の、頬に触れた時の感触を、私はなんとなく思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 弁当箱の中の焼き鮭を見て、砂切は皮を食べる派だろうかと考える。

「昼休みになったら聞こうと思ってたんだけどさ」

 袋に書かれた手順通り、ぴりぴりとおにぎりの包装を開封していく。食感のいい海苔を三角形にすることへかなりの情熱を注いだ人類の存在を思うと、そこまで海苔にこだわりのない人間がそれを開封することには若干の罪悪感がある。

「なにー?」

「昨日、なんで最初他人のフリして来たの?」

「ぐふっ」

 油断したまま副菜のアスパラを口に入れた砂切がむせる。そんなこともあろうかと思っていたので、すでにストローを差しておいたパックジュースを彼に差し出す。一日分の野菜味。

 彼は差し出されたそれに、そのまま口をつけてチュゥーと吸った。いや彼氏かっ、とツッコみを入れそうになったけど、普通に彼氏だった。

「そ、それはスルーしてくれるのかと……」

 回復した砂切が、同窓会で昔の失態を蒸し返された人みたいな顔をしていた。昨日の今日なんだけれど。

「いや、いつ聞こうかいつ聞こうかと思ってたんですけど」

「うぅ……」

「なんで最初他人のフリしてたの?」

「答えるから何回も言わないでっ」

 一晩経ってから考えてみても、昨日のあれはある意味フラッシュモブよりもインパクトのあるサプライズだったように思う。もちろんそこにある理由がなんであったとしても、そんなことで彼を責めたりするつもりはないのだけれど……その意図はちゃんと伝わっているだろうか? 「責めてるんじゃないよ」とそのまま口に出したところで嘘くさくなるだろうし、自力で伝わっていてもらうしかない。

 ……けれども実際は、彼の手元にあるお弁当が急にカツ丼に見えてくるくらい、その一言目は自白の様相を伴った。

「あれはね、あれは、……あれが一番いい方法だったんだよ」

「というと……?」

「だってもし絹川さんが、友達だと思ってた相手から告白されるのはちょっと……みたいなタイプだったら、大変じゃん」

「大変じゃんと言われても。……だから私からそれを聞いて、ダメそうなら何事もなかったように撤収しようと思ったってこと?」

「うっ……」

 それならそうと、「うん」と一言頷いてくれればいいだけなのに、なぜか砂切はそこで言葉に詰まる。……経験則的に、こういう時は大抵こちらが何かを間違えているものだ。

 なんだろう、彼はなぜ言葉に詰まるのだろう。私が「もっと男らしく告白しろや!」と言い出すとでも思っているんだろうか? 女装系男子に今さら男らしさを求めるほどとんちんかんではないつもりなんだけど……。

「……………………卑怯だよね」

 ポツリと、一滴しかない雨のようにこぼれた言葉に耳を澄ませる。

「ひきょう?」

「うん……」

「……そうなの?」

 それはあくまでも「ルール」の中でしか動くことの出来ないゲームの世界での話だけれど。そこで戦う誰かが言っていた。……卑怯というのは、戦い方が下手な奴が言う僻みの言葉だと。

 そういう意味では、昨日の砂切が実行した計画はエキセントリックすぎて、あえて言うなら「卑怯」というよりも「奇抜」だった。

「だって、受け入れてもらえるって分かったから言うなんて、卑怯なことでしょ……?」

「じゃあなんでそのやり方を選んだの……?」

「……ごめん」

「いや全然いいけど。というか、私は好きだったよ、昨日の」

「えっ」

 砂切がまた、光明を見つけたかのような顔をする。彼はそれを向けられた側の気持ちを考えたことがあるのだろうか? ……痩せた子猫と目が合ったような気持ちになる。

「私、昨日結構びっくりしたんだよ。人生で一二を争うくらい驚いたし、焦ったと思う。一瞬頭が真っ白になったくらい」

「ご、ごめん」

「いや、砂切くん、それってすごいことなんだよ……? 前に話したでしょ? 私の能力」

「あ、ストレスを感じないってやつ」

「そう。私は嫌なことは何も感じないはずなの。……ということは、感じたことは全部嫌じゃなかったっていうことになる」

「……そうなの?」

「そうなの」

 それは昨日一晩、砂切とのやり取りと平行して考えていたことだった。

 嫌いな食べ物の味がなくなり、不快な気温は感じなくなり、母親が殺人歴を持っているかもしれないと聞いても「ふーん」程度の反応しかしない女。そんな絹川ヨルが、ちょっと告白されたくらいであんなにうろたえてしまったのは、何かおかしいんじゃないかと考えた。そしてその結論が、今砂切に話した通りの物となる。

「卑怯者めって思ってたら、もっとスンッてしてたよ」

「そうなんだ……」

「私をあんなにうろたえさせたことは誇っていいと思う」

「えっへん、って?」

「うん。好きなだけドヤっていいよ」

「ほんと……? えへへ」

 胸を張るには程遠く、彼は照れくさそうにはにかんだ。かわいい、あるいは、ちょろい奴だ。

「あ、僕も昼休みになったら言おうと思ってたんだけど」

「なんだろう」

「今週のデートどこ行く? 何する?」

 遠足前の子どもみたいな声音で聞いてくる。それは昨日の夜決まり切らなかった今週末の予定の話だった。現時点で、とりあえず週末どこかに行こうということだけが決定している。

「砂切くんはどこ行きたい?」

「絹川さんが行きたいところ」

「いや、昨日の夜も言ったけど、私デートに行くような場所知らないし」

 親……は引きこもっているから、家の外での実質親代わりみたいな常日さんに連れて行ってもらったことのある場所が、私の知るこの世の全ての「行き先候補」である。それはもちろん、例えば映画館ならそれなりに良い意味でベタかもしれないけれど、しかし問題はもう一つあって……。

「絹川さんとデートに行くんだから、絹川さんと行った場所が「そういう場所」だよ」

「いやいやいやいや。砂切くんこそどこか行きたいところないの? その理屈だとそれでも別にいいわけでしょ」

「……まぁないことはないんだけど。その、でも、なんというか……」

「なに……?」

「なんていうか、うーん……、……上手い言い方が思いつかない」

「言い方ね……」

 ピンと来る。たぶん彼が考えていることは、私の考えていることとまったく同じ内容だろう。

「言葉選ばなくていいから、言ってみて?」

「や、やだ。えらぶ」

「いいから言え」

 きゅう、という弱々しい声が聞こえそうなくらい、砂切は露骨に怯えの色を見せた。押せばいけるタイプだろうなと思って少しだけすごんでみたものの、すごく悪いことをした気分になる。

「じ、じゃあ言うよ……? 何も考えないで言うよ……!?」

「うん。いいよ」

「……絹川さんと僕とは、その、なんていうか、あの……、たぶんそんなに、なんというか、趣味が」

「合わないだろうね」

 それはこの数ヶ月のやり取りで薄々感じていたことだった。もちろんちゃんと仲良くなれただけあって、全く合わないというわけではないけれど。ただ砂切は、モンハンで言えば「一式装備しか作らない人」だろうし、スマブラで言えば「メテオってなに?」の人だろうし、そして「草」というネットスラングが通じなかった人なのだ。根本的に、致命的に、彼とはいろいろなところが少しズレているという自覚が私にはある。

「すごいはっきり言うじゃん……」

「誤魔化しててもしょうがないでしょ」

「うぅ……。でも絹川さんあれでしょ、漫画の実写映画化とか嫌いな人でしょ」

「え、すごいちゃんと理解してくれてて嬉しいんだけど」

「僕は結構見るんだよー……」

「いや私も見るよ。中には良い物もあるし、ダメな物はダメと言い切るために見る」

「そもそも映画に対するスタンスが違うやつじゃん……」

 そうだろうなぁと思う。砂切は、十中八九つまらないだろう作品をわざわざ見に行くタイプには見えない。私だって細かく言えばその手の物をわざわざ自分から見に行くほどではないのだけれど、暇をもてあました母がよくサブスクで見ているから、そういう時はついでに見る。

 大体、映画といえば、一般的にデートでよく見る映画とはいったい何なのだろう? 一部の超特大コンテンツを除けばまずアニメは除外。砂切の性格的にほぼ確実にホラーも除外。そうなってくるとあとはほとんど、アクションか恋愛かSFかサスペンスの四択になるのだろうか。と言っても恋愛とSFは私があまり好きじゃないし……。まるで合う気がしない。

「砂切くんって恋愛映画とか好きそうだよね」

「え、ううん、全然。むしろちょっと苦手」

「あれ、そうなの。じゃあいつも何見てるの?」

「映画? 映画を見る時は大体恋愛だよ」

「えぇ……?」

「お姉ちゃんに誘われて見るから。恋愛か、原作あるやつか、あとジブリとかそういう系」

「なるほど……」

 自分からは見ないということは、根本的に興味がなさそうなので、映画館は却下で。

 それはそうと、砂切の姉の話はこれまで何度もほんの少しずつ聞いてきたけれど、今回は少しその人となりに近付けたような気がした。……彼の姉とは趣味も性格も合わないかもしれない。なんとなくそんな予感がする。

「ちなみに恋愛映画が苦手な理由は?」

「あーそれはね、ドラマでも映画でもそうだけど恋愛系の話ってさ、男の人が出てくるじゃん?」

「いやどこにでも出てくるよ」

「あ、そうじゃなくて。なんというかこう、ほら、どうだ、かっこいいだろ、素敵だろ、みたいな感じの男の人」

「……なんとなく分かる」

 映像作品に出てくる男性は、主人公級ならまぁ大体イケメンばかりだけれども、砂切が言うのはそういうことではないのだろう。私もなんと言ったらいいのか分からないけれど、なんというか、少女漫画のイケメンを無理やり三次元で再現しようとした感じ……? 砂切が言っていることがそれを指しているなら、それを苦手にする気持ちは私にもよく分かる。まったく見たことがないわけではないから。

「だから苦手」

「なるほどね。でもお姉さんとだったら見るんだ?」

「うん」

「なんで?」

「お姉ちゃんのこと好きだから」

「なるほど」

 まぁそういうこともあるか、と納得する。私だって母が見ている作品を横で見ることが多いわけだし、同じ屋根の下にいる人間の趣味はなんやかんや言って影響しやすい物だと思う。

 野菜ジュースのストローを吸うと、パックがぺこっとへこむ。口の中にいったい何の野菜の味なのか具体的には分からない味を感じながら、もう飲み切ってしまったかとゴミ捨てに立とうとした時。

「あれ?」

「え?」

「……いや、なんでもない」

 一度スルーしかけた気付きが舞い戻ってきた。…………あれ? 砂切ってシスコンなの?

 別に彼氏の実の姉なんかに対して対抗意識を燃やすわけもないし、仮に彼が未だにその姉と一緒に風呂に入っていたりしても別にどうでもいいんだけど、事実としてそれがあるのかどうかということは気になってきた。俄然、唐突に、爆発的に気になってきた。

 そしてそうなった時に初めて、私はさっきの彼の気持ちを理解することが出来たのだ。言葉の選び方が……分からん!

「ねぇ、結局絹川さんはどこへ行きたいの?」

 空になった弁当箱を片付けながら、上の空の私に砂切が聞いた。

「え? あぁそうだった。けど、どこへって行ってもね……。うーん……、……二人とも楽しめる切り札がカラオケだったような気がしてきた……」

「僕はどこでも大丈夫だよ」

「どこでも?」

 砂切の「他人の趣味に合わせる力」は、自信ありげな本人に見合ってきっとそれなりに優れたものがあるのだろう。姉に合わせられるのなら私にも合わせられる……はず、と思う、たぶん。

 しかし、彼のその力にも限度はあるだろう。「どこでも」っていうのは嘘だ。聞いたことがある、「何食べたい?→なんでもいいよ」というやり取りのあとで、適当な物を出すと「今はこれを食べる気分じゃない」みたいなことを言われることがあると。そしてそこから喧嘩になる男女が世の中には山ほどいるんだと。これもそれと同じパターンだ。

「どこでもなんて言ってたら、後悔することになるよ。つまんなすぎて」

「えっ、後悔したい」

「そうでしょ。……えっ? したいって言った今?」

「うん」

 凛とした顔をして頷かれる。

「……マゾなの?」

「違うよ!」

「じゃあなんで……?」

 私は心底訝しげな、言ってしまえば「何言ってんのコイツ」という目を向けたはずだけれど、今度の砂切は少しも怯まなかった。

「だってそれって、普通にしてたら行かない場所に連れて行ってくれるってことでしょ? それも絹川さんが好きな場所に」

「……まぁ言い方によってはそうだね」

「行ってみたい!」

「……そう」

 キラキラした瞳でそう言われ、思わず目を逸らしてしまった。

 私に、彼と同じことが言えるだろうか? ……言えるわけがない。言えたとしても、そんなに楽しそうな顔をすることは出来ない。彼のそれと比べれば、私の「好きな人と行くならどこでも大丈夫」なんて気持ちは、存在しているのかどうかも分からないくらい微々たる物でしかないだろうから。

 痛みがいつも分からないように、何が面白いのか分からない物は、いつだって何が面白いのか分からない。その点を、私はちゃんと理解しているのだ。多くの人が自分から離れていってしまうのは、私が痛みを理解できないことばかりが原因ではないと。

「……本当にいいの?」

「うん!」

「分かった。じゃあ、ちゃんと後悔させてあげる。土曜日にお昼食べてから駅で集合ね」

「いえーい! 了解!」

 こういうことは初めてではなかったと思うけれど。無邪気な砂切を見ていると、時々湧いてくる感覚がある。それはきっと「感情」というよりは「客観性」と呼ぶべき物だった。

 自分の趣味に合わせてもらえることを、どうして素直に喜べないのだろう? 善意と好意に溢れるまなざしを向けてもらえたなら、どうしてそれに素直に「ありがとう」と言えないのだろう。……そんな思いが心の中に湧いてくるけれど、それは私に何の苦痛も与えてこない。生まれた時からそういう物だと決まっているから。

 とはいえ、接している相手にそもそも興味がなければ、普段はそんな客観性にさえ思い当たりもしないのだけれど。 

「砂切くん」

「うん?」

「好きだよ」

 昨日の私みたいに、彼が面白いくらいうろたえた。

 

 

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