土曜日、午後一時。百円玉だけが入った財布を持って家を出た。外には青空と輝く太陽、雲一つない良い天気で、暑さを感じられないまま汗が滲んでくる。同じように渇きを感じることも出来ないので、死なないようにこまめに水分を取らなければならない。必需品の水筒は肩にかけている。さっそくがぶがぶと飲みながら歩いた。
駅に着いたら構内を抜けて、自宅とは反対側の方へ行く。今日行こうとしている場所はそちらの方向にあるので、ごった返す改札付近よりは、バスやタクシーのロータリーがある辺りまで行って待ち合わせた方がいいだろうと、あらかじめ決めておいたのだ。
駅から出ると、砂切の姿はすぐに見つかった。彼は歩道の隅っこの方、高い建物の影が落ちていて涼しそうな一角で私を待っていた。……ただ、彼の近くにはもう二人ほど見知らぬ人物が立っていた。体の大きな男が二人ほど。
「お姉さん、いま暇? 俺たちとカラオケとか行かない? 奢るよ」
「……人待ってるので」
「へー、だれ待ってるの? 彼氏?」
「……か、彼女」
「カノジョ!? え、なに、お姉さんそういう系? あー、なんだっけ俺それ聞いたことあるわ。なぁお前なんだっけあれ、東京のあれであったあの、滅びるやつ」
「八王子?」
「ちげーよ」
「…………」
暗澹とした、日陰よりもさらに暗いこの世の終わりみたいな表情で、砂切はガラの悪い男に囲まれながら俯いていた。
……か、彼氏が、ナンパされてる! 状況としてはコントみたいで面白いけど……。可愛くない人たちに迫られている砂切が普通に可哀想なので、ここは一つ恐れる心のない私が助けることにする。
「あーどうもー、すいませーん。ほら砂切くん、行こう?」
男たちの間に割って入り、砂切の手を引く。ナンパ男二人どころか、手を引かれる砂切までもが面食らっていた。その隙にさっさと移動する。
……移動しようとしたのだが、立ち去ろうとする私の空いている方の片手を、ゴツゴツとした指が掴んで引き止めた。
「ちょいちょいちょい、お姉さんがこの子の彼女って人?」
「だったら何か?」
「へー。……逆っぽいけどなぁ」
私たちを見比べながら、男は素朴な感想として言ったのだろう。
私も、彼の言う通りのことは自覚している。だってそれは、彼氏がナンパされるなんて聞いたことがないし、今の状況ならそうも思うだろう。私たち二人が同性カップルなのだとしたら、いわゆる彼氏の方のポジションにいるのはお前じゃないのかよと。
しかし、砂切がナンパされている光景は本人には悪いけれど「面白い」と感じたのに。見知らぬ男のその言葉には、はっきりといらだちを覚えた。
「触らないで」
男の手を振りほどく。だが、彼らはしつこかった。
「まあまあまあ、じゃあお姉さんたち二人で俺らと遊ばない? ほら、ダブルデートってやつ的な?」
「はぁ……」
面倒だなぁ、とため息が出る。しかもダブルデートだとしたらお前らはゲイだ。
大抵の人間は、目の前の人間がノータイムで躊躇なく暴力を振るってくることを想定していない。私が今ここでちゃちゃっと暴力に訴えれば、しつこく纏わりつく不愉快な男たちを撃退することは簡単だろう。けれど本当にそれをやってしまうと、警察のお世話になるのはむしろこっちだということになりかねない。
どうしたもんかなぁと考える。走って逃げるか、大声で「やめてください!」とでも叫んでみるか。別にどれを選んだって最終的には撒けるだろうけど、どれを選ぶにせよ砂切を巻き込むことになるのが申し訳ない。
……と、私が自分の異能力におんぶに抱っこで、のんきな思考を巡らせていた時だった。
きゅ…………と、砂切が、不安そうに私の手を握った。そこで初めてハッとする。……もしかして砂切は、男性のことが嫌いというよりも、男性のことが怖いのではないか……?
私は、状況を面白がった一分前の自分を恥じた。というよりも、想像力の足りない自分に嫌気がさした。
「ねぇどう? 絶対楽しいと思うんだけど」
「警察呼ぶぞ」
その声に、私以外の男三人がギョッとする。私自身も思ったより低い声が出て若干驚く。
けれど、そう、私の能力はなぜ、唯一「怒り」だけは取り除いてくれないのか? その答えは、例えば自分の睨みつけた男たちが、情けないほどたじろいでいる時に分かることだった。あるいは自分の不甲斐なさを、そうやって取り返した時に分かることでもある。
「……ちょ、そんなマジに怒んないでよ。ごめんって。なっ?」
「お、おう。じゃあ俺たち行くから、デート楽しんで」
冷や汗でも流しそうな顔をして引いていく男たちを見て、私は、非常に満足した。
私だって、誰彼構わず怯えさせて悦に浸るようなクズではない。けれど相手に対する「怒り」が、その満足を連れてくるのだ。それが私の能力の、「怒り」をストレスとしてカットしてくれないことの理由だと解釈している。
「しょうもないやつら」
そうとしか言いようのなかった男二人を鼻で笑う。……でも砂切は一緒に笑ってくれなかった。
「……怖かった?」
そう聞くと、ぶんぶんと首を横に振る。
「べ、べつに? 怖くはないけど」
「そっか。……行こっか?」
頷く砂切と、なんとなく流れで手を繋いだまま、目的の場所へ向かうことにした。……そう、「どこでもいい」と言った彼を、後悔させるための場所へ。
自動ドアを抜けた先には、私にも感じ取れるくらい心地よいエアコンの涼しさが効いていた。思い出したので、水筒の中のお茶を一口飲んでおく。砂切もペットボトル飲料を持参していた。
「わー、ちゃんとしたゲームセンターって初めて来た」
「ちゃんとしたって……。まあ言いたいことは分かるけど」
目の前に迷路のごとく広がる、種類多様なUFOキャッチャーの数々。あちこちから楽しげな音楽や効果音が聞こえ、休日ということもあり家族連れの姿もちらほら見かけられた。
私がどこでもいいと言われて、デートがしたいという砂切を連れてきた場所。それは駅の近くのゲームセンターだった。カラオケといいこれといい、行き先を私に任せていると、最寄り駅周辺から出られないと思った方がいい説がある。
「砂切くんってUFOキャッチャーしたことある?」
「子どもの頃に何回か。全然取れなくて、そのイメージがあるからもうずっとやってないけど」
「そうなんだ」
「絹川さんは?」
「私もあんまり」
昔、常日さんとUFOキャッチャーのあるゲームセンターに行ったことがあった。私は元々景品系の遊びにあまり興味がない子どもだったのだけれど、常日さんはそうでもなかった。あの人は、何かを成功することが好きなのだ。
あの貼り付けたような笑顔のまま、ぐるぐるとゲーセン内を練り歩いて、これだと決めた筐体にコインを入れる。そして必ず三回以内に景品を落とす。そのプロのような手際に、これは自分には出来ないなと、UFOキャッチャーをなおさら敬遠するようになったことを覚えている。
「お、あれやろっか」
UFOキャッチャーの森を抜けた先にあった台を指さす。エアホッケーの筐体が、誰かに遊んでもらうのを待っていた。
「あ、いいね! やったことあるよ」
百円玉を入れると他の筐体に負けず劣らずの音量でBGMが鳴り始め、私が立っている側の取り出し口にパックが排出された。エアホッケーのパックは「パック」でいいとして、打つやつの名前はなんと言うんだったっけ?
「行くよー」
ていっと適当に無難な角度をつけて、まずは小手調べにゆるい球を送る。……と言っても、私はこのゲームがそんなに得意なわけではない。家で練習できないゲームについては素人同然である。
難なく目で追える程度の速度で滑っていったパックは、がっちりと対戦相手に捕らえられた。
「そいやっ!」
砂切が潔く振りかぶって打ち込む。放たれたパックは綺麗な45度を描いて反射し、私のディフェンスをすり抜けゴールに直行した。台の上にアーチのように取り付けられている得点板に、デジタル時計のような光の文字で「1-0」と表示される。
「いえー!」
「まぐれでしょーが」
デートだか遊びだか知らないけど、勝負事に負けるつもりで挑む人はいない。今度は本気で得点を狙い、打つ!
台の縁に当たってパックが跳ね返るたび、バキュンバキュンという効果音が鳴る。しかしいくら小気味よい音が鳴ろうとも、そのパックが対戦相手の守備に阻まれる時は無音だった。
上手くパックの勢いを殺した砂切が攻勢の機会を得て、また清々しいくらい思い切りこちらへ打ち込んでくる。それを今度こそ防ごうと思ったが、角度をつけて向かってくるパックに僅かに反応が間に合わず、弾いたそれが凄まじい勢いのまま自陣側へ流れる。そしてそれは結局ゴールの中へと吸い込まれてしまった。テッテレテーン、と祝福の音が鳴って2-0。
砂切がにやりと笑う。取り出し口に出てきたパックを拾いながら、私は素直に驚いていた。
「え、砂切くんってエアホッケー上手いの?」
「いや、完全にまぐれ」
首を振って素直に認めるところが彼らしい。
その後、まぐれを自認した砂切の絶好調タイムは終了し、お互い点を取ったり取られたり……実にいい勝負が繰り広げられた。途中お互いに何回かオウンゴールが発生して、そのたび悲鳴を上げたり笑ったり。二人とも、上手くゴールが決まったらガッツポーズするくらい試合に熱中した。……そしてついにスコアが9-9にもつれこむ。
得点表の隣には、TIMEと書かれている欄もある。そんなに長丁場になると思っていなかったので気にしていなかったけど、エアホッケーには1ゲームに時間制限があるのだ。そしてそれはあと15秒というところまで迫っていた。
最後の一回、パックは私が持っているところからスタートする。
「これで最後だ!」
「よし、こい!」
パックを打つと、手のひらにガツンという感触が伝わった。乱反射するそれは砂切のゴール付近へ向かったが、ややズレて隅の壁に当たり戻ってきてしまう。それをまた打つ。今度は砂切が弾く。弾かれて戻ってきた物をまた打つ、また防がれる……!
一見私の方が攻勢を保っているようだが、激しい応酬によって、砂切の弾き返したパックをうっかり空振りでもしようものなら、それがそのまま自陣ゴールへ入ってしまいかねない状況になっている。お互いミスが許されない五分五分の最終局面。残り時間は10秒を切って、筐体からカウントダウンの音が鳴り始める。
迫ってきたパックを台の角に挟み込むというハイリスクな技で、砂切がここまで続いていた私の勢いを止めた。このチャンスに、間違いなく渾身の一発をお見舞いしてくるつもりだろう。けれど彼は停止した状態のパックを打つ時は、その後の守りを考えていない。カウンターを決められれば勝てるはずだ。
「とりゃあ!」
どこか気の抜けたかけ声と共に放たれる、力いっぱいのとどめの一撃。ゲーマーの反射神経の誇りにかけて、私はそれを弾いた。……敵陣に弾き返すつもりだった。しかし実際には当たり損ない、パックはほぼ真横へ跳ぶ。それが相手陣地に戻る前に咄嗟に押さえつけ、そして間髪入れずに打つ!
「くらえっ!」
入ろうと入らなかろうと、時間的にこれが最後の一打である。しかし絶対に勝つという意思でもって、私は一直線にゴールを狙った。
……シューという摩擦の音が走る。明らかに今までとは違う挙動のパックが、しかし真っ直ぐと、砂切のゴールに吸い込まれていった。
カシャンと、筐体の中にパックの落ちる音。得点表に表示された点数は…………9-9。ゲーム終了を知らせる点滅を伴って表示されるその数字は、15秒前と変わらない9-9だった。
TIMEは0。私が打つ直前に、すでにゲームは終了していて、百円分の働きを終えたエアホッケーから「エア」が消えていたのだった。
「負けたー!」
砂切がぴょんと跳ねて、笑いながら悔しがった。
……ゲーセンに入店してから経過した時間は、まだほんの数分。たったの数分で、あぁ、今日彼とここに来て良かったなぁという気持ちになる。楽しい……!
「絹川さん、次は何する?」
長方形のホッケー台の向こうから私の傍にかけ寄ってきて、にこにこしながら彼に聞かれる。
「次は……」
二層あるこのゲームセンターのうちの一層、ライトゲーマー向けとでも呼ぶべきエリアには、二人で遊べそうなゲームがまだいくつか残っていた。しかしその中でも特別興味がある物と言えば……。
「あれはどう?」
女性のシルエットが赤い光の中に、「ここから出してくれ」とでも言うような恐ろしげな様子で描き出されている、小さな映画館のような箱。それは中に乗り込んで遊ぶタイプのシューティングゲームになっている。……もちろんホラー系の。
「よ、よし、どんと来い」
やや震え声の砂切が、早足で筐体へ向かった。
あの昼休みの時、私は彼に冗談で「マゾなの?」と言ったけれど……。むしろ私の方が、サドなのかもしれない。母も、常日さんも、もちろん自分も、私と付き合いのある人間は、みんなホラー耐性が高すぎるから。だからそうではない人の反応を、一度でいいからこの目で見てみたかった。
カーテンをくぐって暗い箱の中に乗り込み、百円を入れてから、設置されている機銃のような形のコントローラーを握る。砂切も緊張の面持ちで自分の分を握った。
ストーリー映像が始まり、何やらピエロっぽい人が悪そうなことをしている。どうやらそいつのせいで行く先々がゾンビだらけになってしまったようだ。ゾンビたちを倒しながら、その黒幕野郎を追いかけていくことがこのゲームの目的になる。
「へぇー、3Dなんだ」
箱型ゆえの音響の迫力はあるものの、しばらく直球のホラーはなかったので余裕を持ち始めたのか、砂切がそんなことを呟き感心している。そう、このゾンビシューティングゲームは、付属のメガネをかけることで映像が飛び出して見えるお得なゲームなのだ。
と、のんきにしている間に、廃墟の中を行く案内役の女性キャラクターが「来るわよ!」とついに前方を指さした。
グウオオオオオ! と気味の悪い雄叫びを上げながら、ゾンビが猛ダッシュして来る。
「いっ」
砂切が、肩どころか全身を跳ねさせる。私はとりあえずそのゾンビを撃ち殺した。
しかし、ゾンビは一体見たら数十体はいると思え! 同じようなクソデカ音量の雄叫びを上げながら、我先にと突っ走ってくる大量のゾンビたち。その速度と力強さたるや、そこらへんの生きてるインドア派陰キャよりパワフルな物がある。
「わああああ!」
悲鳴を上げながらも、砂切はちゃんとゾンビをやっつけていた。このゲームに偶然弾切れの概念がなかったことも幸いして、トリガーハッピーになっても安心である。
「何これ!? ゾンビってこんな走るの!?」
「それネットでもめっちゃツッコまれてたなぁ、このゲーム」
「そりゃツッコむでしょ! すごい元気だったじゃん、絶対全然腐ってなかったじゃん、ハードル走出来そうなくらい動きよかったじゃん!」
「ははは」
砂切は追い込まれるとよく喋るタイプなようで、見ていて面白い。わちゃわちゃとよく喋りながら、3Dメガネはちゃんと付けているところがさらに面白い。
ゾンビは人型以外にも、犬だったりネズミだったりコウモリだったりと様々なタイプが出現する。あとたまにどアップでカメラに映りたがるゾンビも現れる。そしてどのゾンビも、とにかくめちゃくちゃ活きがいい。
ある時は体ごとビクッと跳ね、ある時は咄嗟に画面から目を逸らし、またある時は「ああああああ!」と叫びながらちゃんと仕事はする相棒のおかげで、私たち二人はそのうちボス戦へとたどり着いた。
ボスはなんというか、口が横開きするデカくてムキムキの犬みたいな、なんとも言えず気色悪いデザインのゾンビだった。
それが二体も三体も現れ、ドタドタと一斉に迫り来る。複数体を一気に相手にする忙しさに、二人で力を合わせてなんとかしよう! という制作側からのメッセージを感じた。
「キモッ!」
慣れてきたのか、ハイになってるのか、かわいい物が好きな砂切くんからボスゾンビに対する素直な感想が寄せられる。そう、キモくないホラーなど存在しないので、やはり彼とこのジャンルは相容れないのだ。
そしてしばらくの激闘の末、健闘も虚しく犬っぽいやつにかじりつかれて、我々は死んでしまった。画面にはコンティニューまでのカウントダウンが表示されていたけれど、もう十分遊んだので箱から降りることにする。
「怖かったねー」
と、私が自分の能力を明かしておいて白々しい感想を口にすると、彼も彼で、
「そ、そう?」
と白々しい返事をくれた。彼はいつ何時でも「べ、べつに?」の顔をするのが上手い。
「絹川さんっていつもこういうところで遊んでるの?」
周囲を見渡しながら、砂切が感慨深げに口にする。レースゲームとかパンチングマシーンとかメダルゲームとか、ここ一階にはまだまだ色々なゲームが設置されている。一度も遊んだことのないゲームなら、確かに探すことの方が難しいかもしれないけれど。
「いや、私はあっちの方」
指さした先にあるエスカレーター。絶えず動き続けるそれは、今私たちがいる場所よりも下へと続いている。
「あ、下にもあるんだ」
「うん。行ってみる?」
「行ってみる!」
地下に向かうため先陣を切り、巨大なゲーム筐体の森を縫って歩き出すと、遠慮がちな手つきが私の手をきゅっと握ってきた。振り向くと、砂切がそしらぬ顔で私から目を逸らす。その手を握り返してみると、彼は嬉しそうに間を詰めて来て、私の隣を歩いた。
エスカレーターの先には、地面の下らしく薄暗い空間が広がっている。しかし各種ゲームが我こそはと鳴らし響かせる騒音は衰えず、むしろ増していく一方だった。
「わぁ……なんかすごいね……」
そのゲームセンターの地下には、おそらくは一階に入りきらなかったゲーム機たちが置いてある。どちらかといえば「わざわざそれを探しに来てくれる人たち向け」のゲームが置いてある。例えばそれは、今やコアゲーマー限定のジャンルと化してしまった格ゲーであったり、太鼓の達人やポップンミュージックよりもマイナーな音ゲーであったり、メダルゲームはメダルゲームでもパチスロや競馬を模した物であったり、初見さんへの見映え的なハードルが高いコアなデジタルカードゲームであったりする。
その中から砂切がまず真っ先に興味を示したのは、筐体の見た目が特徴的なとある音ゲーだった。今は社会人と思わしきお姉さんが持参の手袋を装着し、鬼気迫る機敏さでコンボを継続している。
「なにあれ、洗濯機みたい」
それはその筐体を見た人なら、誰もが一度は抱く感想だった。本当にドラム式洗濯機みたいな形をしているから。
「音ゲーだけど、普通の洗濯機にもなるよ」
「うそぉ!?」
「嘘だよ」
なんで一瞬信じるんだ……。
砂切がやたらその音ゲーを気にしているようなので、しばらく二人で足を止めて社会人お姉さんの奮闘を見守る。その女性は最後までコンボを途切れさせることなく完走し、スコア画面が表示されるともう興味を失ったように帰り支度を始め、一階へ上るエスカレーターへと消えていった。元々誰も並んでいなかったこともあり、次のプレイヤーは現れない。
「絹川さんもあれ出来るの?」
期待をはらんだ声で聞かれるも、首を横に振る。
「私は音ゲーは無理」
「そうなんだ」
「砂切くんやったらいいじゃん」
「え」
ゲーム機から発される光に顔を照らされて、彼は心境複雑そうな表情を浮かべる。あえて一言で言い表すならそれは、恥じらいの表情だろうか。
「え~、僕はいいよ。下手だし、やったことないし」
「みんな最初はそうでしょ。あとで私もやるから、とりあえずやってみなって」
「本当? 絹川さんもやる?」
「やるやる」
ずいずいずい、と砂切の背中を押して洗濯機の前まで連れていく。百円玉を入れると画面上に何やら様々な選択肢が出てきたけれど、見るからに混乱している砂切に代わって私があれこれと押し、選曲画面まで持っていく。
「えっ、ど、どれにしたらいい……?」
「適当に好きなのでいいよ」
とは言っても、画面上に現れる大半の選択肢はそのゲームのオリジナル楽曲か、有名とはいえ砂切が知っているのかどうか定かではないボーカロイド曲ばかり。どれを選んでも自分にとってはあまり変わりないと踏んだのか、曲を転々と切り替えていた砂切が一度も引き返すことなく、ある時不意に選曲を確定させた。
私は画面の向かいにある待機者用のベンチに座って、彼の勇姿を後ろから見届けることにした。
「がんばれー!」
「き、期待しないで」
緊張の面持ちのプレイヤーに対して、ゲームの方はやけにポップで明るく「スタート」を合図する。
初心者向けの難易度やさしいモードとはいえ、砂切にとっては私以上に、きっとまったく未知の体験なのだろう。画面中央からゆっくりと一つずつ発生しては四方八方へと流れていく光のリングを追いかけて、レーザーポインターに遊ばれる猫のようにあっちこっちへ手を伸ばす。曲がサビに近づくにつれて、勢いづいた砂切が画面上方をタッチする時に、ちょくちょく片足が浮いていた。
表示された通りになぞるべき時はすごく慎重になぞり、押しっぱなしにするべき時は「押しっぱなし」というより「押さえつけっぱなし」といった力の入りようで挑む。ある意味本気の上級者より「マジ」な健闘の末、彼は無事ノルマクリアを達成した。
「やった! 見て!」
振り向いた砂切が「成し遂げた人」の顔をしていた。あんまり良い笑顔をこちらに向けてくるので、思わず「すごいね、初回なのに」と拍手してしまう。かつての常日さんも同じ気持ちだったんだろうかと、謎の感慨深さが湧いた。
「……あれ? なにこれ?」
異変を感じた砂切が画面に向き直る。ゲームは選曲画面に戻っていた。太鼓の達人にて有名な「もう一曲遊べるドン!」は他の音ゲーにも共通しているのだ。
「じゃあ次は私ね」
約束通りの選手交代。ベンチに座った砂切が「がんばれー!」と言ってくるので、画面を見たままさっきの彼を真似して「き、期待しないでっ!」と返してみると、楽しそうにあははと笑う声が返ってきた。
……しかしそうやって余裕ぶってみても、私は砂切と何一つ変わらないただの初心者である。人のプレイをチラ見しているうちに身に着けた知識が全てで、他に持っている物は何一つない。強いて言えば、仮にこの場にどよめくような数のギャラリーが集結していたとしても、それがメンタル面に何一つ影響しないことは、潜在的に砂切より有利な部分なのかもしれないけれど。
私は私で、有名ボカロ曲ではなく、知らないオリジナル曲を選択して挑む。これをきっかけに何か自分の気に入る音楽と出会えるかもしれないと期待してのことだったが、「ノルマクリア成功」の文字を見る頃には、流れていた音楽なんてゲームに必死すぎてほとんど頭に入って来ていなかったことを自覚した。
「やっぱり絹川さんゲーム上手いね」
自分と同じ初心者の健闘を見届け終えた砂切が近くまで寄ってきて言う。フロア中のゲームの音がうるさくて、近づかないと会話が聞こえづらいのだ。
「どこが。そんなに変わらなかったでしょ」
「上手いよー。足浮いてなかったし」
「あ、あれ自覚あったんだ」
「あ、やっぱり見てたんだ?」
てへへ、と彼は笑って誤魔化す。一生このままでいてほしい、上手くならないでほしいと思ってしまった。
「僕、ゲームしてる絹川さんを見るの好きかも」
独り言のように呟かれたそれは、しかし騒音をくぐり抜けてきたからには私へ向けた言葉だったのだろう。
「ところで絹川さんが得意なゲームってどれなの?」
「あー、得意というかよくやるゲームだけど」
彼の手を取り、地下フロアの中でも治安が悪そうなブースへと向かう。ちょうどそこから、陰キャっぽい男の笑い混じりの悲鳴が聞こえてきた。
「これ」
左側に先の丸いスティック、右側にいくつかのボタン。私の指さした先、アーケードコントローラーとも呼ばれる伝統的なデザインが備わった筐体に映る物は……ガンダムの姿。
「ガンダムだ」
「ガンダムですよ」
それは各作品のガンダムが一堂に会して戦うお祭り的な対戦ゲーム、言わばガンダムゲーム界のスマブラである。ただし操作難度の敷居は他の格ゲー並みに高く、残念ながら砂切を気軽に誘える代物ではない。
「やってみせて!」
「たぶん普通に負けるよ?」
それはこのゲームの攻略wikiにも書いてあることだ。敵を知り己を知れば、百戦中五十戦くらいは危うからず。つまりそこそこ上手いくらいでは二分の一の割合で負ける。そして私はそこそこ上手いだけのプレイヤーである。
しかし砂切が、私がゲームをしているとこを見たいと言うのだから、期待に応えないわけにはいかない。百円を入れて、操作する機体を選ぶ。「ガンダムってこんなにたくさんいるんだ……」というまなざしで、背後から砂切がキャラ選択画面を見ていた。
対戦が始まると、彼は黙ってそれを見守り始める。けれど見ていてもそんなに面白くないだろう。何せこのゲームは「規定の回数敵を倒した方の勝ち」となるゲームなので、逆に言えばその回数に至るまでは撃墜され爆散した機体もしれっと復活してくる。ルールを理解する前に見たら「死んだと思ったら生き返るし、かと思えば普通に死んだ」という現象が起こっているように見えること請け合いだ。
そして私は普通に負けた。いい勝負ではあったのだけれど、それも砂切には伝わらないだろう。
「負けちゃった」
「え、でもなんかすごかった。ルール分かんなかったけど」
「ありがと」
音ゲーのプロを見た時のように、ゲーム観戦を経た砂切はまた何かに圧倒されているようだった。気持ちはよく分かる。私も初めは「ルール分かんないけどなんか面白そう」から始まったし。
「さ、じゃあ次は砂切くんの番ね」
「へ?」
ストン、と彼を画面の前に座らせる。対戦はいくらなんでも無理があるので、コンピューターと戦うアーケードモードを選択した。
「このスティックで動かして、これでビーム撃って、これでサーベル振り回せるから。がんばれ!」
「えっ、えぇ!?」
慌てている間にも敵機がステージに降りてくる。一番初心者用のモードを選んだので、砂切がとりあえず撃ったビームライフルがちゃんと命中した。
「え、どうやるの、ビュイーンって速く移動するやつは?」
「それはここのボタンを二回タタンって押す」
「えぇっ、むずかしい。あとビームとサーベル以外の武器は?」
「それはこことここを同時に押したり、こっちとこっちを同時に押したり……」
「複雑すぎる!」
とかなんとか言いつつ、彼は、とりあえず第一ステージは突破していた。普通に最初のステージで終わると思っていたので「えっ、すごいじゃん」と素直な感想が口に出る。
しかし次のステージの終盤にて、彼は惜しくも負けてしまう。するとコンティニューは視野に入れず、すぐにぴょんっと席から立ちあがり、実際にそうしたわけではないもののニュアンスとしては明らかに頬を膨れさせるような表情を私にして見せた。
「もうっ、なんで僕にやらせようとするの! 出来るわけないでしょ!」
「出来てたじゃん。一個クリアしてたよ」
「まぐれ!」
堂々とそう宣言する彼に、思わず笑いがこぼれてしまう。すると砂切もそれにつられて笑った。
「私も、砂切くんがゲームしてるところ見るの好きだな」
「そうなの?」
「そうなの」
正直今までは、人のプレイするゲームを「すごいなぁ」とか「参考になるなぁ」以外の気持ちで見たことはなかった。……だから今日、私の世界が少し変わったのだ。
けれどあんまり難しいゲームばかりしていても仕方がないので、私たちはまた一階に戻ることにした。マリオカートでもやる? と聞くと、待ってましたとばかりに「うん!」と元気の良い返事が返る。
「ゲームセンターのマリオカートって久しぶり。昔やろうとした時は、ペダルに足がとどかなかったんだよね」
「すごい昔じゃん」
「すごい昔だよ。だからやってみたい」
足がとどかなかった頃の砂切を想像しながら、彼と隣り合う座席に座り込む。高校生になった今がまるで美少女なのだから、幼少期もそれはそれはさぞ可愛かったのだろうなぁ……と考えると、なぜか、その頃の砂切を一心に愛でる姉の姿も一緒に思い浮かんだ。顔も分からないのに。
ゲームセンターのマリオカートはプレイヤーのアイコンとして、ゲーム開始前に顔写真を撮ることになる。人の輪郭が収まるだけのごく小さな写真しか撮られないのだけれど、隣で砂切がカメラにピースサインを向けていたことが印象的だった。
外に出る頃には、街は家を出た時よりずっと涼しくなっていた。けれど水筒の中のお茶に口をつけると、それは相変わらず氷のように冷たくて心地良い。フタを閉めた水筒から肩掛けの紐に任せて手を離すと、中の氷がカランと鳴った。
「おおー……。地上に帰ってきた~、って感じがする」
「わかる」
どれだけ通おうとも、長時間ゲームセンターで遊んでから外へ出た時はいつもそうだ。RPGで深いダンジョンの奥底から抜け出し、いつもの宿屋に帰ってきた時のような感覚が毎回起こる。
「いっぱい遊んだね」
「そうだね。……どうだった? 初デートの感想は」
「すっごい楽しかった!」
本当に楽しかったとしてそこまで激しい感情は出るまい……というくらいに、遊園地に行って一日中遊んできた子どもみたいに、溢れる満足感を声に乗せて砂切はそう言ってくれた。彼を後悔させるという私の計画は、失敗したことになる。……彼に失敗させてもらったのだ。
「私も」
「また連れてきてね」
「ここに?」
「ここでもいいし、他のところでも、どこでも!」
「どこでもね……」
彼は心の底からそう言ってくれているようだった。砂切の感情くらい顔を見れば大体分かる。私は彼のそういう分かりやすいところも好いているのかもしれない。
けれど、もしも逆だったら……? とも思ってしまう。私だったら、彼の趣味に付き合ってそんな顔が出来るだろうか? と。
砂切の好きなこととはいったい何なのだろう。彼はいつも家では何をして遊んで、何を見て笑って、家族とどんな会話をしているのだろう? 私はまだ何も知らない。知ることだけなら、時間をかけていけばそのうち出来るだろう。けれどそれを知った時、私は彼のように満面の笑みを浮かべられるのか。例えばそれが、おしゃれな雑貨屋さん巡りだったとしても……?
……彼は、砂切は私に「優しいから好き」だと言ったけれど。彼の言う「優しい」とはいったい何なのだろう……? 時間をかければそれだって知ることが出来るのかもしれない。けれど本当に、それを知るまでの間を、それを知らないままでいて大丈夫なんだろうか。
……砂切の目を見る。間違いなく私へ好意を持ってくれているその彼が、私の目を見て「なに?」と首をかしげた。
「そんなにたくさんの場所は知らないけどね。……帰ろっか?」
「うん」
そうされたがっている気がしたので、砂切の手を握って、駅へと歩き始める。バスロータリーがある辺りの一角を見て、あぁそういえば今日は砂切がナンパされているところから始まったんだっけ……と思い出す。優しいとは例えば、あの時彼を助けたようなことを指すのだろうか? ……いや違うだろう。付き合い始めるよりも前に、そんなことは一度もなかった。
改札前まで来ると、ちょうど電車が到着したところなのか、向こうから大勢の人が押し寄せてくる。その気になれば明日にでも、その気にならなくても平日は毎日学校で、いくらでも会える砂切の手を離すことに、そこまで大きな未練はない。……けれど私が手を離しても、砂切がそうしなかった。
「……どうかした?」
「絹川さん、その、嫌だったら嫌でいいんだけど」
「うん?」
「今度から、一緒に学校に行ったりしちゃダメ……かな」
尻すぼみに声が小さくなっていく。もし「ダメです」なんて言ったら、泣き出してしまうんじゃないかというくらい不安そうに。
「いいよ。家すぐそこだから、迎えに来て」
「行く行く、絶対行く」
下校時はいつも途中で二手に分かれるけれど、私の家を通りながら駅へ行くように回り道したって本当は大した距離じゃない。けれど砂切は今まで一度もそうしなかった。……いや、雨の日に彼の傘を奪って走った時だけは、別だったかな。
「家の場所知ってる?」
「知ってる~。傘取られた!」
「ちゃんと返したでしょー」
次の月曜日から一緒に登校すると約束して、今日のところは解散する。言ってしまえば、ただゲームセンターに行っただけの一日だったけれど、その「ただそれだけのこと」が、私にとってはすごく貴重なことだった。ここ何年も、彼のように「絹川ヨルに耐性のある人間」は現れていなかったから。ずっと一人だったから。
改札を抜けた砂切が振り返って、ばいばーいと大きく手を振ってくる。私は彼が気に入ってくれるように可愛く微笑んで手を振ろうとした。でもそれが上手く出来なくて、実際には苦笑いのような表情を浮かべながら、私は彼に手を振り返した。
嬉しそうな顔をして遠ざかっていく彼を見て、「優しい」どころか「かわいい」の定義も分からなくなってくる。ただそれが、今の私を指していればいいのにと思った。