呪術廻戦にP5のジョーカーぶち込んでみた   作:全てのイシを拾イシ者

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#10

 53.

 夜の帳が消える。

 雨の雫が波紋を作るように、夜から濁った空を生み出していく。暗雲は未だ絶えず、雨風は枯れる所を知らない。

 そんな雨天を、英集少年院の裏口の門前にて傘もささずに男と少年が話し合っている。少年は、頭部に包帯を巻いたまま眠る少女を抱き抱えている。伊地知潔高、伏黒恵、釘崎野薔薇である。

 現在恵は、院内で起こった出来事を潔高に報告しつつ、車に野薔薇を乗せている。華を扱うように後部座席に乗せてやると、少しだけ安堵が募った。

 釘崎野薔薇の治療は完了しているが、意識は未だに戻っていない。そこまで出来れば苦労はしないが、状態異常を治せるほどの利便性は、反転術式にもジョーカーのペルソナにも無かった。

 

「野薔薇の治療をお願いします。それと念のため、避難区域を500メートルから10キロに拡げてください。その後、伊地知さんは……居ないと思うけど、一応一級以上の術師に援護要請を」

「努力いたします。伏黒君は?」

「俺は、悠仁とジョーカー……蓮が戻ってくるのを待ちます。悔しいですけど、せめて出迎えくらいはしないと。……アイツらに任せっきりってのは、どうにも(しゃく)ですから」

「分かりました。……真っ先にご友人の心配をするなんて、変わりましたね、伏黒君」

「……えっ、そうですか?」

「ええ。同年代のご友人は貴重ですよ。大切になさってください」

「そ……そう、ですね」

「では、私は釘崎さんを病院に送り届け──」

 

 ──と、潔高がそう言ったその時、恵のスマートフォンがワンコール分だけ振動して、直ぐにその反応が消えた。恵には思う所があり、それが緊急事態である事が分かっていた。

 

「今のは?」

「蓮です。きっと悠仁を見つけたんでしょう。悠仁の応急処置は、俺の方でやっときますんで」

「分かりました。くれぐれも、お気をつけて」

 

 普段と変わらぬ仏頂面で恵が答えると、激励しつつ潔高は車を急発進させた。恵は車を見えなくなるまで見送り、そして、目を逸らしていた少年院へと向き合った。

 ……恵は、潔高に初めて嘘を吐いた。

 

「フゥ──来い、【玉犬】」

 

 一度深呼吸の後、【玉犬・黒】を顕現させる。ジョーカーと共にいた【玉犬】は、ジョーカーからの緊急信号が来た時点で、術式を解除して消していた。膨れ上がった影が形を為していく。ほんの少しの嘔気を孕みながら、恵は少年院の戸を開こうと歩みを進める。

 その口は固く結ばれ、今にも倒れそうなほどに顔色が悪い。それもその筈、今から恵がやろうとしている事は、恵らしい、理性的な行動ではないのだから。

 『悠仁と蓮を待つ』……なんて、嘘だ。潔高は人が良い。それを知っている恵は、潔高の人の良さに付け入った。申し訳ないとは思ったし、後悔もしたが、むしろ二人を見捨てた事の方が大きかった。

 恵の心境はぐちゃぐちゃだった。仲間を犠牲にした事、それを承諾した事、そして犠牲になる仲間が恵を恨まなかった事で。恵自身、どうして良いか分からなかった。だが、動かなければならないのは確かなのだ。

 一歩進むごとに、足が重くなっていく。泥の中に居るかのように、鉛のように。

 悔恨の鎖が、徐々に体を縛っていく。雁字搦めとなった体に鞭打ち前へと進む。

 足が重いのは、体が死を恐れるため。知った事かと奥歯を噛み締め地を蹴った。

 耳元で囁く悪魔の声。『お前では不可能だ、諦めろ』と、徒に何か言っている。

 潜在的な恐怖が恵を襲う。滲む冷や汗に、どうしようもなく引き返したくなる。

 後悔と苦悩に押し潰される。あの二人の救出に行って、仮に行けたとして──

 

(……どんな顔して会えば良いんだよ)

 

 ──瞬間、少年院の棟の一部が、轟音と共に破裂した。

 

 

 54.

 その場に居れば、きっと誰もが失禁しながら逃げ出すか、気絶するかの二つに一つを選択していただろう。それほどの重圧。

 かつてジョーカーが屠った神々を想起させるほどの絶望感。ジョーカーは、その神に匹敵する呪いを前にして、しかし何時に無く冷静だった。冷徹に、目の前の現象を睨んでいた。

 

「いかんな」

 

 緊張状態が続いていた。数分か。数秒か。あるいは一瞬か。ジョーカーにとって永遠にも思えたそれは、両面宿儺の一声で打ち破られた。

 

(アレ)を倒した影響で領域が消滅しかけている。巻き込まれてしまうな……それにここは窮屈だ。

 ──よし、外に出よう」

 

 ──瞬間、ジョーカーが見る景色が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 直後に嫌というほど味わう窒息感と背の痛み、そして浮遊感。考えずとも理解する、宿儺の怪力。咄嗟に呪力を纏った両腕で防御していなければ、全身が爆発四散していた。そう思わせるほどの膂力。これで全盛の二十分の三だというのだから末恐ろしい。

 だがジョーカーは、これで確信に至った。

 実力二十分の三の両面宿儺に対して、およそレベル四〇程度かつペルソナや縛りを有効活用するジョーカーで、ようやくトントンかそれよりちょっと下という事。宿儺の張り手に直撃した両腕は、未だにじんじんと痛むが折れてはいない。

 それは宿儺にも感じたようだ。やや本気で放った──それこそ、亡骸と化したあの特級呪霊に放った物よりも強力な張り手は、しかしジョーカーに外傷を与えるには至らなかった。

 だがそれだけで終わるつもりなど、両面宿儺は毛頭ない。まるで瞬間移動の如き高速で、空を飛ぶジョーカーの更に上を跳んでいた。両指を組んで握り合うダブルスレッジハンマーを型取りながら、ジョーカーの脳天へと肉薄する。

 

「なるほど。俺を祓う(斃す)などと、大口を叩くだけの実力はあるらしいなッ」

「──ッ、オンコット!」

 

 インド一有名と言っても過言ではない叙事詩『ラーマーヤナ』における、ヴァラナと呼ばれる猿族の将軍であり、『戦車』のアルカナに割り振られた英雄、オンコット。不安定な体勢のまま召喚した猿の武将が握る片手剣は、《絶妙剣》という(スキル)となりて、こちらも宿儺の首に肉薄する……!

 

「ほう」

 

 振われた剣は、しかし急速に体を捻られ避けられてしまう。だが体勢を崩す事には成功し、握られたダブルスレッジハンマーが振われる事は無かった。

 縛り③の適用。これよりジョーカーは一分間、ペルソナを発現する事は出来ない。召喚するのであればスキルは必ず当てなければならないのだが、外してしまったのは痛手だった。

 雨が降っている。暗雲は未だ晴れるところを知らない。

 雨天の英集少年院の正門広場にて軽快に着地する宿儺。ジョーカーは、少年院屋上の(ふち)付近──宿儺を見下げるように、軽やかかつ華麗に着地した。

 

「俺を見下ろすか、怪盗」

「断っておくべきだったか?」

「いや何。馬鹿と煙は何とやらとは、よく言った物だと思っただけだ」

 

 軽口を叩き合った直後、宿儺が消える。(うなじ)が粟立つのを感じる前に、ジョーカーは《剛巌》を前に構え、刃の腹をもう片方の手で支える。第六感はジョーカーの身体を十分に守ったようで、宿儺の顔と、呪力で強化された拳とが、腕に伝わる衝撃と、靴底が屋上の床を削る音と共に眼前に迫る。

 

「ぐ──!」

「は、これも耐えるか! 良いぞ怪盗! お前はあの(特級)よりも幾分か味わい甲斐が──ありそう、だッ!」

 

 拳と刃の拮抗は、果たして拳の勝利に終わった。崩される体幹に追い討ちをかけるように、鳩尾に強烈な左の貫手が刺さる──のを、崩された勢いを利用して後方宙返りした事により緊急回避。その爪先は頬をほんのりと掠るだけで済んだ。

 だが驚くべきはジョーカーの身体能力。呪力を以て強化している肉体は、後方宙返りにより空中を舞っているというのに、更に行動を起こせる。かつての怪盗としてのスタイルを、ジョーカーは徐々に引き出しつつあった。

 上体を捻り、宿儺に直面する。そのジョーカーの身体能力を見て、宿儺は若干目を見開いた。

 

「喰らえ──ッ」

 

 横薙ぎの赤い閃光が屋上を疾る。近距離にて振われた《剛巌》は、しかし上体を反らした宿儺の鼻先スレスレを擦り、髪を数本失わせるだけに終わる。未来予知にも似る動体視力を持つ宿儺でさえ、至近距離の斬撃の回避は完璧には出来なかった。今度はジョーカーが攻める番だ。

 深い体勢となるように着地したため、アキレス腱の伸縮の用意は出来ている。着地から一秒も無い刹那、倒れ込むようにして地を蹴り、一気に距離を詰めつつ、逆手に構えた右の《剛巌》を振るう。

 ──一閃。

 風を切る音が、体勢を整えた宿儺の呪力で固め放った左拳に直撃する。

 だがジョーカーも、ただナイフを振るった訳ではない。両面宿儺という生物は、前世にて倒してきた強敵や神々とは更に格が違う事を、二度の殴り合いで既に分かっている。

 呪いには呪力を以て立ち向かうべし。既に呪力の篭っている呪具《剛巌》の刀身に、ジョーカーは更に呪力を纏わせる。いつかH◯NTER×HU◯TERで読んだ技の一つである『周』を、ジョーカーは再現した。

 H◯NTER×HU◯TERにおける『周』とは、自分以外の物体(剛巌)を自身の一部と認識し、オーラ(呪力)を纏わせる応用技だ。オーラ(呪力)を纏わせた物体は、シャベルなら岩のように固い土さえもプリンを割く如く掘り進められるし、ナイフならばその切れ味が増すという技術の事を指す。

 呪具を扱う以上、それっぽい事を事前に教わってはいたものの、五条悟との稽古では使わなかった(と言うより寸前で止められるので意味がなかった{更に言えば昨日教わった})技術。実戦で使用した事が無かったため完全に博打だったが、どうにか成功したようだ。

 更に鋭利になった《剛巌》が、宿儺の呪力のガードを削っていき、やがて皮膚へと到達する。跳躍から攻撃に至るまで、僅か三秒にも満たなかった。

 自身の堅牢なる呪力が削られるのを直感した宿儺は、空けておいた右拳を放ち、ジョーカーの頭部へと迫る。

 だがその間も、《剛巌》は左拳の指の腹を抉り、指を断たんとしている。右の毒手が到達するよりも先に、左の苦手が砕け散るだろう。だが宿儺には、現時点でのジョーカーを軽々と上回る程の驚異的な反転術式がある。左が砕けようが、治してしまえば問題にもならない。

 しかし、その思惑と拳は《()()()()()()

 《剛巌》の切れ味は、宿儺の予想を上回るレベルに達していた。

 違和感を抱かせる左手を尻目に見ると、親指を除く全ての左手指が切断されているのが分かった。そしてそのまま振り抜いて、右手の指さえも切断しようと目論んでいる。加えて、力と体重を込めていた左拳がその目論見に拍車をかけた。

 

「おっと」

 

 側から見れば自分から当たりに行くようにして、ついに右手の指すらも切断されてしまった。右手指もが切断されたのを直感して、回避を併用しつつ得物を振り抜き、ナイフを順手に構え、宿儺を直視した。

 ……些か低く見積もり過ぎていたやもしれんな。

 鼻を鳴らし、愉悦に口を歪めながらながらそう思い、宿儺は振り抜かれた得物の担い手を見た。

 攻守が交代する。ジョーカーの着地から五秒、左手指の再生と共に、宿儺は先程よりも加速してジョーカーに迫る。僅か〇.五秒で再生が完了しており、掌の再形成は済ませた。受肉したあの夜の如きドス黒い呪力が孕んでいく。

 ──(まず)い!

 ジョーカーの警鐘が危険を察知した。ペルソナが使えれば、オンコットの持つ《テトラカーン》という、物理的攻撃の一切を一度だけ反射出来るスキルが有効なのだが、生憎使用後から十秒程度しか経っていない。縛りを破る事は死に繋がる。加えて横幅の無い屋上の足場では、満足な回避は難しい。

 

「さァ、これはどうだ?」

 

 ──そして、地と空を抉る四つの鉤爪。振り下ろされた音速の斬撃の嵐が、コンクリートとガラスとを、瓦礫と砂へと破壊していく。この威力のそれは、人間の肉が耐えられるものではない事は一目瞭然であった。

 

「──っ、はあッ」

 

 そこで、ジョーカーは『賭けに出た』。一か八かで宿儺に背を向け、正門広場とは別の運動場へと降り──二秒後、宿儺と同じ目線に至った。

 空中で展開したワイヤーアンカーが宿儺の起つ棟のすぐ下の窓辺に突き刺さり、完全に着地し終わる前に巻き取りが始まったのだ。ジョーカーは間一髪、コートの裾の一部を抉り取られるだけで済んだ。追い討ちは来ないらしかった。

 

「そう凌ぐか……まずまずだな」

 

 振り向きながら宿儺が言う。

 だが少年院は先の衝撃波により半壊してしまっていた。宿儺が距離を詰めるのも時間の問題だとジョーカーは考えつつも、しかし二者間で距離が空いたため、状況を整理する余裕が出来た。それは宿儺も感じたようで、顎に手を当て思考していた。

 

(──やはり強いな。

 決して傲っていた訳じゃないが……体術、筋力、敏捷性、そして反転術式…… まだ五条先生よりは遅いけれど、どれを取っても特級品だ。縛り付きで呪力無しの体術だけなら、今の宿儺なら足元くらいに及ぶ程度の自信はあるが……いや、それよりも今はどうにかして悠仁を助ける方法を考えないと。

 ……一番手っ取り早いのは、宿儺に『心臓を失った状態では勝てない』と思わせる事か。奴は心臓が〜とは言っていたものの、ダメージはあるはず……殆どそういう風には感じないが。

 だがそれこそノってきた奴に術式を使われたら、オレだってどうなるか分からない。呪術全盛の平安時代で覇権を握った宿儺だ、どうせ術式もチートなんだろう。

 なら、『悠仁の心臓をオレのペルソナで治す』か? ……オレに出来るか? 心臓が『傷ついた』訳じゃない。『欠損』しているんだ。縛りで強化されているとは言え、《ディアラマ(中程度回復)》を重ね掛けして治せるのか?

 ……いや、仮に治せるとしても、隙も時間もなさ過ぎる。戦闘不能から再起させるスキル、あるいは全回復させるスキルを持つペルソナは今いないし……その前に悠仁が帰ってくるだろうな。そもそも中途半端に治したら悠仁が危ない。やはり前者の手段で、宿儺にオレを認めてもらうしか──)

 

 ジョーカーは、自身の思考に顔を歪め、己の得物を強く握った。舌打ちしたのは言うまでもない。

 

(違うだろ……! 認めて『もらう』んじゃない、認め『させる』んだ! ヤツのカリスマに惑わされるな……!)

(……()()()

 

 ジョーカーが思案する中、やはり右指を一瞬で再生した宿儺は、眼前の人間をただ疑問に思っていた。

 

(奴のペルソナとかいう式神……ただの式神ではない。伝承の生物やら物ノ怪、あるいは英雄を従えているようだが、にしては特異性がさほど無い。従来のそれとしての性質を持ち合わせていないのか? ……いや、()()()()()()()()()()()? その割には、何やら奇妙な技を使うが……。

 いや、それよりも奇妙……と言うよりは意味が分からんのはあの格好だ。叩いてみて分かった。アレは()()()()()()()()()……というよりは、奴にとって『全身に呪力を纏った想像(イメージ)』と言えばいいか。……なるほど、アレは一種の防護服であり、肉弾戦ともなれば同時に(ほこ)にも成り得るのか。だがそれなら、わざわざ服を編む必要もないだろうに。そもペルソナとあの格好に、何の関連性がある? いや、そもそも何故、奴は『怪盗に拘る』?

 ……分からん。平安の世でも、このような奇怪な呪術師に会った事は無かった。呪符を使うありきたりな式神ではない。術者本人の能力も高い。拳銃は今使ってはいないが、弾切れとは考えん方が良いな。小細工も搦手(からめて)躊躇(ためら)いなく使う……その勝利に対する貪欲さは、鼠輩(そはい)ながら目に見張る物がある。……そうか。奴の強みは、戦術の幅が広い事か。

 ──だが、何だこの違和感は? まるで、ずっとそういう戦い方をして来たような熟練ぶりだ……あまりにも戦い慣れしすぎている。五条悟に匹敵し得るほどの実力を、コイツはどこに隠し持っていた?

 およそ、仲間にも伝えていない力があるな。小僧を介し情報を得ている俺でさえも、奴の隠し事は見破れん。こと隠蔽において、奴は俺と同等……いや、ただ喋らんだけか、互いに。怪盗とは名ばかりと思ってはいたが、見識を改める必要があるな。

 しかし、考えれば考えるほど謎が深まるな……探りを入れてみるか?)

「怪盗、お前のペルソナとやら、『本物』ではあるまい?」

 

 意味を理解しかね、ジョーカーは宿儺に問う。

 

「……どういう意味だ?」

「いや何、ただ仮想怨霊を従える術式ではないという事は推察が行くからな。お前が先程召喚した……確かオンコットとか言ったな……アレはその出立ちからして恐らく、印国(インド)の伝承の生物か、あるいは物ノ怪なのだろう。何かしらの逸話があるのだろうが、にしては歯応えがないと思ってな」

「……」

「だがより疑問なのは、お前のその出立ちだ」

「怪盗服が?」

「ああ。自身で考えた事は無かったか? お前の術式が真に《ペルソナ》であるならば、『その服の存在』はおかしいとな」

「……もしかして似合ってないのか?」

「阿呆かお前? ……まあ、この際それはどうでも良い。真に問題なのは、その力を今までひた隠しにし続けてきたお前の魂胆だ。この小僧を庇う目的も理由もな。この小僧に、お前がそうするほどの価値はない。

 ──と、以前ならそう言っていただろう」

 

 そのように、宿儺は一旦言の葉を紡ぐのを遮った。

 

「先程も今際の際にて怯えに怯え、ベラベラと戯言を()かしていたのだがな……お前の言葉を思い出したかと思えば、急に泣き止んだ。赤子の如くな。そして────その肚の内に、既に絶望はなく……あり得んはずの『勇気』を孕んでいた」

「……勇気、か」

「……絶望の境地に居ながら、不遜にも希望を抱くなど本気で狂っているとしか言えん。……ああ、不愉快だ。実に不愉快だった。お前が何かを吹き込んだのかとも思ったが、吹き込んだ所で希望に変わるような絶望では無かった。

 小僧にとって、お前はよほど何物にも代え難い人間らしいが、故にこそ、殺す前にお前に一つ問うておきたい──

 

 ──お前は一体何者だ、雨宮蓮(ジョーカー)

 

 

 55.

 

「爆発!? ──蓮!!」

 

 少年院の入口へと赴こうとしていた恵は、突然の爆発音に耳を塞ぐ。それが何故に起こったかの推察はすぐに終わった。ジョーカーと呼ぶのを忘れ、恵は音の方向へと走り始めた。

 足は重い。腿を思い切り殴り、歯を食い縛り走り続ける。

 普段の恵であれば数秒と経たずたどり着ける道のりが、無限に続いているかのように思えた。──そしてその足は、恵が直視した光景によって止まる事になる。

 

「──────っ、」

 

 たった十秒きりの戦争。

 そうとしか恵は形容出来なかった。

 あまりの光景に、恵は息を呑む事しか出来なかった。

 化物が疾る。怪盗が耐える。

 怪盗が駆ける。化物が嗤う。

 応酬は二、三度。けれど、恵の目を奪うにはそれで充分だった。

 ただ呆然と、しかし魅入られたように。

 伏黒恵は、その刹那をずっと観ていた。

 

(これが、宿儺と蓮の実力なのか……?)

 

 ……圧倒的にレベルが違う。

 その刹那の中で、恵は絶望を覚えていた。

 ──呪術師の成長曲線は、必ずしも緩やかではない。蓮は──ジョーカーはあっという間に恵を追い越した。蓮の急成長ぶりは、恵から見ても凄まじいものだった。彼が科した重すぎる縛りがその所以なのだが、恵はその事を知らない。ましてや、破れば死ぬ縛りなど組むはずがないと思っている。あまりにもリスキー過ぎるからだ。

 万が一、破らなければならない場面に直面してしまったならば……それこそ人の生き死にが掛かっている状況に出会(でくわ)したならば、蓮はどうするというのか。血の滲むような努力の賜物である事は恵も重々承知しているが、恵には、蓮が死に急いでいるようにしか見えなかった。

 いや…………多分そうではない。

 類似する術式を持っている自分にも、蓮と同じような力があれば、義姉は──伏黒(ふしぐろ)津美紀(つみき)は、昏睡状態にならずに済んだ。そうならないように『上手くやれた』。そんな気がしてならないのだ。

 不平等な現実のみが、平等に与えられている。因果応報は全自動で罷り通る訳ではない。そんな事とっくに分かってる。

 けれど、蓮を見ていると、津美紀を守れなかった時のあの不甲斐なさを思い出す。どうする事も出来ない歯痒さが、鮮明にぶり返してくるようで……その力が、恵にはどうにも羨ましかった。

 ……そうして恵は、友人として孕んではならない感情を抱きながら、口元を悔しさに歪めた。

 

(余計な事は考えんな。……俺の弱さがそうさせたんだろ、目を逸らすな。

 理解(わか)ってただろ。いつかはこうなるって……悠仁(宿儺)と戦う事になる時が来るって……)

 

 蓮と出会ってから後悔だらけだ。悠仁に業を背負わせてからというもの、自責の念が絶えない。この先もずっと、決して永くはない友の『死』を目の当たりにしてからもずっと──死ぬまで絶える事は無いのだろう。自己犠牲精神に満ち溢れ、恵の所為ではないと言ってくる二人の存在が、より恵を追い詰めていった。

 救いたいとは思っていた。だがいざという時には己の手で()()()()なければならないとも思っていた。……そう思っていたのに。

 勝てない。あんな化物(両面宿儺)に勝てるはずがない。戦う前から分からせられてしまう。

 ──出来ない。俺に両面宿儺は殺せない。戦わずとも分かる圧倒的な実力差が、恵の意気を消沈させていく。

 だが恵には、呪術師として大衆の安全を守る義務がある。最低限でも、恵はそれを果たさねばならない。

 

(……そうだ。いつだって俺は、救う奴と救わねえ奴を選んできた。

 今回だってそうだ。いつもと同じように──俺は虎杖悠仁(両面宿儺)を──雨宮蓮(ジョーカー)を────)

 

 ──瞬間、恵の脳裏にフラッシュバックする、たった二週間の記憶。

 悠仁への決意が綻んでいくのが、自分でも分かる。涙さえも出てしまいそうな、眩しい日々を鮮明に思い出してしまう。暗く孤独に生きるつもりだった人生を、どうしても邪魔されてしまう事に、何故か嬉しさを感じてしまう。

 はっきり言うと……今までの二週間は、居心地が良かった。

 あの二人と一緒に過ごし始めてから、モノクロだった世界に色が付き始めた。

 元からモノクロだった訳ではない。津美紀を守れず後悔したあの日から、目に映る物全てが無彩色だった。この人生は、呪いを祓い続けるための機械的な物でしかないと認識していた。

 故に、今までは上手くやれていた。天秤に乗せる錘の取捨選択が、何の躊躇いもなく出来ていた。差し伸べた手が何も掴めなくても、その何かが汚泥や馬糞に等しい物だったなら、特に何も思わなかった。

 おかしくなったのは、あの二人と、そしてもう一人と邂逅してからだ。

 任務をこなして、共に出掛けて、他愛もない世間話をして、自習をサボってテレビアニメを見て、共に同じカレーを食べて、授業を受けて、稽古で疲れた末に寝転がって、その様を見て、だらしないと言って笑い合う。

 ──楽しかったのだ。同じ時間を共有出来る仲間がいる事が。その存在が、自身には勿体無いと思えるくらいには、嬉しかったのだ。

 もしかしたら、憧れていたのかもしれない。もしくは、待ち焦がれていたのかもしれない。

 自分のモノクロを彩ってくれる、そんな人を。

 ──そう。伏黒恵は、虎杖悠仁に、釘崎野薔薇に、雨宮蓮に、これ以上ないほどの友情を寄せていた。本人は自覚していないし、問われたとてはぐらかすだろうが。

 恵の虎杖悠仁に対する心構えは、完全に呪術師としてのそれを逸脱していた。

 伏黒恵にとって、虎杖悠仁は人類の存亡を脅かす敵ではなく。

 ただの一人の、そして初めての友だった。

 そして、蓮もまた友の一人なのだ。

 今までいなかった存在に対して、どう接すれば良いか。

 俺には、これっぽっちも分からなかった。

 誰を救うのか。誰を救わないのか。

 救わないのは、どちらなのか。

 答えなんて、考えるまでも無かった。

 

(ああ、ダメだ。……もう俺に、虎杖悠仁は殺せない。

 だからって、蓮を見捨てる事も……できない。)

 

 ならばどうするか。弱い呪術師は我を通せない。そして伏黒恵は、自身を弱い呪術師と思っている。身体的な意味でも、精神的な意味でも。

 足取りは未だ重い。まるで地獄に鎖で縛り付けられているみたいだ。遣り所の無い感情に口内が酸っぱくなる。双眸から溢れた冷や汗が一滴、頬を通って地へ落ちる。

 ──けれど。何かの理由に足を止める(あの二人を助けない)のは、もう嫌だ。

 どんな理由があっても、例えそれが世界を敵に回す事になろうとも──

 

呪術師とか、任務とか以前に ── 俺の友達として!!

 蓮も、悠仁も、今度こそッ──()()()()()()()!!

 

 天秤に乗せる()は、俺一つだけでいい。

 そう思った時には、既に体は動いていた。

 

「【(ぬえ)】+【蝦蟇(がま)】──行け、【不知井底(せいていしらず)】!」

 

 翼を生やした【蝦蟇】が五匹の群れを成して、恵の周囲に顕れ、一斉に宿儺の背中へとその舌を伸ばす。通常の【蝦蟇】では事足りないがための策だった。

 

── ン? 話の途中だったのだが──

 

 翼を生やした蛙のその舌は、果たして宿儺の身体を拘束するに至った。それぞれ雁首、手首と足首を縛る形で、蛙達は空中にて踏ん張りを効かせる。

 拡張術式とは、自身の生得術式の解釈を拡げることで得られる、新たな術式効果のカテゴリーの事だ。《十種影法術(とくさのかげぼうじゅつ)》術師伏黒恵の拡張術式である【不知井底(せいていしらず)】は、【鵺】と【蝦蟇】の力を併用した式神。その特性及び縛り故に個々としての能力は低くなってしまうが、『破壊されても再度顕現できる』というメリットを持つ。それに、個々の能力が低いとは言っても、塵も積もれば山となるのだ。

 

「やれ、ジョーカー!」

「──、ッおおおっ!」

 

 両者共に、伏黒恵の参戦に驚いたのは一瞬だった。ジョーカーは《剛巌》を握り直し、宿儺へと迫る。──しかし、数を募った【不知井底】でさえも、宿儺の拘束は充分では無かった。

 耐えられず振り回されるか舌を引き千切られるかの片方を選ばされる【不知井底】の群れ。それを切り抜けた先にてジョーカーを待っていたのは、振り抜かれつつある槍の如き鋭利なる左脚であった。

 視界が駿々と変わっていく。蹴り飛ばされた事と、何とか耐えられた事が理解出来た。直後に感じる背中の衝撃に咳き込みながら、ジョーカーは恵に支えられた事を知った。恵の所まで蹴り飛ばされたらしい。

 

「生きてるか、ジョーカー?!」

「……死んでる」

「生きてんじゃねーかよ! ほら立て、来るぞ!」

「分かってるッ」

 

 そう唾棄しつつ立ち上がりながら、ジョーカーは言う。宿儺はと言うと、屋上からわざわざ広場へと降り立ち、こちら側へと威風堂々と歩んでいる。それが今の二人には、最早ありがたくもあった。

 

「──恵、呼吸はオレに合わせろ」

「ハッ、馬鹿言え。

 ──『お前が』『俺に』合わせんだよ、ジョーカー!」

 

 二人、走り出す。その背中を追う事は無い。むしろ追い越すように、追い越されないように、一気呵成に宿儺に詰め寄る。

 ああは強がりつつも、恵は気分が高揚するのを感じていた。

 ジョーカー……蓮の事は今も嫌いだ。その性根も、髪型いじりも気に入らない。心の奥底で、ジョーカーを嫉妬しているのは分かっている。きっと同族嫌悪なのかもしれない。

 けれど、共に戦ってこれほど頼りになるのは、今までに五条悟を除き、誰一人としていなかった。その証明に、恵から不思議と笑みが溢れている。戦いの中に身を委ねる事に、これほど愉悦を感じた事は無かった。

 ──なあジョーカー、お前あの日言ったよな。『見てるだけで何もしないのは嫌だ』って。

 

「──そんなん、俺だって嫌だっつーのッ!」

 

 結ぶ掌印は、犬を模った。色濃く粟立つ影から出づる黒い犬が、宿儺へとその牙を伸ばすも、それは難なく躱される。単調な動きしか(フェイントの)出来ない【玉犬】では仕方のない事だったが、破壊されなかっただけマシというもの。

 だが、【玉犬】を出しただけでは終わらない。恵には、ジョーカーよりも五条悟に(しご)かれたキャリアがある。

 悟曰く──式神使いは本体を叩け。叩かれるのが嫌なら強くなれ。

 そう言われてから恵は、死に物狂いで術式に加え体術も磨いた。生意気なあのニヤケ面に、一発入れるために。身寄りのない義姉と自分を引き取った事に感謝こそすれ、普段の態度は全くもって気に入らなかったから。

 しかしその積み上げてきた自信も、呪いの王である宿儺の前では無力に等しい。体術だけでは宿儺には勝てない。そこまで恵のレベルは高くはない。常識的に考えて、蓮の成長速度がおかしいのだ。

 だが四の五の言っていられるほどの贅沢が出来る程の余裕はない。体に染み込ませた経験を隅々まで捻り出せ。玉犬と交差するように、恵もまた、硬く握った拳を振り抜く。

 

(面白いな。どいつもこいつも、式神使いのクセに本人が向かってくるか!)

「良いぞ、どうやら現代も捨てた物ではないらしい!」

 

 《十種影法術》は、その多様かつ強力な式神や、召喚の際の利便性が売りだ。

 しかしながら、式神使いの大抵は、術師本人の能力自体は著しく低い傾向にある。本人が手を下さずとも式神が勝手にやってくれるためというのが主たる理由だ。故に『式神使いは本体を叩く』というのがセオリーなのだ。

 だが、式神の能力に加えて本体の能力が高い場合──呪詛師にとっても呪霊にとっても、中々に厄介な相手になり得る。

 恵の振り抜いた拳はしかし、虚空を殴る結果に終わる。だが、既に【玉犬】の体勢は整った。孤影は空と地からそれぞれ攻撃を試みる。地の孤影は【玉犬】、空の孤影はジョーカーだった。

 斜左上空から《剛巌》を振るい、宿儺の背後から猛牙を振るう。宿儺の身体能力を以てすれば回避はどうという事はない。だが避けたとて()がある。そしてその(ジョーカー)も。

 攻撃が外れても、他の誰かがカバーする。回避されても、直様次がやって来る。付け焼き刃の連携にしては、宿儺から見ても中々に洗練されていた。

 

──だが、まだまだだ」

 

 恵の振るった拳を鷲掴み、遠心力を利用してジョーカーの盾になるよう恵の体に弧を描かせて──

 

「もっと呪いを込めて打ってみろ」

 

 その一言の瞬間、恵は顔面を裏拳にて殴り飛ばされた。

 頬裏から唇にかけてに切り傷を負い、少しだけ血反吐を吐く恵。痛みを感じる暇もない。──しかし、苦悶の表情は浮かべない。何故ならその背後には、姿を眩ましていた切り札がいるからだ。

 恵とスイッチしたジョーカーは、《剛巌》に更に呪力を纏わせ振るう。一閃、二閃を超え、それは更なる加速を始める。宿儺はそれらを振り払い避けるも──

 

(──()()!)

 

 ペルソナの再召喚(リキャスト)に必要な一分間が経過したのを、ジョーカーは肌で感じ取った。

 

「恵、()()!!」

「──【(ぬえ)】!」

 

 【玉犬】を解除、後に顕現させた凶鳥【鵺】に掴まり、空へと避難する恵。斯く言うジョーカーも攻撃を止め、ドミノマスクに手を添える。

 呼び出すペルソナは、裏・ペルソナ全書で作成した内の一体。美麗なる女の半魚人。美しい歌声で人を惹きつけ航海船を難破させる鬼女。『恋愛』のアルカナと、現時点で唯一の回復スキルを持つ、その人魚の名は──

 

「──マーメイド、《嵐からの歌声》!」

(歌声? ──呪言(じゅごん)か)

 

 そう考えた宿儺は、咄嗟に両耳を塞いだ。

 マーメイドには、東西で内容は異なるものの、逸話がある。東洋のは、その肉を喰らうと不老不死を得るという物。西洋のは、先述の通り、歌で船乗りを惹きつけ難破させるという物で一貫している。災害を齎す鬼女として、西洋では船乗りから恐れられていた。

 この《嵐からの歌声》とは、その西洋におけるマーメイドの逸話から来るスキルであり、宿儺の行動範囲を考慮して選択したスキルだ。(縛り③もあり問題無いほどに強化されているが)一撃の威力は低い。しかし──

 

AAAaaaaaaaAAAAAaahhhh!!!!!

 

 ──その強みは、『広範囲に』『連続して』及ぶ氷結の嵐である事だ。

 氷海の如く華開く嵐の群れは、宿儺を巻き込みながら少年院諸共氷漬けにしていく。摂氏マイナス三〇度の世界を創り上げる、叫声にも似た歌声に、宿儺は意外そうな顔をした。

 

(なるほど、技の名を叫んだのは呪言に見せかけるためのハッタリか。小賢しい真似を)

(ジョーカーが飛べっつったのはこれのため! アイツ、()()()()()()氷漬けにしやがった! 

 隙──叩くなら、今!)

 

 《嵐からの歌声》を含む氷結属性に割り振られるスキルは、その攻撃の延長に『状態異常:凍結状態』を付与出来るのだが、宿儺には付与出来なかったようだ。だがそれは、両者にとって好都合だった。

 ジョーカーのスキルの発現時間は長く続かない。そもペルソナの召喚自体呪力を消費するのに、攻撃系スキルを発動させ続けるともなると、それの維持のために充てがう呪力消費量は半端なくなってしまう。

 だがこの状況を好しと考えた恵は、【鵺】に攻撃を指示して地に降りつつ別の式神の召喚を図るが……呪力が練り辛くなって来ているのを体感した。もうすぐ来る限界を知らんぷりして、無理やりに【大蛇(オロチ)】を顕現させる。

 

「畳み掛けろ!【大蛇】!【鵺】!!」

 

 宿儺の背後にポツンと存在する、滞空する【鵺】と恵の影から出る白蛇。雨混じりの汗を流して、恵は【鵺】から飛び降り攻撃へと転じる。

 大口を開く【大蛇】。マーメイドを引っ込めたジョーカーも切り掛かっていく。隙は逃さない。迅速かつ一気に攻める──

 

「ハァ……!」

 

 ──眼前の敵が、ニヤリと嗤った。

 宿儺は何ともないかのように、未だ身体を縛る氷結を無理やり引き剥がした。──呪力の波動だ。ただの呪力放出によるもので、術式を一切使用していない。

 

「……貴様らには()()()使()()()()()()()()()が、気が変わった。ジョーカー、お前は些か()()()()な。俺をこうも昂らせず、油断している間に一息に仕留めていれば──

 

 宿儺が右手指を少し振るった。何でもないかのように、手遊(てすさ)びのように、ただ振るった。

 ──瞬間、宿儺の背後にいた【大蛇】が、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──ぞわッ

 

 ──絶句、後に悪寒が二人の全身を走る。同程度の身長である奴の体が、山のように巨大に見えた。それの正体が宿儺の威光であり、宿儺に対する恐怖の表れでもある事を、二人は悟った。

 

──絶望と後悔に塗れて逝く事も無かったろうになァッ!!」

 

 口を三日月のように歪め、右手の人差し指と中指をこちらに向けると同時──

 

「『(カイ)』」

「──っ、頼む【鵺】!!」

 

 ()()()()()が【鵺】を呼ぶと同時──無数の『何か』の群れが降る。

 不可視の旋風(つむじかぜ)となりて放たれたそれらは、暴虐の限りを尽くさんと二人へ迫ってくる。決して遅くはないスピードで迫るそれに気付きはするものの、それ自体が何なのかは二人には分からない。

 ──故に。宿儺が構えた瞬間、ジョーカーは恵の肉壁となる事を決断し、両腕を眼前で組む。むしろその選択肢を取らない事が、ジョーカーには考えられなかった。

 ジョーカーの言う事を聞いてくれたのか、あるいは【鵺】自身の思考によるものかどうかはともかくとして、【鵺】は主である恵の守護に当たる。恵の両肩を掴み後方の遙か彼方へと飛翔し始めた。今までにない程のスピードで翼をはためかせて、ジョーカーと宿儺から遠ざかっていく。

 

「【鵺】、何を────!?」

 

 恵を押しのけて、呪力出力を最大にして防壁を成し、不可視の攻撃を受け止める。

 ざくざくざくざくざく、という音がジョーカーの体から響いた。実に五発のそれを受け──ここで初めて、ジョーカーは宿儺の術式が『斬撃』である事に気付いた。

 体に刻まれる五つの裂傷。左肩から反対の腰にかけて。左腕の前腕を縦断して。腹筋を横断して腹の中にあるモノを曝け出させんとして。左膝から下を失わせんとして。右半身の腕が影になる所以外を縦に全身にかけて。

 ボド、ボダリ。聞こえてはいけない細い音が、ジョーカーの身体から絶え間なく聞こえる。激痛がジョーカーを襲う。痛め付けられる経験はあれど、切傷は負った経験は少なかった。ましてやこれほどの量と規模ならば尚更。

 ジョーカー最大出力の呪力の防護壁でさえ、宿儺の術式を完璧に防ぐ事は出来なかった。表皮に至る程度の裂傷で済んで助かったとさえ思ってしまったのを、一体誰が責められようか。

 

「っ、く……!」

「ジョーカーッ! っく、戻れ【鵺】! 【鵺】!!」

 

 だが、我慢出来ない痛みではない。この程度の傷なら、前世で幾度も負ってきた。まだ戦える事を確認し、宿儺へと睨む──

 

「せっかく外に出たんだ。

 広く──使おう!」

 

 ──よりも早く、コートの背を掴まれ──次の瞬間には、眼前には東京の街並みが広がっていた。

 投げ飛ばされたのか! と分かった時には、全てが遅過ぎた。【鵺】と恵を巻き込んで吹き飛んでいく身体は、どう捻った所で軌道を変更出来ない。血の軌跡を描きつつ、もみくちゃになりながら落下していく。

 

「くそっ、【鵺】ッ、体勢を──」

 

 整えられる訳もない。既に宿儺は我々の上空を往き、見下ろす形で次の攻撃を行った。槍の如き豪脚が、恵諸共ジョーカーを貫かんと放たれた。満足な防御が出来るはずも無く、高度一〇〇メートルはあろう地点から、どこかのアパートのコンクリート製の屋上に身体を打ち付けられる。内部から決して立ててはならない音が耳小骨に響いた。

 ジョーカーの下敷きとなり転がって屋根に倒れ伏す恵、まるで水切りの小石ように空に体を(なげう)つジョーカー。ペルソナの再召喚に必要な時間は、残り五十秒。逆転は──絶望的。

 ──死ねない、まだ死ねない。両面宿儺という呪いを祓うまでは、オレは死んではならない。だからこそ、どうにかして奴に──

 

「良い術式だがな」

「────お゙、っがぁっ!!」

 

 今度こそ、ダブルスレッジハンマーがジョーカーへ直撃する。刈り取られそうになる意識をどうにか保つも、苦痛に悲鳴をあげる事さえ、呪いの王は許してはくれない。

 アパートや倉庫を貫通して飛んでいく。何かに身体の衝撃が、肺の中の空気全てを吐き出させた。身を捩って痛みからの解放を図るも、そのような芸当が出来る程の余裕はジョーカーには無かった。

 

「ちと縛りの組み方を誤ったらしいなァ、ジョーカー!」

(まずい──術式が──防御──)

 

 酸素の足りない脳でそう考えた時、既に体という体のあらゆる部位が刻まれていた。惨という音が連続して、気付いた時には全てが遅すぎた。

 咄嗟に組んだ腕は、しかし右目だけしか守れなかった。筋をやられたのか、健をやられたのか。あるいは心をやられたのか。脳は体に行動を命じるが、もう動いてはくれなかった。

 落ちて行くのがわかる。脱力して行くのを自覚させられる。内臓が揺れて吐気がする。

 土砂、という音が、まるで他人事のように、遠い所で聞こえた。ここが都内のどこなのか、ジョーカーにはもう分からない。

 呼吸は既に止まっている。意識はあと数秒と経たず消える。……けれど、意識は朦朧とするのに、思考は逆に冴えていた。

 土の匂いがする。鉄の匂いがする。仰向けになっている事が分かる。

 汚く濁った空。重く降りかかる雨の群れ。

 ……嗚呼。

 死ぬには、最悪な日だ。

 砂利、という音が連続して聞こえる。おそらく宿儺だ。着地した宿儺は、こちらへと迫りながら淡々と語る。

 

「どうしたジョーカー、もう終わりか? 拳銃はどうした? 遠慮はするな、使っても構わんのだぞ? それとも……」

 

 

 ──俺に挑む事がどういう事か、ようやく分かった(絶望した)か?

 

 

 ……手加減されていたのは分かっていた。勝てぬ敵と知っていた。けれど逃げたくは無かった。戦略的撤退ならばまだしも、虎杖悠仁を人質に取られていること状況を見過ごせなかった。

 そもそも雨宮蓮の戦いは、虎杖悠仁を救う事を目的としているのだ。退く事は許されないし、退くつもりも無かった。悠仁を救うために強くなりたいと願ったのだ。

 だが、まだ()()()()。思い付く限りの縛りを組んでも、攻撃手段を前世と何ら変わらない程度に増やしても、自身の技量を底上げしてもなお、宿儺には敵わない。

 勝てるのか。二十本の指を取り込み力を完全に取り戻した宿儺に勝てるのか。ただでさえ今ボロボロなのに。

 

「……呪術を学んで二週間で、良くここまで戦ったと褒めておいてやろう。だが……底が見えたな、ジョーカー。残念だ」

 

 砂利、という音が遠ざかっている。

 平衡感覚はぐちゃぐちゃで、上下左右が覚束無い。

 肺の中の空気全てを吐き出した。身体中の血管に鉛を入れられているかのように身体が重い。何も出来ず、ただの呼吸さえも出来ないまま、空だけを見ている。

 血反吐を吐いた。だが更に嘔吐しそうなくらい、鉄の味がする。

 瞼が重い。指に力が入らない。得物を握ることに苦痛を感じる。

 まだ一分は経っていない。ペルソナを用いた反転術式による治癒は出来ない。

 ……また守れないのか。また目の前で失うのか。

 虎杖悠仁を救う事は、オレには出来ないのか。

 そう思ってしまうくらい、この力量差はどうしようもないくらい大きい。

 けれど──

 

(諦め、たく……ない…………!)

 

 ここで諦めてしまうのは、今までのオレが赦さない。

 執念だけで立ち上がろうと、痛む身体に鞭を打つ。

 何かないのか。何か。何でも良い。逆転のきっかけを、何か──

 

 

 ──拳銃はどうした? 遠慮はするな、使っても構わんのだぞ?

 

 

(…………拳銃……()?)

 

 

 ──何か、閃いたような気がした。

 

 


 

 遠い記憶だ。

 溢れ出す、懐かくも苦い、『前』の記憶。

 そして、オレの原点となった記憶……。

 ……そう、自分を一言で表すなら『無個性』が一番似合った。

 勉強に精は出せなかったし、身繕いなんてどうでもよかった。さほど度胸がある訳でもなかったし、特段誰かに優しい訳でもなかった。不器用故に何を為そうとしても意味がなかった。

 だから、規律を守る事に関しては人一倍努力した。何かに秀でている事も無かったから。それしか個性が無かったから。だから、常識に当て嵌めても正しいと思う事をし続けた。

 ──あの夜、自分の中の規律が揺らいだ。

 夜、コンビニに買い物に行った帰り。スキンヘッドの男が、女性を無理やり車に引き連れようとしていた。男は酔っていた。女性は泣いていた。自分はそれを、ただ見ていた。

 ──そして、止めなければと思った。

 無視して通過しても良かった。逃げる事も出来た。ただ、それをしなかったのは、『そこで困っていたから』だ。利益とか損得とか、そんな事はどうでも良くて、ただ助けたかった。

 道端に落ちているペットボトルを、何となく拾って正しくゴミ箱に捨ててやる程度の認識だった。

 その日まで、『正しい事は正しい』『悪い事は悪い』と、そんな風にハッキリと言える時代に、自分は居ると思っていた。

 ……一人でに倒れる怪我を負った男に訴えられた。男は相当な権力者だったようで、眼前だというのに女に口裏を合わせる事を脅迫した。

 助けたはずの女に裏切られた。女はその男の言いなりだった。███は自分の常識と正義を疑った。

 信じていたはずの警察は自分の言い分を聞かなかった。警察さえも、その男は顎で使うらしかった。

 裁判はトントン拍子で進んだ。自分は傷害罪で前科持ちになった。証言する事も許されなかった。

 両親からは泣かれた。何故このような莫迦(ばか)な事をしたのかと。息子よりも顔も名前も知らない男を信じるらしかった。

 友と思っていた者からは煙たがれた。たった一言「死ね」と書かれて連絡先を消された。

 高校は退学になった。前科持ちがいると風紀が乱れると校長から言われた。

 担任からお前がいるから俺が白い目で見られるんだと怒鳴られ、そして殴られた。

 近所には既に噂に尾鰭が付いていた。少し考えれば嘘だと判るような事を、何も考えずに言葉の鋸で心を傷付ける。聞こえていると知ってか知らずしてか。

 両親の喧嘩は絶えなかった。家では毎日のように怒号が鳴り響いた。その度に、自分の中の何かが擦り減っていくような音が聞こえた。

 居場所なんて無かった。家に居る事が怖かったが、外に出る事の方がもっと怖かった。

 誰も手を差し伸べてくれなかった。

 誰も味方はいなかった。

 家族すら味方になってくれなかった。

 何もかもがどうでも良くなった。

 ……ああ、死にたい、と思った。

 何もかもがどうでも良い。生きる意味も、存在意義も見出せず、ましてや立派な将来の夢なんてある筈も無く、ただ用意されていた道を歩む事さえも出来ず……それなら自分は……この世界には必要ないと思った。

 包丁で喉や腹を突き刺そうとしたが、やってくるであろう苦痛に手が震えて出来なかった。

 適当なビルを調べて飛び降り自殺でもしようかと考えたが、外に出て靴を履こうとした直前、母親の癇癪(かんしゃく)が鳴り響いて止めた。

 水中毒というものを試そうとした。この所ほとんど食べ物が喉を通らなかったためか、コップに水を注いで、少し飲んだ時点で吐いた。

 薬を適当に見繕って、酒と一緒に飲むと死ぬと聞いた事があった。実践してみたがやはり喉を通らず、シンクに胃液を全て嚥下する始末になった。

 洗剤を混ぜると発生する塩素系ガスによって死のうとした。──だがこの時点で、███の心はもう死んでいた。最早ベッドから起つ気力など存在せず、また何をしても失敗すると心の中で思っていたので、遂には自殺する事も諦めた。

 自殺する度胸が無かったから、東京の知り合いが紹介する店に居候する事を承諾した。どこに行っても同じだと思ったので、何処かでひっそりと死ねばいいかと思った。

 外に出た。視線が針となって突き刺さった。父から投げ渡された伊達メガネを掛けて、近くの駅へと向かった。

 せめて人気のない所で死のう。そんな初めてのわがままを思いながら──

 


 

 

 ──どうした……見ているだけか?

 

 ── 我が身大事さに、見殺しか?

 

 ── このままでは本当に死ぬぞ。それとも……

 

 ── あれは間違っていたのか?

 

 

  ──────……。

 

 

 ──…………。

 

 ──……それは、お前の本心か?

 

 ──本当に仕方のない事か?

 

 ── このふざけた運命を受け入れて、言われるがままに死ぬだけか?

 

 ── 答えろ、███。

 

 

 

 ── 諦めるのか?

 

 

 

 56.

 ──ダァン、と空に音を響かせながら、一発の銃弾が宿儺の顳顬を掠った。どこから来たのか、正体は言うまでもないが、あえて言わせてもらう。発声源は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 戦えるはずもないと踏んでいた宿儺は訝しんだ。というよりは、呆れていた。

 

「……まだ立つか、死に体。

 つくづく貴様も貴様で阿呆だな。この実力差は歴然だと、骨の髄まで分かっているはずだ。貴様では俺には勝てん」

「………………」

「真の強者とは、己の弱さを知り、認め、克服する者の事であり──意地汚い今の貴様の事ではない。

 ──ああ、いっそ、()()()()()()()()()()()()()()? この小僧を救うのも、この俺を祓う(斃す)のも。その方が──

「──()()()?」

 

 宿儺はタブーを犯した。█に言ってはいけない言葉を言ってしまった。

 『諦める』なんて言葉は、蓮の辞書には無い。

 愚者の旅はまだ始まったばかり。ここですごすごと敗退を許容するのは、ジョーカーの心が許さない。

 

「……はは、お前は何も分かってないな、宿儺。

 オレは、オレ自身が強いとは思ってない。仲間がいなければ、一人で立つ事すら出来なかったひ弱な男だ。醜くて、泥臭くて、歪んでいて、打ちのめされて……それでも、只管(ひたすら)真っ直ぐに生きる。それがオレだ。

 ……ここで諦めてしまったなら、今までのオレが全部無駄になる。皆から得た物も──そして、お前から得た物も」

「俺から得た物……?」

「そうさ。ヒントをくれたのはお前だ。オレにとっては当たり前過ぎて、気付けなかった事だ。……自分の事は、存外自分では気付きにくいというのは本当らしいな」

 

 ──ジョーカーの術式は、《魂霊召喚術(ペルソナ)》ではない。

 いや、厳密にはペルソナは術式の副産物であり、術式を無意識のうちにペルソナの召喚のためだけに使っていたのだ。

 ジョーカーは、生前の通り、複数のペルソナを仮面として装備し、召喚して操ることのできる術式だと思っていた。故にレプリカの拳銃でも銃弾を放てるといった芸当は出来ないとも思っていた。

 だがどうだ。先程苦し紛れに引いた引金により、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。前世にて、怪盗として活動していた時に利用していた理屈と全く同じだ。

 

 仮に偽物であっても、銃を向けられれば『撃たれる』と皆考える。

 引金を引けば、弾は出る物と皆認知している。

 宿儺はただ、向けられた銃のその弾倉に『弾丸が込められている』ものと勝手に認知していただけ。

 その『認知』を利用し、操作し、呪力を消費し、発砲した。

 そんなほんのちょびっとの奇蹟を、この世に体現してみせた。

 

 ──認知操作。それが、ジョーカーの真の術式なのだ。

 

 ペルソナが使えるのは──おそらく、かつて一世を風靡した『心の怪盗団のリーダー《ジョーカー》』としての自己認知を、この世界の現実に昇華させたため。能力を、姿形を、結ばれた(えにし)による、我が半身達を。

 ……否、昇華させたと言うよりは、『閉ざしていた心を開いた』という方が正しいか。

 ずっとついて来てくれていたのだ。ずっと自分の側にいた。死してなお、別世界にて転生してなお、縁が途絶える事はなかった。縁は確かに心にあった。ただ、術式()発動する(活かす)機会が無かっただけ。その機会が、今年の六月──全てが始まった夜、杉三高校の渡り廊下で、運命のようにやって来た。奇しくも、生前と似たようなシチュエーションで。

 術者は術式の有無を、齢四歳頃に自覚する。蓮も『それ』には気付いてはいた。この世界は何かおかしな物が跋扈していて、そしてそれらに対抗する力を自分は持っていると。

 だが世間体という物がある。この世界(呪術廻戦)ヒーローなアカデミア(超常が日常)の世界ではないのだ。そんな『個性』を持っている事が周知になってしまえば、悪事に利用される事態になるのは想像に難くない。怪盗としての癖もあって、その存在をひた隠し続け──そうしているうちに、その力の存在を忘れてしまっていた。

 ──故に、あの夜『思い出した』のだ。

 ──故に、あの刹那『賭けに出た』のだ。

 故に、普段はただワイヤーをすぽーんと射出するだけのバングルが、勢い良く射出されコンクリートでも突き刺さる。

 故に、《魂霊召喚術(ペルソナ)》だけならば発現するのはおかしい怪盗服が顕れる。

 この力のおかげで、前の世界(ペルソナ世界)この世界(呪術世界)を繋げられた。二つの世界の仲介役としてベルベットルームがあり、ラヴェンツァがいる。だからこそ、この身に宿るペルソナ達も、認知操作で作り上げた偽物ではなく、確実に本物の己の半身と言える。

 これで偽物だったなら、今度こそ蓮は█が信じられなくなるかもしれない。虚構に縋り続ける詰まらない男だと己を断じるだろう。

 けど、きっと大丈夫。

 例え偽物だったとしても、自分の存在が泡沫の夢だとしても、例えこの旅の果てに己が何も得られないとしても──

 

 悠仁を救いたいというこの思いが、間違っている筈がないのだから。

 

 ──今なら、出来るはずだ。

 根拠はない。だが、何故かそう思える自信があった。術式を完全に理解した今ならばと、ジョーカーは一度大きく息を吸い込み、吐き出して、目の前の敵を直視した。

 

「宿儺。さっきお前は、オレが何者なのかを問うたな」

「…………ああ」

「──ならば、お望み通りご覧に入れよう。

 今オレが持てる、オレの全力を以て──」

 

 

 ──お前という存在を凌駕する!!

 

 

 2018年7月4日──前日の事である。五条悟と雨宮蓮は、高専の運動場にて、術式を使いながら稽古をしていた。相変わらず悟はサングラスをしたままだったが、蓮の比ではないにしろ、額にはほんのり汗が滲んでいた。

 

「奥義? あるのか?」

「うん。ちょっと早い気もするけど、蓮って飲み込み早いし、多分すぐ使えるようになるんじゃないかって思ってね。

 ──それは、術式を極めた者が会得できる、呪術戦の極致。生得領域に自身の術式を付与し、呪力を以て現実に展開する結界術の一種。それ故に、使える人は限られてる。まあ僕は使えるけどね。だって僕『最強』だし。

 でも呪力消費は多いわ、解除した後は術式を使いづらくなるわで、使い勝手は悪いかな。まあ僕はそんな事ないけど。だって僕──」

「先生の最強アピールはもう良いからちゃんと説明してくれ」

「やだ……僕の生徒、冷たすぎ……?

 まあ気を取り直して……それを発動して相手を引き摺り込めれば、戦況は確実に有利になる。術式は必中となり、身体能力も向上する。術式の解釈次第では必殺にも成り得る、正に『奥義』。それが──

 

 

「──領域(りょういき)展開(てんかい)!!」

 

 

 ──ふと頭に浮かんだ()()()()()

 合わせた両の中指の上に人差し指を乗せ、薬指と小指を交差し、全てが完成する。死者の魂を祓い鎮めんがためにと組まれ──

 

 ──瞬間、世界はジョーカーを中心に破壊された。

 

 否、それでは少し語弊がある。世界の破壊など出来っこないし、そもそもジョーカーはそれを望んではいない。

 ──世界は、ジョーカーを中心に創造されていく。瞬きの次の瞬間には、新たな世界が広がっていた。

 宇宙から見れば一ミクロにも満たないものでしかないが、人の身で神の領域に達する(神に抗う)ことの出来る、唯一の業。

 必中必殺の最奥、呪術戦の極地。

 それを、ジョーカーは成し遂げてみせた。

 

 

 

 

 

 

 禁断の蔵は解き放たれた。

 ──今、神と悪魔とが世に出づる。

 

 

 57.

 

「……魅せてくれたな、ジョーカー」

 

 そう言ったのは、紛れもなく宿儺だった。

 

「貴様の執念、賞賛に値する。そして非礼を詫びよう。俺は貴様を侮り過ぎていた」

 

 見慣れた東京の街並みは血のように紅く、巨大な骨やおどろおどろしく長い髪が枝垂れている。下に見える人の顔は苦痛と涙に塗れている。地上は、腰まで浸かってしまうくらいの量の透明な血が溢れている。

 天へと向かうその巨大な骨の上、およそ胸骨と呼ぶべき部分。道のりの途中でしかない所に、宿儺とジョーカーは立っていた。見慣れた『渋谷1()0()7()』は、その看板が外れ掛けている。(クリフォト)の世界で見た、絶望と諦観に満ちた地獄(渋谷)だった。

 

()()が『答え』か?」

「ああ。……卑怯だと笑うか?」

「……笑わんさ。ちと意外には思ったがな。

 ──輪廻転生の環より逸脱した存在、それが貴様なのだな」

 

 ジョーカーがこうも簡単に領域を展開できたのは理由がある。

 《領域展開》とは、自身の生得領域を呪力で展開する技術だ。悟はこれを『必中必殺の呪術の極地』と解釈しているが、少々見解に差異がある。

 《領域展開》は、必ずしも『必中必殺である必要はない』。

 必中とは、領域内に引き摺り込んだ者に必ず術式が当たる仕組みの事。必殺とは、必中である事が前提の、術式の解釈次第により左右される後天的な仕組みの事。

 ジョーカーの術式──認知操作は、確かに必中ではある。自身を含む対象者に『(拳銃)(銃弾が射出される武器)』、『故に(拳銃のレプリカ)(銃弾が射出される武器)』と思わせる事が出来れば、この術式は成り立つ。拳銃は例えレプリカであっても、銃弾がリロードされていなくても、その銃弾を射出出来る。

 だがこれは必殺ではない。認知操作は、対象を排除する直接的な要因にはなり得ない。そうしたければ『この領域入った瞬間、無条件で自分は死ぬ』など、『相手に』認知させなければならないのだ。そう認知させるのは限りなく不可能に近いし、仮に出来るとしてもあまりにも手間がかかり過ぎる事は明白だからだ。

 故に、ジョーカーは必殺を『捨てた』のだ。だからこそ、まるで普段通りペルソナを召喚するかのように、領域を展開出来た。

 だが、認知操作が出来ない訳ではない。自身の認知であれば如何様にも変われる。

 ジョーカーの領域の能力は、認知操作による『変幻自在(トリックスター)』。自己認知の改竄により、その能力が必殺でなければ、何か一つ自分にアドバンテージを付与出来る……!

 

 

「──良いな、ソレ。カッコいい。他には何があるんだ?」

「術式を付与した生得領域……つまり、心の中を現実に持ってくる訳だから、どんな能力なのかは人による。けど大抵、引き摺り込んだら勝ち、みたいな所はあるよ」

「オレの場合は……術式がペルソナなんだし、ペルソナの能力を補助するものになるのだろうか。もしかしたら複数体同時召喚も出来るかもしれない……でも、ペルソナ使うのに縛りを結構設けたし、やはり──」

 

 

 ──縛りから脱却したいかな。

 

 

 今のジョーカーは、大量に組んだ全ての縛りから解放されている。だが同時に恩恵も受け取っている。今のジョーカーの技量は、ほとんど全盛期に等しい。だが今回は、あくまでも『レベル四〇のジョーカー』が縛りの恩恵を受け取ったケースだ。全盛期のジョーカーが恩恵を受け取ったなら……

 ……宿儺の認知を変える事は難しい。だが己は別だ。心の在り方は、本人次第でどうとでも変わるのだ。多くの人は、その事を忘れているだけ。

 一人一人が絆で繋がれば、世界は『無限』に広がっていく。終わりなどない。可能性()は無限大で、不可能なんていくらでも乗り越えられる。

 召喚するのは()()。不可能だった二体同時召喚さえも可能にしているのは、自分の認知を弄ったから。……否、そもそも不可能だと思っていただけだ。恵と稽古の折にも、本当は実現可能なはずだったのだ。

 

(自由だ……オレの術式は、オレが思っている以上に自由なんだ。

 なら、もっと自由に行こう。解放を望むんだ。何者にも縛られない、奴隷からの解放を。不可能を可能にし──

 

 ──世界さえも従えて(奪って)みせよう)

 

 一体は、先程召喚したツチグモ。使用するスキルは、与える攻撃のダメージを増幅させる《タルカジャ》。身体に熱が篭っていくのを、ジョーカーは感じた。

 ──そしてもう一体は、凛々しい顔立ちの、兜の代わりに烏帽子を被り、甲冑を身に纏う男性。平家物語にて、様々な伝説を残した悲劇のヒーロー。そして通帳から約二十万を奪って行きやがった、表・ペルソナ全書にて再契約した最強の切り札の一。

 その軍神の名は──

 

──翔けろ、ヨシツネ」

 

 幼名を牛若丸(うしわかまる)、あるいは遮那王(しゃなおう)。本名を──源義経(みなもとのよしつね)

 現時点でのジョーカーの最強の切り札であり。

 呪いの王(両面宿儺)を裂く事のできる、最高の一手である。

 

「(ヨシツネ……源義經(みなもとのよしつね)か!!)

 ハハッ、見事だ、ジョーカー!!」

 

 ──否、まだだ。ジョーカーの認知操作は、この程度では終わらない。

 ヨシツネのレベルは最大……数値にして九九。圧倒的にジョーカーのレベル四〇(少年院内でレベルアップした)を上回っている。これに加えて縛り④── 自身のレベルよりペルソナのレベル数が1つでも高いペルソナを召喚・スキルを発動した場合、以降七十二時間経過するまで、ペルソナを召喚できない──が適用される場合、ペルソナは『限界を超える』。

 

「……《チャージ》」

 

 そう唱えた瞬間、蒼い力の奔流が全身へと巡り──血肉が湧き上がる感覚に充実して行くのをジョーカーは感じた。冷水を掛けたとて無駄な程に、熱は止まらない。

 《チャージ》とは、次回攻撃時の物理攻撃及び物理スキルの威力が二倍になるスキルだ。これに加えて《ヒートライザ》《ランダマイザ》というスキルを発動させたかったが、生憎そのスキルを持っているペルソナはいなかった。だが──これで充分だ。

 さて、今回は《領域展開:啓龕(けいがん)廟堂(びょうどう)》によってノーリスクで縛り④が適用されている。再召喚(リキャスト)に頭を悩ませる事もない。斯くのジョーカーのステータスは、数値的には凡そ九〇程度にまで上昇しているが、レベルは四〇のままとして扱われる。

 縛り④は、ペルソナの潜在能力を無理やり引き出すための縛りだ。その瞬間、ペルソナの能力は『限界を超え』、レベル九九のペルソナのステータスの総合的な数値は──現段階では実に、レベル()()()に至る。

 

──行くぞ、呪いの王」

──来い、怪盗」

 

 源義経の逸話は、日本史の武将においてもトップクラスを誇る。幼少期の牛若丸時代から始まり、鞍馬寺にて天狗に武芸の師事を得た遮那王時代、壇ノ浦の戦い……そして頼朝に追われ生涯を終えるまでに、多数の伝説を残してきた。

 ──これは、壇ノ浦の戦いにおいて平教経(たいらのよりつね)に追い詰められた際に魅せた逸話。六メートル先の船に鎧を着たまま乗り移ったという、ヨシツネの身軽さを讃えた物理最強格のスキル──!!

 

「《八艘(はっそう)()び》!!」

 

 ──それを例えるなら、空を駆ける一筋の流れ星。

 否、既にそれは一筋ではなくなった。あまりの速度にジョーカー自身、一瞬ヨシツネが()()()()()()()と錯覚してしまっている。その赫く黑い流星群は、一秒はおろか〇.〇一秒(1フレーム)さえも置き去りにした。

 不可視にして不可避の流星群。

 全盛の宿儺でさえも勘に頼らなければ──否、勘に頼っても避けられるかどうか危うい程の、破格に強力なスキル。それが、《八艘跳び》。その効果は、()()()()()()()()()()()()()というもの。ヨシツネの疾さが限界と空間を超えて、全く同時に存在する八つの剣戟を引き起こす──!

 

「認めよう、ジョーカー。今の素の俺では、これを突破する事は出来ん。平安の世にも、貴様のような強者(つわもの)は中々いなかった」

 

 

 ──故に、俺は最大の敬意を以て、貴様という『敵』を打ち破ろう。

 

 

「なあ、知っているか? 我々は共に特級とやらに分類されるそうだ。

 ──俺と、(オマエ)がだぞ?」

 

 時は数分前に遡る。両面宿儺と特級呪霊の対峙は、宿儺の圧倒的優勢に終結した。特級は手も足も出ず、また決定打はおろか一撃も与える事が出来なかった。

 両手両足を切断後、その躯体全てをまるで模型のように扱われている事に、特級は怒り心頭に発していた。

 

「ン゙、ン゙ン゙ンヌゥウウヴヴ!!!」

「はは、良いぞ特級。頑張れ頑張れ」

 

 悲鳴に近い呻き声を上げながら、壁に埋まった身体を無理やり引き剥がし──切断された腕部脚部が()()()()()()のが見えた。それらは(やが)て一定の長さに留まり、次の瞬間には()()()()()()()()()()()()

 

「嬉しそうだな。褒めてやろうか? だが呪霊にとって、肉体の治癒などそう難儀な事では無いぞ?」

 

 ニタァ、と気色悪い笑みを浮かべる虫に、鼻で嘲笑いながら宿儺は続ける。

 

あの小僧(雨宮蓮)も、この小僧(虎杖悠仁)も、オマエも。呪術の何たるかをまるで分かっていないな。

 ──良い機会だ、教えてやろう。()()()()()というモノを……」

 

 掌印を結ぶ。人差し指と小指を折り合わせ、中指と薬指の腹を合わせた。

 それはまるで、神へと祈るかのように。

 ──その命を頂戴する事を、赦してもらうかのように。

 

 

()()()()

 

 

 

 

 

 

 獄より出づるは健啖なる調理場。

 ──さあ、俎板の鯉を演じるが良い。

 

 

 現れる無数の牛頭(ごず)。そして御堂と、その奥から出る巨大に開かれた()。結界術ではない。宿儺の《領域展開:伏魔御廚子(ふくまみづし)》は、領域展開ではあるものの『対象を閉じ込めない』。

 ただでさえ領域展開は、その難易度の高さ故に、一生で一回も実現する事なく生涯を終える術師も多いというのに、その更に先を宿儺は行った。

 自身の生得領域を結界で閉じ込めず現実に具現化するという事は、空にキャンバスを描くが如き至難の所業。

 人はそれを、《神業》と呼んだ。

 御廚子とは『御廚子所』……古くの言葉で『台所』を意味する。

 《伏魔御廚子(ふくまみづし)》とは即ち、魔の伏す調理場。

 美味なる死は──食材を卸す所から始まる。

 

(ハチ)

 

 宿儺の術式である『斬撃』には、『(カイ)』と『(ハチ)』の二種類が存在する。人間を細切りにする程度なら『解』でも充分可能だが、呪力で防御された場合、『解』の威力は当然下がる。

 だが『捌』はただの斬撃ではない。その能力は、『呪力差や強度に応じて一太刀で卸す』というもの。どちらにせよ、宿儺の実力以上の者でない限り、まさに必殺と言えよう。

 《伏魔御廚子》とは、その『捌』を()()()()()浴びせるための領域展開。必中効果により、呪力を帯びない物体には『解』を、呪力を帯びたものには『捌』を。

 更に『領域で対象を閉じ込めない』という縛りにより、『対象に逃げ道を与え』る事で、効果範囲を拡げている。その範囲は実に──二〇〇メートルにも及ぶ。

 だが、宿儺が領域展開出来る事は、ジョーカーの計算内だった。

 

(オレに出来て宿儺に出来ないはずがない。景色が変わらないのは奇妙だが、おそらく《伏魔御廚子》とやらは、斬撃を広範囲に及び与える物理的なもの。──だからこそ、今回オレはヨシツネを選んだんだ……!)

 

 ヨシツネには、物理・銃撃・火炎・氷結・疾風・電撃・念動・核熱・祝福・呪怨という十種の属性の内、弱点となる属性が一切無い。恒常的に発動している自動効果系スキルを含めると、『物理:無効』『火炎:耐性』『電撃:反射』『祝福:反射』『呪怨:吸収』に割り振られる。

 ──そう、物理無効という事は、《物理貫通》のスキルでも持っていない限り、斬撃やら打撃やら刺突やらによる物理的な攻撃の一切を無効化する。これは普段なら縛り⑤──ペルソナの耐性において、属性攻撃無効、吸収、反射は一切適用されない。この場合、以上3つの属性に対する恩恵は、全て『耐性』へと降格する──が適用されているが、それは《啓龕廟堂》が取り外してくれている。

 だが宿儺とて、『捌』の絶対的切断力に疑いの余地は持たない。

 純粋な真っ向勝負。

 絶対に断ち切る斬撃か、絶対に防ぎ切る耐性か。

 二つの矛盾の勝者は、果たして──

 

 ザザザザザザザザン!!

 バヅバヅバヅバヅバヅバヅ!!

 

 斬撃の雨は、二者共にほぼ同時に降り注いだ。

 実を言うと、現時点での総呪力量においては二人の間に殆ど差が無い。宿儺は、生前からの天賦によって。ジョーカーは、肉体レベルの向上やペルソナ、果ては怪盗服を着用する事で、呪力量が底上げされている。

 ……しかし。

 術式の熟練度においては、宿儺の方に軍配が上がる。

 

「────────────、、は」

 

 宿儺の首まであと数ミリ。そこで突如加速を止めたヨシツネが──まるで賽のように細切れになり、水の音と肉の音と共に血に落ちて、蒼い炎となり消えて行った。つまり──ヨシツネは、破壊されたのだ。

 その瞬間にジョーカーの全身を激痛が襲う。幾度も、切れ味の良すぎる包丁に微塵切りにされたような感覚。体の表層には、薄っすらと切傷が浮かぶ。ペルソナと己が一心同体であるが故のディスアドバンテージ、『フィードバック』。ペルソナが傷付けば、己も傷付いてしまうのだ。

 ペルソナの破壊についてのディスアドバンテージである縛り⑧──ペルソナ合体時以外でペルソナが破壊・消滅した場合、そのペルソナは、二度と全書による再召喚を実行出来ない──は、《啓龕廟堂》により適用されない。

 だがそれとはお構い無しに、宿儺の『捌』は呪力を帯びたものに対して切断を強いる。それは対象が例え()()()()()()()例外では無い。

 領域の『(ふち)』──つまり範囲限界がどこまであったのかは宿儺は知らないが、二〇〇メートルに及ぶ『捌』は、現在の立ち位置である巨大な胸骨諸共、自身の目に映る景色全てを破壊していく。そのついでなのだろうか、ジョーカーの肩から左腕、右手首から先と、右脚の膝から下を切断させるに至り──そして奇妙な事に、空間の一部に(ひび)が入った。

 瞬間、そこを硝子細工(がらすざいく)が破壊されていくように、次々と景色が消えていく。世界は崩壊を始め、元の現実世界へと再創造されていく。

 隷属の解放には、未だ遠く。

 ジョーカーの全力は、宿儺の全力によって悉くを叩き落とされた。

 現実世界の砂塵が二人を覆う。泥は《伏魔御廚子》の余波で細切れになり、もはや砂といっても過言では無かった。

 領域を解除する宿儺。

 いずれ死んだか、あるいは出血死するであろう敵を前に、しかし宿儺は惜別を感じていた。

 まだ強くなれた。伸び代があった。伏黒恵とは別の期待があった。だがそれは、もはや叶えられなくなりつつある。砂塵の中、漠然と宿儺はそう考えていた。

 そう──ここに来て両面宿儺は、ジョーカーを、雨宮蓮という男を侮ったのだ。

 反転術式、領域展開。この二つの才能を、短い期間で発現させたとはいえ、所詮は青臭い餓鬼。もはや立っている事も不可能な程に傷付け、あるいは斬り落とした。為す術は残っていない……所か、生命を維持する事も不可能だ。そう考えた。考えてしまったのだ。故に──

 

「な──────!?」

 

 ──砂塵の中から現れ出でる、()()()()()()()()()()()に、反応が遅れてしまった。

 左腕を肩から切断。右手首から先と、右脚の膝から下が無い。左眼はもはや、情報媒体としての役割を果たせない。胴体は切り傷だらけで、漆黒のコートは自身の血で紅く染まりつつある。激痛により、体を動かす事も躊躇われるはずだ。宿儺の生前の記憶にも、この状態になってまで戦う意志を見せた者はいなかった。

 ──もはや死体だというのにも関わらず。

 倒れ込むように、なお進むように、ジョーカーは無い拳を握り締めて、宿儺に向かって放っていたのだ。

 放心から解放された宿儺。何か行動を起こそうとするも、もはや回避以外には何も選択肢が無い事が一瞬で解った。ならばと、この身を退かせ──

 

──退く、だと? この俺が?)

 

 その退避を、一瞬躊躇してしまった。

 虚を突かれ、術式を以てしても間に合わない程の距離にまで近づかれた。だが一歩退けば、ジョーカーは地に落ち自滅するし、どの道この負傷ではもう助かりはしない。自分の勝利は確定している。

 だが、眼前の強者の一撃を退くなど、宿儺のプライドが赦さなかった。退いてしまったならば、何か決定的な物に敗北する予感がした。

 

 そうか……『恥』だ。

 

 この一撃を受けないのは、きっと宿儺の今後を狂わす物になる。

 この強者の一撃を、全身全霊を以て迎え撃つ。

 そして、その全身全霊を以てしても、回避以外に選択肢は無く──故に。腕に付いた蝿を払うように、いつもなら軽く遇らえていたはずのその拳を。両面宿儺は、受け入れた。

 ──顔面に、痛みが走った。

 

「く──────

 

 呪力は籠っていない。そもそもジョーカーには、もう呪力は微塵も残されていなかった。

 彼の意地が、彼の体を突き動かした。こと意地において、宿儺ですらジョーカーには勝てなかった。

 ……しかし、意地を通せるのもここまでらしい事を、()は悟った。

 どちゃ、と、なまじ人が出してはいけない音を立てて、地へ落ちていく。

 ……もう動けない。左肩と右脚、右手首を中心に、全身から赤色の生命が零れ、地面へと落ちて行く。泥と血液の区別さえ付かない。今オレが倒れたこの地面は、本当に泥だったのだろうかとさえ思ってしまった。

 痛みさえも感じなくなってきた。

 ペルソナを呼べるほど、もう呪力は残っていない。

 その証左に……怪盗服が消えていた。

 ……守れなかった。結局オレは、また繰り返すのだ。雪辱と後悔と、涙と訣別を。

 ああ、嫌だ。目の前が暗くなっていく……。

 必死に悠仁(宿儺)へと手を伸ばす。けれど、この手は何かを掴む事すら叶わない。

 守ると誓ったのに。命を賭けると己を縛ったのに。

 それでも、勝てなかった。

 後悔と共に、意識が消える刹那の闇の中で──宿儺が何かを言っているような気がしたけれど──

 

 ……最期に感じたあの息苦しさと同じものを感じながら……雨宮蓮(███)の瞳孔は機能を停止した。

 

 

PERSONA5 in Jujutsu Kaisen

Let us start the game.

#10 Unveiling Mausoleum




 習得:《領域展開:啓龕(けいがん)廟堂(びょうどう)
難産。
次回から不定期更新となります。リアルの都合で執筆する時間が取れず、それでこのままダラダラと待たせてしまうのも良くないと思い、決断しました。期待してくださっている皆様には、大変申し訳ございません。
だからといってクオリティやペースを落としたくはないとも考えております。出来るだけ2週間に一回投稿は頑張ります。気長にお待ちください。
最後に。
てめえの近日公開は二週間かかんのかオイ!!!!!!!
ごめんなさい!!!!!!!!!

章ごとに情報が解放されていく形式の雨宮蓮の設定欲しい?

  • オ…オタカラァ…!
  • どうでもいい…
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