Fate/Asian Fighters   作:菊田菊之丞

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一日目、夜2

最初、グラサンの言ってることをうまく理解できなかった。

デーモンという言葉の意味するところを引き出すにも時間がかかったし、何より自問自答の迷路で右往左往していた私には外の世界のことなど対岸の火事だったからだ。

 

 

けれど、偶然見ていた方向によって私の長く煤を被っていた警戒心がたちどころに表れた。

窪んだ地形の隆起した頂点、木々に埋もれて夜目では薄ぼんやりと膨らんだ人の腹のみたいに見えていたものが

動いたのだ。

ブニュリ、とかいう擬音が聞こえそうな感じで

 

 

 

「ーーーーーー早く!」

 

とてもじゃないけど、多くのことを考えてる間は無かった。

グラサンの声に促されるままに跳ね起き、顔を向けていたのと逆方向に走り出す。足場の悪い林の中を脅迫されてるように普段絶対にしない全力疾走で駆け下りる。

 

 

痩せた老人みたいな木がびゅんびゅん視界をかっ飛んでいく。少なからず体に枝やら何やらが引っかかって頬に熱がつたうけど体は少しも暖まった感じがしない。

サーっと全身から血の気が失せて下唇がさっきから病的に震えていた。

足は今のところ動いてはくれてる。

 

けれど聞こえる。

静寂の森の中で私の荒い息の他に何か大きな質量を持ったものが体を引きずる音が聞こえる。

しかもそれは妙な水っぽさを持った嫌な響きも帯びていた。

 

その音から瞬時に想像できる造形に私は全身に鳥肌が立った。

 

有り得ない想像だけどその影が脳裏に焼き付いてふりほどけない。

困惑している暇は無かった。

追い討ちを掛けるように背後で怪音が響いた。

透明な夜気を伝って私の耳朶を震わせたのはどうやらアレの鳴き声のようだったけど、それがまた嫌になる程おぞましくて気味が悪いものだった。気の触れた猫が寄り集まって合唱してるような、本当に、この世の物とも思えない声がわたしの心身を追い立てる。

 

ーーー怖い怖い怖い怖い

本当に、叫んでしまいそうになる。

けれどありったけの自制心で喉まで出かかった悲鳴を飲み込む。喉の奥で渇いた血の味が広がった。

 

背後から追ってくる謎の生き物は意外に早くて、確実に距離を詰めてきている。例の地面を這いずる音が次第に大きさを増す。同時に雲が重なり月明かりに翳りがさした。

 

 

いやでも…………謎の生物?なんだそりゃ?

待て、ちょっと待て。冷静に考えてよう。

私は、今必要以上に焦っているんじゃないか?

気の触れた猫のような声?

それは気の触れた猫の声だろう。

足音が湿ってるとかわかんないよ。

グロい怪物にでも追いかけ回されてるとでも?

馬鹿馬鹿しい、あいつらの言葉に毒されすぎなんだ。

勢いで逃げ続けてるけど……そうする必要性もどこまであるんだろう。

 

「ーーーーーわ!」

 

行き止まりーーーー地面がポッカリと暗い口を開いている。岩肌が露出しているわけでもないけど、かなりの勾配で底が影になって見えない。降りるにはそれなりの覚悟が要求されそうだった。

淵沿いに逃げようにもすぐに追いつかれてしまうのは目に見えている。

 

 

飛び降りる…………か。

 

背中に感じる圧迫感。あれがもうすぐそこまで迫ってきている。

 

―――――確かめるべきだ。

あれは果たして何なのか?脳裏に張り付いたありもしない恐怖をぬぐいさる意味でも、自分を追い詰める存在と対峙するべきだ。

例えそれが熊など猛獣の類でも、そもそも背を向けて逃げるのは正しい対処法ではない。

私は、ゆっくり身を引きつつ背後に顔を傾ける。

 

大丈夫、大丈夫だ。そもそもここは島なんだろう?そんなところに人を襲えるような猛獣なんてそうそういるもんか。

仮にそうだとしても、だからなんだ。後ろの淵に飛び降りてしまえばいいんだ。問題なんてないじゃないか。

全身の勇気をかきあつめて、私は追跡者と退治した。

 

そして、意識を失った。

 

 

 

 

 

………

……

……………あれ?

覚醒した私の意識が最初に捉えた情景は絶壁めいた急角度の坂とそこに頂いた冷たい色の月だった。どことなく嘲笑してる風なその造形に、常の私なら無軌道な憤りを覚えたはずだったけど、何故か今はそういった感情は立ち上がらず……何か、空虚な感じだった。

胸にポッカリ穴が空いたようなというか、心の一部が死んだようなというか

意識にフィルターがかかった感じでいつまで経っても頭が回転を始めない。

 

けれどすぐに、ぼんやりと空回りを繰り返す思考に歯止めがかかる。

 

 

「――――――――――痛っ!」

 

右腕に鈍い痛みを感じ私は身をよじらせる。がさがさと周囲の落ち葉が剥がれ私は体の下敷きになっていた右腕を引っ張り上げる。

歯を食いしばってカーディガンの袖を捲るとダンゴムシのように腫れ上がった手首が現れた。それと同時に、痛みの信号は全身から押し寄せてきた。

身を起こして、外傷を確認するだけでも息が切れそうになる。

 

足は……動く、動いた。関節を曲げるだけでもバキバキという音が体内で響くけどとりあえず立って歩くことはできそうだった。細かい木片が数個腕や足に刺さっていたけど血はそんなに出てはいなかった。抜く時は死ぬほど痛かったけど。

後は判らない。内出血の方が傷は危ないとか聞くけれど、医学的なことなんてさっぱりだったからできるだけ考えないようにした。

考えるべきことは他にあった。

 

私は坂の上を見上げた。

かなり高い。状況的にあの上から転がり落ちたんだけど、考えただけでも身震いがする高さだ。地面が土でなく岩だったら、怪我はこんなものじゃ無かった。よくもまあ、あんなところから飛び降りようとしたもんだ。

 

 

私は、一つの違和感を感じた。

いや、「一つ」の違和感という言葉自体が違和感だけれど。違和感違和感、自覚していないだけで私の体は違和感で出来ていたけど。

うん、そうだ。

私はあそこから自ら飛び降りたのではなく

意識を失って勝手に転がり落ちたんだ。

だって意識を失う瞬間をはっきりと記憶しているから。

 

だというのに、思い出せない。私をあそこに追い詰めた追跡者の姿を。私はあの時、確かに振り返った筈なのに。

心の空虚さの正体の一端が判った気がした。そこの記憶だけポッカリと欠落していたのだ。

 

その感覚には覚えがあった。私にとってかなり馴染みの深いものだった。

今から三年も前の話……両親が命を落として私の人生が大きく狂ったあの災害から……。

 

精神を守るため私の心には防壁が築かれた……あの精神科医はそう言っていた。それからというもの、私の記憶力は非常にたよりないものになってしまった。それでも、最近はほとんど起きてなかったのに。

こんな、強烈な感覚は今までになかった。

 

狼狽えた私は頭を掻きむしった。そんなことをしても、ねっとりとした不快な感覚は去ってはくれなかった。私は一層強く頭皮に爪を立てた。

 

ゾリッ

 

「………………え?」

 

奇妙な音に目を瞬かせ、私は手に掴み取ったモノを見た。

そこには老人のように白く染まった、ちょうど私と同じくらいの長さの髪の束が掴まれていた。

 

 

 

 

「ひッーーーーーー」

 

恐怖心にかられ、手に持つモノを放り捨てた。

 

震える指であたまの天辺の方の気を一房摘む。全く何の手応えも無く柔らかい土から雑草を抜くよりも簡単に抜けた。

雑草、まさに私の手に握られていたのは雑草にしか見えなかった。

 

…………何?何なの?

ここに来て何回も浮かんだ疑問、問題は今回の対象は自分自信ということで。

私の心身の不調。

髪の毛が全部白髪になって抜けるなんて、治療を受けてる時でもなかった。精神状態によって抜け毛とかは経験したけど、それが安定すれば回復はした。

つまりこれは、直感だけどそういうのとは別種でもっと取り返しのつかない…………例えば歯車がズレた時計がちょっとずつ遅れていくような欠陥。

 

立ち眩みのような感覚に襲われて思わず膝をつく。頭痛が頭の中で暴れまくる。

 

 

「…………いや、いやいや違う。私はおかしくない、おかしくない」

 

我知らず自分に言い聞かせるように呟いていた。

 

 

「いやいやよかったね。あれを肉眼で見たっていうのにその程度で済んで」

 

弾かれたようにそこを見ると、枯れ葉の上に黒いスマフォが落ちていた。

落下の衝撃で取り落としてしまったみたいだった。

「普通の人なら精神科直行だよー。ああ、日和ちゃんには入院歴があるのか。その時の処置が防波堤になったのかな。いやー流石持ってるね、流石俺が見込んだだけーーーー」

 

 

「お前ぇえっ!」私はスマフォが落ちてた地点目掛け頭から突進した。受話器に噛みつく勢いでまくし立てる。

 

「お前!おま、お前!」

 

「おいおい、ちゃんと日本語喋ろうよ~。女子高生だから馬鹿なのはわかるけどさ、こっちの身にもなってくれよ」

 

 

目の前が真っ赤に染まっていた。毛根からチリチリ火花が出る。心の中の鬱屈とした思いが全部裏返って怒りのエネルギーが弾けていた。

 

電話の向こうの糞野郎は素知らぬ風に言う。

 

「それに俺の名前は蓮田だよ。覚えられる?」

 

「っ、知ったーーーーーー」

 

ことか、と。私は全力投球でスマフォを放り投げた。

気持ちよくかっ飛んだ黒い電子機器は勢いよく固い岩肌にぶち当たったけど、跳ね返って何食わぬ顔で私の足下に転がってきた。

 

「あはは、無理無理~。ドラえもんに踏まれても壊れない特別製だぜ」

 

「くそっ!!」

 

憤慨した私はスマフォを踏みつけた。足の裏からはグラサン……蓮田の不愉快な笑い声が聞こえていた。

私は地団駄を踏むようにスマフォに攻撃を加える代わりに大声で叫んだ。

 

 

「あれは何!?」

 

「デーモン。さっきからそう言ってたし、ボスも説明したでしょ」

 

頭がクラクラした。

 

 

「ああもう違う!だからーーーー」

 

「見たんでしょ?」

 

「ーーーーーーーー」

 

二の句が告げられなかった。

 

「君はデーモンを見た。だけどその見るに耐えないおぞましい姿に君の知覚にはとてつもない負荷がかかり記憶障害と頭髪の変化を併発した。この説明じゃ駄目?不安?」「そんなこと…………」

 

ああもう、駄目だ。本格的に頭が割れそう。何が現実で何が妄想なのか判らない。

だって思い出せない、大事なことは何一つ。思いだそうとすればするほど頭痛がひどくなる。

 

 

「…………けど、大丈夫。いいところに逃げ込んだよ、日和ちゃん。そこ……進ん……………サーヴァ………」

 

急に音声にノイズが走り聞き取りづらくなる。途端に蓮田の声の調子も切羽詰まったものに変わってくる。

 

「……まずっ……た来………!デー…………」

 

尻すぼみになっていくように蓮田の声は掻き消え、通話が途絶えた。

ツー、ツー

またしても私は無音の世界に放り込まれた。

 

…………何だろう、全身が鉛みたいに重い。それだけじゃなくて手足に血が通ってないみたいにからっぽな虚脱感。

目ばかりが、別の生き物のように働いてよくよく周囲を観測していた。

 

霧が出てきた。それも見ただけで噎せてしまいそうな、濃密な名状しがたき色彩。

実際、臭気も凄まじいものだった。コレも何ともいえない……決して想像力が欠如してる訳じゃなくて、人の感覚の追随を許さない異次元の芳香と言うべきか…………

五感が大渋滞を起こす一大事に見まわれていた。

 

だからこそ私は反応できなかった。気付いていてもリアクションを返せなかった。

包み隠さず雄弁に気配を振りまきながら、暗闇から這い寄る恐怖に対して。

居るか居ないかは自分から振り返ってみないと判らない、そして意を決して振り返って絶叫する。そんな人間的な恐怖に対する情緒を木っ端みじんに打ち砕き、それは真っ正面の木陰から滑り出てきた。

 

…………ああ、ある意味想像通り。

ぶよぶよで内臓が裏返ったような体表。意味の判らないところから幾つも眼球が飛び出ていて顔のパーツのようなモノが普通より多めに盛り付けられていた。

全身の筋肉を伸縮させて、熊でも丸呑みできそうなモンスターは理不尽な速さで私に向かって突っ込んできた。

 

なすすべなんか無い。私は叫んだんだかそうでないのか、その絶叫もろとも私は肉の壁に飲み込まれた。

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