顔真っ赤なネイチャさんに「お、お馴染み1着ぅ……」と言わせるまで   作:東京競馬場

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ネイチャさんとトレーナーさん

 模擬レース開催が、授業終わりの放課後であったことは、ある種の幸いだっただろうか。

 

 荷物はまるまる、置いてきてしまった。約束していたわけではないけれど、みんなにまた明日を言い忘れた。しまいには、体操着どころかゼッケンも付けっぱなしだ。

 

 でも、それが殊更目立つことはないだろう。

 

 みんなの目は主人公に向いていて。自分たちには誰も見向きをしていなくて。

 ちょっと個人的な面倒が残っただけで、学園には何の迷惑もかけていない。

 

 だから、行く当てもなく飛び出したこの脚を咎めるのは、自分だけだ。

 

 荒い呼吸を整えるように、勝手に走り出した足をなだめるように、なんとか一歩また一歩と歩幅を緩め、速度を緩め、視界の端に流れる景色がようやく止まる。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 肩で、息をする。

 走っている間は頭が真っ白で、それこそ何も考えなかったせいで、この静かな場所がどこなのかも分からないけれど。

 

 呼吸が穏やかになる度に、脚の感覚が戻ってくる度に、情けなさがこみ上げる。

 

「はぁ、もうっ……」

 

 情けないし、悔しいし――悲しいし。

 何より。1人の、あの学園の生徒として。

 

 よろけそうになる上半身を衝立のように支えていた、膝を抑える両手が震える。

 

 

「おっそいなぁ……!! この、脚っ……!!」

 

 

 どん、と殴りつける自らの太腿。離してしまった右手、殴りつけられた右足、ただそれだけで崩れそうになる身体が嫌になる。

 

「ふ……ぅ……うっ……」

 

 ぽたり、とその拳に零れたひと雫。

 

 泣くな。止まれ。理性が叫ぶ。

 そんなもの、モブがやっても惨めなだけだ。

 

 悔しがれるだけの努力をしたか?

 負けないと思えるほどの理由があったか?

 誰もが認める惜敗だったか?

 

 この涙を糧に立ち上がれる――主人公か?

 

 

「う、うぁ……うああ……!」

 

 砕けた感情、罅から溢れる抑え込んでいた自己否定。

 

 分かっている。どれでもない。

 分かり切っている。だから誰も言わないで。言われるまでもなく、身の程は弁えているから。

 

 そう――みんなにも分かるように、伝えてきたではないか。

 

 

 なのに、これはなんだ?

 

 

 みっともなく泣き腫らして。届かないものに手を伸ばして。バカみたいに自分に言い訳して。無理だと分かっている勝負に、恥も外聞もなく――ましてや何ら下バ評を覆す秘策もなく飛び出して。

 

 

 何より、分かっていたのだ。

 

 

 その、届かないもの。欲しいもの。手を伸ばした一等星は、決して自分だけのものなどではないと。

 

 

 

『ねーねーネイチャ! トレーナー体験講座だって! きっとマーベラスな出会いが待ってるよ!』

『……あー、アタシは、いいかな』

『えーなんでなんでー? マヤもトレーナーちゃんに別れ話ごっこして一緒についてってあげるよ?』

『や、それはトレーナーさんを大事にしてあげてくださいほんと……』

『ネイチャ』

『え、な、なに?』

『へたれー』

『はい!?』

 

 

 

 

 ある日の夕暮れ時。なんだか企み顔で迫ってきたちんまい2人組からの誘いを断ったのは――見たくなかったからだ。

 

 そうでないと良いと思っていた現実が、壁を隔てた目の前にあると知って。

 トレーナー体験講座として、誰かが行っているだろうトレーニングを見るのが嫌だった。

 

 現実を見たくなかった。

 

 

『――かー、そんな簡単に出来ちゃったらトレーナーなんていりません!! 俺帰っていいか!?』

『えー、いやいやオレってば昨日まで全然できなかったんだってばー!』

 

 

 聞きたくなかった。

 

 

 

 結局全部、自分のエゴ。

 心の奥底ではきっとアレは最初から"自分だけのキラキラ"で、そうじゃないと分かっていながら、教えてくれる現実から目を背けた。

 

 知ってしまえば自分は絶対に1番にはなれないと、分かっていたから。

 

 

 なのに。

 

 

「なのに……!!」 

 

 

 舞い上がっていたのだろうか。

 もしかしたら、なんて。チームにさえ入れれば、なんて甘い考えで居たから、こんなにも手酷いしっぺ返しを食らうことになったのだろうか。

 

 ああ、やっぱり。

 

 

「アタシ如きが」

 

 

 身の程知らずな願いを口にするなんて。

 

 心も。見栄えも。 

 

「痛い……だけじゃん」

 

 

 こんなことなら最初から出会わなければ、夢なんて見ずに済んだのに。

 

 もしかしたらまだ、自分にもほんの少しの"キラキラ"が残されているかもだなんて。

 

 身の程知らずに浮かれることなく済んだのに。

 

「ほんと……」

 

 バ鹿みたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――バカ言えもう大丈夫だ、俺はここには詳しいんだ。ここへの来方と帰り方を知らねえだけでな。――なに、渡し賃は六文? この牛乳瓶の蓋でいいか? ……じゃあ新品の靴下留めてる奴も2つおまけしてやる。OK交渉成立だ、沖野サンも泣いて喜ぶさ」

 

 

 

 

 

 ざ、と芝を踏む足音。

 

 

 

 暗がりで見えない。

 星明かりは今日に限って雲間に消えて、第10レースは思ったよりも夕暮れで。

 

 そういえばもう、この時間はいつもなら――自主トレに歯を食いしばっている時間だった。

 

 はっとして、慌てて目を擦る。

 どうせ迷子だ。それにしたって、こんな時に道案内だなんて神様もずいぶん意地悪なものだと思う。

 

 

 ――思えば、最後に競技場で目が合ってしまったような気がするが。

 

 それこそ気のせいだろう。トウカイテイオーの相手をしている時に、自分なんかに気持ちを割く理由がない。思わず逃げ出してしまったのは、そう。たとえるなら、ただの一方的な失恋だ。

 

 だからせめて、もうこれ以上みっともない姿だけは見せたくない。

 そのくらいの誤魔化しの矜持くらい、ただのモブにも残されていていいはずだ。

 

 

「よく……会いますね?」

 

 だから、言えた。なんとか震えを押し殺した、色の無い声。

 

「そうだな。今日の俺は偉い。迷わずに目的地まで来られたんだからな」

「……目的地?」

 

 直前まで誰にどう案内してもらっていたかを一切語ることなく、自信に溢れた笑みで神谷は頷いた。

 

 その口ぶりに辺りを見渡して、ナイスネイチャはようやく気付いた。

 

 自分が無我夢中で走ってきてしまった場所が、どこであるかも。

 

 あまりの恥ずかしさと未練がましさに顔から火が出そうになるのをぐっと堪えて、相手ももうはっきりと顔色が見えるほど周りは明るくないからと自分に言い聞かせる。

 

「――あー、ひょっとしてテイオーの自主トレ、ですかね? 確かに、出会った日からトレーニングってストイックさはアタシも見習わなきゃなりませんなー。そいじゃアタシはこれで……」

「お前が毎日一生懸命練習してたって知ってる場所を別の奴とのトレーニングで乗っ取りにくる俺最低すぎね?」

「それはおっしゃる通り! 最低な人ですね!」

「俺が最低な人みたいになったな??」

「あ、あははっ……」

 

 もう自分で何を言っているのかも分からなかった。

 ただ改めて周囲を見渡して気づいた。

 

 人の気配は、目の前の彼以外には無い。

 自分と彼だけの、いつもの公園。

 

 それを昨日まではどんなに心待ちにしていたかを考える度、自己嫌悪で苦しくなる。

 あまりに愚かで惨めで身の程知らずだ。

 片や、あのトウカイテイオーが求めシンボリルドルフが認めるフランス帰りのトレーナー。

 一方で自分は、並べるのもおこがましい舞台袖の住人。

 

 どうせ、目的地についたというのも、迷子をごまかすための嘘だろうとナイスネイチャは結論を出した。

 

「あの」

 

 でも居た堪れなくなって、顔を見ているのも嫌で。

 決して彼が悪いわけではないけれど、それでも今だけは1人にしてほしくて、彼女は言う。

 

「アタシ、自主トレしたいんですけど」

 

 表情から色が抜け落ちた、彼女にしては初めて壁を感じさせる台詞。

 けれど一方の神谷はと言えば、ただただ目を瞠って。

 

「ストイックすぎねえ!? あのレースの直後でもう練習しようってのかお前!?」

「え、ああまあ、はい。それくらいしか、やることないですし」

 

 肩を落とし、自嘲の笑みを浮かべる彼女。

 実際に練習をするつもりもなく、そんな用具を持っているはずもない。

 それでも、彼を遠ざける言い訳を考えるうちについ口を出たのが"練習"というのが彼女の精神性を物語っているが、ナイスネイチャ自身がそれに気付く理由もなかった。

 

 一瞬、神谷の表情が緩んだ。それをナイスネイチャが察するよりも先に、彼は珍しくウマ娘の言葉に首を振った。

 

「その向上心は見上げたもんだし、あのレースの悔しさをバネにってのは正直めちゃくちゃかっけえとは思うが」

 

 殊更真剣な表情を作って、神谷は言う。

 

「それでも今日は止めといた方がいい。だいぶ脚に無理させてんだ。良いことねえぞ」

「っ……」

 

 唇を噛んだ少女の、一瞬吹き荒れた感情を。

 神谷は諦めたように眉を下げながら、それでも引くことはない。

 

「言ってましたよね、自分で」

「ん?」

 

 分かってはいても。

 悔しさと、悲しさと。辛い感情で埋め尽くされた年頃の少女の想いを受け止めるのは、トレーナーという生き物にとって最も難しく、心が痛む仕事である。

 

「――トレーナーじゃあ、ないって」

「ああ。だから練習メニューにゃ口出さねえ。確かに言った」

「なら、さあ……!」

 

 キッ、と睨み据える瞳の奥。

 そのすべてを理解することは出来ないが、それでも神谷はトレーナーだ。

 今日のレースの結果は、あの"主人公"と彼女の話だけに絞れば"大差"。

 話にならない。勝負の土俵にも立てていなかった。

 それを、必死に、負けたくないと感情をむき出しにして無茶苦茶に脚を振るって届こうとした彼女の想いを、何も理解できないほどバ鹿ではない。

 

 これまでの彼女のことはよく知らない。

 でも、ターフを駆けたあの時の彼女は、確かにレースの先に、誰にも譲りたくない何かを求めていた。

 

 そしてそれが、叶わなかった。

 

 努力の果てに突き付けられた現実にさえ、斜に構えて笑っていられるような年頃のウマ娘を、神谷は知らない。今後も知ることはない。

 

 

「トレーナーじゃないんだから、口出さないでよ……!」

「……」

 

 それがきっと、決壊の合図だった。

 

「頑張ったって届かなかったんだよ!! 仕方ないじゃん!! アタシだって分かってるよ!! 今までずっと何やってたんだって――でも!! でもさぁ!!」

 

 荒げた声。張り裂けそうな胸の内。

 潤む視界が、相手の表情を窺う余裕さえ拒む。

 

「欲しかったものが、あったんだよ……! 頑張ればいけるかもしれないって、ようやく……ようやくやるぞって気持ちになれてさ……それすら手遅れで……あんなにも遠いって思い知らされたら、さあ……」

 

 もう、と立ち尽くして。

 涙を隠すことも出来ず。

 

「……もう、何もかも遅くたって。もう二度とこんなことがないようにさ……この先にあるかもしれない"何か"のために、それが何かすらわかんなくても、頑張らなきゃ……また手遅れになるだけじゃん……」

「……お前さ」

 

 あまりにも救われない、その涙の真意を全て慮ることは出来なくても。

 頭を掻いて、神谷は言う。

 間違いがないのは、今の彼女が見ていられないということだけ。

 

「それ、結局また"迷子"じゃね」

「っ……」

「あんなに俺に親身になってくれたんだ。それを誰より嫌がってるってことくれえ分かるよ」

 

 一歩、踏み進める。

 

 芝を踏む優しい音に、叫ぶ。

 

「来ないで!!」

 

 予想以上の拒絶に思わず顔を上げる神谷に、一瞬申し訳なさそうな顔を見せる彼女の生来の優しさが垣間見えて。

 それでも明確な拒絶の理由に、神谷は必死に心当たりを探る。

 

「もう……来ないでください。お願いだから」

「……」

「身の程知らずが舞い上がって勘違いしちゃうから。ほんとに」

「――勘違い?」

 

 考えろ、考えろと神谷は頭を回す。

 普段よりもはるかに神谷に余裕がないのは、ただ目の前の様子のおかしいウマ娘を想えばこそ。

 そしてウマ娘は感情に敏感だ。

 だからこそトレーナーはウマ娘に負の感情を見せないように振る舞うし、彼女たちのメンタルケアの為なら己を捨てる。

 

 ただ、その聞き心地の良い台詞がこうして、不安を生むこともあって。

 

「ここで、練習見て貰えたの、楽しかったです。アタシでも少しは出来るのかなって思えた。……だからもう、十分です」

「……ひょっとして、俺が嘘ついてたと思ってる?」

「冷静に考えたら、アタシがなんかの記録を越えられるはずないじゃないですか。あの時は乗せられちゃって、おかげで自己ベストは更新できましたけど……でも」

 

 それでも、自分なんかを引き上げられる、それだけ優秀なトレーナーなら。

 

「思い出にして、頑張っていくので。夢を見せて貰えてうれしかったですから」

 

 いっそ美しいまでの儚い笑顔は、本人が指摘されたら真っ赤になって否定するかもしれないが。

 

 その表情があまりにも星明かりの下に綺麗で、一瞬呆けた神谷は息を吐く。

 

 そして頭を掻いて、しばし考えて。

 

「……あのさ」

「はい」

「俺がここに来た理由って分かってる感じ?」

 

 たぶん迷子だろうと、ナイスネイチャは頷いた。

 

「まじか……」

 

 空を仰いで。呻くように。やけに辛そうに、神谷は言った。

 

 

 

「すまんゴルシ。すまんシンボリルドルフ。すまんマーベラスサンデー」

 

 なんでその3人の名前が出てくる? と首を傾げる彼女を前に、彼は。

 

 意味不明な台詞を吐いた。

 

 

「俺、フラれちまった……」

 

 

 

「……え?」

「え?」

 

  

 

 星明かりの下、静かな沈黙が場を支配して。

 

「あーどーっすっかな……流石にもう誰も残ってねえよな……みんな今日良いレースしてたもんな……クビかなあ……」

「ちょ、ちょちょちょちょっと待って!?」

「ん……? ああそうか、最後にお前がちゃんと自主トレせずに帰るか見張るって仕事があるか……」

「いやそんなこの世の終わりみたいな顔されてもですね!?」

 

 フ、フラれ? とうわごとのように繰り返しながら、顔真っ赤なネイチャさんは言葉の真意を探るべく目の前のトレーナーを問いただす。

 

 何か、ここでちゃんと話を付けておかないと人生に関わると、そんな予感でもあっただろうか。

 

「まだワンチャンあるかもしれねえが、どーだろな。実は今回の模擬レースって、俺の為に理事長がごり押したみたいなとこあってな」

「は、はあ……」

 

 住む世界が違う、"期待"の中に生きる者たちの発言に閉口するナイスネイチャ。

 

「結構他のトレーナーから睨まれてることもあって、俺は今回のレースが事実上のタイムリミットだったんだわ。担当を見つけるっていうミッションのな」

「え、なんで」

「俺が実績出さねえと、俺を呼び込んでくれた先輩にも泥塗ることになっちまう。けど流石に俺もチーム組めると思うほど驕っちゃいない。だから才能あふれる中央トレセン学園でも最高の素質を見つけようと、今日この日まで引っ張ったんだ」

「なる、ほど……?」

 

 そこまで言って、神谷はナイスネイチャを正面から見据え、告げた。

 

「で、今フラれたとこ。もういいか? フラれた女に告白の解説すんの、結構辛い」

「ちょっと待ったーーーー!!」

 

 言い方ぁ、と熱い頬を扇いで必死に思考を冷静に持っていきながら、ナイスネイチャは彼の言葉の意味を必死に探った。

 そして、あり得ないと断定したい1つの可能性に行き当たる。

 

 それを、自分の口から言うのは本当の本当に勇気がいるものだ。

 今日そうやって頑張って勇気を振り絞った結果としてここに惨めな自分が居るのだから猶更だ。

 

「ち、チーム組まないってことは、専属ってことでしょ……?」

「ああ」

「それで、その」

 

 間違っていたらどうしよう。困惑の表情などされてみろ、今度こそ立ち直れなくなる。

 

「専属で1人しかできないのを、今日まで誰にしようか考えて……で、え? て、テイオーじゃなくて……」

「ああ」

 

 それはずいぶんとさらっとした、日常の延長のような流れで放たれた言葉だった。

 

「テイオー様じゃなくてお前が良い。いや、良かった、か。じゃあな」

「いちいち消えようとすんな!!!! じゃなくて……!」

「じゃなくて?」

 

 眉根を寄せる神谷に、胸いっぱいの感情をなんとか抑えて。

 今にも泣きだしそうな嗚咽と堪えて、彼女は言う。

 

「待って、お願い……!」

 

 服の裾をつまんで、涙ながらに見上げられては立ち止まらない選択肢はない。

 頬を掻いた神谷は呻く。

 

「……なんかフラれたのこっちなのに、俺が捨ててるクソ野郎みたいな空気になってない?」

「フッてない!!!!!!!!」

「えっ?」

 

 フッてなど、いない。

 

 ただ、そう。意味が分からないだけで。 

 

「聞き間違えじゃなければ……」

「ああ」

「ほんとのほんとに、アタシが舞い上がってるだけじゃなければ」

「ああ」

「ほんと、頭おかしくなってニュースで捕まる人みたいに認識捻じ曲げてなければ」

「どんだけ予防線張るんだお前」

「張りますよ!! ……そりゃ張りたくも、なるよ」

 

 ちょん、とつまんだ裾はそのままに。

 目を合わせたくないのか、うつむいたまま。

 

「……アタシを、スカウトしようとしてたっていう風に、聞こえて」

「そう言った」

 

 と告げてから、神谷は1つ息を吐く。

 

「そうだな。確かにはっきり言ってなかったから、混乱させたとしたら俺のせいだわ」

 

 そんなことない、と言いたいのに、ナイスネイチャの喉は引きつったまま。

 反して神谷は、努めて明るく笑顔を見せる。

 

「この公園に走ってきたお前を追いかけて、他の誰も見向きもせずに、トレセン学園に居る全部のウマ娘のスカウトチャンスを棒に振って、俺はお前をスカウトしに来た」

 

 俯いているのなら、しゃがみ込もう。

 目を逸らすなら回り込もう。

 どんな誤解も与えないように、正面から叩きつけよう。

 

「ナイスネイチャ、俺と一緒に2人ですげえことをしよう。――俺は、そうしたい」

「……っ」

 

 震える口元。

 悪い夢なのか、良い夢なのか分からない。

 ただ少なくとも目の前で起きている都合の良すぎる出来事が現実だと、素直に受け入れられるような人生を、彼女は歩んできていない。

 

「で、俺はやっぱりフラれるのか?」

「……なん、で」

 

 ごめんなさい、と心のうちに罪悪感が募る。

 なんて面倒なことをさせているのかと、モブのくせにまるでヒロインでも気取っているのかと、そんな申し訳なさが胸の内を埋め尽くす。

 

 でも、それでも聞かずにいられなかった。

 意味が、理由が、分からなかった。

 

「アタシ今日……3着、ですよ? それも、あの大差で。もう全然元気でみんなにわーわー言われてるテイオーの後ろで、息絶え絶えでくたばってたモブですよ?」

「……」

 

 顔を見たくなかった。

 

 ああそうなんだ、じゃあやっぱりいいや

 

 だなんて思われていたら。落胆を如実に顔に浮かべていたら。

 それこそ、ここから逃げ出してしまいそうで。

 

「見てたでしょ? テイオー伝説とか言って……仲も、良さそうだったじゃないですか。テイオーってほんと、トレーナーは自分で選ぶっていうくらい人気で、自分から話しかけにいくなんてそうそうなくてですね」

「……」

 

 ドロリとまろび出てしまった感情はもう、歯止めが利かない。

 

 自分とトウカイテイオーを比べたら、誰だって。

 否、比べられる土俵にすら立てていないって、分かっていて。

 

 でも、分かってはいるけど、言われたくはなくて。

 先に言ってしまえば言われないからって――そうやっていつも、自分を守っていた。

 

 でも。

 

「ああそうだな。専属にならねーかって誘われた」

「っ……」

「でもお前が良いから断った。ま、テイオー様には俺より最高の相棒が居るさ」

「~~~~っ」

 

 嬉しくて。でもそんな言葉に喜んで、舞い上がる自分が許せなくて、何も言えずに唇を噛む彼女に神谷は続ける。

 ただただ、正面から。

 

「んでもって、俺にはお前しかいないと思った」

「どう、して」

 

 自主トレをしていた時は、そんな素振りは欠片もなかった。

 向こうから誘ってくることもなかった。凄いとは言ってくれたけれど、それはきっとこの中央トレセン学園のどのウマ娘にも言っていることでしかなくて。 

 

 

「アタシはっ……アタシは。結局善戦が良いとこって言われてて。もうほんと、笑えるくらいお馴染み3着って感じで、ずっとずっと3着止まりで」

「へえ」

「1着なんか……自分で言うのもなんですけど、入学して1度だって取れてなくて。どこのチームも、どこのトレーナーも拾ってくれなかったのに……今更、アタシが良いって言われたって……」

「……」

 

 きゅ、と神谷の袖を掴む手の強さが増した。

 

「わかんないよ……」

 

 そのか細く、迷子のような声色に。

 

 神谷が1つ息を吐き、空を見上げた。

 重かった雲間が晴れて、ちらほらと星が顔を出す。

 

「ずっと3着ねぇ。周りのレベルが上がって、みんな必死さ増して、成長していく中でずっと3着か」

「なんとでも言える慰めじゃないですかっ……いくら何でもそんなの、1着2着だって、いつも居たのに……」

「でもお前、諦めなかったんだろ?」

「はい……?」

 

 何を、と思えばまっすぐな瞳。

 

「お馴染み3着、善戦入着で構わねえって本気で思ってるなら――なんで最終直線あんな走ったよ」

 

 今日のこと。彼女にとって思い出すことも苦痛な、あのレースを持ち出して。

 分かり切ったような顔で、神谷は笑う。

 

「後ろとのバ身差は8。気づいてたか?」

「8っ……!?」

「……なかったよな。テイオー様しか見てねえもん。入着で良いならもう手ぇ抜いてていい状況で、ぶっ壊れかねない脚の回し方したのは全部――お前の言う"あの大差"を、最後まで追っかけてたからだ。なあナイスネイチャ」

 

 言わないで、とも思った。

 でも、今だけは言われたいとも思った。

 

 ようやく顔を上げたナイスネイチャに、神谷は。

 

「お馴染み3着って、一番言われたくねえのはお前自身だろ」

「……そ、れは。でも」

「トレーナーだからな、流石にあの状況から物理的に逆転出来ねえことくらいは見て分かった。ほんとにお馴染み3着で良いなら、適当に流して終わればいい。おめでとう入着だ。……でもお前は、走った」

 

 思わず「あいつだ」と声を漏らしたのは、その走りを見た時だ。

 

「嫌だって言ってた。このまま終わりたくねえって言ってた。その叫びの大きさだけは、間違いなくこの中央トレセン学園で俺が聞いた中で1番だった……んでそれが」

 

 俺は、と胸を張る神谷。

 

「俺が1番育てたくて、1番育てられる素質だ」

「アタシ、は……」

「善戦じゃ嫌なんだろ。3着じゃ嫌なんだろ。名脇役じゃ終われねえんだろ。本当はお前が誰よりも主人公でありたいんだろ」

「っ……」

「そのギラギラした感情で、きっとすげえことが出来る。だから、俺と来い」

 

 その理由が、どうであれ。

 まっすぐに自分を見つめる瞳に嘘はないと、分かった。

 分かってしまった。

 

 ここまで恥じも照れもなく正面から想いをぶつけられてしまったら、いくら彼女でも逃げ場はなかった。

 

 重く長い息を吐いて。

 そっと、裾を掴んでいた手を離した。そのまま、目元をそっと拭って、なんとか作ったいびつな笑い顔と一緒に言う。

 

「ぎ……」

「ぎ?」

「ギラギラは……ちょっと違うかな……」

「へえ、じゃあなんて言う?」

「……笑わない?」

「ああ」

 

 もう、ここまで来たら目の前の"トレーナー"を信じる他なかった。

 照れくさくて、似合わなくて、誰にも見られたくないけれど。

 

「……キラキラ、かな」

「へぇ。……それは、どんなものだ?」

「色んな子が持ってるよ。たとえば……テイオー、かな」

「なるほどな」

 

 トウカイテイオーになりたい――なんてはずがない。

 それはきっと彼女の原初の望み。欲しくてたまらなくて、それでも届かないと突き付けられた最初の記憶。

 

 今はナイスネイチャに告げる必要はない。

 神谷は自らの心の中に、キラキラの正体――その答えをしまい込む。

 

 そして。

 

「俺がお前を、そこまで導いてやる」

「本当に?」

「俺は嘘は吐かねえ。お前に関わることは、絶対に。だから、そうだな。そんなに3って数字に縁があるなら、良いじゃねえか」

 

 何を言うのかと首を傾げるナイスネイチャに、神谷はキラキラの為の最初の一手を示す。

 

「まずは俺と一緒に取りに行こうぜ。3冠」

 

 目を瞠る彼女。

 これまで燻っていた底辺から、最も遠いところにある至宝。

 普段ならきっと、遠い遠い夢の話としか思えない、見て見ぬふりをしていた――確かなキラキラだ。

 

 それを、否定する気になれないのはどうしてだろう。

 この夢心地の中に居るからか。

 

「アタシにも……出来る、かなぁ……?」

「出来るさ。お前は、模擬レースで1着を取るのをめちゃめちゃ重要視してたみてえだが……それは、トレーナーには関係ねえ」

「えっ?」

 

 そんなことは、本来無い。同じトレーナーたる東条ハナなどは、きっと彼の言葉を否定する。沖野は「お前はそう言うよな」と苦笑いをするかもしれない。

 

 それぞれにそれぞれの得意なことがある。それだけの話。

 

「どれだけ頑張れるかが、お前の仕事だ」

 

 だからきっと、彼女にとってのトレーナーだ。

 

「1着を取らせるのは、俺の仕事だ。やろうぜ、ナイスネイチャ」

 

 神谷も、この言葉がどれだけの重さを持つかは分かっていないだろう。

 

 1着を取れなくても。これまで頑張っていたことが最も大きな要因で。

 かといって決して未来でも1着を求められないということではなく。

 

 これまでがあったから、これから必ず羽ばたける。

 

 

 それはつまり――これまでの彼女への全肯定。

 

 

「うん……うんっ!」

 

 頷くと、不思議と頬に零れる何か。

 慌てて拭って、見られていないかと前を見れば。

 背を向けた彼がのんびりと伸びをしていて。

 

「……ありがとね」

 

 思わず呟く一言に、しかし返事はなく。

 

「うーっし、何とかフラれずに済んだかー」

「ちょっとちょっと、ずっと思ってたけど言い方ほんと気を付けてくれませんかね!?」

「トレーナーにとってはそのくらい重要なんだっての」

「かといって、その、告白とか、フ、フラれた女とか……ああもうっ」

「俺、結構モテるんだけどなぁ。こんなひやひやしたのは初めてで――」

「ふんっ」

「ぐぇ」

 

 隣に並び立って、一歩を踏み出す。

 

「もー。締まらないなあ……」

「おーいて。脇腹は拙いよ脇腹は」

「懲りないからじゃん……。…………あのさ」

 

 彼の正面に、踊るように顔を出して。それはまるでお出かけでもするかのような気楽さで、そうでいながら幸せそうで。

 

「これから宜しくね、トレーナーさん(・・・・・・・)!」

 

 笑ってそう呼んでみれば、

 

「おう」

 

 彼は当たり前のように頷いた。

 

 ――きっと神谷が知らないことが唯一あるとすれば。 

 

 その返事こそが。

 今日まで、何よりも欲していたものだということで。

 

 

 

 

 

 

 思い返せば、それは。

 

 

 

 

 

 

 

「締まらないところばっかりだったけどさ。アタシなりに劇的な出会いだったと思うわけですよ――乙名史さん」

 

 遠い未来、URAファイナルズ優勝記念インタビューにて。

 素晴らしすぎてヘドバンする美人記者が目撃された。




ってことで序章おしまいです。くぅ疲。
ネイチャさん可愛すぎてついつい書いた話にここまで高評価いただけて有難い限りです。

ここからはここまでガチガチじゃなく、ぽつぽつと短編っぽくしながら話を前へ前へ進めていきます。最初の区切りはトゥインクルシリーズ1勝目までかなーと。

改めてここまでの応援ありがとうございました。
高評価、ご感想いただける方に感謝を。
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